ある本(コミック)に出会いました
緩和ケア病棟の看護師さんたちにも読んでいただきたくて
プレゼントしました
何人かの人に読んでいただいています
とてもよくわかりますという声が聞かれました
水谷緑さんの『大切な人が死ぬとき』
というコミックです
ご家族を亡くされ
「もっとできることがあったんじゃ…」
と後悔と罪悪感から
緩和ケアナースに相談をしてわかったことが描かれています
共感できる言葉が多く
紹介したいので抜き書きをさせてもらいました:青字のところです
(順不同です)
☆生きたい
死ぬ瞬間まで
生きたい
毎日家で
していたことをしたい
特別なことじゃない
父はただ
「日常生活」を
したかったのか
終末期と言われる状態になったお父さんが
主治医に対して突然望みを話されました
ご家族は戸惑われ
無理を言うお父さんを
恥ずかしく感じられました
患者さんが
今まで送ってこられた日常の生活を望まれる場面に
少なからず出会うことがあります
何かしたいことがありますか?
とたずねると
ちょっとでいいから家に帰ってみたい
と望まれます
中にはこのまま家で過ごしたい
とも…
ご家族の想いを聞きながら
条件がそろえば
その希望を支えるために
病棟のスタッフたちは努力をしています
可能なかぎり
私も往診を引き受けたい
でも遠くに帰られる人には
信頼できるお医者さんを紹介して
けれどその希望が叶えられないときも
たくさんあります
理由は様々です
そんなとき
私たちにできることは……?
☆「悲しみ」は波のよう
猛烈に押し寄せたと思っても引いていく
そのくりかえし
時間とともに
その間隔が開いていく
「死」は乗り越えるものでなく
慣れるもの
「死ぬ」ということは
ただ「絶対に会えない」
ということだった
――絶対に会えない
それはとても重い言葉です
しかし
私たちには
大切な人の
記憶があります
時間とともに慣れていくことはありますが
記憶も少しずつ薄れていくことがありますが
大事なことは
けっして忘れることはないと
私じしんの経験から
言うことができます
そのとき
多少の美化は許されるのではないでしょうか
☆そうだ…
「残したもの」が
「続き」をやるんだ
この先どう考えればいいのか
道筋が見えたような気もした
亡くなった人がやり残したこと
それを引き継いでいく
大好きな奥様を亡くされたご主人
家の掃除や洗濯
その他たくさんのことを
知人に教えてもらいながら
がんばっています
これも日常を引き継ぐということなのでしょう
ある人は
ご主人の叶えたかった仕事
後輩を育て上げることを
引き継がれたと
お聞きしました
色んなかたちがあっていいのです
以下は医療者 とくに看護師さんに向けた言葉です
あらためてコメントは不要と思います
☆自分の悲しみと
患者さんや
家族の悲しみは
別のもの
同じように
わかるわけがない
悲しみを
代わってあげることは
できない
悲しみは
患者さんと家族が
引き受けなければ
いけない
☆「他人の悲しみは
わからない」ことを
前提にするのは
誠実だと思う
「他人事でいい」
と考えるように
なってから
らくになったの
私がやることは
安心して
悲しめる場を
つくることだと
思ってる
☆「どう生きたいか」
患者さん自身も
気づいてないことが
多いから
時間をかけて
すくっていくしか
ないんだ
対話の中にしか
答えはないから
☆そこに
「いて」
「触れる」ことは
言葉より
ダイレクトに
伝わるものがある
☆本人が
(病気にむかって)抵抗しようと
することを
一緒にやるのも
看護だ
さいごに作者はこのように結んでいます
緩和ケアナースに話を聞いてわかったこと
それは
“大切な人が 残された時間を『どう生きたいか』を知ること”
一気に読み終えました
緩和ケア病棟で仕事をしてきて
共感することがたくさんありました
一方で
かってに引用して
私のかってな解釈を加えたこと
お許しください