ご家族はその大切な存在である患者さんの病状に一喜一憂され、現実をときには受け入れ、ときには否定しつつ、ともに歩もうとされています

 

これまで研修会や多くの書籍から学んだことは、「これでよかったと思える体験がその後のご家族の心の支えとなります」「(ご家族の立ち直りのために)できるだけの世話ができ、そしてそのことを認めてくれる人がいたことが必要です」ということでした

 

言葉で言ったり、文章に書くことはたやすいことですが、いざ現実に向き合うとなるととても難しさを感じています

 

患者さんの病状がしだいに進んできたとき、何度もご家族ともお話をします

 

以前には「いつ急変されてもおかしくない状態です」「その覚悟をしておいてください」と一方的に話をして、主治医としての役割はそれでいいのだと済ませていることが普通でした(今でもそのようなことが多いのかもしれません、第三者に判断してもらうことも大切でしょう)

そのことがご家族への「注意喚起」と医師としての「免責」と受け止めていました

しかし、ご家族の立場からすればこのような話を突然されることで、緊張され、今にも悪くなってしまうのかと医師の言葉に囚われてしまうことになるのではないでしょうか?

あとになってから「ああしまった、このような話し方ではよくないのだな」と反省することが多くなってきました

 

ご家族にとって「よくない話」をしたあと、別の機会に次のようなお話を聞かせていただくことが増えてきました

「奥様とのこれまでの生活などを聞かせていただけませんか」「お父さんはどのような人だったのでしょうか?」……など

 

以下の話は架空のことです

しかし日常の医療・看護の場面ではよくある出来事であり、実際にあったこと

をいくつか組み合わせて脚色しています

 

ある日の午後、初老の患者さんのご主人にお話を伺いました

「奥様とはどのように過ごしてこられたのでしょう。もし差支えなければ聞かせていただけないでしょうか」

 

ご主人は遠くを見ながらゆっくりと話してくださいました

 

――私は仕事一筋で、夜の10時前に帰宅することはほとんどありませんでした

土曜や日曜も会社に出ていきました

家のこと、子育てのことは自然と妻に任せきりでした

退職すれば旅行が好きな妻とふたりであちこちを旅しようと考えていたのです

それが私の妻への愛情表現だと思っていました

ところが、

私が定年退職となり、さあふたりで…と思っていた矢先です

妻の病気が見つかったのです

それもすでに手遅れと言われました

私たちは社内結婚です

妻は私の職場に3年遅れで入社し、私の方からプロポーズしました

私にとってはとてもよくできた人でした

私が無理なことを言っても「あなたの好きなようにすればいいですよ」といつも受け入れてくれます

私の父親の介護も頑張ってしてくれました

介護が必要なくなってからはスーパーのパートの仕事にもでていました

じつは私はうすうす感じていたのです

妻が時々おなかの痛みを訴え市販薬でごまかしていたことを

でも大丈夫という言葉をそのまま信じてやり過ごしていました

とても悔やまれます

妻には申し訳ないと思っています

 

ご主人は患者である奥様が徐々に食事がとれなくなってきたときに、そのことが受け入れられなくて、たくさんの食料品を買ってきては「とにかく栄養をとらないと弱ってしまう。病気とたたかえない」と食べることを勧めていたのです

奥様はご主人の思いに応えようと頑張って口に入れますが、受け付けてくれません

ときには呑み込んだ瞬間に嘔吐されることもありました

私たちは「無理に食べさせると吐き出してしまい、誤って肺炎をおこす心配があります。いまは我慢してください」と説明をするのですが、そのときには「はいはい」と言われても、翌日にはまた同じことの繰り返しです

 

私たちはカンファレンスを何度か開きました

結果、「理屈ではわかっていても思いが強すぎて行動が伴わないのでしょう」「ご主人の努力をねぎらいながら、一緒に介護をする機会を増やしましょう」ということになりました

 

担当の看護師から「お父さんがこれまで頑張って食べてもらおうと努力されていることは私たちはみんな見ています。ほんとによくされていますね。これからは悔いのないように一緒にケアをしてさしあげましょう」と提案しました

 

その話を聞いてご主人は涙を流されました

そしてたくさんの不安があることを話されたのです

・家のことは全部妻にまかせきりでした

夜家に帰っても電気は消えていて、すべての部屋の電気をつけてまわることから始めています

・ゴミがたまってもいつがゴミだしの日かもわからないので家の中はゴミだらけです

それだけじゃありません

食器や調理器具、また掃除道具がどこにあるのかもわからないのです

洗濯の仕方はやっと覚えました

・これで妻がいなくなればどうすればいいんでしょうか…

・いつ病院から電話がかかってくるかと思うと、落ち着いて眠ることもできません

家にいるよりもこうして病院にいるほうが安心なのです

・食事を食べないと「餓死」してしまうんじゃないでしょうか

 

なぜ食事を頑張ってとらせようとされていたのか、少しわかった気がしました

現状とこれから起ころうとすることがとても不安なのです

そして奥様のことを大切にしたい気持ちが先走ってしまい、私たちから見るとおかしな行動をとらせていたのでしょう

 

たえず緊張の中に置かれ揺れ動くご家族の迷いや苦悩、不安にすこしでも思いを寄せること、ご家族が「自分たちも精いっぱい世話ができた」「これでよかった」と思えるよう応援していくことが重要だと感じました

 

支援と一口に言ってもとても難しいことだと病棟を開設してからますます思うようになりました

 

私たちはまだまだ未熟です

今回は架空のお話で紹介しましたが、緩和ケアにたずさわるかぎりこのテーマは今後ずっと考え続けなければならないことなのです

緩和ケア病棟開設後最初の文化的行事として“バイオリン・ミニコンサート”を開催しました

この企画は「ホスピス緩和ケア週間」の一環として計画されました

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当日までに演奏してくださる先生への依頼、看護師や臨床心理士による準備、ボランティアさんとの相談などきめ細かな準備が行われました

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ボランティアさんたち手作りのクッキーの準備の様子

演奏者はわが神戸医療生協協同歯科の歯科医師、永田先生です

みごとな演奏でした!

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クラシックの演奏がはじまるとみんな静かに聞き入っています

「川の流れのように」「津軽海峡冬景色」とつづけての演奏には涙を流される患者さんがいました

患者さんたちは「この服のままで行ってもいいですか」「いい席に座らせてくださいね」「バイオリンは大好きです」などと、とても楽しみにされていました。

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一緒に口ずさむ人、手でじょうずにリズムをとられる方

わずか30分間でしたが、それぞれの思いがたくさん感じられた瞬間でした

さいごは……

圧巻の“情熱大陸”でした!

参加者は、患者さん、ご家族、ボランティアさん、職員、合わせてきっと40人にはなるかと思います

みなさん感動を胸に、永田先生に感謝の言葉を述べられていました

先生、ほんとにありがとうございました

大成功したこの取り組みを教訓に、これからも多彩な企画を考えていこうと担当者ははりきっているようです

 

 

ある女性のお話です

 

病気が見つかって数年

いろんな治療を受けてきました

 

腹痛と吐き気がつよくなり、緊急入院されました

 

ご本人は自分のこと、ご家族のこと、すべて一人で決めてきました

真面目に一生懸命生きてこられたのだと思います

 

症状が落ち着くと退院への希望が強くなりました

ご家族のことが心配なのです

家事が十分にできなくてもいい、家族と一緒に暮らしたいとの思いが日に日に募ってきました

 

でも、

病状は生易しいものではありません

一人でできることには限りがあることは、入院生活を見ているとだれの目にも明らかです

 

当初躊躇されていたご家族はご本人のつよい気持ちと、私たちとの話し合いの中でなんとか支えてあげましょう、ということになりました

……今しか家に帰ることができないかもしれない

 

難問は患者さん本人の自覚です

「家のことは何とかできます」

「点滴も自分でします」

「家族には頼らなくてもだいじょうぶです」

などなど

 

しかし症状は不安定で、調子のいい時には歩行器で歩かれており、食事もある程度は食べることができますが、ひとたび具合が悪くなると、「もうダメ、とても帰れない」と急激に弱気になります

重い病気を抱えていれば当然のことですね

 

まわりはハラハラしながら、みんなの力で援助をしようと相談しました

 

往診はこの先生に、訪問看護はここに依頼を、ヘルパーさんは何回必要? ケアマネジャーさんへの連絡は? などなど

ご家族もこの時間ならそばにいてあげることができます、トイレの介助もしましょうとやり繰りしていただきました

 

そんな周囲の心配をよそに、患者さんは「自分でします!」と強気の発言をされることも…

その時々の感情の変化に困る毎日でした

きっとご本人も迷いがあったのではないでしょうか

 

 

そんなある日、私は時間を少しいただいて患者さんとお話をしました

「○○さんはぜんぶご自分でしようとされていますね」

「きっとできると思います」

(病院のような療養環境が自宅でどの程度実現できるのかな?)

「でもね、しんどいときにはトイレに移るのもやっとでしょ?」

「先生、わたし家では一人でしますよ」

なかなかかみ合いません

 

そこで言い方を変えました

「○○さんは人からの援助、手助けはいやなのですね」

うなづかれます

「それならこう考えればどうでしょうか」

やや怪訝な表情

「人に助けてもらうという考えではなく、自分のしたいことができるようにまわりの人を『じょうずに利用する』ということではいけませんか? 自分でどんなことをしてほしいかを選択するのです」

表情に少し変化がみられました

 

それから数日後、

看護師さんの申し送りの場面です

「○○さんは、『自分の思うように家族やヘルパーさんを利用したい』と言われてます。これまで以上にご自分の考えをつよく持たれているようです」

それを聞いて私は猛反省です!

思いを伝えることはこんなにも難しいものだとつくづく感じました

 

 

これまでの急性期病棟での医療では、病気を治すことが最優先であり、そのためには患者さんの「自由の制限」もある程度やむを得ないこととして疑問に感じることはありませんでした

・食事が呑み込めなくなればミキサー食、それでも難しくなれば胃瘻を勧める

・トイレに行くことができなくなればベッドのよこにポータブルトイレをおき、そこで用を足してもらう、それもできなくなれば膀胱に管を入れたり、おむつにかえる

・歩けなくなれば車いす

これらのことを粛々と勧めてきました

そのおかげで、たとえば栄養がとれるようになった、失禁の予防ができ清潔が維持できた、転倒を防ぐことができた

結果、病気もよくなり退院された

当然患者さんやご家族に説明しながらの医療行為です

かってに医療者だけで行っているわけではありません

しかしときにはその行為が「ルーチン化」してしまい、あたりまえの医療・ケア・援助となってしまっているように思うときもあります

入院という「非日常」の生活・療養環境のなかで、患者さんの選択の幅は大きく制限されてしまうことになるのじゃないかという心配があります

これは元気な人にはなかなか理解ができないことのようです

 

 

緩和ケアの研修に行き、4か月間病棟の医療に携わるなかで、終末期の方への対応は急性期医療と同じではいけないのだと気づきました

ある研究会で「自律」という言葉がたくさんの人から聞かれました

「自立」は、足が不自由な方がリハビリの結果杖をついてトイレまで歩けるようになった、介助されていた食事を自分の手で食べることができた、などのときに使います

一方、「自律」は「人間として選ぶことができる自由がある」ということです

(参考:「緩和ケア読本」小澤竹俊著)

一人でトイレに行けなくなったときに、車いすに乗せてもらってトイレまで連れて行ってもらう、あるいはベッドの横にポータブルトイレを置いてもらう、あるいは膀胱に管を入れて尿をとってもらう…などのいくつかの方法を「自分で選んでもらう、選ぶことができる」ということなのです

食事の準備をしたいが買い物には行けない、食材を前にしても最後まで自分で調理をすることが難しい

そのようなときに家族の力に依拠したり、ヘルパーさんの援助を求めたり、自分でもっともよい方法を選んでもらうのです

 

 

その意味をこめて先ほどの女性の話を振り返っていただければありがたいです

 

そして彼女への説明がうまくいかなかったのは間違いなく私の力量不足によるものでした

 

 

これからもこのテーマは考え続けたいと思っています

 

 

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1年前の9月にこのブログをはじめてから50回目となります

よくここまで続けられたなあ と思います

 

最初は準備の様子や理屈っぽい話が中心だったのですが、6月に病棟をオープンしてからは患者さんやご家族、職員の動きなどをお知らせすることができました

 

「下町の緩和ケア病棟」シリーズも継続できています

 

少しずつ見てくれている人が増えてきた(ほんの少しですが…)と実感しています

 

どこまで持続できるかはわかりませんが、これからも日常の出来事や感じたことなど、とくに制限を設けずに書いていきます

いろんな職員やときには患者さん・ご家族からの投稿も期待をしております

 

次回は視点を変えることの大切さについて考えていることを書きます

今回は「支え」ということを少し考えてみました

☆40歳代の男性
一言、二言短く話されます
長くしゃべると息が切れるからです
「体を上にあげて」
「いや、もっと下げて」

お母様と長くふたりで暮らしていました
「この子は頭でわかっていても実行するまでに時間がかかる人なんです。自分からこうしたいと言うのを待っているんです」
「こうすればいいんじゃないと提案しても、本人がいやがるのでわたしはそれ以上にはこだわらないようにしています」
と言いながら、お母様は毎日病室へ顏を出され、付き添っています

顔を拭いてあげたり、歯磨きの手伝いをしたり、体のマッサージをしたり…

患者さんは時には文句を言いながらも母親の「支え」を頼りにされています

 

☆高齢の患者さんに毎日付き添っておられた奥様
「世話をしていただいている看護師さんたちを信頼しています。ほんとにありがたいです」
「わたしはそばにいてあげることしかできません…」
若い頃のお話もたくさん聞かせていただきました
日本全国をともに旅されたそうです
言葉の端々にとても仲が良かったのだろうなという様子がうかがえます

奥様がある日おっしゃいました
「たとえ寝たきりであってもお父さんが今ここにこうして生きていてくれるだけでわたしは支えられているんです」

 

☆80歳代の男性
入院されて間もない時期のことでした
夕方になって、
「急にさみしくなってきました。不安なので友人に今日は泊まってほしいとお願いしたのです」
異性の友人は快く引き受けてくださいました

翌日のこと
「よく眠れました」
「昨晩のお礼にこれから喫茶店にモーニングを食べに行ってきます」

 

☆中年の男性
「寒い! 布団をかけて」
看護師さんを呼んで、
「えーっと、あれ? なんやったかな?」
「起こしてほしい、いや、やっぱり寝かせて」
「ちょっと横にいてくれる?」
夜中に
「今からごみを捨てに行きます」
「お~い お~い」

しばらく付き添って話をしていると落ち着かれるようです
でもその場を離れようとすると
「そばにいて!!」
――私はいちどもそのようなお願いをされたことがありません
看護師さんたちがうらやましいです

 

これらの話は日常よくある出来事の一端です
でも、「母親」「患者さん(夫婦)」「友人」「看護師」がそれぞれ「支え」となっているのです
自分の辛さや苦しさを、ときには喜びをわかってくれる人を頼っているのだと感じました
そのような人の存在がありがたいのです
ある人は、
「誰かの支えになろうとする人こそ、いちばん支えを必要としている」
と、述べていました

そう考えると、ともに働いている看護師さんたちの「支え」はいったいなんだろうか? と思ってしまいます
機会があればこんなことをテーマに話し合ってもいいのかもしれません

 

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え? そういうあなたの支えはなんだ ですか?
私の「支え」は、
ひとつは、時々書いているブログです
日々のささやかな出来事、気になったことを自由に書かせていただいています
時には「読みましたよ」と言ってくれる人がいてうれしいです
主観もまじえながら、ある程度の客観性をもって文章にすることで、心のバランスを保っているのだと思っています

もうひとつは、
どんなささいなことでも聞いてもらえる人がいることでしょうか