Aさんのお話です
多くを脚色していますが、気持ちは伝えたいと思います
Aさんは40歳台の女性
胃の全摘術を受けられました
外来に通院していましたが
ある日急に体調が悪化し
入院となりました
痛みと吐き気、発熱があり
会話をすることも難しく
衰弱した状態でした
このまま弱っていくのではないだろうか
と予後のことを考え
ご家族には厳しい話をしました
Aさんはそこから頑張りました
少しずつですが食事がとれるようになり
ときには笑顔が見られるようになりました
ゆっくりとですが
ベッドからの離床が進み
リハビリを開始
ご家族といっしょに
病院の近くのお店に買い物にも行かれ
勤め先の友人に
会いにいくことができるようになってきました
穏やかな日常をとりもどすことができたAさん
――できれば実家に帰りたいなあ
と、希望を話されました
そのためには多くの準備が必要です
Aさんはこれまでのしんどかった時を取り戻そうとするかのように
精力的に退院にむけての準備に取り組まれました
そんなある日の午後
いつもの診察を終えたとき
Aさんが語られました
「前からなんとなく体の調子がおかしかったのです
癌だって言われて、でもそのときはそれほど悪くは考えていませんでした
家族に報告すると泣かれました
息子は『お母さんはふつうの人じゃないからきっとよくなるよ』って
励ましてくれました」
家族の支えがあり、手術を決意されたそうです
抗がん剤治療はいい印象がなく受けないという選択をされました
しばらくは調子がよく、治ったのじゃないかしらと思うほどで
「それが油断につながったのでしょうね」
再発しているとわかったときにそう反省したそうです
でも主婦としての役割はちゃんとしようと決意され、仕事も継続されました
今回の入院にあたって
「こんどこそだめだと思いました
気持ちが滅入ることが多く、このまま生きていてもいいんだろうかと
考えたりしました」
一方では
「落ち込みましたが、すべてを受けとめるしかないとも思ったのです
私らしく前向きに生きなくちゃ って」
ご家族は
「あなたの思うようにすればいいよと言ってくれて
それがすごくありがたかったです」
――私のこの思いをいつかきっと家族に話をするときがくるだろうな
と遠くを見ながら話されました
ときに目頭を押さえながら
ご自分のことを客観的に話される姿に
心が揺さぶられます
「私の実家は神戸からは遠くにありますが
時々はここにやってきてもいいですか?」
私たちはAさんのことを大いに歓迎しますよ
できればいっしょにお茶ができればいいですね
と私
「できるところまで生きたいです」
生きることを強く意識した言葉です
どうしても聞きたかったことがあります
Aさんにとって私らしく生きたいって
どういうことなのでしょうか
もし聞かせてもらえれば…
しばらく考えてから
「たとえば、綺麗になりたいって思うの」
Aさんは外出のときにエステでとても美しくなって帰ってこられました
「大好きな洋服も着たい」
「食べることが大好きなので、おいしいものをたくさん食べたいな」
「アロマもはじめたい」
……
話が尽きません
女性であれば、いや男性であっても、だれしもが望まれることでしょう
○○さんらしさとはこういうことなのだと
教えられました
「けれど家族は私が弱っていくことをきっと冷静には受け止められないと思う」
ご家族への支援も私たちの役割なのですが…
後悔の言葉も出てきます
「親が私と同じ病気で亡くなったとき、私は十分なお世話ができませんでした。当時は学生で自分のことで精いっぱい。忙しさにかまけてしまい、後悔がないといえば嘘になります。だから息子や娘たちに何かを求めることは難しいと思うんです」
つねに心は揺れています
「できるなら仕事にも復帰したいなあ」
Aさんの表情に疲れが見えたため
お話はいったん終了としました
私はAさんの話に耳を傾けるだけで精いっぱいでした
入院患者さんとゆっくりとお話をしたいと思っていても
病状が早くすすみ
その機会をもてないことがよくありました
…もっと早く声をかけられればと
そうすれば
患者さんの揺れる心にわずかでも触れることができたかもしれません
もっともっと言いたいことがあったのじゃないだろうか?
私の都合で話の腰を折ってしまっていないだろうか?
もういちどAさんと話ができれば
と思っているうちに
退院の日がやってきました
このたび、このときのことを記しておこうと思いました
その後の人生のつづきが聞ければなあと思いながら…