新型コロナ感染が流行し屋外でのたくさんの人が参加するイベントが開催できずにいました

このたび「楽迎会(がくげいかい)」と銘打って大きな集まりを開催しました

医療生協の組合員と職員による手作りの催しです

以下写真を連続して載せます

雨を心配していましたが秋晴れのなかでの開催となりました

みんなのラジオ体操で始まりました

よさこいソーランです

力が入ってます

健康チェックコーナー

子どもコーナーは大人も大賑わい

高齢者体験です

医療・介護・生活相談の場面

近くのホールでは組合員の作品展がありました

高校生の描いた原爆の絵の展示では圧倒されました

商店街では「おむつの半額セール」や「野菜・お米の販売」が行われ、野菜はすぐに品切れになっていました

そして午後からの協同病院院長の講演「認知症を予防するには」にはたくさんの参加があり、ユーモアを交えたお話は時間を忘れるほどだったようです

ほかにも様々な取り組みが行われました

班活動や事業所の紹介等など

私は仕事をしながらの参加だったのですべての写真を載せることができませんでした

(残念です)

延べ700人の参加で成功しました!

                                     

緩和ケア病棟ではコロナ前は多彩なイベントを行ってきました

面会制限が緩和され

これからはスタッフやボランティアさんたちの力でいろんなことが復活できればいいなあ

と心から願っています

以前にも書いたことがあるかもしれません

それでもいまここに記しておきたいことがあります

                                                                             

                                                

私のとても親しくしていたひとのお話です

彼女はがんサバイバーでした

みずからも病いとたたかいながらの出来事です

                                                   

                                             

昔からの友人ががんの終末期ということで入院しました

                                                 

彼は毎日のように襲ってくる痛みや吐き気に対して医療用麻薬を使っていました

わがままな人であり、看護師さんや医師の言うことを聞かない「困った」患者さんとしてみんなから見られていました

                                               

自分の弱さを易々と他人には見せるものかという悲しいプライドと、激しさを増す痛みや苦痛、死への恐怖、一人で(彼は離婚し独り身でした)病気と闘わざるを得ないという心細さなどなど

きっとこれらのことがごちゃまぜになって、医療者にとっては「手のかかる患者」としての姿をとらざるを得なかったのかもしれません

                                            

彼女はそんな友人に対して、仕事の帰りなど時間が許す限り病床を訪れていました

今のような面会制限もなく、長い時間付き添っていました

医療者にとっては助かる存在だったのではないでしょうか

                                              

身体をさすったり、汗をかいていればきれいに拭いてあげたり・・・

                                              

徐々に弱っていく彼をどのような思いで介護していたのでしょう?

                                               

                                              

彼女はのちにつぎのように書き残しています

『わたしは病気になって悲しんでいる時、仲のいい友だちに抱きしめてもらった。でもわたしは彼を抱きしめてあげられなかった……』

心残りだったのかもしれません

しかし、彼女の心は残された日々をひとのために大事に使いたいという気持ちでいっぱいだったのだろうと想像しています

                                              

                                               

ある本でつぎの言葉を見つけました

―――自分のためではなく、ひとのために時間を使うこと、それはいのちを捧げることであり、尊い愛の行為だと思うのです

いのちは自分のものかもしれませんが、自分だけのものではないのだと思います―――