8月のブログでKさんからの寄稿文を掲載させていただきました
じつはそのあとすぐに追伸をいただいております
私の中で温めていましたが、1か月あまり経ちここに載せたいと思います
《書き忘れた事があります。
心と接する時に、マニュアルはないと感じています。
1人1人、社会的に生きた環境も血縁関係もそれぞれです。
でもあるとすれば、「生きたい!」の一言ではと思うんです。
緩和ケア病棟の患者さんだけではなく、すべての患者さんに共通の思い。
生きたい!その一言に尽きると思います。
勿論、痛みをやわらげてとか、笑って生きたいとか条件はそれぞれあるのですが。
世界中の人々の命への渇望だと思います。
最期まで、いいえ、最期になったその時でさえ心の片隅には、「生きたい!」と望む思いを根本にして外さない事を頭から離さない大切さを
感じています》
同じころに考えていたことがありました
それは
食事がとれなくなり弱られてきた患者さんを見守るご家族として、『私はこのまま何もしてあげられないのだろうか』『せめて水分だけでも飲ませてあげたい』『食べ物を口に入れると咳き込むことはわかるんだけれど、食べないとますます弱っていくんじゃないだろうか』『点滴をしてほしいけど効果がないと言われた』など表現は様々であっても、大事な人がこのまま弱っていくことに耐えられない感情を持たれる方がほとんどではないだろうかと思うのです
がんばってほしい、少しでも長生きしてほしいと望まれること、それはKさんが述べられた「生きたい!」ということと同義だとも感じています
でも現実は患者さんやご家族のささやかな希望にたいしてつらいことの方が多いのです
私たちはケアに際して、「可能であれば少しでも望みどおりに食べていただきたい、飲ませてあげたい」と考える一方、窒息のリスクも意識せざるをえません
時にはご家族の強い思いとぶつかることも経験します
私はそのようなとき医師としての無力感に襲われます
最近次のような論文に出会いました
“遺族からみた水分・栄養摂取が低下した患者に対する望ましいケア”(山岸暁美、森田達也)です
サマリーから引用いたします
「70%の家族が患者の栄養摂取低下時に気持ちのつらさを感じ、60%がその際に受けたケアに改善の必要性があると評価した。気持ちのつらさとケアの改善の必要性に関する要因として、家族の無力感と自責感、脱水状態で死を迎えることはとても苦しいという認識、家族の気持ちや心配を十分に傾聴されない経験、患者の苦痛の不十分な緩和が同定された。したがって、終末期がん患者の家族に対する望ましいケアとして、①「何もしてあげられない」という無力感と自責感をやわらげること、②終末期の輸液に関する適切な情報を提供すること、③心配ごとを傾聴し、精神的支援を行うこと、④患者の症状を緩和することが、示唆された」
現場では看護師さんたちを中心に上に書かれた点に心を配りながらケアにあたっています
「ここにきてよかったね(あるご家族の言葉です)」と思っていただけるように……
その努力には主治医として頭が下がる思いです