■ある日退院を控えた患者A子さんのお宅を訪問させていただきました
A子さん、担当の看護師さんと理学療法士さん、そして主治医である私の4人は車で出発
現地(つまりA子さん宅)ではケアマネジャーさんが待っていました
きっかけは次のようなことだったと思います
痛みが強くなり、一人暮らしの不安が重なり、ご自宅での生活が困難となって入院してこられたA子さん
入院後はモルヒネの効果と看護師さんたちの献身的なケアで症状が落ち着きました
そうすると家が恋しくなります
「1か月か2か月かもしれないけれど、いちど家に帰りたい」との想いが強くなってきました
入院中のリハビリで独歩での歩行が可能となり、階段の練習も済ませました
カンファレンスでは
ほんとに大丈夫なのかしら
一人暮らしはできるのかな
などの意見があり
それじゃ関りをもったスタッフで家庭訪問をしましょうということになった次第です
住居は2階
急な階段があります
雨の時には屋根がないので濡れる覚悟
A子さんはしっかりと一段ずつのぼっていきます
お部屋はきれいに片づけられていました
私たちの目でみると
―室内には段差はないけれど、トイレは手すりがない
―浴室は深い浴槽、手すりなし
―もともと布団での生活だったので、当然ベッドはなし
などの課題が見えてきます
とくにこれからの病状悪化を考えるとベッドは必須のようです
でも、
A子さんは
「私はこの生活に慣れているのでこのままでも大丈夫よ」
と、ベッドの設置を受け入れていただけません
ケアマネさん、看護師さん、理学療法士さん、そして私も口々にベッドの必要性を話すのですが乗り気ではないようです
結局退院してから考えようということになりました
薬は自分で管理ができる
買い物はヘルパーさんの付き添いで車いすで可能
準備が整いました
やっと退院の日
「またお世話になるでしょうけれど、できるところまで頑張ります」と笑顔で帰っていかれました
退院後は訪問看護、訪問介護、私は訪問診療を約束しました
■私が患者さんの退院前のご自宅訪問を意識したのは、つぎのような出来事がきっかけでした
医師になって数年が経過した頃です
何度も入院を繰り返される80歳台の女性の患者さんがいました
病名は毎回「心不全」です
入院後は薬の調整で回復します
しかし1か月もすればふたたび同じ状況でもどってきました
薬は?・・・きちんと飲めているようです
心配なことは一人暮らしであるということ
といっても、独居の患者さんがみな同じように悪くなっているわけでもありません
「いったい何が問題なんだろう」
患者さんと話をしていても問題点は見つかりません
カンファレンスでも対策は決まりませんでした
そのとき
ベテランの指導医から
「患者さんの生活状況を正しくつかんでいるの?」
と質問が出されました
私は患者さんとの会話で得た情報を報告しました
ふたたび指導医から
「患者さんとの会話は大切だけど、実際に自分の目で確かめることも必要じゃないのかなあ」
とのアドバイス
看護師さんと相談をして患者さんを連れてご自宅を訪問しました
そのときまで
私は自分の働く病院の周辺のことには無関心で
まちの名前を聞いても見当がつかない状態でした
車いすを押しながら
初めて見るまちの景色
患者さんの家は意外と近くでした
そこで目にしたことは、人によっては些細なことであり、そんなことは常識じゃないのと言われることでありますが、私にとってはカルチャーショックそのものでした
患者さんはアパートの2階に住んでいることは聞いていました
―「2階って聞いていたけど、じっさいの高さは3階くらいだ!」
「それにこの急なコンクリートの階段!」
―お風呂がついていない
患者さんはきれい好きです
「毎日銭湯に通うの?」
―買い物は?
「毎日・・・」
「買い物かごをさげてこの階段をのぼるのか・・・」
当時まだ介護保険制度のなかった時代です
自分ですべてをしないといけません
―「病院には毎週きてもらっていたね」
少なくとも1日2往復、多い時には4往復
急な高い階段を上り下りされていました
行ってみてわかったことです
病院に帰り
カルテに書いたプランの第一は
“引っ越し”
でした
いままで薬や注射、安静度の指示はずいぶんと書いてきました
しかし
“引っ越し”なんて指示は
初めてのことです
すぐにソーシャルワーカーさんと相談し
区役所にも話をつけて
引っ越しができました
それからというもの
患者さんの入院回数が激減したことは
言うまでもありません
このことを通じて
「困難をかかえた患者さんの生活を見せていただくことは、検査結果から病状を判断することと同じくらい大事なことなんだ」
というのが
私のポリシーとなったわけです
同時に研修医のときから
病院の訪問診療に携わることができていたことも
比較的気軽に出かけようという気持ちをもつことができた要因の一つでした
暑い夏
看護師さんとならんで
自転車をこいで
患者さん宅に向かうことは
とってもつらかったのですが…
■入院での療養と自宅での暮らし……何がちがうの?
医療者やサービス提供者の視点と患者さんの視点
矛盾を感じることが時々あります
・ある患者さんは医師の診察では横になっていないといけないと思い、実際には室内歩行が可能なのに往診時にはいつも布団に入っていました
・私たちは自分の暮らしている家庭を基準に考えてしまいます
実はそこに大きな誤りがあり、患者さんたちは医師や看護師の住まいとは異なる環境にいることが多いのです
玄関を開けるとすぐそこで寝ている患者さんがいました
・先に記載した心不全の女性、まさにその通りでした
・時にはトイレやお風呂、部屋の段差など見える場所だけでなく、見えないところ(例えば冷蔵庫の中)も見せていただく図々しさがいることもあるのではないでしょうか?
・リハビリで歩けるようになった患者さんがいました
でも退院後寝たきりにもどりました
ご家族がすべて生活に必要なことを行い、患者さんの役割がなくなってしまったのです
・反対に自宅ではきっと寝たきりだろうと思われていた患者さん
お部屋の中には物がいっぱい
つかまるところがたくさんあり、トイレまで自分で行けるようになりました
・患者さんがどのように生活をされるのか、退院前にその具体的なイメージを持つ訓練が求められていると思っています
- 患者さんが何を求めているのかを率直に聞ける関係づくりが必要です
・介護サービスがたくさん利用できればいいと思ってしまいがちですが、患者さんの中にはそこまでの内容を求めていないことがあります
A子さんの介護ベッドもそうでした
お互いに遠慮があれば、また医療者の押し付けがあれば、患者さんの思いとすれ違いを生んでしまい、満足のいく在宅生活が送れなくなることがありま す
・以前にブログで書きました高齢者の二人暮らしの方、本人たちの気持ちがどこかへ行ってしまった例です
・「在宅は病院のベッド、家までの道のりは病院の廊下」と言われていた人がいました
私は決してそうではないと思っています
入院での医療処置が在宅でもたくさん可能となったことは喜ばしいことです
かといって在宅医療は入院医療の単なる「延長」ではありません
・大切なのは患者さんの生活の場で診ていく、感じていく、ともに過ごしていくことではないでしょうか
・最近読んだ小説の一文(*注)をご紹介します
「在宅医療の医師は踏切番のようなもの」「病気が悪くならないように見張りをして、患者がより良い最期を迎えられるように気を配る」「在宅医療のいいところは、患者や家族の人生に触れられるところ」
とありました
共感する所が多いです
(注:「告知」久坂部 羊著 から)
■その後のA子さんは……
少しの期間自宅で過ごされ
ふたたび症状が悪化
再入院となりました
わずかではあってもご自宅にもどれ、自由な時間を持てたことが
喜びになったと言われていました
緩和ケア病棟からご自宅に退院される患者さんのすべてを訪問することはできませんが、少しでも安心できる環境が実現できるよう、これからも努力を重ねていきたいと思っています
また私たちの手の届かないご住所にお住いの患者さんについては信頼できる地域の先生方にお願いをさせていただいています
今後もよろしくお願いいたします