彼女と彼は労働組合主催のハイキングで出会いました

それから何度か…

職場の異なるふたりは活動に参加する中でお互いを意識するようになったそうです

時代は70年安保の前夜

全国の大学では学園紛争が拡大、世の中が慌ただしさを増した季節でした

ともに働きながら互いの絆を深めていきました

彼は労働者であると同時に詩人でもありました

おふたりが書かれた詩集を見せていただきました

許しを得て引用します

――たたかいを育て始めたぼくら

――とても険しい所では、すぐそばにいた(ふたり)

――人間らしい人間になろうと約束しているふたり

――お互いを信頼しています

そして結婚

「会費制の結婚式」です

人生の門出をすべての人々に祝っていただきたいとのつよい想いがあります

そこに至るまでにはたくさんの苦労があったことでしょう

最初のデートで彼から彼女に

「人間はいたわり合うのでなく尊敬するものである」(住井すゑさんのことば)

を贈りました

「相手の生活を理解して平等の立場で社会生活をする」

との決意でした

彼女は

「結婚しても働ける所でないとお嫁に行きません」

たくさんの仲間から祝福されました

ふたりが働き続けるためには

さらにたくさんの課題がありました

子どもを保育所に託す

今では共働き夫婦にとっては当たり前のことかもしれません

でも当時は様々な「善意の忠告」がありました

※その十数年後に結婚した私たちも、会費制の結婚式を行い

子どもたちはみな保育所という社会で育ててもらいました

その先駆けとなった彼女/彼の人生に思いを馳せています

彼は私たちの病棟に入院しています

病気がわかったときにはすでに進行した状態でした

診断を受けた医師からは

―もう1年早く来ることができていれば

と告げられたそうです

彼女は現在絵手紙のボランティアをしながら

時間をみて彼のベッドサイドへ

時々話を聴かせてもらいます

そばには詩人の彼が出版した詩文集とおふたりの詩集

そして病室には絵手紙が掛けられています

病棟の廊下の窓にも

たたかいと仲間のなかで出会ったふたりは

人生の大切なときを

いま ともに過ごしています

※「ふたり」という表題は詩集のなかにでてきたことばです

今回は少し重い話になります

テーマは『自律』と『コミュニケーション』としました

Nさんが入院してこられたとき、症状は生活に支障をきたすほどではありませんでしたが、

独居のため在宅での生活は難しいと判断されました

ゆっくりと病状が進行してきました

旅立たれる約2か月ほど前からNさんと私たちは様々な困難に直面しました

(1)トイレには自分で歩いていくことにこだわりを持たれ、売店に行っては好きな菓子などを買っていました

日が経つにつれてイライラや入院生活での不満が増えてきました

痛みや手のしびれ、動作での呼吸困難感によってできないことが多くなってきたのです

転倒したことがあるため付き添いますから必ず声をかけてくださいと看護師さんからお願いされてもいつの間にか一人でトイレに行く姿をみかけます

さすがに売店には歩いて行くことが難しくなったので車いすで連れて行ってもらうことになりました

人の手を借りることが許せないNさん

病状進行の理解をしていてもできることは自分で行いたいと主張されます

それが残された自分の生きがいでもあるかのように私には思われました

Nさんとの話のなかでのことです

「売店で好きなものを買いたい。何度も看護師さんに連れて行ってもらうのは申し訳ない」

「できることは自分の力でしたい」

「でもね、売店に行っても財布からお金を出すことが難しくなってきたんです。わたしは好きなものを選んで店員さんにお金を渡したいのに・・・」

このころには一人でトイレに行くことが苦痛になってきました

でもトイレでの動作は時間をかけてでも自分でされています

動くときには酸素をつけましょう

移動は車いすにしてください

ポータブルトイレを使ってはどうですか

と私たち

いや酸素はまだいい

近くに行くだけなら看護師さんの手を煩わせたくない

ポータブルトイレはまだけこうです

とNさん

せめぎ合いの毎日でした

自分のことができなくなり人の世話にならないといけなくなることは大きな苦痛で、「自律性のスピリチュアルペイン」と言われています

日常の生活を自分自身でコントロールしたいという欲求は誰にとっても当たり前のことです

できなくなることがしだいに増えていくことで人の手を借りるべきなのはわかっていても、そのことで生きる意味を感じることができないのは患者さんにとって当然のことでしょう

その思いを否定せず患者さんの気持ちに寄り添う努力が求められており、私たちはそのことの重さを毎日のように思い知らされながらケアを行っています

ところが私たちはときに

この患者さんは自分の病状を理解されていないからわがままを言うと決めつけてしまうことがあります

なおかつ私たちは患者さんを説得しようとします

そうなると患者さんはそれ以上何も言ってくれなくなります

そのような時、患者さんがなぜそうなのか(例えば介助が必要と客観的に見えてもそれを拒否されるなど)を腰を据えてお話をうかがってみることが大切になります

Nさんは自分の置かれている状況をだんだんと自覚されるようになり、自ら看護師さんの助けを求めるようになってきました

このことも一つの自律=自分で援助を受けることを選択=なのでしょう

(2)私は毎日の診察の中で、Nさんのことをわかっていると思っていました

そのためNさんが求めていることを十分に受け止めることができず行き違いが生まれてしまいました

Nさんが主治医に対して不全感をもっているようですと看護師さんから聞かされ衝撃を受けました

しっかりと時間をとって話をしよう、もしわだかまりがあるようならこれからもっと大切な時期を迎えるNさんにとって安心していただけるように努力をしようと考えました

Nさんには前もって話し合いを持ちたいとお伝えし、看護師さんに同席してもらうことの了承をいただきベッドサイドに座って話をしました

最初に病気が判明してからの治療経過を紹介状をもとに振り返り

私たちの病棟に入院してこられてからの症状の変化とそれに対してとってきた対策を順を追って説明

さらに予想される今後の病状を具体的にお伝えしました

同時にNさんが想定されていた余命を超えて頑張られていることに敬意を表しながら今後もともに歩む努力を続けていきたいと話しました

Nさんが話し合いのさいごに言われたことです

「病気がよくならないことはわかっています。でもこれまで一つひとつの説明がほしかった」

私は毎日の診察で病状の変化をお伝えしていたつもりでしたが、それがNさんにはきちんと伝わっていなかったことや、私の独りよがりの解釈で終わっていたこともはっきりし、そのことが大きな反省材料になりました

Nさんが(1)で述べたような気持で過ごされていたことが具体的にわかり、思いや考えをじっくりと聴く時間がとれ、また私の考えを伝えることができたと思います

一度や二度の話だけですべてがうまくいくわけではありませんが、お互いの関係は少し前進したのかなと感じています

臨床の場面では患者さんと医療者間の「乖離」があることも学びました

例えば、

患者さんが不安を訴えているとき、患者さんとすれば不安を受け止めてほしいだけであるのに、医療者はその不安に対して何か薬を使わないといけない気持ちにとらわれてしまいがちです

私たちの解釈が、患者さんの解釈―病状をどうとらえ何を望んでいるのか、とかみ合っているのかを冷静な目で見ないといけないことがあります

また患者さんの約9割は主治医とのコミュニケーションに悩んでいるということも聞きました

わかった「つもり」には要注意です

もう一つ考えたことがあります

Nさんは看護師さんに強く当たったり、不満を毎日のようにぶつけ、いわゆる「困った患者さん」と捉えられていました

ある本に書かれていたことです

「置き換え」ということを知りました

「ある物事や人に対して感じている感情をその物事や人に表出すると不都合があるため、多くの場合無意識に他の物事や人に対して表出すること」と書かれています

また「医師の対応に不満のある患者さんが、医師には不満をぶつけることができず、看護師さんに大きな声で怒鳴りつけたりすることがしばしばあります」ともありました

ご家族からは厳しい話は避けてほしいと最初に言われたことがあり、私はそのことにとらわれていました

Nさんにとって何が大切なのか考えることを忘れていました……

<参考になった本の紹介>

「緩和ケアにおける悩ましい感情のひも解き方」(MEDICAL VIEW社)

そこには私が心に留めておきたい言葉があります

「困っているのは患者さんではなく、患者さんが自分たちの思いどおりにならないわれわれ医療者なのではということ」

「患者さんの希望を最大限尊重するのが緩和ケア病棟です」

今回振り返りをさせてもらったNさんに感謝し、ご冥福をお祈りいたします

よく晴れた休日

三宮のみなとのもり公園で開かれた「5・3兵庫憲法集会」に参加しました

開催前に着いたのですがすでにたくさんの人が集まっていました

講演前のミニコンサートです

メインスピーカーのピースボート共同代表の畠山澄子さん

19歳からピースボートに参加された話から始まり

被爆者の人たちとの話や交流

核兵器禁止条約、被団協のノーベル平和賞受賞の話題に触れ

「責任」と訳されているresponsibilityは「応答する責任」という重要な意味を持っているということ

「自分も歴史の一部」であり、戦争に抗い平和を守ると言い続けます

と締めくくられました

暑い中でしたが感動的なお話でした

来賓として参加された各政党の話からは

高額療養費の改悪案を凍結させたように

みんながまとまれば政治は変わっていくことを実感しました

「5・3憲法アピール」の締めくくりの文章を載せておきます

「憲法9条は先の戦争で、人間の尊厳と自由を奪われた幾千万の人びとの命であがなわれた、平和と戦争のない世界への道しるべです

(中略)

核兵器や戦争のない世界と未来は、今を生きる私たち、未来の子どもたちの願いです

あらためて私たちの憲法を振り返ると

「健康で文化的な生活」「個人の尊厳」「法の下の平等」「幸福追求権」「学問の自由」「教育を受ける権利」など、今日本の政治で大きな課題となっていることへの解答がすべて書かれていることに気づきます

大切なことは憲法を変えることではなく、守り真に実現していくことだと思いを新たにしました

これまでも何度か緩和ケア病棟とリハビリテーションに関してブログで書いてきました

今回も最近の出来事を中心に感じたことを載せていきます

内容はいくらか脚色しています

< Aさん>

入院してから歩行がしんどくなりリハビリスタッフ(Xさんと記載します)の援助をお願いしていました

病状が進行し食べると嘔吐を繰り返すようになってきました

それでもAさん「このまま食べれなくなると栄養不良でだめになっちゃうんじゃないかと心配です」と吐いてもいいので食べたい飲みたい思いを口にされました

「吐くことはつらいけど吐いた後は楽になるから」と

ベッドで過ごすことが増えて、それまでの歩く練習は難しくなってきました

Xさんはベッドサイドを何度も訪れてAさんの哀しみや不安を粘り強く聴き、その内容を看護師さんに伝えてくれました

その話をカンファレンスで共有し、Aさんへの関わり方を統一していきました

Aさんは毎日何度も同じ不安を話されます

「わたしはこれからどうなるんでしょうか?」

「わたしはどうすればいいのでしょう?」

時には励ましたり、厳しいことを告げなければいけないことがあります

でもほとんどはAさんの気持ちに寄り添う姿勢でみんなは臨んできました

Xさんもその一人です

Aさんの言葉からはまだまだあきらめてはいないよというメッセージが読み取れるようです

リハビリテーションの役割のひとつには心理支持的な役割があると聞いています

Xさんの関りはまさにそのことの実践のように思いました

<Bさん>

まだ若いBさんはXさんの訪室を心待ちにしています

「Xさん今日は来ないの?」

片方の肺が多量の胸水で同じ方向を向いて休まざるを得ない状態です

痛みが少なく呼吸が楽になるような体の位置を整えることがBさんにとってはとても大切なケアになります

Bさんの大好きなテレビの話などをしながらマッサージやリラクゼーション、ポジショニングを行っていました

Bさんにとってはそのことがいちばん有難かったようです

ある日のことです

いちど車いすに乗ってみましょうとXさんから提案がありました

Bさんはその日を心待ちにしています

当日は病棟のスタッフも総出で(Bさんはむくみがつよく、また体を動かすと痛みを訴えられるため)リクライニングの車いすに移乗です

ベランダに出て初夏の風にあたりながら穏やかな表情をされていました

そのあとはかねてから望まれていた売店に買い物です

Xさんに車いすを押してもらいながら、ご自分の好きなお菓子を選んで袋に詰めてもらいました

ベッドサイドを訪れるとお菓子がいっぱい並んでいました

<Cさん>

動く意欲をなくしてきたCさん

最近は診察にうかがってもいつも同じ姿勢で休まれています

しかしお話は大好きでご自分の病状のことをCさんなりに解釈して話されます

病気のことだけでなく、政治をはじめ日常のいろんなことも

ついつい長居してしまいます

Xさんや看護師さんから外の空気を感じてみませんかと提案がありました

最初はあまり乗り気ではなかったようですが

みんなからのお勧めに根負けして天気のいい日に車いすでお散歩

はじめは不安でしたがいざ車いすに移ると乗り心地がいいよと笑顔

屋上に出てさらに笑顔

「気持ちいいなあ、ほんとに久しぶりです」

屋上からの景色を見ながら昔の出来事や、亡くされたパートナーさんのことを話されました

――涙ぐむ場面もあり、普段の病室とは異なり自然体で会話ができたようです

ご自分からの話がたくさんあり、話題の転換も多く、生き生きされたようすでしたーー

とXさんが記録しています

「次は少しでも自分で車いすに移ってまたここに来たいですね」「こんどはあちらからの景色も見たい」など意欲がでてきた様子でした

翌日も翌々日も看護師さんに「疲れもあったけど、とてもテンションがあがりました」と嬉しそうにそのときのことを話しておられたということです

緩和ケア病棟でも他の病棟と同じようにリハビリスタッフが関わってくれています

歩行の練習やトイレ動作の援助、楽な体位の工夫、嚥下の訓練や食形態の工夫などなど

緩和ケア病棟に入院中の患者さんたちの多くは痛みの緩和や浮腫による症状の緩和が求められており、さらには呼吸困難に対してのリラクゼーションもときには必要です

リハビリテーションにおいては長期的なゴール設定ではなく、短期のゴール設定を行いながら患者さんの状態に合わせてそのことを日々積み重ねていくことが求められています

そして変化が早い患者さんがいるなかではカンファレンスがさらに大切になります

私たちの病棟では、週1回のリハビリカンファレンスを行い、また毎日の昼のカンファレンス(それまでは医師、看護師が中心でした)にもリハビリスタッフができる限り参加してくれており意思統一を図っています

「緩和ケアとは、生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者と家族の…(中略)…患者と家族のQOLを改善する取り組みである」との有名なWHOの定義があり、また緩和ケアが主体となる時期のリハビリテーションの目的は「余命の長さにかかわらず、患者とその家族の希望・要望を把握したうえで、身体的にも精神的にも負担が少ないADLの習得とその時期におけるできる限り質の高い生活を実現すること」と言われています

この観点から考えたリハビリテーションは、患者さんの身体と心に直接働きかける役割を持っているのでしょう

そして「買い物に行きたい」「自分でほしいものを選びたい」「次はあちらの景色が見たい」という「自律」を支える役割とともに、いつも患者さんに寄り添い味方でありつづける役割もあるのではないでしょうか?

と、Xさんや看護師さんたちの関わり方を見て感じています

緩和ケアの場面で難しいなあと思うことはたくさんあります

日常的に経験することを書きます

胸水や腹水が大量にたまってくると呼吸困難がつよくなったり、腹満感のために食事がとれなくなります

そのような時には適応をしっかりと考えて、胸水や腹水を一定の量抜く(排液)ことで楽になりますが、終末期を迎えられた患者さんではふたたび悪化してくることが少なくありません

今後の過ごし方についてどのように患者さんやご家族と気持ちや方針を一致させ共有していくことがいいのか悩みます

ある患者さん(Cさんとします)のお話です

Cさんは抗癌剤治療の限界を迎え、これからは症状の緩和が中心となり私たちのところに紹介となりました

胸水のため少しの動作で呼吸困難が強くなります

今まではそのつど胸水を抜いてもらいいっときの安楽を得ていました

紹介状には「今後は胸水穿刺の効果は望めず、酸素吸入と医療用麻薬での対症療法が中心となります」と書かれていました

初回の訪問診療時、「ずっと息が苦しいんです。水を抜いてください」とつよく望まれました

最近のCTでは確かに胸水がたくさんみられます

しかし抜いて数日後には再びたまってきています

何度も胸水穿刺を繰り返すことで体力がかなり弱っていました

紹介元の担当医に連絡をとり方針を相談しましたが、紹介状の内容と同じ返事でした

Cさんは胸水を抜くことにすべてを賭けているようすがみられ、在宅酸素療法は受けながらも医療用麻薬への信頼があまり感じられませんでした

「前の先生は水を抜けば楽になるって言ってたのに…なんとかしてほしい」

前医からの方針を伝えても腑に落ちる様子が見られませんでした

臥床することさえも困難でこれ以上身体に負担をかけることを躊躇するほどの病状です

Cさんの悲しそうな目を見ながら私は「体力が低下してきています。今胸水を抜いてもすぐに元通りになり症状が楽になることは考えにくいです。それよりも酸素とモルヒネで呼吸困難を和らげるようにしませんか?」と『説得的な』話になってしまいました

(後になってからですがCさんとの関係づくりを考えるとはなから胸水穿刺を否定することはよくなかったと反省しました)

Cさんのことではないですが、私たち医療者はときに「この患者さんは理解が悪い。何度話をしてもわかってもらえない」と言うことがあります

口には出しませんでしたがCさんとのやりとりの中でそのような思いがあったのは否めません

(Cさん自身の病状の「解釈」―どのように受け止めているのかーを考えていませんでした)

最近目にした書籍では次のような内容がありました

「緩和ケア病棟に入院中の患者さんの否認に関連した行動様式」として

・オピオイド拒否

・非現実的な生命維持治療の希望

・代替療法の実施

・非現実的な抗がん剤治療の希望

・水分・栄養補給の中止への躊躇

などが挙げられています

     「緩和ケア÷精神医学}(森田達也、明智龍夫 著)より

(Cさんとしては病状の「否認」のみではなく治療への「希望」を持ち続けたかったのだろうと今なら思えます)

Cさんはその後しばらくして永眠されました

リスクについてしっかりと共有しながら少しでもCさんの希望を叶えることができたのではないか、いややはりリスクは相当高く症状の緩和にはつながらないのでは、という二つのせめぎ合いのなかで最期のお看取りをさせていただきました

患者さんにとっては今まで受けてきた医療内容や医療者の説明からの急な方向転換は難しいのです

まして症状の悪化に直面されているときはなおさらでしょう

もし最初から私が主治医であれば何かできたのだろうか?という傲慢な考えが浮かんだり、積極的治療を担う医療者から緩和ケア病棟へのスムーズな橋渡しはどうだったのだろうか?

など様々なことが頭をよぎります

(それでもできることは、精一杯いっしょに悩むことではないでしょうか)

緩和ケア病棟として依頼を受けた患者さんの予後は短い方が多く、入院期間も1~2か月前後がほとんどという状況の中、終末期のケアを担われている皆さん方はどのようにされているのか機会があれば話を聞きたい思いです