緩和ケア病棟開設後最初の文化的行事として“バイオリン・ミニコンサート”を開催しました

この企画は「ホスピス緩和ケア週間」の一環として計画されました

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当日までに演奏してくださる先生への依頼、看護師や臨床心理士による準備、ボランティアさんとの相談などきめ細かな準備が行われました

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ボランティアさんたち手作りのクッキーの準備の様子

演奏者はわが神戸医療生協協同歯科の歯科医師、永田先生です

みごとな演奏でした!

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クラシックの演奏がはじまるとみんな静かに聞き入っています

「川の流れのように」「津軽海峡冬景色」とつづけての演奏には涙を流される患者さんがいました

患者さんたちは「この服のままで行ってもいいですか」「いい席に座らせてくださいね」「バイオリンは大好きです」などと、とても楽しみにされていました。

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一緒に口ずさむ人、手でじょうずにリズムをとられる方

わずか30分間でしたが、それぞれの思いがたくさん感じられた瞬間でした

さいごは……

圧巻の“情熱大陸”でした!

参加者は、患者さん、ご家族、ボランティアさん、職員、合わせてきっと40人にはなるかと思います

みなさん感動を胸に、永田先生に感謝の言葉を述べられていました

先生、ほんとにありがとうございました

大成功したこの取り組みを教訓に、これからも多彩な企画を考えていこうと担当者ははりきっているようです

 

 

ある女性のお話です

 

病気が見つかって数年

いろんな治療を受けてきました

 

腹痛と吐き気がつよくなり、緊急入院されました

 

ご本人は自分のこと、ご家族のこと、すべて一人で決めてきました

真面目に一生懸命生きてこられたのだと思います

 

症状が落ち着くと退院への希望が強くなりました

ご家族のことが心配なのです

家事が十分にできなくてもいい、家族と一緒に暮らしたいとの思いが日に日に募ってきました

 

でも、

病状は生易しいものではありません

一人でできることには限りがあることは、入院生活を見ているとだれの目にも明らかです

 

当初躊躇されていたご家族はご本人のつよい気持ちと、私たちとの話し合いの中でなんとか支えてあげましょう、ということになりました

……今しか家に帰ることができないかもしれない

 

難問は患者さん本人の自覚です

「家のことは何とかできます」

「点滴も自分でします」

「家族には頼らなくてもだいじょうぶです」

などなど

 

しかし症状は不安定で、調子のいい時には歩行器で歩かれており、食事もある程度は食べることができますが、ひとたび具合が悪くなると、「もうダメ、とても帰れない」と急激に弱気になります

重い病気を抱えていれば当然のことですね

 

まわりはハラハラしながら、みんなの力で援助をしようと相談しました

 

往診はこの先生に、訪問看護はここに依頼を、ヘルパーさんは何回必要? ケアマネジャーさんへの連絡は? などなど

ご家族もこの時間ならそばにいてあげることができます、トイレの介助もしましょうとやり繰りしていただきました

 

そんな周囲の心配をよそに、患者さんは「自分でします!」と強気の発言をされることも…

その時々の感情の変化に困る毎日でした

きっとご本人も迷いがあったのではないでしょうか

 

 

そんなある日、私は時間を少しいただいて患者さんとお話をしました

「○○さんはぜんぶご自分でしようとされていますね」

「きっとできると思います」

(病院のような療養環境が自宅でどの程度実現できるのかな?)

「でもね、しんどいときにはトイレに移るのもやっとでしょ?」

「先生、わたし家では一人でしますよ」

なかなかかみ合いません

 

そこで言い方を変えました

「○○さんは人からの援助、手助けはいやなのですね」

うなづかれます

「それならこう考えればどうでしょうか」

やや怪訝な表情

「人に助けてもらうという考えではなく、自分のしたいことができるようにまわりの人を『じょうずに利用する』ということではいけませんか? 自分でどんなことをしてほしいかを選択するのです」

表情に少し変化がみられました

 

それから数日後、

看護師さんの申し送りの場面です

「○○さんは、『自分の思うように家族やヘルパーさんを利用したい』と言われてます。これまで以上にご自分の考えをつよく持たれているようです」

それを聞いて私は猛反省です!

思いを伝えることはこんなにも難しいものだとつくづく感じました

 

 

これまでの急性期病棟での医療では、病気を治すことが最優先であり、そのためには患者さんの「自由の制限」もある程度やむを得ないこととして疑問に感じることはありませんでした

・食事が呑み込めなくなればミキサー食、それでも難しくなれば胃瘻を勧める

・トイレに行くことができなくなればベッドのよこにポータブルトイレをおき、そこで用を足してもらう、それもできなくなれば膀胱に管を入れたり、おむつにかえる

・歩けなくなれば車いす

これらのことを粛々と勧めてきました

そのおかげで、たとえば栄養がとれるようになった、失禁の予防ができ清潔が維持できた、転倒を防ぐことができた

結果、病気もよくなり退院された

当然患者さんやご家族に説明しながらの医療行為です

かってに医療者だけで行っているわけではありません

しかしときにはその行為が「ルーチン化」してしまい、あたりまえの医療・ケア・援助となってしまっているように思うときもあります

入院という「非日常」の生活・療養環境のなかで、患者さんの選択の幅は大きく制限されてしまうことになるのじゃないかという心配があります

これは元気な人にはなかなか理解ができないことのようです

 

 

緩和ケアの研修に行き、4か月間病棟の医療に携わるなかで、終末期の方への対応は急性期医療と同じではいけないのだと気づきました

ある研究会で「自律」という言葉がたくさんの人から聞かれました

「自立」は、足が不自由な方がリハビリの結果杖をついてトイレまで歩けるようになった、介助されていた食事を自分の手で食べることができた、などのときに使います

一方、「自律」は「人間として選ぶことができる自由がある」ということです

(参考:「緩和ケア読本」小澤竹俊著)

一人でトイレに行けなくなったときに、車いすに乗せてもらってトイレまで連れて行ってもらう、あるいはベッドの横にポータブルトイレを置いてもらう、あるいは膀胱に管を入れて尿をとってもらう…などのいくつかの方法を「自分で選んでもらう、選ぶことができる」ということなのです

食事の準備をしたいが買い物には行けない、食材を前にしても最後まで自分で調理をすることが難しい

そのようなときに家族の力に依拠したり、ヘルパーさんの援助を求めたり、自分でもっともよい方法を選んでもらうのです

 

 

その意味をこめて先ほどの女性の話を振り返っていただければありがたいです

 

そして彼女への説明がうまくいかなかったのは間違いなく私の力量不足によるものでした

 

 

これからもこのテーマは考え続けたいと思っています

 

 

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1年前の9月にこのブログをはじめてから50回目となります

よくここまで続けられたなあ と思います

 

最初は準備の様子や理屈っぽい話が中心だったのですが、6月に病棟をオープンしてからは患者さんやご家族、職員の動きなどをお知らせすることができました

 

「下町の緩和ケア病棟」シリーズも継続できています

 

少しずつ見てくれている人が増えてきた(ほんの少しですが…)と実感しています

 

どこまで持続できるかはわかりませんが、これからも日常の出来事や感じたことなど、とくに制限を設けずに書いていきます

いろんな職員やときには患者さん・ご家族からの投稿も期待をしております

 

次回は視点を変えることの大切さについて考えていることを書きます

今回は「支え」ということを少し考えてみました

☆40歳代の男性
一言、二言短く話されます
長くしゃべると息が切れるからです
「体を上にあげて」
「いや、もっと下げて」

お母様と長くふたりで暮らしていました
「この子は頭でわかっていても実行するまでに時間がかかる人なんです。自分からこうしたいと言うのを待っているんです」
「こうすればいいんじゃないと提案しても、本人がいやがるのでわたしはそれ以上にはこだわらないようにしています」
と言いながら、お母様は毎日病室へ顏を出され、付き添っています

顔を拭いてあげたり、歯磨きの手伝いをしたり、体のマッサージをしたり…

患者さんは時には文句を言いながらも母親の「支え」を頼りにされています

 

☆高齢の患者さんに毎日付き添っておられた奥様
「世話をしていただいている看護師さんたちを信頼しています。ほんとにありがたいです」
「わたしはそばにいてあげることしかできません…」
若い頃のお話もたくさん聞かせていただきました
日本全国をともに旅されたそうです
言葉の端々にとても仲が良かったのだろうなという様子がうかがえます

奥様がある日おっしゃいました
「たとえ寝たきりであってもお父さんが今ここにこうして生きていてくれるだけでわたしは支えられているんです」

 

☆80歳代の男性
入院されて間もない時期のことでした
夕方になって、
「急にさみしくなってきました。不安なので友人に今日は泊まってほしいとお願いしたのです」
異性の友人は快く引き受けてくださいました

翌日のこと
「よく眠れました」
「昨晩のお礼にこれから喫茶店にモーニングを食べに行ってきます」

 

☆中年の男性
「寒い! 布団をかけて」
看護師さんを呼んで、
「えーっと、あれ? なんやったかな?」
「起こしてほしい、いや、やっぱり寝かせて」
「ちょっと横にいてくれる?」
夜中に
「今からごみを捨てに行きます」
「お~い お~い」

しばらく付き添って話をしていると落ち着かれるようです
でもその場を離れようとすると
「そばにいて!!」
――私はいちどもそのようなお願いをされたことがありません
看護師さんたちがうらやましいです

 

これらの話は日常よくある出来事の一端です
でも、「母親」「患者さん(夫婦)」「友人」「看護師」がそれぞれ「支え」となっているのです
自分の辛さや苦しさを、ときには喜びをわかってくれる人を頼っているのだと感じました
そのような人の存在がありがたいのです
ある人は、
「誰かの支えになろうとする人こそ、いちばん支えを必要としている」
と、述べていました

そう考えると、ともに働いている看護師さんたちの「支え」はいったいなんだろうか? と思ってしまいます
機会があればこんなことをテーマに話し合ってもいいのかもしれません

 

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え? そういうあなたの支えはなんだ ですか?
私の「支え」は、
ひとつは、時々書いているブログです
日々のささやかな出来事、気になったことを自由に書かせていただいています
時には「読みましたよ」と言ってくれる人がいてうれしいです
主観もまじえながら、ある程度の客観性をもって文章にすることで、心のバランスを保っているのだと思っています

もうひとつは、
どんなささいなことでも聞いてもらえる人がいることでしょうか

9月19日安全保障関連法が成立しました
このブログで「政治的発言」はふさわしくないのかもしれませんが、日本国民の多くが同じ思いであると確信しつつ、少し述べさせてもらいます
「日本を取り巻く安保環境の変化に対応」するため、集団的自衛権の容認をはじめとした「防衛政策の転換」をはかるとの首相と現政権のかたくなな思いが、平和を犠牲にすることになったのではないでしょうか?

背景としては国民の意思よりもアメリカとの約束を優先したとも言われているようです

緩和ケアにたずさわっていると、どのような人にもいずれは訪れる「死」ということを当たり前のこととして受け止めています
病気による死は理不尽だと思うことが少なくはありませんが、戦争による死はその何倍も、いや無限大に理不尽です
正当化する根拠はまったくありません

命はどのような世界で暮らそうと、どのような考え方を持っていようと、どのような経済状態であろうと、みんなに平等です
戦争は(戦闘員を除けば)まっさきに弱い立場の人々を殺戮し、その家族や友人たちを苦しめます
命の平等とは正反対のものです
最近のテレビや新聞を目にすると気づくことがあります
安保法案に反対する集会やデモの参加者のなかには、様々な団体にまじって学生をはじめとした若者や子供をつれた若いお母さんたちの姿が目立ちます

日本国憲法を守り、民主主義を大切にしようとする力がまちがいなく成長していると感じさせられました

9月20日付の神戸新聞に書かれた文章を引用します
“…ここに一人の「若者」がいる。生まれたのは1946年。……焼野原で人々の心に希望の光をともしたときのまま、今も若々しい。名を「日本国憲法」という。……押し付けだの理想主義だのと言われても、憲法は一向にひるまない。逆にこう訴えかけてくる。理想を失ってはだめだ、混沌とした時代だからこそ大きな理念を抱こう、と…”

私たちは家族や友人、これからの社会を築く子供や孫、その人たちにまつわるすべての人たちが幸せに安心して暮らせる社会の実現を望んでいます
その中心には憲法の理念があります

法律は通りました
でも今度の選挙の結果次第では廃止することも可能でしょう
多くのひとたちと、もっともっと広く力を合わせていきたいと思います

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