Tさんのお話です
80歳代のTさん
病気が見つかったときにはすでに転移しており抗癌剤治療や放射線療法、胸水ドレナージなど可能な治療を受けてきました
当院には治療後のリハビリテーション目的で入院となりました
しかし痛みと呼吸困難があり緩和ケア病棟への依頼となりました
面談時の会話です
Tさん;
娘が治療を望んでいるので治療を続けた方がいいのかなと思っていたけど
私の体力ではもう抗癌剤は無理
自宅には帰りたいです
でもみんなに迷惑をかけるので…
娘さん;
これまでは母が抗癌剤を続けたいのかやめたいのかわからなかった
私は抗癌剤をやめるともっと病気が悪くなるんじゃないかと心配でした
(退院については)母は家に帰りたくないのかと思っていました
とそれぞれのお気持ちや受け止め方にいくらかのずれがあることがわかりました
これからのケアを行っていく上で配慮が必要な課題です
看護師さんから「Tさんが面談後に元気をなくされているようです」と報告を受けてあらためてTさんと話をしました
Tさんは私の顔をしっかりと見て話を聞いてくれています
しかし倦怠感が強いのか返答が返ってこないことがあります
とくに医療用麻薬の内服がしんどうそうなので皮下注射という方法があることを説明したときには「反応がいまいち」だったと同席した看護師さんが教えてくれました
娘さんはしだいに弱っていくTさんをみて
「母は最期はホスピスで見てもらいたいといっていました」
「でも今はそのことへの返答がなく、あなたはもう長くないんだよと言われているように受け止めてしまったんじゃないかと…」と困惑されています
その後の看護師さんからの丁寧な働きかけがありTさんは緩和ケア病棟に来られることになりました
転棟後に医療用麻薬の持続皮下注射を了承されさっそく開始しました
病棟の雰囲気や細やかなケア、医療用麻薬の効果などがあり、徐々にTさんは元気を取り戻してきました
入浴ができて気持ちがよかったと話され、娘さんは飛び跳ねるように喜ばれます
呼吸困難が軽減し酸素量が減りました
食事は「食べてるよ!」と聞き、さらに大喜びの娘さん
差し入れも食べてくれました
あるとき娘さんは看護師さんに涙ながらに感情をぶつけられました
「私のせいで母は悪くなったんです」と泣き出されました
「私の介護の仕方が悪く入院させてしまって母のこれからの時間を奪ってしまいました」
「苦しいとき母は我慢していたと思います。そのことに気づいてあげられなくて…。気づいていれば違っていたのじゃないかな」
「でも母はあなたのせいじゃないよって言ってくれたんです」
これまでのことを思い出しながら悔やまれています
涙はけっして悪いことじゃなく、心の内を話すことで娘さんが気持ちを整理されようとしていること、そして私にお話ししていただきうれしかったです と看護師さんは応えました
調子のいい日ばかりではありません
暗い表情のときには娘さんも同じように暗い顔をしています
少しよくなってきたと判断してそれまで行っていた皮下注射を飲み薬に変えていました
その中での母娘の会話です
Tさん;「薬を飲むようになってからとてもしんどくなってきた」
娘さん;「お母さんは注射の方がよかったの?」
Tさん;「そうなの」
この話を娘さんから伝えていただき私たちはケアの方針を変更しました
Tさんも娘さんもイライラしているときがありました
「みなさんの勧めてくださるお食事を食欲もないのに無理に食べないといけないと感じているようです」と娘さんもストレスいっぱい
娘さんからお話が聞けてありがたいと感謝を伝え
娘さんにしか言えないことだったのでしょうね、娘さんのストレスは私たちがお聞きします
と看護師さんは娘さんに約束をしました
このようなことは他の患者さんの場合にもあります
医療者には言い難いことをご家族や友人を通じて話されることなど
私たちの力不足を感じるときです
しんどい日が増えてきました
Tさんは自分の感情を率直に話してくれるようになってきました
「しんどいんです」と暗い表情
看護師さんは「車いすに乗って外の風にあたってみませんか」と提案
Tさんは嫌とはっきり拒否しました
娘さんは提案に対してぜひともお願いします!と前のめりな様子
しかしTさんはやはり拒否されています
あるとき娘さんがフロアで涙ぐんでいました
「私たち家族は母に一日でも長く生きていてほしい。でも母の姿を見ているともう生きていたい気持ちはないのかなと思ってしまいます」
「以前に退院したいのかを聞いたことがありましたが、帰りたくないと言っていました」
「母にとってはここ(緩和ケア病棟)が安心できる場所なんだと思います」
以下は看護師さんのカルテ記載からの引用です
――娘さんとしては寂しい思いを感じながらも現状を受け入れようとされている。娘さんの存在がTさんにとってかけがえのないものであることはスタッフにきちんと伝わっていることをお伝えした。Tさんがつらくないように過ごしていただくことを目標にご家族とも共通の思いでケアをしていくことを再確認した――
*傾聴という言葉があります
患者さんやご家族自身が自らの意思で自由に話せるように環境を整えることが大切で、医療者が患者さんやご家族から話を聞きだすことではないでしょう
この人の前だとつい話を聴いてほしくなってしまうという雰囲気が大事です
患者さんやご家族の価値観がその話の中に現れ、自然と患者さん・ご家族の気持ちが整理されていくのではないでしょうか
意識がぼんやりとしてきました
看護師さんは娘さんの話を聴く時間をとりました
「今まで母は私がそばにいることを嫌がり、一人でいることを好むという様子でした」
「病気になってもかまわれることを嫌がり、面会の時には看護師さんの邪魔になるから早く帰ってねと言われたりしました」
「それでも少し離れた場所にいてそっと付き添っています」
娘さんは話しながらTさんの身体をさすっています
Tさんをみると会話が聞こえているのか穏やかなお顔です
いよいよの時が近づいてきたようです
ご家族がそばにいることでTさんは安心されていると思いますよとお伝えしました
刺激があればうっすらと目を開けようとします
でも苦顔は見られていません
ときには娘さんの姿をじっと見つめ、娘さんの表情は和らぎ、母娘ふたりの貴重な時間を過ごされています
ほとんど声を出すことがありませんでしたが
娘さんが帰るねと呼びかけると
「ありがとう」とかすかに返事をする声が聞こえ、娘さんは安堵のご様子
他のご家族が到着されました
みなさん感謝の言葉をかけられています
「お母さんには感謝してるよ」
「よくがんばったね」
「このような優しい顔で過ごせているのが見れてうれしいです」
「いっしょに過ごせる時間を作ってもらえるとは思っていませんでした」
―――コロナ禍で制限のある中での面会でした
最期のときがきました
おかあさん、ありがとう
いっしょにたくさんの時間をすごせてよかったね
終末期を迎えた患者さんの思い、ご家族の思いは様々です
ときには矛盾し、また受け止め合い、人生を締めくくられます
その思いに寄り添いながらともに歩んでいくことが緩和ケア病棟の醍醐味だと感じています
※書き終わってから気づいたことがあります
・ご家族の予期悲嘆はいかほどだったのだろうか
・娘さんの介護負担の検討は必要ではなかったか
など課題が残されています
いずれ時間をとって考えてみたいと思います