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1年前の9月にこのブログをはじめてから50回目となります

よくここまで続けられたなあ と思います

 

最初は準備の様子や理屈っぽい話が中心だったのですが、6月に病棟をオープンしてからは患者さんやご家族、職員の動きなどをお知らせすることができました

 

「下町の緩和ケア病棟」シリーズも継続できています

 

少しずつ見てくれている人が増えてきた(ほんの少しですが…)と実感しています

 

どこまで持続できるかはわかりませんが、これからも日常の出来事や感じたことなど、とくに制限を設けずに書いていきます

いろんな職員やときには患者さん・ご家族からの投稿も期待をしております

 

次回は視点を変えることの大切さについて考えていることを書きます

今回は「支え」ということを少し考えてみました

☆40歳代の男性
一言、二言短く話されます
長くしゃべると息が切れるからです
「体を上にあげて」
「いや、もっと下げて」

お母様と長くふたりで暮らしていました
「この子は頭でわかっていても実行するまでに時間がかかる人なんです。自分からこうしたいと言うのを待っているんです」
「こうすればいいんじゃないと提案しても、本人がいやがるのでわたしはそれ以上にはこだわらないようにしています」
と言いながら、お母様は毎日病室へ顏を出され、付き添っています

顔を拭いてあげたり、歯磨きの手伝いをしたり、体のマッサージをしたり…

患者さんは時には文句を言いながらも母親の「支え」を頼りにされています

 

☆高齢の患者さんに毎日付き添っておられた奥様
「世話をしていただいている看護師さんたちを信頼しています。ほんとにありがたいです」
「わたしはそばにいてあげることしかできません…」
若い頃のお話もたくさん聞かせていただきました
日本全国をともに旅されたそうです
言葉の端々にとても仲が良かったのだろうなという様子がうかがえます

奥様がある日おっしゃいました
「たとえ寝たきりであってもお父さんが今ここにこうして生きていてくれるだけでわたしは支えられているんです」

 

☆80歳代の男性
入院されて間もない時期のことでした
夕方になって、
「急にさみしくなってきました。不安なので友人に今日は泊まってほしいとお願いしたのです」
異性の友人は快く引き受けてくださいました

翌日のこと
「よく眠れました」
「昨晩のお礼にこれから喫茶店にモーニングを食べに行ってきます」

 

☆中年の男性
「寒い! 布団をかけて」
看護師さんを呼んで、
「えーっと、あれ? なんやったかな?」
「起こしてほしい、いや、やっぱり寝かせて」
「ちょっと横にいてくれる?」
夜中に
「今からごみを捨てに行きます」
「お~い お~い」

しばらく付き添って話をしていると落ち着かれるようです
でもその場を離れようとすると
「そばにいて!!」
――私はいちどもそのようなお願いをされたことがありません
看護師さんたちがうらやましいです

 

これらの話は日常よくある出来事の一端です
でも、「母親」「患者さん(夫婦)」「友人」「看護師」がそれぞれ「支え」となっているのです
自分の辛さや苦しさを、ときには喜びをわかってくれる人を頼っているのだと感じました
そのような人の存在がありがたいのです
ある人は、
「誰かの支えになろうとする人こそ、いちばん支えを必要としている」
と、述べていました

そう考えると、ともに働いている看護師さんたちの「支え」はいったいなんだろうか? と思ってしまいます
機会があればこんなことをテーマに話し合ってもいいのかもしれません

 

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え? そういうあなたの支えはなんだ ですか?
私の「支え」は、
ひとつは、時々書いているブログです
日々のささやかな出来事、気になったことを自由に書かせていただいています
時には「読みましたよ」と言ってくれる人がいてうれしいです
主観もまじえながら、ある程度の客観性をもって文章にすることで、心のバランスを保っているのだと思っています

もうひとつは、
どんなささいなことでも聞いてもらえる人がいることでしょうか

9月19日安全保障関連法が成立しました
このブログで「政治的発言」はふさわしくないのかもしれませんが、日本国民の多くが同じ思いであると確信しつつ、少し述べさせてもらいます
「日本を取り巻く安保環境の変化に対応」するため、集団的自衛権の容認をはじめとした「防衛政策の転換」をはかるとの首相と現政権のかたくなな思いが、平和を犠牲にすることになったのではないでしょうか?

背景としては国民の意思よりもアメリカとの約束を優先したとも言われているようです

緩和ケアにたずさわっていると、どのような人にもいずれは訪れる「死」ということを当たり前のこととして受け止めています
病気による死は理不尽だと思うことが少なくはありませんが、戦争による死はその何倍も、いや無限大に理不尽です
正当化する根拠はまったくありません

命はどのような世界で暮らそうと、どのような考え方を持っていようと、どのような経済状態であろうと、みんなに平等です
戦争は(戦闘員を除けば)まっさきに弱い立場の人々を殺戮し、その家族や友人たちを苦しめます
命の平等とは正反対のものです
最近のテレビや新聞を目にすると気づくことがあります
安保法案に反対する集会やデモの参加者のなかには、様々な団体にまじって学生をはじめとした若者や子供をつれた若いお母さんたちの姿が目立ちます

日本国憲法を守り、民主主義を大切にしようとする力がまちがいなく成長していると感じさせられました

9月20日付の神戸新聞に書かれた文章を引用します
“…ここに一人の「若者」がいる。生まれたのは1946年。……焼野原で人々の心に希望の光をともしたときのまま、今も若々しい。名を「日本国憲法」という。……押し付けだの理想主義だのと言われても、憲法は一向にひるまない。逆にこう訴えかけてくる。理想を失ってはだめだ、混沌とした時代だからこそ大きな理念を抱こう、と…”

私たちは家族や友人、これからの社会を築く子供や孫、その人たちにまつわるすべての人たちが幸せに安心して暮らせる社会の実現を望んでいます
その中心には憲法の理念があります

法律は通りました
でも今度の選挙の結果次第では廃止することも可能でしょう
多くのひとたちと、もっともっと広く力を合わせていきたいと思います

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ご高齢の患者さんの最期を看取らせていただいたあと、息子さんと話をしました
息子さんはひとこと、「老衰ですね」
――ほんとは○○がんなんだけれど・・・
その時少しだけ違和感を感じていました

 

幾日かたったある日
購入したばかりの本を読んでいたときのことです
書籍の題名は『看取りの技術』(平方眞 著)

そこには「がん患者の看取りは『老衰』を目指そう」とありました
以前に感じた違和感がふたたび湧いてきました

しかし読み進めるうちに腑に落ちることがたくさんあることに気づいたのです

平方医師は次の条件がそろったときに「老衰」と考えていいでしょうと述べられています
①  本人・家族が「十分に長生きした」と実感できている
②  穏やかに、眠るように、自然に、亡くなった
③  明らかに「この病気によって死んだ」という原因がない
④  明らかに「この臓器が特に弱くて死んだ」という原因がない、つまり「各臓器がバランスを保ったまま弱って死んだ」状態
⑤  無理に命を延ばそうとしてもほとんど効果がないか、むしろ逆効果

なるほどと思いました

患者さんの息子さんにとってみれば、きっと「老衰」のように思えたのでしょう
今もそのような経過をたどりつつある入院患者さんがいらっしゃいます

往診をしているとき、徐々に弱っていかれる患者さんの看取りをさせていただくことが少なからずあります
老人ホームで最期を迎えられるお年寄りもたくさん見てきました
みなさん穏やかなお顔をされていました

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「がんは急速に年を取り寿命を迎える病気」と平方医師は述べています
「緩和ケアをしっかり行ったうえで、患者さん・家族が理解可能でかつ納得できる説明を十分に行うことが、自然な死に近づけていくために医療者に求められるスキル」とも述べられていました

その状態を目標に・・・と言えるほどには力量がまだまだ足りていませんが、結果として「老衰と同じですね」とご家族とお話しできることがあれば、それはまたひとつの迎え方ではあるのだろうと思うようになりました

 

緩和ケアは奥が深いです

9月13日日曜日、組合員、職員260人あまりの参加で大きな成功を収めました
9/10のブログでもご紹介したように、10月、11月の2か月間、みんなで取り組む月間がはじまります
全員でスタートする意思統一のための大切な催しとなりました
ブログの内容に若干アレンジを加えたあいさつをさせていただきました
緩和ケア病棟の紹介も兼ねています
そのあとは、落語家の桂勢朝さんの「時事落語」
桂米朝さんのお弟子さんです
みんな大いに笑い、感動しました
さすがは本職です!

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テーマは「永田町歌合戦」です
中身は「企業秘密」かもしれませんのであえて触れないでおきます
でも今の政治状況を面白おかしく物まねもまじえながら、歌っていただきました
参加者のみなさんは胸のつかえがすーっと落ちたのではないでしょうか?

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そしてさいごには、どこまでが本気かわかりませんでしたが(笑)、見事な(?)南京玉すだれを披露していただきました
桂勢朝さん
ほんとうにありがとうございました
お疲れ様でした  (写真を2枚使わせていただきました)
私たちのリアクションはよかったでしょうか??
つづいて、理事の “生協亭 きよこ”さんが月間の提起を立て板に水のごとく上手に話されました
ブログの内容もふたつ紹介していただきました
メインイベントは、各支部/ブロックと事業所からの「取り組み宣言」です
それぞれ短い準備期間にもかかわらず、創意工夫をこらした宣言をしました
私たち病院は、寸劇を披露
題名は「入ってよかった 医療生協!」
若い職員が中心になって演じ切りました
長いセリフをしっかりと覚えた職員たち
脚本を準備した職員
評判はよかったと自負いたしております

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――みんなが主役、みんなで取り組む――生協を強く大きくする運動が、この秋の大きなテーマです