私たちの法人の理事をしていただいているKさんからつぎのような貴重なご意見(感想)を寄せていただきました
実は前からお願いをしていました
読ませてもらって心にじ~んと響くものがありました
本当にありがとうございました
一部イニシャルにかえさせていただきましたが、ほぼ原文のままです
でも文責は私にあることをお断りしておきます
~M先生
つれづれ心のままに、お便りを書くことにします。
本当は、ゆっくりと美味しいコーヒーでも飲みながら、お話しできるチャンスがあれば良いのですが・・
神戸医療生協に、たくさんの組合員さんの思いを詰め込んだ「緩和ケア」病棟が出来上がった事は大きな喜びです。
私にとっても「緩和ケア」病棟は、待ちに待ったものでした。
3人の親をガンで亡くした私は、緩和ケアをコツコツと6年かけて勉強しました。
○○病院が「緩和ケア」を開始するのには、ボランティア講座も受けましたが、
ホスピスチャプレンを入れないとか、ボランティアは、お茶を出すだけとか、ちがうよね?ボランティア講座の受講生同士で話しました。
心が置いてけぼりになった無機質を私達は感じて、講座の終了はしたものの、ボランティアとして関わることをしませんでした。
協同病院に緩和ケア病棟を作るための学習をした班会で
意外だったのは、組合員さん達の反応でした。
緩和ケアと言うものが、ピンと来てないのです。これだけ、抗がん剤の副作用やら、がんに効くという民間療法が巷にあふれ、耳には届いているはずなんですが、
勿論、増資などは皆さん応じてくださるのですが・・
今考えると、興味はある問題ではあるのですが、もう手の施し様がなくなった患者の最後に行きつくのが緩和ケアと言う考え方が、蔓延しているのではないか?手の施しようがなくなった場合の話など聞きたくないという思いが下地にあったのではないか?と思うのです。標準治療は終わりました。あなたにはもう治療がありませんので、緩和ケアに移行して下さい。という考え方です。
私の考えは、標準治療は終わることはないのです。なぜなら緩和ケアも標準治療だからなんですが、緩和ケアをするか?抗がん剤するか?の二者選択ではなく、緩和ケアはベースなので、緩和ケア+抗がん剤で行くか?緩和ケアのみで行くか?という選択技を組合員さんへこれからも話し続けないと伝わらないなあ~と考えています。
医療生協では、昨日より今日が、今日よりより明日が・・という健康観があります。
でも、私には少し違和感?があるのです。そうには違いないのだけど・・
私の経験からは、昨日より今日が、今日より明日がよりよくなることばかりではありませんでした。その中で小さな望みを持ち、また絶望する。それを繰り返しながら、世の中の流れにのまれながら、病を享受して行くばかりでした。
医学や科学、理論では割り切れない心の葛藤や、魂の声。
緩和ケア病棟の患者さんだけではなく、私達の病院を選んで下さった皆さんの心の葛藤や悩みを聞かせて頂く機会を、時間を、私達の病院はもっと持つように力を注ぐ必要があると感じます。
アレキシス・カレル博士が、「人間 この未知なるもの」と残された言葉は、実際にルルドを訪ねた私も実感しました。私が患者さんとお話しするとき、いつも「人間、その未知なるもの」という思いを持っています。
5階病棟での傾聴後、エレベーターの中で出会った方と、暑いですね~。と会話になりました。「5階はきれいですね!5階天国、他地獄。」とその方は言われて一階でお別れしたのですが、その方は、単に新しい病棟が綺麗と言う意味だけを言われたのだろう思います。
言葉だけ聞いたなら、職員はきっと気を悪くすることでしょう。
けれども私にはあとあとまでこの言葉が残りました。いえ、今も考え続けています。
今朝、○○さんの訃報を聞きました。やはり寂しく悲しいのは得度をした身にも同じです。誰にも話せない思いを沢山お聞きできたことで少しは魂を軽くして旅立って行かれたかな?と寂しいながらも思っています。
私が一番大切にしている祈りがあります。
アッシジの聖フランシスコの平和の祈りです。
この祈りをM先生に送ります。
私の原点としている祈りです。
M先生とゆっくり色々な事をお話しできる機会を与えて頂く事をいのりつつ・・筆を置きます。
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