高齢のご夫婦がいました

奥様が入院され、ご主人がずっと泊まり込みで付き添われています

 

痛みが強くなり、徐々にモルヒネの持続皮下注射の量が増えてきました

それでも夜は眠られています

…ご主人がそばにいて安心なのかもしれません

 

日に日に弱ってこられているのがだれの目にも明らかになってきました

 

ご主人を含めたご家族と話し合いました

 

病状は厳しくなってきていること

薬の量が増えていること

今後起こりうると思われること

などをお話しました

 

いくつかのやり取りの後、沈黙が続きます

 

しばらくしてご主人が恥ずかしそうに口を開きました

「実は、この前嫁さんに聞いたんや。俺と一緒になって幸せだったか?って」

「そしたら嫁さんは『よかったよ』って言ってくれた」

私も看護師さんもそれはそれはという感じでうなづきます

 

娘さんがそのあとを引き継ぎました

「父は母と一緒になれたことで幸せをすべて使い果たしたと言っていました。それくらい幸せなのでしょう」

申しわけないのですが、聞いていてとてもこちらが恥ずかしくなるような微笑ましい関係のご夫婦です

思わず「奥様にも直接話されたのですか?」

「話したよ」とご主人

 

10代で所帯をもたれたお二人

長い年月いろんなことがあったことと思われます

 

患者さんは付き添われているご主人の姿が見えなくなると、途端に不安な表情になります

ほんとに大好きなふたりなんだと実感しました

私たちは患者さんの病状と同時にご主人の体調にも心を配りながらお二人のケアを続けています

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日曜日の午後ずっと待っていた面会者がきてくれました

患者さんの会いたいという希望、面会者も患者さんが家からいなくなって寂しがっていたそうです

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この子のなまえは“くーちゃん”といいます

とっても人懐っこくて、初対面の私のそばにすぐに寄ってきてくれてあちこち舐めまわされました

 

「(ブログに)顔を出してもいいですよ」

と言っていただいたので、さっそく仲良しの写真をとらせていただきました

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くーちゃんはすごくうれしそうです

患者さんご夫婦も幸せいっぱい

目にはひとすじの…

緩和ケア病棟の開設前から「ペットの面会はどうしましょう」と話し合いを行い、一定の条件付きではありますがOKすることになり、基準を作成しました

(資料を参照してください)

なかなか来てもらえる機会がなかったのですが、このたび面会デビューが実現しました

これからももっともっと患者さん・ご家族の希望にお応えしていきたいと思っています

(参考:基準の抜粋)

緩和ケア病棟では、患者様が会いたいと強く望まれているペットのみ、面会が許可されている。

希望されている方には、ルールを守っていただけるよう、十分な説明と理解・協力が必要。

また、ほかの患者様やご家族の迷惑とならないようにも配慮する。

・ペットの基本は犬

・ケージを使用

・土曜日・日曜日の14時~16時の間

・・・・・・

等々です

――その他細かな決め事を定めており、守っていただくことになっています

 

 

病棟で節分の豆まきをしました

豆は「落花生」です

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一部屋ずつ「鬼」と「福」がたずねていきます

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いきなり部屋におじゃましたのでけげんな顔をされる方もいらっしゃいました

あとになって「ああ、○○さんだったのね」と一安心

普段むずかしい顔をされることの多い患者さんは、このときは満面の笑みを見せてくれました

「鬼はそと! 福はうち!」

豆(落花生)をぶつけられた鬼は逃げ出します

全部のお部屋をまわった鬼と福は息切れをしてました

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この写真はボランティアさんたちが準備してくださったぜんざいです

すべての行事に病棟看護師やその他のスタッフとともにボランティアさんたちの力が生かされています

ところで「節分」は、季節の変わり目ごとにあります

その季節の変わり目の前日が「節分」と呼ばれています

一年の始まりは「春」です

春の始まりが立春であり、その前日が「節分」となって、2月3日がとくにメジャーになったようです

――ここからの一年がいい年になりますように

との願いを込めて

患者さんたちにとって一日一日がいい日でありますように……

 

 

病棟の受け持ち看護師さんからお亡くなりになられた患者さんのご家族にお手紙を送らせていただいています

ご返事をいただいたり、それ以外にもご家族から手紙が届いたり…

 

今回開設間もないころに入院された患者さんの娘さんからいただいた手紙を、ご本人の了解のもとご紹介させていただきます

 

―― 2015年7月に母が亡くなり、早いもので半年が経ちました。12月半ば、生きていれば82歳の誕生日。大好きだったイチゴのショートケーキを買い、遺影の前に供えて花で飾り小さくお祝いしました。

あっという間の6か月。日々の生活の折々は寂しくなりましたが、でも、いつも一緒にいる気持ちです。毎日、私の作った食事を供えて、一緒に食べて、話しかけて・・。

こんな時、こんなこと言うだろうなぁ・・などと思いながら、過ごしています。

 

体調がすぐれなくなった週末の3日間泊まり込み、4日目、一旦、帰宅した翌朝に亡くなり、最期のときに傍にいてあげられなかった、会えなかったことへの自分自身の納得できない気持ちは、たくさんの方々に言葉をいただいても、今もなお、心のどこかに住みついています。「もっとこうしてあげたらよかった」さらには、「もっと早く気づいてあげられなかったのか・・」と、今なお自問自答しています。本当は、母はどう思っていたのか・・今となっては、知るすべがありません。

 

毎日、病院から帰るときに「帰るね」と言うと、決まって「(駅まで)広い道、通って帰りよ」「明るいとこ、通って帰りよ」と、いつも気遣ってくれた母。

また、帰るときに「ありがと」と言うので、私も「ありがとう」と言うと、「なんで、あんたが『ありがとう』言うの?」と言うので、「『ありがと』って言ってくれて、ありがとう・・」というと、なんだか微笑んでいました・・。今までずっと、私の世話ばかりをしてきた母に少しでも役に立てたような気がして。「ありがとう」・・そう言ってくれる母が嬉しかったのです。

 

先生や看護師さん、外科病棟、緩和ケア病棟の方々をはじめ神戸協同病院のみなさまに、81年の母の人生の最期を支えていただき、本当に感謝いたしております。

いま、一人になった私を気遣い、周りの方々からのメールやお手紙で、近況を尋ねてくださったり、「遊びに行こう」と誘っていただいたりと、たくさんの方々に「支えられている」毎日を感じています。

心にぽっかり空いた穴を、まだまだ埋められずにいますが、毎日を元気に過ごすことが、きっと母への供養になると思い、たくさんの楽しい報告ができるよう努めていきたいと思っています。

ありがとうございました。 ――

 

 

娘さんは毎日仕事の帰りに病室に立ち寄られ、遅くまで付き添われていました

ときには泊まり込まれて…

「母ひとり、娘ひとり」の生活を送ってこられていました

とても大切なお母様だったのだなあと、毎日の様子からうかがうことができました

 

お手紙をいただいてお礼の電話をさせてもらいました

元気な中でもときに声が小さくなります

でも、たくさんの友人やお知り合いが声をかけてくださるそうです

 

悲嘆は簡単には解決しませんが、私たちはつねに寄りそっていきたいと思います

 

最近入院してこられた患者さんの話です

 

まず地元の新聞の切り抜きから…

『Mさんが約20年かけて製作した小型地車の入魂式が、Mさんの自宅前であった。地元の人や地車ファンら約60人が精巧に作られた地車にため息をついた』

 

何冊ものアルバムに整理された写真を見せていただきました

それが次の写真(一部)です

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“地車”、この漢字は“だんじり”と読みます

少し調べてみました

 

「地車(だんじり)とは、神社の祭礼に曳き出される、笛・太鼓・鉦などの囃子方を乗せた「曳き物・練り物」のひとつです。特に大阪を中心とした近畿一円で見られる「山車(だし)」のひとつをだんじりといいます」

とありました

江戸時代からあったようです

 

 

Mさんは大工さんです

震災前から準備をはじめ、工業高校の生徒さんたちといっしょに20年かけて手作りで仕上げられました

 

とてもりっぱです

 

 

Mさんは「身の回りのことは一通り整理をして入院しました」と言われます

しかしおなかは腹水で大きく張っていました

 

腹水がいくらか抜けると食事もとれ、「楽になった」と笑顔が復活します

その合間に地車の話など、いちど話し出すと話題が尽きません

 

この状態が少しでも長く続けばいいですね