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いろんなことで悩んでいるときに心がほっとすることがありました

看護師さんが「○○さんがこんなことできるんですよ」を驚きながらみんなに話をしていました

その話を聞いて私もさっそく患者さんのもとへ…

そしてお願いしました

そのときに書いていただいたのが次の文字です

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サラサラと左から右に一気に書かれました

さてこれはなんと読むのでしょうか?

回診のたびに多くのことを話していただける患者さんです

今まで撮りためていた写真を見せていただいたり、きれいな文字で書かれた漢文に感心したり…

たくさんの特技をお持ちのようです

さて、答えは…

書かれた紙を裏返し、さらに90度回転させると、

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このようになりました!!

おかげでこの日はとても幸せな気分になりました

80歳の男性患者さんの話です

「がんが再発したということで抗がん剤治療を受けました。けれど薬の副作用に耐え切れず中止になりました。そのときにここではもう治療することがないのでホスピスを紹介すると言われてきました」

 

会話はしっかりとされています

突然おそってくる痛みに苦しまれ、また腸閉塞をおこしたために食事は絶食となっていました

痛みにたいしては当初消炎鎮痛剤の点滴で抑えられていましたが、

それも効果がしだいになくなり医療用麻薬の持続皮下注射をはじめました

サンドスタチンというお薬の注射でおなかの張りがいくらか改善したため、

食事は少しとれるようになりました

しかし腫瘍熱と思われる発熱が時々みられるようになり倦怠感もつよくなってきました

 

一般病棟から緩和ケア病棟での治療を引き受けるとともに、

副主治医として受け持たれていた研修医の先生もいっしょについてこられました

 

患者さん、ご家族との面談にはいつも同席してもらいました

変化する症状の評価や治療方針の検討もいっしょに相談しました

 

研修医の先生は熱心な人で1日何回も患者さんのベッドサイドにこられています

ある日悩んでいる姿をみかけました

「急性期病棟の医療の方法と緩和ケア病棟の方法が違うのでここではどこまで行っていいのかわからなくなることがあります」

 

――決して方法が異なるわけじゃないんだけど…

「先生は今は患者さんを『治しきる』急性期医療の勉強中です。緩和ケアでは手段やテクニックではなく、考え方や姿勢のエッセンスをみていただければそれで十分だとおもいますよ。緩和ケア病棟での薬の使い方は急性期医療と違う面もあるかもしれませんが、患者さん・ご家族とのコミュニケーションは決して矛盾するものではなく共通です」という意味のことを話したように思います

 

この患者さんは結局入院後2か月あまりでお亡くなりになりました

ご家族がさいごまで付き添われていたのが印象的でした

 

 

最近次のような文章に出会いました

ホスピスで働く看護師さんです

『ホスピス医以外の医師は治ることに価値をおくことが多いですが、どれだけ頑張っても命には限りがあります。治療できないことが敗北だと考えてしまうと、そのことで患者さんは見捨てられたような気がしたり、辛い思いをします。(中略)でも人は誰もがその時を迎えます。そのことは平等です。その人らしく生きるという方向に切り替えれば、穏やかに最後を生き抜くことができるかもしれません』

『ホスピスでは一つひとつのケアがすべてオーダーメイドです。ご本人にとって何が心地よくて安心なのかは、生きてこられた道が異なるように一人ひとり違います。ささいに思えるサインを見逃さないで、できるかぎりケアに戻していくときに、一般病棟では明日に回せば良いことが、ホスピスでは時間に限りがあるために後悔を生むことにもつながります。できることは必ずそのときに行う。末期なのでもう何もできないということはありません。最期まで手を尽くせることがやっぱりありますから』

――「人生最後のご馳走」(青山ゆみこ著)より 一部改変

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実は近頃少し後ろ向きな気分になりかけていました

患者さんの「症状のコントロール」がうまくいかないことが続いていました

急性期医療にたずさわっていた時のような反応をしてしまいがちな自分に気づいて戸惑ったりすることもありました

上記の看護師さんの言葉に触れたとき、同時に研修医の先生の悩みを思い出し、私たちの役割ってなんだろうと振り返ることができました

 

 

「何かできることがある」

「手を尽くせることがある」

いま一度……

 

ご家族はその大切な存在である患者さんの病状に一喜一憂され、現実をときには受け入れ、ときには否定しつつ、ともに歩もうとされています

 

これまで研修会や多くの書籍から学んだことは、「これでよかったと思える体験がその後のご家族の心の支えとなります」「(ご家族の立ち直りのために)できるだけの世話ができ、そしてそのことを認めてくれる人がいたことが必要です」ということでした

 

言葉で言ったり、文章に書くことはたやすいことですが、いざ現実に向き合うとなるととても難しさを感じています

 

患者さんの病状がしだいに進んできたとき、何度もご家族ともお話をします

 

以前には「いつ急変されてもおかしくない状態です」「その覚悟をしておいてください」と一方的に話をして、主治医としての役割はそれでいいのだと済ませていることが普通でした(今でもそのようなことが多いのかもしれません、第三者に判断してもらうことも大切でしょう)

そのことがご家族への「注意喚起」と医師としての「免責」と受け止めていました

しかし、ご家族の立場からすればこのような話を突然されることで、緊張され、今にも悪くなってしまうのかと医師の言葉に囚われてしまうことになるのではないでしょうか?

あとになってから「ああしまった、このような話し方ではよくないのだな」と反省することが多くなってきました

 

ご家族にとって「よくない話」をしたあと、別の機会に次のようなお話を聞かせていただくことが増えてきました

「奥様とのこれまでの生活などを聞かせていただけませんか」「お父さんはどのような人だったのでしょうか?」……など

 

以下の話は架空のことです

しかし日常の医療・看護の場面ではよくある出来事であり、実際にあったこと

をいくつか組み合わせて脚色しています

 

ある日の午後、初老の患者さんのご主人にお話を伺いました

「奥様とはどのように過ごしてこられたのでしょう。もし差支えなければ聞かせていただけないでしょうか」

 

ご主人は遠くを見ながらゆっくりと話してくださいました

 

――私は仕事一筋で、夜の10時前に帰宅することはほとんどありませんでした

土曜や日曜も会社に出ていきました

家のこと、子育てのことは自然と妻に任せきりでした

退職すれば旅行が好きな妻とふたりであちこちを旅しようと考えていたのです

それが私の妻への愛情表現だと思っていました

ところが、

私が定年退職となり、さあふたりで…と思っていた矢先です

妻の病気が見つかったのです

それもすでに手遅れと言われました

私たちは社内結婚です

妻は私の職場に3年遅れで入社し、私の方からプロポーズしました

私にとってはとてもよくできた人でした

私が無理なことを言っても「あなたの好きなようにすればいいですよ」といつも受け入れてくれます

私の父親の介護も頑張ってしてくれました

介護が必要なくなってからはスーパーのパートの仕事にもでていました

じつは私はうすうす感じていたのです

妻が時々おなかの痛みを訴え市販薬でごまかしていたことを

でも大丈夫という言葉をそのまま信じてやり過ごしていました

とても悔やまれます

妻には申し訳ないと思っています

 

ご主人は患者である奥様が徐々に食事がとれなくなってきたときに、そのことが受け入れられなくて、たくさんの食料品を買ってきては「とにかく栄養をとらないと弱ってしまう。病気とたたかえない」と食べることを勧めていたのです

奥様はご主人の思いに応えようと頑張って口に入れますが、受け付けてくれません

ときには呑み込んだ瞬間に嘔吐されることもありました

私たちは「無理に食べさせると吐き出してしまい、誤って肺炎をおこす心配があります。いまは我慢してください」と説明をするのですが、そのときには「はいはい」と言われても、翌日にはまた同じことの繰り返しです

 

私たちはカンファレンスを何度か開きました

結果、「理屈ではわかっていても思いが強すぎて行動が伴わないのでしょう」「ご主人の努力をねぎらいながら、一緒に介護をする機会を増やしましょう」ということになりました

 

担当の看護師から「お父さんがこれまで頑張って食べてもらおうと努力されていることは私たちはみんな見ています。ほんとによくされていますね。これからは悔いのないように一緒にケアをしてさしあげましょう」と提案しました

 

その話を聞いてご主人は涙を流されました

そしてたくさんの不安があることを話されたのです

・家のことは全部妻にまかせきりでした

夜家に帰っても電気は消えていて、すべての部屋の電気をつけてまわることから始めています

・ゴミがたまってもいつがゴミだしの日かもわからないので家の中はゴミだらけです

それだけじゃありません

食器や調理器具、また掃除道具がどこにあるのかもわからないのです

洗濯の仕方はやっと覚えました

・これで妻がいなくなればどうすればいいんでしょうか…

・いつ病院から電話がかかってくるかと思うと、落ち着いて眠ることもできません

家にいるよりもこうして病院にいるほうが安心なのです

・食事を食べないと「餓死」してしまうんじゃないでしょうか

 

なぜ食事を頑張ってとらせようとされていたのか、少しわかった気がしました

現状とこれから起ころうとすることがとても不安なのです

そして奥様のことを大切にしたい気持ちが先走ってしまい、私たちから見るとおかしな行動をとらせていたのでしょう

 

たえず緊張の中に置かれ揺れ動くご家族の迷いや苦悩、不安にすこしでも思いを寄せること、ご家族が「自分たちも精いっぱい世話ができた」「これでよかった」と思えるよう応援していくことが重要だと感じました

 

支援と一口に言ってもとても難しいことだと病棟を開設してからますます思うようになりました

 

私たちはまだまだ未熟です

今回は架空のお話で紹介しましたが、緩和ケアにたずさわるかぎりこのテーマは今後ずっと考え続けなければならないことなのです

緩和ケア病棟開設後最初の文化的行事として“バイオリン・ミニコンサート”を開催しました

この企画は「ホスピス緩和ケア週間」の一環として計画されました

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当日までに演奏してくださる先生への依頼、看護師や臨床心理士による準備、ボランティアさんとの相談などきめ細かな準備が行われました

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ボランティアさんたち手作りのクッキーの準備の様子

演奏者はわが神戸医療生協協同歯科の歯科医師、永田先生です

みごとな演奏でした!

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クラシックの演奏がはじまるとみんな静かに聞き入っています

「川の流れのように」「津軽海峡冬景色」とつづけての演奏には涙を流される患者さんがいました

患者さんたちは「この服のままで行ってもいいですか」「いい席に座らせてくださいね」「バイオリンは大好きです」などと、とても楽しみにされていました。

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一緒に口ずさむ人、手でじょうずにリズムをとられる方

わずか30分間でしたが、それぞれの思いがたくさん感じられた瞬間でした

さいごは……

圧巻の“情熱大陸”でした!

参加者は、患者さん、ご家族、ボランティアさん、職員、合わせてきっと40人にはなるかと思います

みなさん感動を胸に、永田先生に感謝の言葉を述べられていました

先生、ほんとにありがとうございました

大成功したこの取り組みを教訓に、これからも多彩な企画を考えていこうと担当者ははりきっているようです

 

 

ある女性のお話です

 

病気が見つかって数年

いろんな治療を受けてきました

 

腹痛と吐き気がつよくなり、緊急入院されました

 

ご本人は自分のこと、ご家族のこと、すべて一人で決めてきました

真面目に一生懸命生きてこられたのだと思います

 

症状が落ち着くと退院への希望が強くなりました

ご家族のことが心配なのです

家事が十分にできなくてもいい、家族と一緒に暮らしたいとの思いが日に日に募ってきました

 

でも、

病状は生易しいものではありません

一人でできることには限りがあることは、入院生活を見ているとだれの目にも明らかです

 

当初躊躇されていたご家族はご本人のつよい気持ちと、私たちとの話し合いの中でなんとか支えてあげましょう、ということになりました

……今しか家に帰ることができないかもしれない

 

難問は患者さん本人の自覚です

「家のことは何とかできます」

「点滴も自分でします」

「家族には頼らなくてもだいじょうぶです」

などなど

 

しかし症状は不安定で、調子のいい時には歩行器で歩かれており、食事もある程度は食べることができますが、ひとたび具合が悪くなると、「もうダメ、とても帰れない」と急激に弱気になります

重い病気を抱えていれば当然のことですね

 

まわりはハラハラしながら、みんなの力で援助をしようと相談しました

 

往診はこの先生に、訪問看護はここに依頼を、ヘルパーさんは何回必要? ケアマネジャーさんへの連絡は? などなど

ご家族もこの時間ならそばにいてあげることができます、トイレの介助もしましょうとやり繰りしていただきました

 

そんな周囲の心配をよそに、患者さんは「自分でします!」と強気の発言をされることも…

その時々の感情の変化に困る毎日でした

きっとご本人も迷いがあったのではないでしょうか

 

 

そんなある日、私は時間を少しいただいて患者さんとお話をしました

「○○さんはぜんぶご自分でしようとされていますね」

「きっとできると思います」

(病院のような療養環境が自宅でどの程度実現できるのかな?)

「でもね、しんどいときにはトイレに移るのもやっとでしょ?」

「先生、わたし家では一人でしますよ」

なかなかかみ合いません

 

そこで言い方を変えました

「○○さんは人からの援助、手助けはいやなのですね」

うなづかれます

「それならこう考えればどうでしょうか」

やや怪訝な表情

「人に助けてもらうという考えではなく、自分のしたいことができるようにまわりの人を『じょうずに利用する』ということではいけませんか? 自分でどんなことをしてほしいかを選択するのです」

表情に少し変化がみられました

 

それから数日後、

看護師さんの申し送りの場面です

「○○さんは、『自分の思うように家族やヘルパーさんを利用したい』と言われてます。これまで以上にご自分の考えをつよく持たれているようです」

それを聞いて私は猛反省です!

思いを伝えることはこんなにも難しいものだとつくづく感じました

 

 

これまでの急性期病棟での医療では、病気を治すことが最優先であり、そのためには患者さんの「自由の制限」もある程度やむを得ないこととして疑問に感じることはありませんでした

・食事が呑み込めなくなればミキサー食、それでも難しくなれば胃瘻を勧める

・トイレに行くことができなくなればベッドのよこにポータブルトイレをおき、そこで用を足してもらう、それもできなくなれば膀胱に管を入れたり、おむつにかえる

・歩けなくなれば車いす

これらのことを粛々と勧めてきました

そのおかげで、たとえば栄養がとれるようになった、失禁の予防ができ清潔が維持できた、転倒を防ぐことができた

結果、病気もよくなり退院された

当然患者さんやご家族に説明しながらの医療行為です

かってに医療者だけで行っているわけではありません

しかしときにはその行為が「ルーチン化」してしまい、あたりまえの医療・ケア・援助となってしまっているように思うときもあります

入院という「非日常」の生活・療養環境のなかで、患者さんの選択の幅は大きく制限されてしまうことになるのじゃないかという心配があります

これは元気な人にはなかなか理解ができないことのようです

 

 

緩和ケアの研修に行き、4か月間病棟の医療に携わるなかで、終末期の方への対応は急性期医療と同じではいけないのだと気づきました

ある研究会で「自律」という言葉がたくさんの人から聞かれました

「自立」は、足が不自由な方がリハビリの結果杖をついてトイレまで歩けるようになった、介助されていた食事を自分の手で食べることができた、などのときに使います

一方、「自律」は「人間として選ぶことができる自由がある」ということです

(参考:「緩和ケア読本」小澤竹俊著)

一人でトイレに行けなくなったときに、車いすに乗せてもらってトイレまで連れて行ってもらう、あるいはベッドの横にポータブルトイレを置いてもらう、あるいは膀胱に管を入れて尿をとってもらう…などのいくつかの方法を「自分で選んでもらう、選ぶことができる」ということなのです

食事の準備をしたいが買い物には行けない、食材を前にしても最後まで自分で調理をすることが難しい

そのようなときに家族の力に依拠したり、ヘルパーさんの援助を求めたり、自分でもっともよい方法を選んでもらうのです

 

 

その意味をこめて先ほどの女性の話を振り返っていただければありがたいです

 

そして彼女への説明がうまくいかなかったのは間違いなく私の力量不足によるものでした

 

 

これからもこのテーマは考え続けたいと思っています