1月24日、毎年恒例の「新春のつどい」を開催しました
300人を超える組合員と職員がともに参加し、大いに盛り上がりました
歯科職員の演奏、ふたりの方の講演、地域の組合員と職員のコラボによる出し物 などなど
私は開催にあたりあいさつをさせていただきました
ここにその全文を掲載します
新年おめでとうございます
昨年は緩和ケア病棟の開設という大きな課題に全力で取り組みました。
ご協力ありがとうございました。
7か月あまり経過してなんとか順調に推移しております。
たくさんの地域、職場での多彩な活動、本当にごくろうさまでした。
さて今年は年初から大変な課題が提起されております。
まずつぎのスライドをご覧ください。
(以下の詩の紹介)
雪崩のとき(石垣りん 作) 1951年1月
人は
その時が来たのだ、という
雪崩のおこるのは
雪崩の季節がきたため、と。
武装を捨てた頃の
あの永世の誓いや心の平静
世界の国々の権力や争いをそとにした
つつましい民族の冬ごもりは
色々な不自由があっても
またよいものであった。
平和
永遠の平和
平和一色の銀世界
そうだ、平和という言葉が
この狭くなった日本の国土に
粉雪のように舞い
どっさり降り積もっていた。
私は破れた靴下を繕い
編み物などしながら時々手を休め
外を眺めたものだ
そして ほっ、とする
ここにはもう爆弾の炸裂も火の色もない
世界に覇を競う国に住むより
この方が私の生き方に合っている
と考えたりした。
それも過ぎてみれば束の間で
まだととのえた焚木もきれぬまに
人はざわめき出し
その時が来た、という
季節にはさからえないのだ、と。
雪はとうに降りやんでしまった。
降り積もった雪の下には
もうちいさく 野心や、いつわりや
欲望の芽がかくされていて
”すべてがそうなってきたのだから
仕方がない”というひとつの言葉が
遠い嶺のあたりでころげ出すと
もう他の雪をさそって
しかたがない、しかたがない
しかたがない
と、落ちてくる。
嗚呼、あの雪崩、
あの言葉の
だんだん勢いづき
次第に拡がってくるのが
それが近づいてくるのが
私にはきこえる
私にはきこえる。
この詩は朝鮮戦争が勃発し、自衛隊の前身である警察予備隊が発足した翌年、1951年に書かれました。
私たちは「しかたがない」ではなく「何とかしよう」と呼びかけましょう。
安倍首相は「つぎは憲法の改正(悪!)だ」と明言しております。
石垣りんさんは次にようにも述べておられました。
「平和憲法はたった一つの、私たちの大切な湖だと思うの。あれを手に入れるためにものすごく多くの人が犠牲になった…」
大変危険な状況です。
現在戦争法を廃止する「2千万署名」に取り組んでおり、神戸医療生協は55000筆という過去最高の目標をかかげております。
達成のためには全員の力が必要です。
ぜひ広げていきましょう。
今年は神戸医療生協の55周年を迎える年でもあります。
どんな年にしようかと今検討されております。
元気に、そしてみんなが頑張ってよかったねと言える1年にしていきましょう。
今年もよろしくお願いいたします。