(5)

年末の特別寒い日、彼女の母が入院してきた。
実家から5時間かけて、父に付き添われて。
久しぶりに目にした母の姿。
「お母さん、こんなに年をとっていたのかしら」
大好きだった母が、痩せて腰が曲がり、歩くときには父に手を引かれながら…

カルテを見た。
驚くような結果が書かれていた。
貧血が進行し、肝臓や腎臓の働きが正常の半分になっていた。
「今回の入院が最後となる可能性が高い。どのようにご本人やご家族に説明をするのがいいのか?」
たった一言の主治医の記録に衝撃を受けた。
――お母さん、ごめんなさい
ずっとしんどかったんだね
私、そのことに気づかずにいい気になって…

指導医に私も担当をさせてください、とお願いした。
主治医でもある指導医は、肉親が担当になるのは客観的な対応ができなくなり、よくないのだがと難色を示した。
しかし何度も頭を下げ、指導医と一緒の時に診察や検査をするという条件付きでOKとなった。

指導医の診察に付き従った。
母は輸血を受けて幾分顔色が戻っていた。
疲れた目で指導医の後にいる娘を見つけてほほ笑んだ。
目が曇り、娘は思わず指導医の背中に顔を隠した。

その日の夕方、指導医は彼女の母と父を前にして病気の説明とこれからの方針、そして考えられる予後などの説明を丁寧に行った。
彼女は当然同席していた。
意外と冷静に話を聞くことができている自分に驚いた。

面談のあと、家族としての立場で母の部屋を訪れた。
「頑張っているようね」
「・・・」
「どうしたの、疲れているの?」
「・・・」
「私は心配ないから、あなたは自分の役割をきちんと果たしなさいね」
「…うん」
「お父さんは晩ごはんを食べてくるって言って出て行ったわ」
「そう、一緒に食べようと思っていたのに」
「お父さんのことをお願いね。強がってはいてもほんとは弱虫なの」
「親子だものそんなことわかってるって」
「そうね。親子だもんね」

それからは医師の仕事の話やこの街での生活、友達のことなどいつもの母と娘の会話になった。
1時間ほどして父が戻ってきた。
ちょうど夕食の時間がきたので、毎日顔を見せるねと告げて彼女は引き上げることにした。

その後の1週間は小康状態を維持していた。
次の週に母は呼吸困難を訴えるようになり、レントゲン撮影で胸水が溜まってきていることが判明した。
その次には再び貧血が進行、時々38度の熱も出るようになった。
倦怠感が強いにもかかわらず、母はトイレは自分で行くことにこだわった。
「下の世話までしてもらうと自分が自分でなくなるように思うの」

腎臓機能が一層悪化してきた。
この時点で主治医は再度母と父を前にして説明を行い、治療の選択についてどうしますかと尋ねた。
「先生人工透析はできないのですか?」
ずっと黙っていることができず、彼女は思わず口出しをした。
「う~ん、透析ね。たしかに今のお母様の腎機能を見れば透析の適応はあるとおもうけど」
あまり積極的な話し方ではない。
「ただ今後の経過を予測すると、その選択が最良かどうか…」
言葉を濁す。
「先生、私はつらい治療をこれまで十分に受けてきました。もう寿命が長くないことは自覚しています。だからこれ以上はもう…」
「お母さん何を言ってるんだ。まだ頑張れるじゃないか」と父。
「でもねお父さん、これ以上みんなに迷惑もかけられないし」
「迷惑だなんて思っていないよ、お母さん」と今度は娘。
本人の了解が得られない状態で話は終了した。
もういちど家族で話し合ってみようということになった。

面談が終わってから、彼女は父を廊下に呼び出した。
「お父さん、お母さんとはどんな話をしているの?」
「簡単な話しかできていないんだ」
とても正面から話すことができないと父は言う。
「男の人って態度でわかるとよく言ってるけど、決してそんなことはないんだよ。たくさんの患者さんを診ていて思うんだ。言葉できちんと伝えなくちゃ。絶対に後悔するんだから」
娘の強い調子に父親は驚き、「お前はつよくなったな」とつぶやいた。
「私は昔から強かったよ。お父さんが知らなかっただけ」
「…そうか」と告げる父もまた母と同じように小さく見えた。

翌日母の病状が急変した。

 
(6)

 

朝、看護師が訪室すると意識状態が低下していたのだ。
父と娘が駆けつけた。
「お母さん!」
「しっかりして!」
呼びかけにうっすらと目を開ける母。

手をにぎる父に、
「お父さん病気ばかりして迷惑をかけてすみませんでした」
「・・・」
「お父さん!」
娘の声にはっとした。
「私のほうこそ… 今までありがとうな…」
涙声になっていた。

娘を見つけては、
「母親らしいことは何もしてあげられなくてごめんね」
「…わたしは…、お母さん、病気であってもただここにいてくれるだけでいいんだよ」
高校2年生のときに「いつも通りのあなたでいいの。そのままでいいのよ」と言っていた母の言葉を自分が言うことになろうとは…。
彼女の前には遠い過去の情景が浮かんでいた。

――医師としては失格かもしれない
でも私はお母さんにいつまでも生きていてもらいたい
透析を受けて少しでも寿命が伸びるのならそれでもいい
これが私の間違いのない本音
たとえ患者さんやご家族には違うことを話しても、私の思いはこうなの

最後には母の強い意思により、鎮静を選択。
その3日後に母は旅立った。

四十九日を済ませた。
父は田舎での一人暮らしを選んだ。
大人になった少女は、医師としての研修を大学病院で続けている。

経験を積んだ少女がどの道を進むのか、終末期医療の道を選ぶのか、あるいはまったく異なる進路の選択をするのかは今後の課題となろう。

 

(おわり)