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ほぼトップクラスの成績で卒業した彼女は、内科の研修医として大学病院での仕事を開始した。

その年の初夏の頃の出来事。
30歳の女性がかかりつけ医から紹介されてきた。
病名は「不明熱」。原因のはっきりとしない熱が毎日のようにあるということで入院して精密検査をすることになった。
入院後に患者が訴えることがどんどん増えていった。
「胸が痛い」「腹が痛い」「下痢が止まらない」などなど。
考えられる検査をすべて済ませてもどこにも異常は認められなかった。
困り果てた主治医は医局でのカンファレンスでの検討に任せることにした。
ある医師は患者が体温計をお湯につけているようだと報告した。
別の医師は患者が市販の下剤を飲んでいる疑いがあると述べた。
確かに主治医である若い男性医師が症状がでるたびに呼び出されて、患者の元をなかなか離れられないという場面も見られていた。
医師たちは患者を「ミュンヒハウゼン症候群」ではないかと考えた。

ミュンヒハウゼン症候群とは、「他人の愛情・関心を得るために虚言や詐病を繰り返す病気であり、特に頭痛やめまい、吐き気・腹痛などの身体的症状を強く訴えるという特徴がある」と言われている一連の病態である。

医師や看護師たちはこの診断の結果により患者を精神科に移すという方針を立てた。

研修医となって3ヶ月、彼女は患者の病室を頻繁に訪れていた。
他の医師たちが言うような「体温計を湯につける」「下剤をかってに飲んでいる」という行動が本当なのか患者の生活を見ていて疑問を持っていたのである。
会話をしながら周りを見てもそのような証拠が見当たらず、日を変えて何度訪室しても同じであった。

ある日患者の母親という女性が面会に来ていた。
「はじめまして、お母様ですか?」
声をかけると、彼女は慌ててなにかをバッグに収めていた。
「あ、ああ、先生ですか。娘がお世話になっています」
明らかに動揺したしゃべり方であった。
母親は「私はこれで失礼します。娘のことをよろしくお願いします」と挨拶もそこそこに帰っていった。
「あわただしい母ですみません」
「お母様は時々いらっしゃるのですか?」
「はい、2日に一度は来てくれます」
「優しいのですね」
「いつも私のことを気にかけてくれて、我が家で受け継がれている『秘伝の薬』を持ってきてくれるのです」
「あなたはそれを…」
「はい毎日寝る前に飲んでいます」
「特効薬なのかな、参考までに私にも見せていただけますか」
女性患者は引き出しの中を探っていたが、「あら、なくなっているわ。お母さん持ってくるのを忘れたのかしら」
先ほど母親がバッグにあわてて入れていたものが気になった。
次に来られたときに見せてもらうことを約束してその日は話を終えた。

その数日後「秘伝の薬」が判明した。
それは薬とはまったくの別物であり、どちらかと言えば体にとっては毒物ともなるような物質であった。
病歴をあらためて精査すると、患者の病気の背景には必ず母親の存在があることが浮き彫りになった。
患者の問題ではなく、むしろ母親の問題、「代理ミュンヒハウゼン症候群」であったのだ。
娘が病気であるという「事実」を作り上げ、不幸な出来事を生み出し、人を支配しようとしていたのだ。

この出来事以来、研修医である彼女の評価が抜群に上がったことは間違いない。
彼女も自分に大いに自信を持った。
医師としての仕事が面白くてしょうがなかった。
同時に母の病気のことを忘れる日が増えていた。

私は優秀だと思い込んでしまったのである。