以前にも書いたことがあるかもしれません

それでもいまここに記しておきたいことがあります

                                                                             

                                                

私のとても親しくしていたひとのお話です

彼女はがんサバイバーでした

みずからも病いとたたかいながらの出来事です

                                                   

                                             

昔からの友人ががんの終末期ということで入院しました

                                                 

彼は毎日のように襲ってくる痛みや吐き気に対して医療用麻薬を使っていました

わがままな人であり、看護師さんや医師の言うことを聞かない「困った」患者さんとしてみんなから見られていました

                                               

自分の弱さを易々と他人には見せるものかという悲しいプライドと、激しさを増す痛みや苦痛、死への恐怖、一人で(彼は離婚し独り身でした)病気と闘わざるを得ないという心細さなどなど

きっとこれらのことがごちゃまぜになって、医療者にとっては「手のかかる患者」としての姿をとらざるを得なかったのかもしれません

                                            

彼女はそんな友人に対して、仕事の帰りなど時間が許す限り病床を訪れていました

今のような面会制限もなく、長い時間付き添っていました

医療者にとっては助かる存在だったのではないでしょうか

                                              

身体をさすったり、汗をかいていればきれいに拭いてあげたり・・・

                                              

徐々に弱っていく彼をどのような思いで介護していたのでしょう?

                                               

                                              

彼女はのちにつぎのように書き残しています

『わたしは病気になって悲しんでいる時、仲のいい友だちに抱きしめてもらった。でもわたしは彼を抱きしめてあげられなかった……』

心残りだったのかもしれません

しかし、彼女の心は残された日々をひとのために大事に使いたいという気持ちでいっぱいだったのだろうと想像しています

                                              

                                               

ある本でつぎの言葉を見つけました

―――自分のためではなく、ひとのために時間を使うこと、それはいのちを捧げることであり、尊い愛の行為だと思うのです

いのちは自分のものかもしれませんが、自分だけのものではないのだと思います―――

                                              

                                            

少し前のことになります

患者さん(Aさん)、ご家族(代表してCさん)とのやりとりの記録を振り返ってみました

『患者さんやご家族とともに悩むことができたのか』『患者さんやご家族にとって大切なものはなになのか』を考えるきっかけになりました


Aさんは癌による腸閉塞で入院してこられました

腹満、腹痛、嘔吐などで苦しんでいました

まず絶食(水分は少量ならOKです)、医療用麻薬の持続皮下注射を開始します

                                                                                           

私からの提案への納得がなかなか得られず、イラストを使って説明しましたが、「なぜ食事がとれないのか」「絶食だと栄養がとれないのじゃないか」「他の栄養補給の方法はないのか」など食事や栄養へのこだわりをつよく持っていました

Cさんからは点滴の要望がありましたが、Aさんは嫌がられています

何度か時間をとって話をしましたが、結局「強引な」スタートになってしまいました

                                                

AさんもCさんもそれぞれのニュアンスは違いますが、絶食という方法を受け入れることが難しい状況でした

――理解されていないから提案に応じられないのではなく、理解しているから辛い現状を受け入れられないのではないかと後になって思いました

嫌な現実を認めることが困難でそこから逃れようとする感情なのではないでしょうか

                                           

Aさんはあきらめに似た思いを持たれたようですが、Cさんの方は「水分だけで体がもつのでしょうか」「食べないと元気にならないのでは」という気持ちから話を繰り返されました

――強引に進めてしまい、私の価値観を押し付けてしまったのではないかと後に反省しました

                                             

アイスクリームやジュース、牛乳などを少しとってもらうことでひとまず合意がとれました

                                            

絶食にすることで腹満や腹痛は楽になってきました

するとAさん

「絶食だとお腹がすいてたまらない」

「大便が出ないのなら浣腸はできないの?」

「いつになれば食べることができるの?」

と、次の疑問や要望が出てきました

――なぜそのように思ったのか、Aさんは病状をどのよう解釈されているのだろうか

その検討が十分にできないまま……

                                                

症状が軽くなったので少しの食事を開始しました

しかし再び腹満や腹痛が悪化してきました

再度水分だけにして、我慢することになったのです

腸の穿孔のリスクも頭にありました

――このときのやり取りです

AさんもCさんも癌が治らないことはわかっている、でも食べないと元気にならないと言われます

「元気になりたい」思いを強く出されました

相反する考え方ですが、この時は言葉を否定せず、「元気になりたい」思いを尊重できないか、AさんやCさんの価値判断をまず受け止めようと考えました

                                             

医師:Aさん、絶食にしたときはお腹はどうでしたか?

Aさん:痛くなかったです

医師:お腹が痛くなっても食べたいお気持ちは強いようですね

Aさん:そうです、お腹がすいてたまらなくなるんです

 (気持ちを率直に伝えられました)

医師:なぜお腹が痛くなるのかAさんの感じられていることを聞かせていただけますか?

Aさん:大便が出ないから痛くなる…

医師:どうして大便が出なくなってしまったのでしょうか?

Aさん:癌が腸をふさいでしまっているから

    でも私の知っている人で癌があっても大便が出る人も出ない人もいるよ

 (病気に対するAさんの解釈です)

医師:たしかにそうですね

   Aさんの場合は残念なことに癌が大きくなって腸をふさいでしまっている

   から便秘になっています

 (否定をせずAさんの言葉をそのまま返しました)

   下剤や浣腸を使っても難しいと思います

 (前に希望された手段への答えです)

Aさん:どうすれば便が通るようになるのかな?

医師:体力があれば人工肛門という方法があるかもしれません

   しかし転移が広がっておりそれは難しいですね

 (別の対処法も考えたが困難であることを説明)

Aさん:どうすればいいのかな

医師:卵豆腐から始めてみましょうか

   可能なら他にも食べれそうなものをいっしょに考えてみましょう

   痛みが強くなるようならいったん止めますが、落ち着けばもう一度食事を

   考えてみるということでいかがでしょうか?

 (次の提案を順序だてて行いました)

Aさんとそばで話を聞かれていたCさんはこの提案に同意されました

何度でも話をしていく必要を感じています

この話し合いの中で、「病気の解釈」「感情の表出」「変化への期待」が見られました

                                                 

                                              

Cさんをはじめとしたご家族と話をしました

「無理に長生きをしてもらおうとは考えていません」

「でもこのまま食べることができずに弱っていく姿をみていくことは辛いです」

いくつかの方法を相談し、その中でCさんやご家族の期待を強く感じました

例えば胃管を留置しながら口から食べてもらう方法などです

しかしAさんは苦痛をともなう方法(点滴や胃管など)をすべて拒否されていました

                                            

                                             

そうこうするうちに少しずつ排便が見られるようになってきたのです!

閉塞したところが少し通過したようです

みんなに笑顔が戻ってきました

                                              

ちょっとずつ食事を増やしていきました

                                             

ある日のことです

看護師さんに

「家に帰ってみたい」

「退院じゃなく何日か帰ることってできないかしら」

――理由をたずねました

「今のままだと息が詰まってしまう」

「家の空気を吸いたい」

今までにない大きな期待感です

家でしたいことがあるわけじゃないけど一度は帰ってみたいと表情は明るいです

                                           

その一方でCさんは不安から尻込みをされています

                                              

――Cさんは決して拒否をされているわけではありません

帰ってきてほしいという期待もあり、短時間だからといっても自分に介護できるのだろうかという不安もある状況での悩みです

しかし他のご家族からみんなで支えるからと後押しされました

十分な準備を経て、短時間でありましたが自宅への外出が実現しました

それからは少しずつ悪液質が進行し

眠っている時間が増え

約1か月後にご家族に見守られながら旅立たれました

あれからずいぶんと日が経ちました

少しでも振り返ることができたかなと思います

                                          

                                            

※患者さんやご家族に対して「理解が悪い」「受け入れができていない」とついつい言ってしまいがちですが、お互いの価値観が最初から一致しているわけではありません

理解が悪いのではなく、「私たちの説明が不十分」であったり、「患者さんたちは理解できているけれどそれを簡単には認めたくない」のかもしれません

症状や病気をどのように解釈されているのか

何が不安で、どのようなことを期待されているのか

お互いへの影響をどう考えられ心配しているのか

など

私たちは冷静に考えないといけないことを学んだように思います

                                         

患者さんやご家族の思いと私の思いがどこか少しでも重なったとき、胸のつかえから解放されとても穏やかな気持ちになることがありました

                                       

                                             

今回はAさんやCさんとのやりとりをカルテ上に繰り返し記載できていたことで振り返りが可能になりました

                                            

                                                

この経験を日常の仕事にもっと生かせていければ・・・・・

                                       

                                           

                                                                                       

神戸協同病院の職員が、兵庫民医連の2年目研修に参加しました。

研修は、阪神大震災と民医連の災害支援活動について学ぶこと、民医連の理念や人との絆について考えること、入職して1年が経つ中で悩みを相談できる横のつながりをつくることを目的に行われました。その事後課題で「はるかのひまわり」を育て、取り組みのレポートと、育てたひまわりの種を提出することになりました。

「はるかのひまわり」は、阪神大震災で亡くなられたはるかちゃんの家で咲いたひまわりを配布し、その過程で由来を伝え、災害の悲惨さと共に命の尊さを再考する機会とする事で、「人の尊厳」と「人との関わりの大切さ」を知る感性豊かな地域社会を醸成する事を目的としています(「はるかのひまわり絆プロジェクト」紹介ページより抜粋)

園芸が得意な他職種の力をお借りしたり、時には患者様にも水やりをしていただいたりしながら育てた結果、現在はベランダに立派なひまわりが咲いています。通りすがる職員や、リハビリでベランダにこられた患者様からも好評です。とりくんだ職員も、育てる過程の中で「人と人とのかかわり」や「いのちの大切さ」を感じられたのではないかと思います。

——この文章は病院ニュースに載ったものに事務次長さんにお願いをして加筆していただきました

私は、昨年の4月から緩和ケア病棟のリハビリを担当しています。

たくさんの患者様との関わりの中でとても印象に残っていることがありました。

ある患者様は、病状悪くほとんど寝たきりの状態のため、疼痛緩和と拘縮予防のリハビリ依頼を受けました。当初は人見知りな性格もあり、ご自分の思いはほとんど話してくれませんでした。どうにか思いを引き出したいと思い、私は毎日様子を見に行き話をしました。また面会に来ていたご家族様ともお話するよう心懸けていました。その中で、折り紙や切り絵などを昔していたと聞き、一緒に作業する機会を作りました。

そこから、話をしてくれるようになり、笑顔もみられるようになりました。また、「今日はリハビリないの?」「あの子いつ来るんかな?」など作業活動をきっかけに日々のリハビリを楽しみにしてくださるようになり、意欲的にリハビリに取り組まれていました。

リハビリをする中で、退院したい思いが強いことを知りましたが、さまざまな理由で困難な状態でした。せめて生まれ育った長田の町を少しでも散歩できたらと思い、車椅子散歩を提案しました。何度もチームで検討し、ご家族の協力もあって、近くの商店街をリクライニング車椅子で散歩することができました。本人も喜んでくださりましたが、ご家族様も最期まで本人の思いに寄り添っていたことをとても喜んでくださりました。

ADLは低下してもQOLが上がる場面を見て、ただリハビリをするだけでなく、人生の最後までその人らしく過ごせるにはどんなサポートができるのか考えていくことが大切だと感じました。

私は、これまでの理学療法士の枠を超えて、患者様にアプローチすることや、患者様やご家族様の気持ちに寄り添うことが、緩和ケア病棟でのリハビリにとって大切なことだと思いました。これからもこの経験を忘れず理学療法士を続けていきたいと思います。

患者さんといっしょに花壇の水やり

温かく見守りながら歩く練習

今回の文章は現在緩和ケア病棟を担当してもらっている理学療法士さんに、心に残った出来事を教えてほしいとお願いして書いてもらいました

文章は原文のままでそのまま載せています

彼は患者さん、ご家族、看護師さんたちとのコミュニケーションをしっかりととっており頼りになる存在です

私の無理な注文にも嫌がらずに応えてくれています

これからも頑張ってください!

私たちの病棟では以前ボランティアさんたちの力を借りてベランダでたくさんの花を植えていました

これは2016年6月のブログに載せた写真です

ひまわりにみんな元気づけられたものです

コロナ禍でこのような取り組みがまったくできなくなり

ベランダは寂しい状態でした

病棟でリハビリを担当している理学療法士さんが患者さんたちの声を聞きました

「お花を見ながら四季を感じたいなあ」

「ただただ自然に触れたいです」

「植物をきっかけにいろんな話がしたいよ」

などなど

理学療法士さんは思いました

――お花などをきっかけにしてQOLの向上がはかれるんじゃないのかしら

そこで

お花を中心にしたリクレーションを考えてくれました

例えば

一輪挿しの容器づくりはどうだろうか

押し花もいいなあ

病棟のカンファレンスに提案され

さっそく庭の散歩と園芸作業を再開しましょうということになったのです

さっそくお花を植えました

これからたくさんの花が咲き

みんなの笑顔がいっぱいになることを期待しています

あらためてこの取り組みの目的を確認しました

――風や光、色彩や香りを感じることができる心和む風景を提供したい

当面はリハビリスタッフが中心となりますが                                                  

今後は中断していたボランティアさんの再開も検討されており

前のような華やかさを実現させていきたいと思っています