まず、この写真をご覧ください

image001

この写真の作者である患者様のおはなしです

現在は緩和ケア病棟に入院されています

 

ある日のこと

診察を終えたとき

「今の政治を見ているととても不安なのです」

と話を切り出されました

 

しばらく耳を傾けました

 

「私は小学校、すぐに国民学校と名前を変えましたが、その3年生のときに戦争がはじまりました。6年生のときには集団で疎開をしました。でもすぐに中学校の受験のために神戸に戻ってきました」

 

生粋の神戸っ子です

神戸大空襲も阪神淡路大震災も経験されました

 

「昭和20年に中学校―航空工業といって飛行機を作る勉強をする学校ですが、そこに入学した年です。3月に大空襲がありました。幸いに私の家は焼け残ったのですが、6月の空襲では大事なものを保管していた防空壕が爆弾の直撃を受けました」

「神戸の空襲では大変つらい目にあいましたが、とても人に話せる勇気がありません」

 

少し間をおかれたあと

「でも今の政治の状況を考えると不安でしょうがないのです」

とおっしゃいました

 

「安倍首相の言っていることは、戦争間際の(A級戦争犯罪人と言われた)東条英機の言ったことと同じだと思います。とても心配です」

 

 

改めて次の写真をご覧ください

image002

よく見ると写真の下に『幸せ』と題名が書かれています

これは京都の三千院の「わらべ地蔵」です

お地蔵さんは子供の守り神と言われています

 

私たちには子供や孫たちが平和で幸せに暮らせるような世の中を準備する責任があります

「お地蔵さん」になる必要があるのです

 

ぜひいっしょに頑張りましょう

 

さいごに次のように話されました

「『三つの輪』っていうんですか? 5,6月号を読ませていただきました。私も少しでも出資金をさせてもらえればと思っています」

(*『三つの輪』は私たちの機関誌の名称です)

 

 

――ありがとうございます!

 

 

以上は9月13日に行われる予定の「生協強化月間」(全国的に生活協同組合が毎年行う企画です。生協を強く大きくしようという意図で行われています)の「スタートまつり」でお話するあいさつの原稿です

 

今回のテーマは“思い出づくり”です

「その一」はどちらかと言えば“思い出さがし”でしょうか

 

前回登場いただいたSさんのお話の続きになります

 

まずは……

blog44_1

Sさんといっしょに病院から見た花火

blog44_2

 

素人写真でとっても写りがよくないです

ごめんなさい

翌日の新聞の一面を飾った花火の写真を見て一言

「せんせいの撮った写真が採用されたんじゃないの?」

いえいえとんでもありません

なにかの勘違いでしょう

 

でも前の日のことを思い出しながら

「きれいでしたねえ」とつくづく話されました

 

この言葉は私たちにとっても共有できるものでした

 

「何か食べたいものはないの?」と娘さん

「……焼き肉とすき焼き」

 

予定日を決めてご家族が準備にとりかかります

場所は病棟のデイルーム

blog44_3

とってもおいしそうな匂いが漂い、食欲をそそります

食の細かったSさんもたくさん食べたようです

 

翌日にはすき焼きが待っていました!

blog44_4

Sさん、娘さん、お孫さん

それに看護師さんや栄養士さん

私も参加させていただきました

 

Sさんそっちのけで「ほんとにおいしいね!!」

 

Sさんのご家族にはいろんなサプライズを考え、取り組んでいただきました

 

思い出づくりの一コマだったのだと思います

 

私たちにとってもSさんとの思い出になったことは間違いありません

 

 

“思い出づくり”といっても独りよがりになってはいけないと思っています

―Sさんのことを私たちは忘れないよ―という気持ちをあのときの情景とともに胸に刻むことができればいいのかもしれないです

 

 

 

Sさんは多彩な趣味をもった方でした

 

「何かしたいことはないですか?」

看護師が尋ねます

「将棋をしたいけど、相手をしてくれる人がねえ…」

 

さっそく対戦相手さがしです

 

すぐに見つかりました

blog43_1

お相手は元職員のIさん

 

「結果はどうでした?」

「全勝です」

物足りなさを感じているようなので、今度はもっと強い人をさがします

 

ありがたいことに医療生協の組合員さんにいました

さすがは医療生協です

 

今度は完敗です

 

悔しがるSさん

でも顔はとても嬉しそうでした

 

若い頃から手先が器用でした

手作りの秀作をご家族が持ってこられました

 

blog43_2

“ひょうたん”で作ったお雛様(写真だけでした)

blog43_3

看護師さんが廊下の柱に絵を飾ってくれました

blog43_4

夏らしい彫り物です

ナースステーションのカウンターに並んでいます

実習に来た高校生さんたちの注目を浴びました

 

このようにたくさんのものを作ってこられました

診察にうかがうと、病気の話よりも先に「せんせい、あそこに飾ってあるのがわかりましたか?」と聞かれます

 

知らないってことがわかると不機嫌になるので

「ああ、あれですよね、とても評判ですよ」と私

 

そんなSさんが、前の病院から移ってこられるとき、いちばん大切にしていたものがこちらの絵でした

blog43_5

とてもいとおしそうに抱えていました

わけを聞くと

「これが私の最後の作品です。これから先はもう描かないと決めました」

 

いつもSさんから見えるところに飾ってあります

 

「みんなのためにもう一枚、描いていただけないですか?」

とお願いしても、とうとう最後まで描いていただくことはできませんでした

 

 

もう一つ驚かされたのが

blog43_6

娘さんの結納のために準備したすべてSさんの作品です

魚が乗った船も、刺身も…

 

 

「あれも見てくれた? こっちは?」

Sさんの誇らしげな顔を思い出しながら、ちょっとはおもいでを共有させていただくことができたのかなあと思っています

 

*写真を掲載させていただくことについては生前のSさんから了解をいただいています

*つぎは、「おもいで、その二 『思い出づくり』」 です   (つづく)

「ビルのまちにガオー・・・」は鉄人28号の懐かしい主題歌です

私たちの町には鉄人28号のオブジェがあります

20150824_01

でも今回の話は鉄人のことではなく、「ビルの間」から見えるものについてです

先日港の花火大会がありました

ひょっとすると私たちの病院からも見えるかもしれないと聞き、午後7時にやってきました

緩和ケア病棟の海側のベランダに出ました

すでに看護師さんや患者さんが来ています

見えました!!

20150824_02   20150824_03

ちょうどふたつのビルにはさまれたすきまに花火が見事に見えています

 

ベランダは少し暑い風が吹いていますが、花火があがるたびに歓声が聞こえます

 

――ここから見えるなら来年はもっと準備をしてみんなで・・・

 

ふと振り返ると患者さんと視線が合いました

 

――私たちには『来年』があるかもしれない

でも今夜いっしょに花火を見た患者さんには・・・

 

私はそっとその場を離れてしまいました

 

今をどう生きるか、明日はどうなっているんだろう

毎日そのようなことを考えながら療養されている患者さん

「花火きれいでしたね」と翌日の診察のときに先に声をかけてくださった患者さん

 

『寄り添う』と言葉で言うことは簡単でも、実践することはほんとに難しいことなのです

病棟の夜は様々な顔をしてくれます

 

患者さんたちが落ち着いている日はスタッフの顔も穏やか

ときに大きな声で看護師さんを呼ぶ声が聞こえます

 

私たちが緊張するのは最期のときを迎えようとされている患者さんがいる夜

 

この日も意識がなくなり呼吸状態も悪くなってこられた患者さんがいました

 

今までの家族関係を象徴するかのようにたくさんのご家族が集まってきます

小さな子供たちも数人いました

 

患者さんのそばでは神妙な面持ちでいる子供たちも、しだいに退屈してくるのか家族室で待ってもらいました

近くを通りかかるとにぎやかな声

私もついその雰囲気に呑まれて、一つふたつと覚えたての手品を披露しました

 

――残念ながら患者さんはその夜お亡くなりになりました

 

翌日のナースステーションでの申し送り

夜勤の看護師さんからの報告です

「若いお母さんがやってきて、『子供たちとかくれんぼをしています。隠れるところがないのでここに隠れさせてください』と頼まれました」

「えー!?」

「私はいちどだけですよとOKしました……」

 

これまで30数年病院で働いてきて、病棟での“かくれんぼ”は初めてです!

20150813

でも報告を聞いてとってもあったかい気持ちになりました

患者さんも子供たちの声を聞きながら安心して天国に旅立たれたのではないでしょうか

 

看護師さんに『あっぱれ!』をひとつ

 

追伸;

亡くなられたとき、お孫さんは「おじいちゃんとはもうお話ができないの?」と号泣していたそうです

今までにぎやかにしていた子がおじいちゃんのために泣いてくれた

もういちど暖かな気持ちをいただきました