Aさんの物語
Aさんは小柄な女性で、いつの外来でも物静かな方なのであまり目立つ患者さんではありませんでした。
ある年の春のことです。何となくおなかに違和感を覚えるようになり、次第につっぱるような感覚になってきました。
精密検査のため大きな病院を紹介、そこで「がん」と診断されました。
軽い気持ちで受診したのに、いきなり「がん」と言われ、その夜は泣き明かしました。
体力と病気の進行度を考えると、手術は困難と主治医は判断。抗がん剤治療が開始されました。
抗がん剤の効果が見られ、腫瘍は小さくなり一安心。
しかし約1年後にふたたび「がん」は大きくなってきました。
あらためて抗がん剤治療です。
しかし、下痢をしたり、食欲が落ちてきたりして薬の副作用が考えられました。血液検査でも白血球や血小板が低下しています。
主治医から「いったん抗がん剤をやめて様子をみましょう」と告げられ、Aさんは再びショックを受けました。このときに「緩和ケア病棟への入院も考えたほうがいいですよ」といわれたのですが、緩和ケア病棟がどういうところかもわからず、「はい」と返事したことだけを覚えています。
Aさんは治療について「副作用のためにいったん薬をお休みする」と理解はしましたが、抗がん剤治療を中止するという意志はありません。そのため治療の再開を期待してしばらく病院通いを続けます。
主治医との話し合いの中で、「抗がん剤は無理、手術もできない、放射線治療は効果がない。緩和ケアの病院も探すほうがいいでしょう」と言われます。
「でも、まだ何か治療法があるのでは?」と思いたいAさんから相談を受けた私は、セカンドオピニオンを受けるという方法があることを伝え、主治医に話してみようということになりました。
このとき「今は自宅にいたいが、ゆくゆくは緩和ケアの病院に入らないといけないと思っている」という発言もあり、少しずつご自分の状況をつかみ始めているのかなと思ったものです。
セカンドオピニオンの結果、別の病院で引き続き抗がん剤治療をすることになり、ふたたび希望がつながりました。
しかし3か月がたち「CTでみると腫瘍はますます大きくなってきています。これ以上の治療は難しいと思います」と告げられました。
私の外来の日。
「どうして抗がん剤が効かないのでしょうか」と疑問を口に出される一方で、「治療の方法がないと言われたのならしょうがないですね」と心は揺れています。
「Aさん、今日まで頑張ることができたのは抗がん剤のおかげかもしれませんよ」と私。
一人暮らしのAさんは不安がつよく、訪問看護も受けていました。
その看護師さんからの電話です。
「痛みが強くなり、食事もあまりとれていないようです。ご本人に聞くと『入院したい』と言われています」
・・・・・
Aさんはこのような状況で私たちの病院に入院されました。
このときの困っていることを尋ねると、
「おなかの鈍い痛みが続いています。寝ていると感じないけれど、歩くと痛みが強くなるようです」
「尿や便の回数が多くて困っています」
「38度前後の熱が時々あります」
「口が渇いてつらいのです。食べ物の味がわからないために食欲がありません」
さっそく対策を考えました。
まずおなかの痛みは腫瘍が大きくなってきていることが原因と考え、オキシコンチンという医療用麻薬を始めました。翌日には痛みはかなり軽くなったようです。
吐き気や便秘、眠気への注意は怠ってはいけません。Aさんにも詳しく説明し、我慢せずに私たちに伝えてくださいとお願いしました。
以前から足のむくみがあり、利尿剤を飲んでいます。尿の回数が多いのはそのためでしょう。便は麻薬による便秘のほうが怖いので、また尿のことほど困っている様子でもなかったのでお部屋をトイレの近くにすることでしばらくは様子を見ることにしました。
熱の原因はおそらく「腫瘍熱」でしょう。
ナイキサンというお薬で平熱のことが多くなりました。
問題は口の渇きです。抗がん剤による作用がもっとも考えられました。
これはこの先もずっとAさんと私たちを悩ますことになります。
「今しておきたいことはないでしょうか?」
恐る恐る聞くと、
「苦しまずに最後まで過ごせればいいのにね……
「これまで頑張ってきたのでこれ以上頑張れと言われてもしんどいです」
「静かに余生を送りたい」
「人の手を煩わせたくないです」
Aさんとご家族を交えて話しました。
こちらからは私と看護師さん。
思ったよりも腫瘍が大きくなってきています。
しかし、症状がコントロールされて病院に通えるようになれば退院も夢ではないでしょう。
もしも通院が大変なら往診も行います。
当面このことを目標にしましょう。
Aさんは入院後安心されたのか、また薬も効いたのかずいぶんと落ち着かれるようになりました。食欲も増え、睡眠も十分にとれているようです。
・・・・・
「したいことがあるのじゃないですか?」
気分のよさそうな日に声をかけました。
しばらく私の顔を見て、
「……桜の花見にみんなでいきたいなあ」
さっそくご家族と計画です。
ネットでいつが満開か調べました。
天気予報も大事です。
ご家族も乗り気で準備万端です。
毎日の回診ではその話でもちきりです。
このときは症状も軽くなっています。
これまでの生活のことを聞かせていただきました。
若い頃重病になり、結婚ができなかったこと
働きに出たときがいちばん楽しかったこと
母親の介護に一生懸命だったこと
などをゆっくりと思い出すように話してくれました。
現在の心境は、「もうダメという気持ちともういちど元気になりたいという気持ちが半々」
「元気になりたい」という意味を尋ねると、「自分のことができて、人の世話にならずに生活ができること」とはっきりと答えてくれました。
――まず、お花見を成功させよう!
Aさんのために4月はじめの空は上機嫌でした。
花見を満喫したあとの目標として試験外泊を提案しました。
・・・・・
現実は小説や映画のようにはうまくいかないものです。
試験外泊はご家族の予定との調整がつかず先延ばしになります。
外出だけならということで、自宅への外出となりました。
気にかかっていた用事を済まされたようです。
思ったように体が動かず、疲れもあったのか、このあとから少しずつベッドに横になっている時間が増えてきました。
おなかの腫瘍も日に日に大きくなってきています。
足のむくみがつよくなり、吐き気の回数も増えてきました。
ここから毎日のように薬を見直すことになります。
腎機能や高カルシウム血症のチェックにはじまり、緩和ケアの領域で使われる薬のオンパレードです。
お風呂に入って驚きの感想……思っていた以上に腫瘍が大きくなっていた
でも気持ちは今でも揺れ動きます。
「抗がん剤をやめたから大きくなってきたのでしょうか」
「薬を飲めばよくなるのでしょうか」
否定はせず、思いをじっくりと聴きながら、「これ以上悪くならないように努力をしています」と言葉を返します。
……ご自分の置かれている状況が正確に理解されていないのか、厳しい状況を認めたくないための発言なのか……当時の私のカルテ記載
病状が進むにつれて自覚する症状も強くなってきます。
「吐き気は朝はまだいいのですが、動こうとすると出てきます
「口の渇きは強くてつらいです」
人工唾液は甘すぎ
ノンシュガーの飴を手に入れてお渡しする
テレビで宣伝しているガムは甘くて耐えられない
試行錯誤の連続でした。
そんな中でも自分の足で歩きたい、トイレに行きたい、とリハビリの希望が出されました。
足のマッサージや立ち上がりの練習のために理学療法士さん、洋裁が好きということがわかり作業療法士さんのかかわりを求めました。
看護師さんとも相談です。
「トイレに行けなくなればポータブルトイレを、起き上がることができなくなればおむつを というのがよく行われるけれど、自分でできることはしたいという望みは最大限叶えてあげたいです。トイレまで歩くことが難しくなりそうならポータブルトイレの使用などいくつかの方法がありますよと示してあげて、ご本人の選択に任せるようにしてあげてください。自律を大切にしましょう」と意思統一しました。
食事がいよいよ少なくなってきます。
飲み薬が多いことも苦痛です。
思い切って薬を整理しました。
今やめても大丈夫と思われるものは中止、飲み薬は貼り薬へ、あるいは座薬へ などなど。
・・・・・
そうとう気弱になっています。
「こんなに急に悪くなるものなんですか?」
・・・「病気が進んでいるということですね。でもつらいですよね」
「落ち着けばまた歩けるようになるのですか?」
・・・「そうなることを想像しながら一緒に治療していきましょう」
「私もいろんな方法を考えます。決してあきらめているわけではないですので、ともに頑張りましょう」
ご家族には電話で状態を報告し、1~2週間の余命かもしれないとお知らせしました。
「今日は家族や友人などいろんな人たちが来てくれてとてもうれしかった」
知っている人がそばにいることが癒しになっています。
「体がしんどい、自分で動けないことがつらい」
おなかを触りながら「このかたまりが取れたらいいのに……」
・・・「ほんとにそうですね」
夜間の不眠が苦痛になってきたので、夜間だけ眠剤の点滴を開始。
日中もうとうとすることが増える一方で、「早くあっちに逝きたい」「死にたい」などの言葉が朦朧とした意識のときも、はっきりと覚醒しているときにも聞かれるようになってきました。
Aさんとの会話
「安定剤を使ってずっと眠ってもらう方法もありますが、その時にはご家族と話ができなくなります」
Aさん「それでもいいです。しんどいのをとってほしい」
ご家族に来院していただき、スタッフとともに「鎮静」の説明をしました。
「この数日さらに弱ってきています。しかし意識がはっきりしているときに『死にたい』『早くあっちにいきたい』と繰り返され、薬で眠ってもらう方法がありますがどう考えられますか?」
ご家族「自分たちにも同じようなことを言っています。もし本人が楽になるのならお願いします」
「ただ鎮静を始めると意識がなくなりますので、会話ができなくなります。また口から水分もとれなくなったり、背中などの痛みを訴えることもできませんので、スタッフで口を湿らせてあげたり、体の向きをかえてあげたりしていきます。ご家族も口に少し水分を含ませてあげることはできます。眠っているように見えてもまわりの声は聞こえている可能性があります。いろいろと話しかけてあげてください。また手をにぎったり、足をさすったりしてあげるとそばに人がいることがわかり落ち着かれると思います」
そのあと、もう一度Aさんの意思を確かめます。
「眠らせてほしい……」
鎮静をはじめて2日目に今後も続けるかどうかをご家族と話しました。
ご家族「これまでがとてもしんどかったし、本人も眠って楽になることを希望していました。今の状態を見ると楽に見えるのでこのままでいきたい」
ご家族はここまで本当によくお世話をされていました。
親しい友人が来られてもうっすらとうなづくのみ。
友人と二人にして部屋をあとにしてから、しばらくして訪室すると、
「お見舞いに来ましたが眠っているようなので帰ります」との書き置きがありました。
・・・・・
初夏というのに、いつもより寒く感じる夜
静かに息を引き取られました