少し前のことになります
患者さん(Aさん)、ご家族(代表してCさん)とのやりとりの記録を振り返ってみました
『患者さんやご家族とともに悩むことができたのか』『患者さんやご家族にとって大切なものはなになのか』を考えるきっかけになりました
Aさんは癌による腸閉塞で入院してこられました
腹満、腹痛、嘔吐などで苦しんでいました
まず絶食(水分は少量ならOKです)、医療用麻薬の持続皮下注射を開始します
私からの提案への納得がなかなか得られず、イラストを使って説明しましたが、「なぜ食事がとれないのか」「絶食だと栄養がとれないのじゃないか」「他の栄養補給の方法はないのか」など食事や栄養へのこだわりをつよく持っていました
Cさんからは点滴の要望がありましたが、Aさんは嫌がられています
何度か時間をとって話をしましたが、結局「強引な」スタートになってしまいました
AさんもCさんもそれぞれのニュアンスは違いますが、絶食という方法を受け入れることが難しい状況でした
――理解されていないから提案に応じられないのではなく、理解しているから辛い現状を受け入れられないのではないかと後になって思いました
嫌な現実を認めることが困難でそこから逃れようとする感情なのではないでしょうか
Aさんはあきらめに似た思いを持たれたようですが、Cさんの方は「水分だけで体がもつのでしょうか」「食べないと元気にならないのでは」という気持ちから話を繰り返されました
――強引に進めてしまい、私の価値観を押し付けてしまったのではないかと後に反省しました
アイスクリームやジュース、牛乳などを少しとってもらうことでひとまず合意がとれました
絶食にすることで腹満や腹痛は楽になってきました
するとAさん
「絶食だとお腹がすいてたまらない」
「大便が出ないのなら浣腸はできないの?」
「いつになれば食べることができるの?」
と、次の疑問や要望が出てきました
――なぜそのように思ったのか、Aさんは病状をどのよう解釈されているのだろうか
その検討が十分にできないまま……
症状が軽くなったので少しの食事を開始しました
しかし再び腹満や腹痛が悪化してきました
再度水分だけにして、我慢することになったのです
腸の穿孔のリスクも頭にありました
――このときのやり取りです
AさんもCさんも癌が治らないことはわかっている、でも食べないと元気にならないと言われます
「元気になりたい」思いを強く出されました
相反する考え方ですが、この時は言葉を否定せず、「元気になりたい」思いを尊重できないか、AさんやCさんの価値判断をまず受け止めようと考えました
医師:Aさん、絶食にしたときはお腹はどうでしたか?
Aさん:痛くなかったです
医師:お腹が痛くなっても食べたいお気持ちは強いようですね
Aさん:そうです、お腹がすいてたまらなくなるんです
(気持ちを率直に伝えられました)
医師:なぜお腹が痛くなるのかAさんの感じられていることを聞かせていただけますか?
Aさん:大便が出ないから痛くなる…
医師:どうして大便が出なくなってしまったのでしょうか?
Aさん:癌が腸をふさいでしまっているから
でも私の知っている人で癌があっても大便が出る人も出ない人もいるよ
(病気に対するAさんの解釈です)
医師:たしかにそうですね
Aさんの場合は残念なことに癌が大きくなって腸をふさいでしまっている
から便秘になっています
(否定をせずAさんの言葉をそのまま返しました)
下剤や浣腸を使っても難しいと思います
(前に希望された手段への答えです)
Aさん:どうすれば便が通るようになるのかな?
医師:体力があれば人工肛門という方法があるかもしれません
しかし転移が広がっておりそれは難しいですね
(別の対処法も考えたが困難であることを説明)
Aさん:どうすればいいのかな
医師:卵豆腐から始めてみましょうか
可能なら他にも食べれそうなものをいっしょに考えてみましょう
痛みが強くなるようならいったん止めますが、落ち着けばもう一度食事を
考えてみるということでいかがでしょうか?
(次の提案を順序だてて行いました)
Aさんとそばで話を聞かれていたCさんはこの提案に同意されました
何度でも話をしていく必要を感じています
この話し合いの中で、「病気の解釈」「感情の表出」「変化への期待」が見られました
Cさんをはじめとしたご家族と話をしました
「無理に長生きをしてもらおうとは考えていません」
「でもこのまま食べることができずに弱っていく姿をみていくことは辛いです」
いくつかの方法を相談し、その中でCさんやご家族の期待を強く感じました
例えば胃管を留置しながら口から食べてもらう方法などです
しかしAさんは苦痛をともなう方法(点滴や胃管など)をすべて拒否されていました
そうこうするうちに少しずつ排便が見られるようになってきたのです!
閉塞したところが少し通過したようです
みんなに笑顔が戻ってきました
ちょっとずつ食事を増やしていきました
ある日のことです
看護師さんに
「家に帰ってみたい」
「退院じゃなく何日か帰ることってできないかしら」
――理由をたずねました
「今のままだと息が詰まってしまう」
「家の空気を吸いたい」
今までにない大きな期待感です
家でしたいことがあるわけじゃないけど一度は帰ってみたいと表情は明るいです
その一方でCさんは不安から尻込みをされています
――Cさんは決して拒否をされているわけではありません
帰ってきてほしいという期待もあり、短時間だからといっても自分に介護できるのだろうかという不安もある状況での悩みです
しかし他のご家族からみんなで支えるからと後押しされました
十分な準備を経て、短時間でありましたが自宅への外出が実現しました
それからは少しずつ悪液質が進行し
眠っている時間が増え
約1か月後にご家族に見守られながら旅立たれました
あれからずいぶんと日が経ちました
少しでも振り返ることができたかなと思います
※患者さんやご家族に対して「理解が悪い」「受け入れができていない」とついつい言ってしまいがちですが、お互いの価値観が最初から一致しているわけではありません
理解が悪いのではなく、「私たちの説明が不十分」であったり、「患者さんたちは理解できているけれどそれを簡単には認めたくない」のかもしれません
症状や病気をどのように解釈されているのか
何が不安で、どのようなことを期待されているのか
お互いへの影響をどう考えられ心配しているのか
など
私たちは冷静に考えないといけないことを学んだように思います
患者さんやご家族の思いと私の思いがどこか少しでも重なったとき、胸のつかえから解放されとても穏やかな気持ちになることがありました
今回はAさんやCさんとのやりとりをカルテ上に繰り返し記載できていたことで振り返りが可能になりました
この経験を日常の仕事にもっと生かせていければ・・・・・