地域の基幹病院から患者さんの紹介がありました

「現在抗癌剤治療中ですが、退院後の在宅医療をお願いします」

との依頼です

 

奥様は治療の継続をつよく希望され

化学療法のための通院と、日常のケアのための訪問診療となりました

食事量が少ないための点滴の希望があり

訪問看護も同時に開始しました

 

 

患者さんは寝たきり

るい痩がつよく

これ以上の積極的治療は負担になるのではと思われます

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しかし患者さんも奥様も「検査データの悪化が見られないかぎりは治療を続けたい」と望まれています

 

病院の治療医は積極的治療の中止を言いだすことが難しかったようです

悪いニュースを伝えることは大きなストレスです

患者さんやご家族が「見捨てられた」と思われることもあります

 

一方私の方は

希望を持たれている方々に

QOLを重視するといっても

初対面で

「これ以上の治療は中止されてはいかがでしょうか」

とはとても言える状況ではありません

 

 

紹介元の病院への通院

当院からの毎週の訪問診療

毎日の訪問看護

ご家族の介護

でしばらくは経過していきました

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しかし治療薬の影響でしょう

吐気がつよくなり

食事も薬も通らなくなってきました

 

奥様は

「薬のためだということはよくわかっています。でも少しでも病気がよくなるのであれば、やっぱり続けたいです」

と望みをつないでいます

 

 

けれど現状を冷静に受け止められ

いずれは抗癌剤の効果がなくなり

緩和ケア病棟への入院が必要となるだろうと

考えている様子でした

 

こちらから提案し、緩和ケア病棟入院のための面談を行いました

 

「病院で最期を迎えることになるかもしれないけれど、住み慣れた自宅でずっと介護をしてあげたい気持ちもあります」

とのこと

 

 

ついに薬がまったくのめない時がきました

ご家族もやむを得ないと考えられ

在宅緩和ケア中心となります

 

 

そこからです

患者さんは食欲が改善!

当初の訪問では

か細い声での返事しかできませんでしたが

訪問のたびに声に力強さがもどってきました

診察のあとの握手にもエネルギーがこもっています

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いずれはふたたび悪化する時がくるのでしょうが

この間の数か月の経過を振り返ると

 

「基幹病院の治療医」+「在宅医」の「二人主治医」から

在宅医オンリーへスムーズに移行しました

これからの見通しもふくめて…

 

 

今後緩和ケア病棟への入院か

在宅での医療・介護、看取りとなるか

毎週の訪問を続けながら

患者さん、ご家族の意思決定の支援を続けていきます

 

 

5回目の6月がやってきます

開設して4年が経ちました

 

取り組めば取り組むほど、患者さんやご家族と話せば話すほど、カンファレンスを行うほど、本を読めば読むほど課題がたくさん見えてきて頭を抱えています

その中でも最近の出来事から感じていることがあります

 

 

  • 若い患者さんでした

時々感じる痛み以外の訴えはなく

希望を聞いても「とくにありません」「このままで十分です」としか返ってこないもの静かな女性でした

 

 

いつのまにか時間と日が過ぎていきました

 

あるとき

検査の結果と今後の見通しをお話しました

 

ベッドサイドに椅子を持っていき

ゆっくりとお伝えしました

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患者さんにとっては嬉しくない内容もあります

 

説明がひととおり終わった後

お聞きになりたいことはありませんか

と尋ねました

 

少し首をかしげて考えている様子

だまって待ちました

 

「長くないことはよくわかっているつもりです」

ぽつりと一言

 

それまでご自分の感情をほとんど口にされなかった方です

返す言葉がなく

つぎを待ちました

 

待つことに耐え切れず

そうなんですね

と返すだけで精一杯

 

私の目を見ながら

「でも痛いのだけはたまりません。それだけはなんとかしてください」

とお願いされました

 

わかりました

最善をつくします

と返答

 

さらに希望されることはないかを尋ねると

「とくにはありません」

といつもの返事

 

 

あとで思いました

…私はまだまだ未熟でした

…最初の一言のときに

…せっかくの機会だったのに

…患者さんが自分のことを思いきって話されたのに

受けとめる言葉が浮かばなかった…

 

 

  • ちょうどそのころに読んでいた本にあったフレーズを思い出しました

 

“現在の医師の多くは患者さんに病気や治療に関しては詳しく説明してくれたり、療養の生活の指導はしてくれますが、病気があっても人生を楽しく生きるコツのようなものは何も教えてはくれません”

(「ともにあり続けること」堂園晴彦著より)

 

また故日野原重明先生の看護師にあてたメッセージから

“ケアは傷の処置だけではないからね。孤独な心の傷を癒すのもケアだからね。患者さんの生活がどうしたら豊かになるかを考えてケアするのが「看護」ですよ”

 

 

現在の病院医療では入院期間がますます短くなっており、ゆっくりと患者さんと話をする時間がとりにくくなっています

それでも緩和ケア病棟ではまだまだ時間はたっぷりとあります

在宅ではそれ以上です

 

医師にとって実行は難しいことであっても、努力することは可能です

目標にしたいと思っています

 

 

  • 関連してもうひとつ問題意識を持っています

 

ACP(アドバンス・ケア・プランニング)をめぐって医師会の講習会に参加しました

ACPを一言でいうと

「万が一のときに備えて、あなたの大切にしていることや望み、どのような医療やケアを望んでいるかについて、自分自身で考えたり、あなたの信頼する人たちと話し合ったりすることを『アドバンス・ケア・プランニングーこれからの治療やケアに関する話し合い』といいます」

とあります                (神戸大学 木澤義之医師より)

 

いままで以上に早い時期から、ゆとりをもって話し合うことが必要になりそうです

 

 

さらにDNAR(Do Not Attempt Resuscitation)も課題です

 

緩和ケア病棟の面談時にルーチンにお尋ねしてきたのが正直なところです

また紹介状にも「DNARを確認しています」と一行添えられていることが少なくありません

 

DNAR指示とは

「患者さんの意向に沿う形で、臨死期の患者さんに対する心肺蘇生の差し控えの指示を医師が行うこと」と言われています

 

ある文書には

「DNAR指示は場合によっては作為的に患者の生命を短くする可能性があり、(中略)法に抵触する可能性もある」との記載があります

 

正しい理解とガイドラインが求められています

 

ACPやDNARはこれからも取り上げることになります

 

その前提として、私たちは患者さんの意思決定への支援が求められます

次の文献を目にしました

 

*患者さんが意思決定の場面で迷うことは

「転院」「退院」「手術」で65%

*その場合の看護師の役割は

「傾聴すること」と「いつでも情報や知識の提供ができること」

とありました

(ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/kmj1997/50/1/50_1_39/_pdf)

 

実際には説明すればするほど不安が増してしまう患者さんがます

これ以上は聞きたくないと言われる方もいました

 

データだけではすまないのが医療や看護、介護の難しいところでしょう

 

 

冒頭の患者さんのことを振り返ると

 

あたりまえのことですが

信頼関係がすべての基本となります

それも

人と人とが向き合う仕事であるから

なんでも話し合える、安心できる雰囲気のなかでの信頼関係づくりが大切になるのでしょうね

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「もう疲れました。このまま眠らせてください」

ベッドサイドを訪れるたびにAさんから懇願されます

痛みと吐き気、つよい倦怠感に一日中苦しんでいました

 

 

Aさんは一人暮らしで何でもご自分で決めてきた方です

友人たちのお見舞いが多く、いっしょに外出されている姿を見て、生活を楽しんでいることがうかがえるようでした

 

病気のことは冷静に理解されていました

 

食べたいものがあればご家族といっしょに調理をしながら味わわれたり、外出しては名物のお好み焼きやたこ焼きを普段よりもたくさん食べましたよとにこにこしながら帰ってこられていました

 

でもだんだんとできることが減ってきました

食事がのどを通らなくなってきたり…

現実をそのまま受け止めることができる方でした

 

 

痩せが目立ち

一人では動くこともままならない状態

それでも「歩いてトイレには行きたい」「無理なときはつれて行ってね」と看護師さんにお願いされている所を何度か見かけました

体がしんどいからと、大好きだったお風呂も拒否されるようになってきました

 

一方では私の回診のときは

笑顔で待ってくれています

こちらから尋ねないと弱音を吐くことはありません

そして部屋を出るときには必ず

「いつもありがとう、感謝しています」

と声をかけていただきました

 

 

ある日からAさんは

「もう十分です このまま眠らせてください」

と私にも看護師さんにも話されるようになりました

 

このときの症状は

腹痛、吐き気、倦怠感、不眠

でした

 

モルヒネの持続皮下注射や夜間の睡眠確保のための安定剤の点滴は一定の効果があります

しかし朝目覚めると同じ訴えが出てきます

日中も「眠りたい」との訴えがあり、安定剤の飲み薬などで希望に添うようにしました

 

 

これらの対応はそれでも一時的です

Aさんの望みは

「ずっと眠らせてほしい」

に変わってきました

 

私たちの病棟では

「鎮静」を考える時期には、開設当初より医師、看護師のカンファレンスを必ず行っています

 

“がん患者の治療抵抗性の苦痛と鎮静に関する基本的な考え方の手引き(2018年版)”では

苦痛緩和のための鎮静を、医師が患者の意識の低下を意図するかしないかにかかわらず、「治療抵抗性の苦痛を緩和することを目的として、鎮静薬を投与すること」と定義されています

 

手引きに従ってカンファレンスを繰り返しました

「治療抵抗性とは言い難く、今は持続的な鎮静の適応ではない」

という結論でした

 

 

それでもAさんは

眠りたい

起きていることがつらい

と何度も訴えられます

 

ご家族と相談して、「体と気持ちを休めるために、いちど短時間でも眠ってもらおう」ということになりました

「間欠的な鎮静」です

ミダゾラムを皮下注射すると

数時間穏やかになります

 

効果を確かめたうえで

Aさんの気持ちをたずね

ご家族の思いを聞きました

 

☆Aさん

――日中は起きて過ごしたい

家族とも話をしたり、食べれるものがあれば口にしたい

――でも起きていることがつらい

矛盾した気持ちの中でゆれていました

 

☆ご家族

――少しの時間でも眠れたようでよかった

いままで必死になって頑張ってきた人だから

楽にさせてあげたい

だけどもうちょっと話もしたい

「鎮静」についてのご意見は

――時々このように話せるくらいがありがたい(間欠的鎮静)

でも本人が望むようならずっと眠らせてあげてもいいのかな?

(持続的鎮静)

悩んでいました

 

 

再度カンファレンスです

「Aさんは持続鎮静を希望されています」

「でも私たちから見ると穏やかにも見えるんです」

「ご家族と良い時間が過ごせているように思えます」

 

このとき別の観点での意見がでました

「Aさんは『家族にこれ以上の迷惑をかけたくない』と言っていました」

「それって精神的な苦痛ではないだろうか?」

 

 

話し合いのまとめです

  • 身体的な苦痛は「腹痛」「吐き気」「倦怠感」などまちがいなく存在し、オピオイドなど必要な薬剤での対応は可能な限り行ってきた

ただ「治療抵抗性」と断定もしきれない

  • 一方では「自分がこのような(人に頼らなければいけなくなった)状態でいることで家族に迷惑をかけてしまうことがつらい」という精神的苦痛が強くなってきている

という状況におかれているのだろう

 

もういちどAさんと話してみよう

と鎮静の開始はさらに見送られることになりました

 

 

☆医療者から

「Aさん、お付き合いは短かったけれど楽しいことをともに経験できましたね」

「他の患者さんのためにご自分の趣味を役立てていただき嬉しかったです」

「約束通り、桜も見に行けましたね」

――ほんとうにありがとうございました

けれどもう少しいっしょの時間を過ごせればと思うのです

 

☆ご家族は

「いままでありがとう」

「私たちは決して迷惑とは思っていないよ」

「できるならもっと話がしたいの」

 

私たちはそれぞれがAさんにもう少しと望みをぶつけました

 

☆でもAさんは

「もう十分、もう寝かせてほしい」

「みんなありがとう… でももう長引かせなくてもいい…」

 

それぞれの立場から期せずして「ありがとう」の言葉がでました

 

Aさんはついに

「何度同じことを聞くの! 何回も同じことを言わせないで!」と興奮ぎみとなり、苦痛の表情を浮かべています

 

 

看護師さんたちは受け持ちの看護師さんを中心にしながらAさんの思いをくみ取ろうと一生懸命です

 

Aさんとご家族の間に立って

「私はAさんにとって悪者になっちゃいました」

と言わざるをえないほど何度も話をしてくれました

 

その結果

ご家族は覚悟を決めながらも

もう一晩いっしょに過ごすことを希望されました

 

 

翌日のこと

 

☆ご家族

「体のつらさと精神的なつらさ、同じくらいあるように思いました」

「これまで自分で決めてきた人なので、死に際もきめたいんだと思います」

「もう本人にとっては十分なのかな」

 

その後さらに苦痛の訴えが頻繁となってきました

 

あらためてのカンファレンスの場で

「持続的な鎮静を開始しましょう」

との結論となりました

 

同時にバイタルサインも悪化傾向です

余命は日の単位と予測されました

 

 

持続鎮静を開始してから

Aさんの表情は穏やかになり

ご家族もほっとしたご様子です

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身体のケアは今まで通り当然継続です

身体や口の中の保清、声かけなどなど

 

しだいに呼吸回数が減ってきました

 

数日後

Aさんは

ご家族や友人に見守られながら

旅立たれました

 

 

最後に

ご家族がスタッフとともにAさんのお化粧をされました

 

 

持続鎮静を必要とする患者さんはそれほど多くありませんが

患者さんから「もう眠らせてほしい」「このまま逝きたい」とつよく望まれることがあります

 

私たちは慎重に、何度もカンファレンスを持ちながら

「手引き」にもとづき

適応を考えて鎮静に踏み切ってきました

 

 

医療者として

患者さんやご家族の情に流されそうになることもあります

 

私も「もういいんじゃないのかな」と思ってしまうことがあります

 

しかし

大切な患者さんの人生です

しつこいと思われるくらい悩み、行ったり来たりしながら話し合い

鎮静が開始となってからも「これでいいのだろうか」と毎日を振り返りながら

ケアを行っています

 

 

…心は風に揺れる草穂のようだと…

 

 

「正しいか正しくないか」という価値判断ではありません

 

 

かかわりをもつことになったみんなが

ご家族もふくめ

当然患者さんご自身もです

――これでよかったんだね

って思えるように

なれればいいな

と思ってます

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(このお話はある程度脚色しています)