今回は少し重い話になります

テーマは『自律』と『コミュニケーション』としました

Nさんが入院してこられたとき、症状は生活に支障をきたすほどではありませんでしたが、

独居のため在宅での生活は難しいと判断されました

ゆっくりと病状が進行してきました

旅立たれる約2か月ほど前からNさんと私たちは様々な困難に直面しました

(1)トイレには自分で歩いていくことにこだわりを持たれ、売店に行っては好きな菓子などを買っていました

日が経つにつれてイライラや入院生活での不満が増えてきました

痛みや手のしびれ、動作での呼吸困難感によってできないことが多くなってきたのです

転倒したことがあるため付き添いますから必ず声をかけてくださいと看護師さんからお願いされてもいつの間にか一人でトイレに行く姿をみかけます

さすがに売店には歩いて行くことが難しくなったので車いすで連れて行ってもらうことになりました

人の手を借りることが許せないNさん

病状進行の理解をしていてもできることは自分で行いたいと主張されます

それが残された自分の生きがいでもあるかのように私には思われました

Nさんとの話のなかでのことです

「売店で好きなものを買いたい。何度も看護師さんに連れて行ってもらうのは申し訳ない」

「できることは自分の力でしたい」

「でもね、売店に行っても財布からお金を出すことが難しくなってきたんです。わたしは好きなものを選んで店員さんにお金を渡したいのに・・・」

このころには一人でトイレに行くことが苦痛になってきました

でもトイレでの動作は時間をかけてでも自分でされています

動くときには酸素をつけましょう

移動は車いすにしてください

ポータブルトイレを使ってはどうですか

と私たち

いや酸素はまだいい

近くに行くだけなら看護師さんの手を煩わせたくない

ポータブルトイレはまだけこうです

とNさん

せめぎ合いの毎日でした

自分のことができなくなり人の世話にならないといけなくなることは大きな苦痛で、「自律性のスピリチュアルペイン」と言われています

日常の生活を自分自身でコントロールしたいという欲求は誰にとっても当たり前のことです

できなくなることがしだいに増えていくことで人の手を借りるべきなのはわかっていても、そのことで生きる意味を感じることができないのは患者さんにとって当然のことでしょう

その思いを否定せず患者さんの気持ちに寄り添う努力が求められており、私たちはそのことの重さを毎日のように思い知らされながらケアを行っています

ところが私たちはときに

この患者さんは自分の病状を理解されていないからわがままを言うと決めつけてしまうことがあります

なおかつ私たちは患者さんを説得しようとします

そうなると患者さんはそれ以上何も言ってくれなくなります

そのような時、患者さんがなぜそうなのか(例えば介助が必要と客観的に見えてもそれを拒否されるなど)を腰を据えてお話をうかがってみることが大切になります

Nさんは自分の置かれている状況をだんだんと自覚されるようになり、自ら看護師さんの助けを求めるようになってきました

このことも一つの自律=自分で援助を受けることを選択=なのでしょう

(2)私は毎日の診察の中で、Nさんのことをわかっていると思っていました

そのためNさんが求めていることを十分に受け止めることができず行き違いが生まれてしまいました

Nさんが主治医に対して不全感をもっているようですと看護師さんから聞かされ衝撃を受けました

しっかりと時間をとって話をしよう、もしわだかまりがあるようならこれからもっと大切な時期を迎えるNさんにとって安心していただけるように努力をしようと考えました

Nさんには前もって話し合いを持ちたいとお伝えし、看護師さんに同席してもらうことの了承をいただきベッドサイドに座って話をしました

最初に病気が判明してからの治療経過を紹介状をもとに振り返り

私たちの病棟に入院してこられてからの症状の変化とそれに対してとってきた対策を順を追って説明

さらに予想される今後の病状を具体的にお伝えしました

同時にNさんが想定されていた余命を超えて頑張られていることに敬意を表しながら今後もともに歩む努力を続けていきたいと話しました

Nさんが話し合いのさいごに言われたことです

「病気がよくならないことはわかっています。でもこれまで一つひとつの説明がほしかった」

私は毎日の診察で病状の変化をお伝えしていたつもりでしたが、それがNさんにはきちんと伝わっていなかったことや、私の独りよがりの解釈で終わっていたこともはっきりし、そのことが大きな反省材料になりました

Nさんが(1)で述べたような気持で過ごされていたことが具体的にわかり、思いや考えをじっくりと聴く時間がとれ、また私の考えを伝えることができたと思います

一度や二度の話だけですべてがうまくいくわけではありませんが、お互いの関係は少し前進したのかなと感じています

臨床の場面では患者さんと医療者間の「乖離」があることも学びました

例えば、

患者さんが不安を訴えているとき、患者さんとすれば不安を受け止めてほしいだけであるのに、医療者はその不安に対して何か薬を使わないといけない気持ちにとらわれてしまいがちです

私たちの解釈が、患者さんの解釈―病状をどうとらえ何を望んでいるのか、とかみ合っているのかを冷静な目で見ないといけないことがあります

また患者さんの約9割は主治医とのコミュニケーションに悩んでいるということも聞きました

わかった「つもり」には要注意です

もう一つ考えたことがあります

Nさんは看護師さんに強く当たったり、不満を毎日のようにぶつけ、いわゆる「困った患者さん」と捉えられていました

ある本に書かれていたことです

「置き換え」ということを知りました

「ある物事や人に対して感じている感情をその物事や人に表出すると不都合があるため、多くの場合無意識に他の物事や人に対して表出すること」と書かれています

また「医師の対応に不満のある患者さんが、医師には不満をぶつけることができず、看護師さんに大きな声で怒鳴りつけたりすることがしばしばあります」ともありました

ご家族からは厳しい話は避けてほしいと最初に言われたことがあり、私はそのことにとらわれていました

Nさんにとって何が大切なのか考えることを忘れていました……

<参考になった本の紹介>

「緩和ケアにおける悩ましい感情のひも解き方」(MEDICAL VIEW社)

そこには私が心に留めておきたい言葉があります

「困っているのは患者さんではなく、患者さんが自分たちの思いどおりにならないわれわれ医療者なのではということ」

「患者さんの希望を最大限尊重するのが緩和ケア病棟です」

今回振り返りをさせてもらったNさんに感謝し、ご冥福をお祈りいたします

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