神戸医療生活協同組合は2021年2月に創立60周年を迎えました
残念ながらコロナ禍でセレモニーなどは自粛せざるをえなくなりましたが、組合員と職員の努力でりっぱな記念誌が完成しました
冒頭に私の挨拶を載せていただきました
ここに引用したいと思います
私たちは2021年に創立60周年を迎えます。組合員、職員、地域の人々、協力・連携関係にある諸団体の皆様、さらに諸先輩の方々のご支援・ご協力に感謝いたします。
50年誌において半世紀にわたる活動について記載させていただきました。今回は60年を振り返ってとくに印象深く刻まれていることを中心に述べさせていただきたいと思います。
第二次世界大戦後の混乱のなか、多くの医療機関は崩壊あるいは機能停止の状態となり、医療を切実に求める国民の要求は高まっていました。このような社会情勢のなか、生活を守り、働く者のための医療機関をつくろうという住民の要求と、民主的な考えを持った若い医療者の力により1948年神戸協同診療所が生まれたことは歴史の必然でありました。同じような運動が全国的にも広がり、1953年に全日本民医連が結成されたのです。
故湧谷煌前理事長が「最も心に残った取り組み」と言われた1959年~1961年のポリオ生ワクチン獲得運動は、当時の若い母親と青年医師をはじめとした若い職員の協同の力で取り組まれ、ともに学習を繰り返し、手作りのビラをまき、心ある人たちや団体と協力した姿は、現在の班会や世直しの運動の原点ともいえる内容だったでしょう。
そのような経験を重ね、1961年神戸医療生活協同組合が創立されました。
現在一つの病院、3つの医科診療所、4つの歯科診療所、2つの訪問看護ステーション、そしてデイサービスとショートステイが一つずつという事業所を運営し、地域では54の支部と470を超える班、5万8千人の組合員を擁する組織として成長してきました。
1970年代後半には兵庫はひとつの合言葉で多くの医師や看護師が参加(兵庫県民主医療機関連合会として学生対策が進んだ結果)、協同病院の増改築や事業所建設が進められました。
なかでも印象的だったのは、ひとつには歯科診療所建設です。目標をもって組合員を増やし、出資金を集め、土地をみんなで探し、歯科医師をはじめとした職員を確保、私たちの事業所建設の在り方を決定づける取り組みとなりました。もう一つはひまわり診療所建設です。歯科建設の教訓を生かしながら、当時所長の派遣をめぐって組合員の代表が病院の医局会に参加し熱い議論を交わしたことを今でも鮮明に覚えています。私自身のことを言えば医療生協の力強さ、おもしろさを実感できた取り組みでありました。
しかしすべてが順調であったわけではありません。一時期大量の医師の退職という苦難がありました。医療情勢は「医療費亡国論(医療費が増加すると国を亡ぼすというむちゃな議論)」から始まり、老人医療費の有料化など社会保障抑制政策が次々と打ち出され、国民を医療から遠ざけ、医療機関の経営に大きな影響を及ぼす事態が出現、私たちは班や支部、事業所での学習を積み重ね、活発な署名運動に取り組むことで世直しの運動において質的な変化が生まれました。決して悪政に押されてばかりではありませんでした。そのときのよりどころは健康の自己責任論に対峙する「健康の自己主権論」であり、「患者の権利章典」や「民医連綱領」だったのです。
1980年代から世界的に新自由主義が席巻し、日本では2001年の小泉政権でさらにその具体化が進められてきました。60周年を迎える現在もその影響は続いています。
その中で1986年神戸医療生協では「三つの輪」が理念として提起されたのです。
組織の拡大、組合員が主人公となる活動の強化、国の医療・保健・福祉の改悪政策という背景とともに、民医連と医療生協の運動を統一して進めることを課題として提起されました。
――「健康の輪」「助け合いの輪」「世直しの輪」です。
私たちの事業と運動にとって画期となるものでした。この定式化により活動がわかりやすくなり、飛躍が可能となったのだと考えています。
その後ふたつの大きな経験をしました。
一つは1995年の阪神淡路大震災です。人も社会も大きな打撃を受けました。
困難なときに全国の仲間からの支援をいただき、組合員と職員が力を合わせ、組合員の安否確認や災害に合われた方々への医療・被災者支援に全力を尽くしました。この経験はその後の大災害に対する方針として全国に生かされることになりました。
その時の教訓が神戸協同病院の中央病院化と特別養護老人ホーム建設として結実しました。
もう一つは2019年末から全世界的に蔓延したコロナ禍です。
私たちの仕事や生活すべてに影響を及ぼし、今だに収束の兆しが見えない状況です。2020年12月神戸協同病院においてクラスターの発生がありご心配をおかけしました。多くの皆様からの励ましのメッセージや支援の物資をいただき勇気づけられました。全員の奮闘で収束に向かい、この教訓をもとに新たな医療活動への展開を始めています。
強調したいことは、感染症は決して自己責任ではないということです。とくにこの度のコロナ禍は新自由主義的政治による環境破壊にその根源があると指摘されており、日本においてはいままでの社会保障費削減の歴史のなかで起こってきているということであり、「自助・共助・公助」という思想の中での困難だと思います。
正しい知識を身に着け、行動し、困っている人たちに手を差し伸べ、世のおかしなことを正す取り組みーー「三つの輪」の実践を深め、今こそ神戸医療生協がその存在意義を発揮する時ではないでしょうか。
情勢は絶えず変化しています。積極的な面として核兵器禁止条約が2021年1月22日に発効されました。
長い60年の間にはたくさんの苦労とともに喜びがありました。同時にたくさんの宝物を先輩たちから受け継いできました。そのことを確信としながら次の10年に向け、組合員と職員の協同の力を大いに生かしましょう。
そしてこのような歴史の経過の中私たちの緩和ケア病棟は2015年6月1日にオープンしました
現在7年目を迎えています
私自身貴重な経験をたくさんさせてもらってきました
ブログは毎日の経験や出来事を決して忘れないように、なによりも出会えた方々への感謝をこめて記録を残すことがつとめだと始めました
今後も体力と気力があるかぎり続けていきたいと思っています