阪神淡路大震災がおきて、まだ日も浅い時期のことでした
保健師さんから往診の依頼がありました
患者さんは寝たきりで食事も高齢の娘さんの介助で何とか食べているという状況でした
なによりもご自宅が山の上の方にあり、長い石段を上り下りしなければたどり着けない、言いかえると高齢のご家族は簡単に買い物にもいけない一軒家の中で暮らしていました
初めての往診のときです
布団にくるまって休まれている患者さん
そのまわりで甲斐甲斐しく介護をされている娘さん
娘さんとはいっても高齢で、腰が90度ほど曲がった女性です
時は秋
これから寒くなることが予想されます
古い家屋のため、すきま風がまちがいなく室内の温度を下げてしまいます
――これから大変になるなあ
と往診に同行してもらった看護師さんと話しました
幸いにも患者さんには大きな病気はなさそうです
加齢と認知症にともなうADLの低下から寝たきりになられたようでした
いずれは老衰を迎えることになるのだろうなと思われました
「ありがとうございます」
何を話しかけても同じ返事が返ってきます
若い頃小料理屋を営んでいたとのことで
そのころのお客さんへのあいさつだけが記憶に残っているようです
娘さんが出されたアルバム
そこにはきれいにお化粧をされ、着物を上手に纏われ、踊りを踊っている患者さんの姿
写真をお見せすると、顔を赤らめて恥ずかしそうにされました
――この頃が患者さんにとってもっとも輝いていた時なんだなあ
また来ますね
とご挨拶をして往診を終えました
帰りの下りの石段
冬眠に入る前なんでしょうか
ゆっくりとした動きをするヘビに出会いました
何度か訪問をさせていただきました
しだいに寒さが身に染みるような季節となり
患者さんの全身状態は弱ってきました
これ以上進むと入院も考えないといけないとだれもが思う状況になってきました
ある日の訪問でのことです
娘さん
「お話があります」
といつになく真剣な表情です
「あの方にはこれからは来てほしくないんです」
訪問看護師さんのことのようです
「お母さんはもう限界だから入院しないといけません」
「これ以上おうちで看ていくことは無理でしょう」
と訪問ごとに言われるそうです
――私もそのように思っていたところなので、娘さんの訴えに驚きました
「私たちはいままでずっとふたりで助け合って暮らしてきたのです」
「私はまだまだ頑張れると思っています」
「それなのに看護師さんは私の話を聞いてもくれず、もう無理だから、限界だからとばかり言って…」
さいごには泣き顔です
私も反省を迫られました
――よかれと思ってしたことでも、患者さんやご家族にとっては今までの努力が台無しになってしまいかねない働きかけとなってしまうことだってあるのだということ
――患者さんやご家族の思いをしっかりとお聴きし、受け止め、支えとなる役割りが求められているのだということ
――「限界」は私たちの側にあり、患者さんたちの方にあるわけではないということ
などなど、たくさん学ぶことがありました
ちょうど山崎章郎先生の最新刊を読んでいるときにこの出来事を思い出しました
そこでは次のような記載がありました
「自分では、まだやれると思っている。あるいは、そろそろ限界かもしれないと思いつつも、まだがんばりたいという気持ちがある。まだ現実を受け入れていない、揺れている状態のときに、まわりがとやかく言っても、それが善意に基づくものであったとしても、なかなか受け入れられるものではないのだ。
こういった場合には、待つしかない。その人が自ら一人暮らしの限界を感じたときに、初めて自分の中で、折り合いがつくのである」
「そのような人に関わる関係者は、その人が現実と折り合いをつけたときから、次へのステップを考えるのではなく、その人の心の変化を待ちながらも、折り合いをつけた後に、すみやかに次の事態に備えられるような準備はしておいた方がよい」
この文章にもっと早くに出会えていればと思いました
というのは、
この患者さん、あるとき熱が下がらず、娘さんもやむなく入院を承諾されました
しかし病状は落ち着いたものの、介護の手間がこれまで以上にかかるようになり、介護施設に移ることになったのです
その後ほどなくして、患者さんがお亡くなりになったという知らせが届きました
私たちは娘さんに合わす顔がなく、もっとほかにいい方法があったのでは、とたいへん悔やまれる出来事となりました
高齢者の介護の場面と緩和ケアの場面では異なることもありますが、人の思いはどのようなときにも違いはないでしょう
私はそのときから成長しているのでしょうか?