家にこもって資料をあれこれと漁っているうちに

ひとつの本にたどり着きました

292-01

「母のがん」というコミックで

“グラフィック・メディスン”という風に呼ばれているそうです

 

 

作者の母親は進行した肺がんであり、長男である漫画家が、看護師である上の妹と、高次脳機能障害をもった下の妹たちと協力して治療を援助するお話です

 

 

日本語訳の一部にわかりにくい所がありますが、その点は雰囲気で読み進められます

 

1ページ、あるいは一コマ一コマが教訓に満ちています

 

絵を載せたいところですが、著作権の問題がありますので、私がとくに注目したところをご紹介します

ぜひ原書をお読みください

 

 

☆「あとどのくらい生きられるのか?」

 

「母さんはけっして聞かない。医師もまた、決して自分から言わない」

 

「無理に知らなくてはいけないのだろうか?」

 

「僕だったら、知りたいと思う」

 

「母さんは(生存の)確率よりも運命なんてものを信じる」

 

「母さんは知りたくないんだ。知る必要がないんだ」

 

―――日常的にいつも悩む問いかけです

 

 

☆医師に会うたび必ず言われること

 

「何か異常があればすぐに電話してください」

 

…頭痛がするんですが

「あ、心配ありませんよ」

 

…ひどい咳があって

「なんですって?! 電話してくれないと!」

 

…息ができないんですが

「それで? 肺がんがあるんですよ! 当然ですよ」

 

…足にけいれんがありました

「なんで電話しなかったんですか?!」

 

しばらくすると、母さんはもう何も訴えようとしなくなった

 

―――反省することしきりです

 

 

このようにたくさんの辛辣なやり取りや教訓などがちりばめられています

 

何度も読み返してみないといけないと思っています

 

 

 

“あとがき”はお母さんの言葉で書かれていました(抜粋します)

 

『私が経験した疲労は人生で最悪のものでした。もう闘い続けることができるかどうかわからないほど、体の芯から疲れ果てていました。(中略)一番驚いたことは、治療をやめた瞬間自分でないような感じになったことでした。寛解とは、元の自分に戻れるという意味ではありません。抗がん剤治療と放射線治療を受ける間に、お医者様たちはたくさんの健康な細胞すら奪ってしまったのです。』

 

『助けを求めることは大変ですが、必要なことです。人生を変えるような健康問題と立ち向かっている誰しもが最初からできるだけ人に頼るということをするべきです。』

 

 

 

さいごに小森康永先生(愛知県がんセンター 精神腫瘍科部)のコメントを引用させていただきます

https://www.pref.aichi.jp/cancer-center/hosp/15anti_cancer/special/10.html

 

 

終末期を迎えた癌の患者さんには『寄り添い』が

ご家族には『支え』が

と考えています

 

とくに『支え』に関して最近あった出来事をお話します

 

 

Aさんは70台の穏やかな女性でした

 

入院してこられたときは思ったよりもお元気で

Aさんもいちど家に帰りたい(退院したい)と望んでいました

 

そのための準備をしていましたが

急に病状が変化し

退院が難しくなってしまいました

291-01

 

それからは食欲がなくなり

気持ちの落ち込みがみられる日が続きました

 

 

Aさんはシングルマザーの娘さん、小学生のお孫さんといっしょに暮されています

 

娘さんはお仕事をしながら

毎日Aさんの面会に

ただ新型コロナウイルス予防のため時間に制限があります

母娘で話す時間は限られます

 

それでも頑張っている姿をみるたびに

頭が下がります

 

 

「きょうだいは男ばかりなので、私がいることで救われているよ って言ってくれるんです」

「弱っていく母を見るのはつらい、でもいかなければきっと後悔するんじゃないかと…」

面談のときには娘さんとお兄さんが時間をやりくりして来ていただいています

娘さんの存在は大きいなあと感じるときです

 

娘さんも病気を抱えています

友人からは

「それでもあなたはよく頑張っているよ」

と、励まされているそうです

 

この話は看護師さんの記録からです

続けて

「傾聴し、時にねぎらい、Aさんの状況をお伝えし、一緒に病室に入る」

「おふたりは手を取り合ってにこっと笑われた」

「面会ができないお孫さんの声をスマホで聴かせている」

とかかれていました

 

 

お孫さんは小学生です

働いている娘さんのかわりに

小さいときからAさんがお世話をされていたそうです

 

大好きなおばあちゃんに何とかして会いたい!

お孫さんのつよい希望

でも面会者には年齢制限が…

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しだいに弱ってくるAさん

酸素が必要となりました

血圧が下がってきます

眠っている時間が長くなります

 

判断のしどころでした

短い時間だけれど

会える許可をいただきました

 

お孫さんの顔をみてほほ笑むAさん

「今までありがとうって伝えないと」と娘さん

「返事してくれないのがさみしい」とお孫さん

お互い言いたいことは山ほどあったと思われますが

声になりません

 

言葉を交わすことはあまりなかったけれど

おばあちゃんと離れたくないという気持ちは理解できます

――今夜はそばにいたい

 

しかしこれ以上の滞在は難しく

やむなく帰ることになりました

 

 

ふたたび看護師さんの記録です

「お孫さんが会いに来てくれたことがAさんにとっては何よりもかけがえのない時間となった。娘さんから〇〇(お孫さんの名前)くんが会いに来てくれたことがおばあちゃんにとって救いになったのだということ、ありがとうを〇〇くんに伝えてあげてくださいと娘さんにお願いした」

そして

「コロナウイルスの影響でAさんやご家族様に辛さを強いてしまっていることを謝罪した」

と書かれていました

 

お孫さんからのパワーをいただいたからでしょうか

Aさんはその後少し落ち着きをみせました

 

 

――外の風に触れさせてあげたい

 

ずっとベッド上での生活でした

看護師さんたち数人がかりで車いすへ移動

 

病室の窓から見えていた空を

こんどはベランダに出て眺めることができました

 

ご家族と看護師さんといっしょに

笑顔いっぱいの写真が残っています

 

 

「〇〇がもう一度おばあちゃんに会いたいと言ってます」

Aさんの姿をみて心が揺れ動いたのでしょう

 

学校で泣き出し

保健室の先生にたくさんの話を聴いてもらいました

先生もいっしょに泣いてくれたとのことです

 

 

――もう一度でいいから会いたい

そのときには話をいっぱいしたい

 

看護師さんからパソコンを使ったWEB面会を提案しました

 

この日、お孫さんは学校から早く帰ってきます

 

さらに看護師さんの記録

「他愛もない話をしながら、それでもたくさんの話ができている」

「Aさんは言葉がだんだんと増えてきた」

「みんな嬉しそうに話をされていた」

 

お孫さんの率直な思い

「卒業するまで元気でいてね」

 

でも

「覚悟はきまっている、ありがとう」 と

 

 

Aさんはそれから1週間後に旅立たれました

 

 

『ご家族は第二の患者さん』

と言われます

 

Aさんのご家族にとっては多くの支えがありました

 

 

―娘さんにとって

きょうだい、友人、受け持ちを中心とした看護師さんたち、そしてお孫さん

―お孫さんには

なによりもお母さん、学校の先生、看護師さん

 

それから

おふたりにとってはAさんの存在そのものが支えであったことでしょう

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