記念行事・・・その2

 

<その2>ひまわり診療所 30周年

 

―――ひまわり診療所創立30周年を迎えて   (開設:1993年12月1日)

30周年おめでとうございます。

診療所の職員、地域の組合員の皆様、30年にわたる努力と奮闘に感謝いたします。

私は20周年のときに書いた挨拶をもう一度振り返ってみました。

開設をめぐって思い出すのは、医師集団と組合員さんたちとが熱い話し合いを持ったことです。組合員が望む医療内容や医師体制の現状など率直に話し合ったことです。

その中から所長候補が決まり、大きく広がった組合員運動を基礎にひまわり診療所が開設されました

私たちの力不足や複雑な医療状況を反映して今はこの時のような話し合いがなかなか持てないことが残念です。

第46回臨時総代会で建設が決まり、「組合員の医療と健康、くらしのセンター」として位置づけられました。

骨密度健診などの保健予防活動や院所利用委員会が活発に行われました。

ひまわり診療所のホームページの所長先生のあいさつには「地域に根差した診療所としてプライマリケアを実践すべく、地域の方たちのかかりつけ医をめざす」と書かれてあります。

ネット上での評判からも「安心できる地域のかかりつけ医」として信頼を得ていることがうかがわれます。

スタート時の姿勢がしっかりと根付き、発展しているのではないでしょうか。

今神戸医療生協を取り巻く情勢は厳しいものがあります。

ひまわり診療所と地域の組合員が、医療・経営、そして組合員運動の牽引車としてますます発展されることを期待して、ごあいさつとさせていただきます。

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記念行事・・・その1

 

私たちの法人では今年三つの診療所がそれぞれ〇〇周年を迎え、記念の行事が行われました

私があいさつ(あるいはあいさつ文)をさせていただいた二つの診療所への文章を掲載しておきます

<その1>番町診療所 60周年

 

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―――番町診療所60年のあゆみに寄せて

番町診療所開設60周年 おめでとうございます。

長い歴史を支え発展させてこられた神戸医療生協組合員の皆様、役職員の皆様に感謝を申し上げます。また地域の皆様、本当にありがとうございます。

60年前は60年安保の取り組みを経て大きな政治的、また社会的な高まりがあったことと思います。医療においてもその影響は大きく1961年に国民皆保険が実現し日本の医療状況の転換点にありました。私たちの先輩はポリオワクチン獲得運動などに取り組む中で、医療生協の地域活動の基礎を作ってこられました。そのようなとき番町診療所は地域の要求に応えるかたちで開設されました。

私個人のことに少しふれさせていただきます。

当時の番町診療所では夜間の当直事務のアルバイトを医学部の先輩たちが担っていました。私も何度かご一緒し、政治のことや医療のことをはじめ様々な話し合いを夜が更けるまで行っていたことを懐かしく思い出します。

学生時代セツルメント運動に参加し、番町地域での子供会活動を経験しました(あまり真面目な部員ではありませんでしたが)。

活動を通じて人権問題や平和のことなど知識としてだけではなく行動に参加する中で将来医療従事者としての役割の自覚を深められたのではと思います。番町診療所でその場を提供していただけたこととても感謝しています。そしてそれがなければ民医連や医療生協への参加はなかったかもしれません。

医師としての研修を神戸協同病院から始めました。その年はちょうど番町診療所15周年の集いがあり先輩医師に誘われて参加しました。まだ右も左もわからない新人のときに組合員・地域・職員の協同の取り組みを目の当たりにしたことは大学での勉強では学ぶことのなかったカルチャーショックであり、自分もこれからこの現場に参加することになると思うと気持ちが高ぶっていたことを覚えています。

現在までの医療の変化には大きなものがありました。番町診療所もその中で鍛えられてきました。10年ごとに振り返ってみます。1973年は高齢者医療費の無料化という画期的なできごとがありました。しかしその10年後の1983年、老人保険法が実施され無料制度が廃止され医療制度の改悪が進みました。一方で診療所では1984年に「デイホスピタル」が開始され、のちの特別養護老人ホーム建設運動の足掛かりになりました。1993年には療養型病床群の創設、2003年健保法改悪(70歳未満の窓口負担が3割に)、2004年には新医師臨床研修制度が開始となり医師の確保が厳しくなりました。2013年アベノミクス始動、特定秘密保護法成立、消費税増税など医療と政治・経済がさらに密接なものとなってきました。この年に番町診療所は50周年を迎えています。

私もお祝いの文章を書かせていただきましたが、ここに若干の引用をいたします。

元所長先生の言葉です。「数々の困難は地域の人たちや神戸医療生協のみなさまをはじめ、多くの人たちに支えられてのりこえることができました」「私たちは差別のない、まともな医療をめざして努力を重ねてまいりました」(15周年記念誌から)

職員はこのなかで成長し神戸医療生協のたくさんの幹部が生まれました。

私たちはこの精神をしっかりと受け継ぎたいと思います。

60年という長い年月、とくに医師不足に悩まされてきましたが、一つの医療機関として事業と運動を継続させるためには大変な苦労や努力があったことでしょう。

あらためて皆様方にお礼を申し上げます。

そしてこれから先ますます高齢化が進む地域において、所長先生を先頭にして質の高い在宅医療に持てる力を十分に発揮されることを心から願っております。

60周年おめでとうございます

3月に絵本の紹介をしました

 

ブログで紹介したときに

読んでくれた職員から

「こどもといっしょに読みました」

と言っていただきました

 

その続編が出ました

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帯に〝つらいとき、心細いとき、そっと寄り添ってくれる〟

と書かれています

 

 

心を打った言葉を引用します

 

心が チクチクするときはね、

 

「そこまで がんばらなくて いいよ」

っていう サインなの。

 

ひとりで かかえて、

がんばっていたんだね。

 

たくさん、たくさん、

がんばっていたんだね

 

また

 

「やって あたりまえのこと」は

なにひとつ ないんだよ

 

あなたが 毎日 してくれていること……

 

おしごとも、おうちのことも、

えがおも、あいさつも、声の あたたかさも

 

小さなこと ひとつ ひとつに

「あなたらしい やさしさ」が、つまってるもの。

 

今日も、やさしいきもちを ありがとう

 

 

すべてのページに優しい文章がちりばめられています

 

そのときの気分や体調によって

心に響くページが

あります

私たちは亡くなられた患者さんを思い出しながらときに振り返りを行っています

お付き合いの時間の長短はありますが、そのどれもが貴重です

 

振り返るとどうしても悔しかったこと、できなかったことに気持ちが向かいますが

こんないいことがあった、このような学びがあったなど次につなげられるような話し合いを意識しています

 

 

ご家族の力を借りながら

患者さんの希望であった外出と喫煙が実現できた

 

短期間であっても退院ができ

友人たちに会ってたくさん話ができた

 

長い間会えなかったご家族と面会ができ

わだかまりが解消できた

 

コロナ禍で限られた面会時間であっても

毎日のご家族の面会で患者さんが安心され

スタッフともしっかりと話ができた

 

などなど

きりがありません

 

 

最近は昼のカンファレンスの時間を活用して振り返りを行ったり(デスカンファレンスといわれています)

さらには堅苦しい話ばかりじゃなく、みんなで患者さんやご家族との思い出を共有しよう

との計画もされています

 

 

私もその話し合いに参加させてもらっていますが

主治医としての反省ばかりが思い出されます

 

看護師さんたちの言葉を聞いていると

お互いのケアを認め合い、ねぎらっています

 

私は反省が多くなっています

・もっとできることがあったのでは・・

・患者さんやご家族の思いをもっと聞いていれば・・

後悔や自責の念が表れてしまいます

 

ある書物によると

自責の念に向き合うときつぎの3つをちゃんと区別することであると書かれていました

  • 残念だったこと
  • 今後に生かすべきこと
  • 反省すべきこと

です

そして医療の現実と向き合うことが必要です

 

 

また別の本で述べられていることを引用します

 

*カンファレンスで一番大切にしていることーーー「癒し」の場であること

医療者のグリーフケアが不可欠

 

*報告は

詳しい病歴よりも、印象的なエピソードや苦労した点などを紹介

最期の場面を共有

 

*カンファレンスを進める中で

「~したほうがよかったのでは?」⇒ケアの質を改善したいとの前向きな気持ち

できていたことを積極的に認めてねぎらう

無理に結論を出さない

 

*医師のスタンスについても書かれていました

「多職種が医師のスピリチュアルペインに共感することで医師は救われる」

一方

「医師の思い込みや独りよがりをカンファレンスでそっと気づかせる」

「医師からスタッフへの感謝の言葉――大変なケアを投げ出さずに続けてくれて感謝しますーーで苦労が報われる」

⇒とても心に響きました

 

*構えずに「お茶を飲みながら(笑)患者さんをしのぶ」ことも大切です

 

 

先日偶然本の著者と同席させていただくことがあり、「先生の書かれた本で勉強しています」とごあいさつをさせていただきました

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看護師さんたちの努力に感謝しながら

この取り組みをさらに発展させていければと考えています

 

 

 

 

 

こんなことがありました

ともに高齢の患者さんのできごとです

 

※Aさん

 

長年にわたり私の外来に通院していました

10年ほど前に癌がみつかり、Aさんは治療は受けないと意思表示をされ経過観察を行っていました

最近は症状が現れるようになり何度か入院をしています

 

ある日のこと

友人の方から「クーラーが壊れた」と連絡がありました

Aさんは身寄りがなく独居です

今まで以上に暑い夏です

このときはお元気にされていましたが、早くエアコンの修理をしないといけない状況です

 

数日後ケアマネジャーさんから「弱ってきています、入院をお願いします」と緊急の連絡

 

熱いお部屋で過ごされたことによる熱中症だろうと判断

入院していただきました

 

 

ところが…です

 

入院されたAさんの診察にうかがったところ

体中が黄色くなっているのです!

癌による閉塞性黄疸と胆管炎を発症していました

 

急遽治療方針を切り替え

今は落ち着いた状況で過ごされています

 

振り返ると

「暑い部屋」⇒ぐったり⇒「熱中症」

との思い込みとなったわけです

 

 

※Bさん

 

ある日の夕方のこと

やっと勤務を終え家に帰ってビールを一杯と思っていたところ

内科病棟の看護師さんからの電話です

――いったいなんだろう?

 

感情を表に出さずお話をきいたところ

Bさんも癌にともなう合併症で治療を受けていました

病状が安定したので自宅への退院の話がでていた方です

そのBさん、突然発熱したとのことでした

 

あいにく主治医が不在で連絡をとったところ

「腫瘍熱かもしれない、癌の終末期(?)なので〇〇先生(私のことです)と相談をしてください」とのこと

それで私に電話がかかってきました

ということでした

 

とりあえずの指示を出して、看護師さんの話では熱以外の症状は落ち着いているようなので翌朝早めに診察に伺うことになりました

 

 

翌日さっそく診察へ

Bさんも顔が黄色くなっていました

診察と検査の結果、胆道の感染症だとわかり抗生剤の点滴で落ち着かれました

癌⇒緩和面談すみ≒終末期⇒発熱⇒「腫瘍熱」

という公式ができあがっていたのです

 

病状の安定を確認して

Bさんの希望であったご自宅への退院の準備を始めました

 

Aさんは「熱中症」

Bさんは「腫瘍熱」

との思い込みからあやうく重要な合併症を見逃すところでした

 

この経験からもう一度医療の基本に返ってみることの大切さを学ぶことができました

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