Aさんは長い期間治療を続けてこられました
手術、抗癌剤、放射線治療……
主治医の努力に感謝しながらも、「これからはホスピスで」との一言に戸惑い
まだできることがあるのでは?
あきらめたくないとのつよい意思で頑張ってこられました
Aさんはまだ若いながらもご自分のことを客観的にみることができる人で
病気のことすべてをご存じでした
人のために尽くす仕事に従事されていましたが、闘病のためしばらくお休みをされていました
少しでもよくなれば復帰したいと望みをもちながら
症状が強くなり私たちの病棟に入院してこられたとき
癌の腹膜播種からの腸閉塞をおこし
強い痛みと吐き気、嘔吐を繰り返していました
そのためたくさんのチューブ類やカテーテルが体についている状態でした
症状の緩和とAさんのあきらめたくない気持ちを目の前にして
私たちはどう支えるのかが大きな課題でした
「病気が重いことは十分にわかっています。泣いてよくなるのならいくらでも泣き叫びたいです」
「できることは何でも挑戦してみたい。先生から見たら勧められないって思われるでしょう。でもできることは何でもやってみたいのです。家族のためにも」
ある時には
「前の病院では食事がとれず(絶食になっていました)、余命は1週間って言われていました。でも何も食べずにこのまま死を待つことには耐えられません。できれば一口でいいから食べたい」と強く望まれました
腸閉塞の場合は教科書的には絶食が原則だけれど、AさんのQOLを大切にしたいと少しずつ経口摂取を開始しました
医療の常識にこだわらず、どうすれば好きなものを食べていただけるか
どうすればAさんの気持ちに寄り添えるか考えました
このとき私の頭には何人かの患者さんの姿が浮かんでいました
好きなものを食べることがその人らしさであったBさん
胃チューブから食べたものを出しながらでも食事をされたCさん
「豆腐はどうですか?」「プリンは?」「妻が作ってくれたものが食べたい」と次々と要求が増えてきたDさん
「生のきゅうりがおいしいんです」と丸かじりをされていたEさん
それぞれのひとたち…
ある日のこと
「退院はむりでしょうか?」
「病院での最期なんて考えられない。最期の一呼吸は家でと思っています。家ならひとりじゃない。誰かがいてくれる。夫や娘ともいっしょに自由に過ごせて、友だちともいつでも会える。コロナのことはわかっているけれど、面会時間が限られている、友だちとも会えない。私はもう誰とも良い時間を過ごせないまま死ぬしかないってことなの?」
新型コロナウイルス感染症対策のため、病院全体が面会制限の方針(短い時間に限られ、家族の面会だけ)であり、外出もできない状態であったのです
「妻がそれを望むのならそうしてあげたいです」
とご主人も同意されます
じつは積極的な治療は限界と告げられたとき、お二人の胸には〇〇療法や□□療法など、いわゆる「補完代替療法」がありました
「自宅であれば実施している所に連れていってあげることができる。何かできることがあるなら後悔のないように全部したいと思っています」
そのご希望は伺っていたのですが、入院では「混合診療」(※)が認められておらず、悩んでいたことでした
(※)混合診療:健康保険の範囲内の分は健康保険でまかない、範囲外の分は患者さ
ん自身が費用を支払うこと
この場合はすべてが自由診療となり費用が全額患者さん負担となってしまう
(日本医師会より抜粋)
スタッフで話し合いを持ちました
患者さんやご家族が望まれることなら叶えてあげたい
制限のある中で大切な時間を過ごさないといけないことを強いるのは申し訳ない
などの思いが出されました
そこからは急いで準備開始です
訪問診療をお願いできる、信頼できる医療機関を探し
同時に在宅療養の多くを支えてもらう訪問看護ステーションを見つけ
ご家族への介護指導や、たくさんのカテーテル類の管理方法の検討
だれとだれが主に介護を担われるのかを相談
……などなど
忘れてはいけないのは、代替療法を委ねる施設への紹介状です
しないといけないことが山ほどありました
ありがたいことに在宅ケアを依頼できる医師、看護師、介護事業所はすぐに見つかり
ご主人と娘さんも積極的に多くのことを覚えようと一生懸命でした
Aさんはご自分の病状が進行してきていることはしっかりと受け止められています
「現実はそうなんだと受け止めていくしかない
家族は一生懸命してくれている
少しでも家族と一緒の時間をとりたい
私は希望を持ち続けます
やってみせます
家に帰り
会いたい人と会い
家族とすごせる願いが叶うことがとてもうれしい」
そしてついに退院の日
ーーーこれから精一杯楽しみます
と帰っていかれました
幸せな時間を過ごしてください
そして苦痛に耐えきれなくなれば戻ってきてもらって大丈夫ですよ
と一言添えて送り出しました
ご自宅では毎日のように友人たちの訪問があり
好物をわずかでも口にされ
信頼できる医師や看護師の訪問で安心し
大好きなご家族とともに大切な時間を過ごされ
望まれていた何か所かの施設を訪れて「治療」を受けられたそうです
何日かたち
Aさんは病棟にもどってこられました
痛みは今までになくつよくなり
入院を望まれました
医療用麻薬を増量し、症状はいくらか落ち着きましたが
傾眠傾向となっています
余命は数日と予測されました
ご主人と娘さんは交代で付き添われました
※ご主人や娘さんと看護師さんとのやり取りをカルテから拾ってみました
娘さんはご自分がどのように接していいのか苦しまれていました
Ns「我慢せず悲しい時には看護師を見つけて泣いてくれればいいよ。すべての涙はでないだろうけれど、そのあとお母さんのところに会いに行ってね」
Ns「今いっしょにいるこの時間を大切に過ごしてください」
娘「なぜお母さんのそばにもっといてあげられなかったのだろうとそのことばかり後悔してます」
Ns「おうちでお母さんを見守りお世話をされていたと伺っています。今もこのように過ごされていることをきっと喜んでいらっしゃるように思いますよ」
患者さんは看護師と娘さんの会話が聞こえているようで、反応するように呼吸が深く、多くなったりしている
Ns「お母さんには娘さんの声が聞こえているようですね」
娘さんは愛おしそうに頬ずりをされた
ご主人は娘さんに対して優先的にAさんのそばにいるように促されている
娘「お父さんはがまんしてる」
夫「病院に(再入院して)きて安心しました。気が張っていたのだと思います。自分がなんでもしないといけないって…」
娘「お母さんは抗癌剤治療を受けている間、とてもつらそうだった。もっとほかの治療を探してあげられていれば、もっと長くいっしょにいられたかもしれないって、どうしても自分を責めてしまいます」
娘さんはこのような後悔の言葉を何度も口にされていた
看護師さんたちはそのつど黙って話を聴きながら背中をさすったり、ともにケアをしたりして娘さんに寄り添っていた
Nsの記載:旅立たれたあとの悲嘆の強さが心配
せめてこのまま少しでも長くそばにいる時間がもてれば、悲嘆が軽くなるので
は?
この大切な時間をもっと持たせてあげられないだろうか?
ご家族は隣に座り声をかけながら音楽を流したり、昔の写真を見ながら思い出話をされている
娘「母は強くて芯のある、かっこいい人でした。お母さんのようになりたいです」
娘「看護師さんたちにいろいろな話を聴いてもらったから楽になりました。たくさん聴いてもらった。けれどどうしても自分を責めてしまうんです」
……いよいよお別れのときが近づいてきました
呼吸が浅くなっています
―――お母さんありがとう
お母さん大好きだよ
お母さんのような人になるからね
ずっと家族いっしょだよ
……Aさんは静かに旅立たれました
苦痛から解放されたような安心したお顔のようです
ご主人も娘さんもせいいっぱいのケアをされました
見ていて温かな家族の愛情を感じました
ある本に次のようなことが書かれています
“死にゆく人は、ただ世話をされるだけ、助けてもらうだけの、無力な存在ではない。彼らが教えてくれることはたくさんあるのだ”
“亡くなる人は遺される人に贈り物をしていくんです”
Aさんは私たちにたくさんの贈り物をしてくださいました
☆すべてのことをご自分で納得しながら決めてこられました
Aさんの希望はいっぱいありました
すぐには応えられないこともときにはあります
でもあきらめず繰り返し望みを話され
結局はAさんの希望通りになることがたくさんありました
辛抱していただくことももっとありましたが…
治療の内容のこと
食べ物のこと
退院の希望のこと
代替療法のこと
その他多くのこと
☆ご家族、とくにまだ若い娘さんに、ご自分の生きざまを示されたことでしょう
親子の間のことはわかりませんが、ご主人や娘さんの言葉の端々に感じることがあり
ました
…お母さんのような人になりたい
☆緩和ケアに携わる私たちに何が求められているのかも教えられました
医療の常識だけでは患者さんの幸せを叶えられないことがあります
「こんなこと無理だろう」という私たちの思い込みを捨てないといけないことがありました
そして患者さんやご家族を不安にさせない医療も必要でした
☆さいごに
「少しでも可能性があるなら闘いたい」というつよい意思
自分のために、そして家族のために…
Aさん、ありがとうございました