―――あなたがいたからがんばれた
Aさんのお話をします
私とほとんど変わらない年齢のAさん
ずっと前から肝臓の治療を続けていました
もともとお酒が大好きでしたが、お母さんが亡くなられたことがきっかけでやめました
数年前に癌が見つかり、熱心に治療を受けてこられました
真面目な人です
「医師から『いけない』と言われたことはきちんとやめました」
専門的な治療だけでなく、いわゆる代替療法も「これがいい」と思ったものは試みられました
生体肝移植も考えられたようです
それでも病気の進行を止めることはできず、私たちの病棟に入院されたときには、全身の倦怠感がつよく、腹水が多量にたまっていました
前の病院ではこれ以上の治療は厳しいと言われています
でも「なんとかならないだろうか」と望みは持ち続けたいとつよく願われていました
一方では「まったく希望がない」という言葉も聞かれ、心が揺れ動きます
Aさんは若くして息子さんを亡くされ、その後はずっと奥様との二人暮らしをしてこられました
「病気が進んでいることはよくわかっている。けれど妻が一人になるのがかわいそう。だから自分は頑張ります」
入院されるずっとまえのことです
奥様が体調を崩されました
そのときのことです
Aさんは体調管理のために毎日入浴後に体重を測ることを日課にしていました
体重計の目盛を見て知らせるのが奥様の役目です
ある日、奥様の反応がおかしいことに気づかれました
いつものように体重計に乗って数字を教えてもらおうと待っていましたが、おかしなことを言われています
言葉になっていないのです
それですぐに受診
早く手当ができて重症にならずにすみました
「あのとき毎日体重を測っていなければ…、私が目盛を見る役割でなければ…」と奥様はのちに話されていました
入院後病状は進行してきました
Aさんは望みをつなぎます
「治らなくても楽になるものなら何でも試してみたい」
温熱療法や民間療法など治療にこだわられます
その理由はやはり「妻がひとりになるのはかわいそう」という想いです
私たちは今の時期だと外出や外泊が可能だと判断し、Aさんに勧めてみました
「外泊はしたいけど、もっとよくなってから」と言われます
「外出してこの姿を知り合いに見られるのがいやなんです」
「何とかよくなることに望みをつなげたい」
「もういちど元気になりたい」
「そうすれば帰れると思うんです」
奥様もAさんの気持ちを大切にし、支えたいとつよく望まれました
―――ふたりでひとつのような
残念ながら病気の進行は私たちの力の及ばないところまできていました
けれどもAさんは最期までトイレやお風呂、歯磨きなど支えられながらも自分でされていました
「お風呂にいくにも自分で歩こうとしていました。車いすに乗ったのは1回だけだったと思います」
奥様は毎日泊まり込みをされ、ずっとAさんのそばに付き添われています
意識状態が不安定になってきました
もっと近くにいたいからと、ベッドの横にソファを置いてしっかりとAさんの手を握られる奥様
「夫は『死ぬときには手を握っていてほしい』と言っていましたから…」
いよいよのときが近づいてきました
鎮静の相談をしたときです
Aさんの意向をお聞きしたいとの提案に奥様は「つらい思いをこれ以上はさせたくない」と望まれず、また奥様じしんも「最期まで話をしたい」と鎮静は選択されませんでした
お昼過ぎ
呼吸の状態が弱くなり
奥様をはじめご家族様が暖かく見守られるなか、旅立たれました
おだやかなお顔でした
3か月以上経ったある日
奥様とお会いしました
笑顔のAさん(の写真)にも会えました
「(いなくなってから)はじめは私も消えてなくなりたいと思っていました」
と、話されました
知り合いの方たちが訪ねてきてくれたり、ご家族がそばに引っ越してきてくださったり、ほんとにみなさんに囲まれて大切にされていることを実感しました
「どうして私だけが残ったのかしら…」
「何かしないといけないことがあるからなのかなあ…」
きっとそうなのでしょうね
ご夫婦ふたりでたくさんの困難やつらいことを乗り越えてこられました
ふたりでひとつのような人生を歩んでこられたのでしょう
こんどはまわりの優しいひとたちといっしょです
Aさん。あなたの頑張りはみんながしっかりと受け止めていますよ!