ある研究で次のような文章がありました

――対象は自宅で死亡されたがん患者さんです

『対象患者の90%以上に同居する家族がいた』

『自宅で最期まで療養したいという患者の意向を支持する介護者の存在が必要であった』

 

当院での実態を1年間のうちに在宅で看取りを行った患者さんを対象に振り返ってみました

対象となった患者さんは1年間で12名でした

その内訳です

 

男性3名、女性9名と圧倒的に女性が多い結果でした

主な介護者は夫、妻、息子・娘、孫など様々です

年齢は61歳から103歳まで、平均82.75歳

男性:81歳、女性75歳

 

疾患別では

・悪性腫瘍が50% ; 平均年齢:76歳 男:女=2:4

・老衰が33%    ; 平均年齢:93歳 男:女=0:4

・その他

です

緩和ケア病棟を開設してから悪性腫瘍の患者さんが増加しています

また年齢差ははっきりしています

 

同居家族がいなかった患者さんは二人ですが、厳密な意味で最期まで独居であった方はいませんでした

お一人は、もともと一人暮らしでしたが癌の終末期でいよいよの時を迎え、短期間でしたがご家族が交替で付き添われていました

もう一人はサービス付き高齢者住宅に入居され、きょうだいが時々こられていました

 

その他の患者さんたちははじめから同居中のご家族がいて、最期の看取りのときまで介護されていました

 

 

印象的であった患者さんをご紹介します

 

★Aさん

癌の終末期で一人暮らしのAさんはご自分の病状を理解されており、最後まで自宅で暮らしたいという望みをお持ちでした

ご家族もAさんの意向を受け止められ、悪くなった時には交替で見ていかれる意向でした

 

ある日突然の強い痛みが出現

耐えきれず病院に搬送となりました

入院後は医療用麻薬で痛みは緩和され、Aさんからもご家族からも退院の希望が出され在宅での看取りの方向となり、翌日には退院となりました

 

ご自宅ではたくさんのご家族と会われ、穏やかに旅立たれました

 

 

★Bさん

Bさんも独居です

緩和ケア病棟に入院していましたが、退院の希望がつよくなり受け持ちの看護師さんやリハビリ担当者とともに家庭訪問を行ったのちに自宅に退院となりました

 

しばらくは落ち着いた生活を送られていましたが、しだいに症状の悪化と認知機能が低下

独居で血のつながらない親戚のみの状況であるため再入院となりました

 

入院後認知機能が一層低下

Bさんは「帰りたい」「一人でなんとかやっていける」と繰り返されましたが、医療用麻薬をはじめとした薬の自己管理がまったくできず、訪問看護師やヘルパーの援助のみでは難しい状態となってきました

 

徐々に病状が進行し

病棟で最期を迎えることになりました

 

今の医療制度や介護制度だけでは在宅療養が困難な事例でした

 

 

★Cさん

認知症が進みそれまでの一人暮らしの生活ができなくなり、サービス付き高齢者住宅(サ高住)への入居となりました

訪問診療ではいつもニコニコされ、帰る際には毎回のように握手を求められました

もともと弱かった心機能が悪化、呼吸困難がでてきました

ごきょうだいがいましたが、住所が遠く高齢で体が弱い方でした

その方が時々様子を見に来られる程度です

 

サ高住の担当者と相談

今のお部屋で最期まで過ごしていただこうということになりました

 

介護の担当者たちが頻繁に訪れ

みんなの見守る中で最期を迎えることができました

 

 

 

私たちの病院の周辺は、比較的医療や介護の資源が整っている地域です

それでもBさんのように望む場所で安心して住み続けることはなかなか困難な場合があります

患者さんに関わる多くの職種の努力が行われても難しいことがたくさんあります

 

とくに病状の変化が激しくこまめにコントロールが必要な患者さんや認知症が進行してきた患者さんの場合はなおさらです

同居のご家族がいる場合でもその苦労は計り知れませんが、同居されるご家族がいないときは自宅での生活や療養を支える人の力がたくさん必要になってきます

 

 

冒頭の文章では、「90%以上に同居家族がいた」とありましたが、実感としてもそのように思われます

しかし「90%以上」は絶対条件ではないことも確かで、残りの「10%」は同居する家族がいない人たちということを意味しているでしょう

同居するご家族がいないことが自宅で最期まで暮らし続けることの困難な要因となっており、10%の方たちはどのように過ごされ、また周囲がどう援助しているのかを知ることが大切になっています

私たちがどこに目を向けていくべきかを考えさせられる課題です

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最近続けて同じような出来事がありました
患者さんのかかえるトータルペインの考えからすると「社会的な要因」と言えるのでしょうか?

少し考えされられることがありました

3人の患者さんに共通するのは、みなさん60歳前後の働くことに意欲を持たれていた時期の発症ということです
さらに消化器系の悪性腫瘍であったということは偶然かもしれませんが…

☆Aさん

奥様とは別居中、病弱な息子さんがいます
腹満感がつよくなり緊急入院されました

ご自分の病状がよくないことは承知されており、遺産などのことで相談があるとソーシャルワーカーに話がありました

司法書士さんに関わっていただかなければなりませんが、面会制限のもとで会えないのであれば退院したいと望まれました
しかし病状から退院は考えにくく、手続きは弟さんと司法書士さんに何度かベッドサイドに足を運んでいただくという形での段取りをつけることができました

その結果2週間後には息子さんへの相続などすべての手続きが完了し、Aさんにはほっとした表情がみられました

さらには職場の上司の援助があり、退職の手続きは口頭でのAさんの意思確認ののち、職場で書類作成をしていただくことで解決できました

☆Bさん

独身で結婚歴なし
数十年会えていない妹さんが遠くにいるらしいとの情報あり
腹痛と繰り返す嘔吐で入院となりました

当初キーパーソンがはっきりせず(親族と連絡がとれないため)、職場の上司に無理をお願いしました

職場では頼れる存在であったBさん
急な入院のため仕事の引継ぎができないままです
Bさんも職場の人たちも困ってしまいました
コロナ禍で外出ができず、面会時間の制限もあります

職場の人たちの努力で短時間の面会と電話でのやりとりで、100%ではありませんがなんとか引継ぎができました

一方で、数十年音信不通であった妹さんと奇跡的に連絡がとれ、会いにきてくれました
Bさんは号泣です
ずっと迷惑をかけて謝りたかったと言われました
妹さんはその後キーパーソンとして動いていただけることになりました

心配事を解決したBさん
1か月後に旅立たれました

☆Cさん

急な病状の悪化で緊急入院された先の病院で鎮静を開始
この状態で転院してこられました
意思表示はほとんどできません

Cさんも独居です
ご家族との連絡は自分から拒否されていました

痛みにずっと悩まれていたCさん
早くから当院のソーシャルワーカーが相談に乗っていました
家の処分など終末期に向けての準備を考えられ、もしもの時にも家族には頼らないと決めていました

司法書士さんに依頼しひとつずつ手続きをしようとしていた矢先でした

意識が低下しているため必要な手続きがまったくできません
ときにうっすらと目を開けられるときには、家族には頼らないとはっきり言われたとのことです

緩和ケア病棟としてはごく短いお付き合いとなりましたが、最期は静かに旅立たれました
Cさんの願いを叶えることができず悔しい思いをしています

最初にも書きましたが、患者さんたちは60歳前後
Aさん、Bさんは頼る方々がいて、不十分であったかもしれませんが旅立ちの日の準備をすませることができました
Cさんは残念ですが間に合いませんでした

共通するのは
身体的な苦痛―痛みや倦怠感、食欲低下、嘔吐などの症状に悩まれながらも、財産の整理・遺言状の準備・仕事の整理などが同じ重要性を持って気がかりなことでした

コロナ禍で家族以外の面会が難しいこと、面会時間が短いこと、外出・外泊ができないことなど様々な制限があるなかでの出来事でした

今後も同じような援助が必要な患者さんが増えてくるのではと思われます
「進行癌や再発・転移癌の患者さんは落ち着いているように見えても急に病状が変化することがある」ということを時々経験しており
Cさんのことを考えると、患者さんから相談を受けたときやこちらが気づいた時にはタイミングを逃さずできる限り早い対応が求められているのだということを痛感しています

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ここでも柏木哲夫先生の本から引用いたします

“人はみな、身体の問題、心の問題、社会的な問題、スピリチュアルな問題で全人的に痛みます。身体の痛みが主なときがあれば、心の問題のときもあり、社会的なことが問題となることもあれば、スピリチュアルなことが問題になることもあります。人によって異なります。それぞれにきちっと対応することが求められます”
医療者として当たり前のことなのですが、最初の出会いのときからトータルペインの視点で患者さんを受けとめていく努力をすることがますます大切になると感じています

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Rさんは凛とした女性です

苦痛が強い時も笑顔で応えてくれました

私たちとのお付き合いは1年半ほどでしたが、私たちにとっては濃厚な日々となりました

 

抗癌剤での治療に限界がみられ

腹膜播種にともないイレウスなどの様々な合併症が出現

私たちの病棟に移ってこられました

 

幸い症状のコントロールがつき

高カロリー輸液からも脱却、食事がとれるようになりました

緩和ケアの役割として、まず痛みや呼吸困難など身体の苦痛の緩和です

苦痛が軽快することでもともと考えておられた退院の希望がつよくなってきました

 

心の中にあるのは待ち望んでいたお孫さんの誕生です!

 

娘さん一家と同居され

訪問診療と訪問看護でRさんとご家族を支えることになりました

 

 

それからは何度か入退院を繰り返しましたが

その都度危機を乗り越え、復活を果たすRさん

ご自身の体力に自信を持たれるようになりました

 

その間にもお孫さんはすくすくと成長しています

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穏やかな暮らしが1年と少しつづきましたが

ある時から全身の倦怠感や痛み、食欲の低下が現れるようになってきました

 

そこからの3か月間、Rさんとご家族、私たちの協同が行われました

 

 

担当医として関わり、たくさんのことを学ばせていただきました

ここにそれを記しておきます

 

 

 

≪気持ちをわかる ということ≫

 

 

Rさんの闘病をめぐってはこのことが大きな課題となりました

彼女がこれまでに話されたことを思い出しながら考えてみます

 

 

――前の病院の先生からはある時からもう治療方法がなく、あとは緩和ケアですと言われました

私はまだまだ頑張りたいと思っていましたが、やむを得ずここ(当院の緩和ケア病棟)に来ました

 

スタッフのおもてなしやケアにより少しずつ病気に対する姿勢に変化が見られてきました

退院後はご家族をふくめ訪問看護師さんと仲良くなり、安心して在宅生活を送ることができていたようです

 

 

――何度も入院をしましたが、そのつど良くなり家に帰ってきました

私は運が強いのだと思います

 

今回は厳しいのではと毎回思う私の予測を裏切り(?)、何度も回復し、Rさんの言われるように見えない力が働いてくれているのだと感じていました

 

 

――夫に何としても会いたい、ぜったいに面会に行きます

 

ご主人は別の病院に入院されていました

コロナ禍でなかなか会うことができません

やっとのことでその願いが叶いました

 

そして

ご主人を見送ることができました

 

 

病状が悪化し、生活の一つひとつにご家族や看護師さんの手を借りることが増えてきました

今までにない症状が出てきます

薬がのめないときもあります

でも入院は望まれませんでした

住み慣れたご自宅で家族に囲まれた生活を続けられました

さらには

 

――私はまだがんばります! よくなるという気持ちを持っています

ポータブルトイレはぜったいにいや

いろんなお医者さんたちからは何度も「限界」と言われてきたけれど、私は奇跡を起こしてきました

奇跡を信じます

先生の予想を裏切りたいんです

 

――みなさんが親身になってくれているのが心強いです

 

 

私たちはこの言葉に対し、「Rさんに逆に勇気づけられました」とお返事を返し、彼女の思いを支えていくことを再度決意したのです

 

身体の苦痛を和らげることだけが私たちの役割ではなく、患者さんの“気持ちをわかってほしい”という願いを理解することがとても大切なんだということを知りました

 

 

≪Rさんとご家族の葛藤と愛≫

 

介護の中心は娘さんです

子育てをしながらの介護、癌の終末期の家族の介護はとても苦労とストレスが多かったのだと思います

 

お母さんに寄り添う娘さん

毎日の訪問看護が支えになってくれました

 

日に日に現れる新たな症状

そのつど看護師さんに連絡をされ

(時には看護師さんから私に電話があります)

アドバイスを受けていました

 

 

ある日今後のことを話しあいました

 

Rさん;

「私はまだ『最期をどう過ごすのか』は考えたくありません」

「これまでも何度もよくなって先生たちを驚かせてきました」

「まだ元気になるつもりです」

「けれど娘には心配させていることが申し訳ないと思っています」

 

娘さん;

「このまま家にいる方がいいのか、入院すれば元気になるのか私には分からないです」

「父が亡くなってからは母の気力がなくなったようで心配です」

「食べ物や飲み物が全然減っていないのを見るととても心配になり、このまま体力が落ちて行ってしまうんじゃないかと不安がいっぱいです」

 

お互いに気を使いながら、どうすることがいちばんいいのか悩まれていました

 

Rさん;

「娘には迷惑をかけています」

「娘たちがいなければここまでがんばってこれなかった」

 

娘さん;

「そばで母を見ていてすごい人だと思ってます」

 

母娘の間ではたくさんのお話ができている様子がうかがえました

お互いに思い合い、娘さんのご主人の協力もたくさんありました

 

Rさんにとって娘さんご一家がいつもそこにいることが力になっていたのでしょう

 

どのような選択をしようとそれは決してまちがいではなく、私たちはそれを支えていきます

と言葉かけをしました

 

 

ある時娘さんの不安がつよくなり

場所をかえて話し合いを持つことになりました

点滴のことやこれからの病状の変化のことなど

様々な可能性を考えました

 

その話がRさんの知るところとなり

「私のことなのに私抜きでどんな話をしたの」

と言われたとお聞きし

逆に娘さんを困惑させてしまったのではと大いに反省したしだいです

この点はその後の看護師さんたちのフォローにより助けられることになりました

 

 

今までも、今も、これからも

「隠し事はなしね」

と母娘で約束をしてこられてきたことを知り

私はもっとも大切なことをないがしろにしてしまったと改めて反省しました

 

 

 

≪最期のとき≫

 

ご家族からの連絡を受け

さいごの訪問をしたとき

安らかなお顔で迎えていただきました

 

 

娘さんから

「『ありがとう』」って私たちに伝えてくれて

そのあとしばらくして息を引き取りました」

とお聞きし

 

後日

「孫の結婚式を見るまでは頑張ると言っていました」

とお聞きしたとき

 

Rさんの凛とした姿とこれまでの短かったけれど濃厚なお付き合いの日々を思い浮かべ、胸がいっぱいになりました

 

 

いつかこんな日が来ることも

きっと わかっていたはずなのですが

 

もう訪問することができなくなってさみしくなります

Rさんは私たちの心に思い出としてずっといてくれると信じています

 

 

Rさん、ご冥福をお祈りいたします

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さいごに柏木哲夫先生の言葉を引用させていただきます

 

――どんな最期を迎えたかは、私たちが想像する以上に、家族にとって大事なことなのです (中略) 本当に安らかな最期を実現させるために、ありとあらゆる努力を重ねないといけないと思うのです――