「最期」の迎え方を支援するときに
平成26年1月、上腹部の痛みが継続するため外来で診察を受けた際に、胆のう癌と診断されたA氏。すでに手術困難な状態であり、本人・家族へ予後3~6か月程と告知された。もともと認知症の夫をA氏が介護していたが、今後のことを考え、夫は老健施設へ入所。その後A氏は娘・ヘルパーの支援のもと、通院・入院を繰り返しながら一人で生活をされていたが、その頃からA氏にも認知症の症状がみられていた。
同年9月、上腹部痛の強い痛みにより救急搬送され、急性膵炎にて入院となった。点滴にて治療を行い、データは改善。癌の進行も認められたが、内服にて痛みもコントロールでき、食事も安定してとれるようになった。しかし入院による環境の変化もあり認知症状が進行。主治医・娘と相談の上、「不安はあるが本人も自宅へ帰る気満々なので…」と自宅退院方向となり、MSWの介入が始まった。娘は他県在住、夫と姑と生活をしており、仕事やA氏の夫の施設へ行ったりもしているため、週2回であればなんとかA氏の自宅へ訪問出来そうとのこと。介護保険ではヘルパー・デイサービスを利用、ターミナル期のため医療にて訪問看護を導入、その他往診、配食サービスも利用し、1日2~3回は誰かが訪問出来る体制を整え、10月に自宅退院となった。
しかし退院後しばらくして、往診担当や訪問看護より「自宅で頻回に転倒しているが、本人は覚えていない」「お弁当は目の前にあっても、ふたをあけて声掛けをしないと食べられない」「失禁が続き、尿臭が強い」と報告があった。MSWも自宅を訪問してみると、古い木造の自宅で、床は古くぼこぼこで歩くと足元をとられ、隙間風も入ってくる家で一人、A氏は不安げな表情をしながらじっとベッドに座って過ごしておられた。訪問中だった看護師に声をかけられて、やっと食事を食べるという状況であった。往診の中でA氏より「一人はつらい」「早く死にたい」などの発言も聞かれるようになり、自宅での生活を見直す必要があるのでは?と往診担当やケアマネと話をしていたときに、再度上腹部痛あり、疼痛コントロール目的で同年11月に再度入院となった。
入院後は、食事や生活環境が整ったこともあり、麻薬等使用せずに痛みなく過ごされていた。娘とも相談の上で、ターミナル期の方の受け入れもしておられる介護施設へ入所することとなった。入所後、施設の相談員から落ち着いて過ごされていると伺ったが、 数ヵ月後痛みで苦しむことなく、施設で亡くなられたとのこと。
人口の高齢化に伴い、癌罹患率も増加し、主な死因別の死亡率をみても、癌は一貫して上昇を続け、昭和56年以降癌が死因の首位であり、日本人の3分の1が癌で亡くなっている状況である。加えて、65歳以上の高齢者のうち認知症の人は推定15%、認知症になる可能性のある軽度認知症の人も合わせると、65歳以上の4人に1人が認知症または予備軍と言われており、今後A氏のように認知症のある終末期患者は増えると思われる。今回の事例を通しても、A氏にとって過ごす場所が本当にこれでよかったのだろうかと考えた。認知症もあり、なかなかA氏の「最期はこうありたい」という思いを聞きとることが出来なかったが、往診中に言った「一人はつらい」という一言はA氏の本音だったのだろうと思う。
「最期までその人らしく生きる」ことを支援するための様々な機関との連携、サービスの充実。またどのような場所で、どのような「緩和ケア」を行うか。自宅、病院、施設等さまざまな選択肢はあるが、それぞれに基準や制限があり、「最期までその人らしく生きる」支援をすることが難しい場合もある。A氏の事例はこの2つの大きな課題を感じたケースであった。
私も短期間でしたが往診担当としてかかわらせていただいた患者さんでした
MSWさんも書かれているように「最期までその人らしく生きる」ということをたくさん考えさせられました
緩和ケア病棟を開設する以前の出来事でしたが、私たちに何が求められているのか教えられた事例であったと思います