緩和ケア病棟には様々な職種が関わってくれています リハビリスタッフに原稿のお願いをしたところ、5人のスタッフからあったかい文章が届きました 以下に紹介します

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<その1> 緩和ケア病棟が6月に開設しこれまで四人の患者様を担当させていただきました。その中で印象に残っている二人の方について書かせていただきます。   1人目は80代の男性の方です。○○さんは病院の近くに妻と二人暮らしをされていました。娘さんは結婚して遠方に住んでいましたが、よくお見舞いにこられていました。 ○○さんは、「一度でいいから家に帰りたい」と言われていたので、リハビリがはじまり、介助でリクライニングの車椅子まで移れるようになった時にお家の見学に行きました。玄関の入り口が狭く、車椅子が一台なんとか通れるくらいで、玄関には大きな段差がありました。車椅子に移れたし、長い時間も座れるようになってきたので、家の中までは無理だとしても、家の前までは車椅子で散歩に行くことはできると思い「○○さん、車椅子乗れるようになったし、家の前まで散歩に行きませんか?」と言うと「リクライニングの車椅子は少しなぁ。ちょっとたいそうやろ?普通の車椅子やったらええんやけどなぁ。」と言われました。よくよく聞いてみるとリクライニングの車椅子では少し近所の人に見られるのが恥ずかしいようなことを言われていました。そうしているうちに徐々に状態が悪くなり、起きることが難しくなってきました。 状態が悪くなってからもベッドサイドでマッサージをし、お母さんや娘さんと色々話をしました。その中で、お母さんに「この人、先生が来るのをすごく楽しみにしているんですよ」と言われました。自分は特に何もしてあげられていないのに、こんなことで楽しみにしてもらって良いのかな?家に帰れなくなってしまったし、これからどう関わったら良いのか?と思いながらリハビリを続けていました。 この方は、結局、家に帰ることができずそのまま亡くなってしまいました。状態がいよいよ悪くなり、亡くなる前日の夕方に部屋を訪れました。訪室すると、娘さんが遠方から駆け付け、いつものようにお母さんがおられました。二人とも涙を流しながら「今日は朝からずっと目をつむったままやわ。」「色々、ありがとう。この人リハビリ楽しみにしてたんよ」と言われました。今まで、何人も担当していた患者様が亡くなってきましたが、亡くなる直前にご家族様と話をし、ご家族の泣いている姿も見たことがなかったので自分自身も何か今までにない悲しい気持ちになりました。結局、家には帰ることができなかったけど、自分自身は今できることを精一杯できたのではないかな?と思いました。 2人目は40代の男性の方です。□□さんはとても気を使われる方ですごく礼儀正しい方でした。リハビリを開始した当初は足の力が弱っていて歩行が不安定でした。最初は歩行の安定性向上を目的にリハビリをはじめましたが、すぐに歩行は安定し長い距離も歩けるようになりました。その方は特に何かしたいということも言われず「一度、家に帰って整理をしたい」とだけ言われていました。外泊はできませんでしたが、外出され家で車を動かしたり、役所に行ったりして用事を済ませてきたと言われました。この人にリハ職種としてどのように関わったら良いのか?ずっと考えていました。この方は体調が時間帯によっても大きく変わりリハビリができない日もありました。普段はリハビリ室で運動をしていたのですが、ある日体調がすぐれずベッドサイドでリハビリをする日がありました。その時、ちょうど芸能人の川島さんが癌で亡くなったり、北斗さんが乳がんで手術をするということがテレビで流れており、普段テレビをあまりみない方がたまたま見ていたテレビでこの放送をしていました。テレビを一緒に見ていて、つぶやくように□□さんは「みんな癌で死んでいってしまうなぁ」と言いました。僕はそのつぶやきに何と答えて良いのか?とても悩み黙ってしまいました。あの時、□□さんはどう思っていたのか?今もすごく心に残っています。年齢の近い方の死、そして癌で亡くなったということに対して何か思っていたのでしょうか?僕は何か声をかけてあげたら良かったのか?今でもよくわかりません。その後、徐々に状態が悪い日が続くようになり、この方のしたいことなどをうまく聞き出せずそのまま亡くなられてしまいました。状態が悪くしんどい時、お部屋を訪ねてもいつも「来てくれてごめん。今日は無理ですね。すいません。」としんどいのに気を使って言ってくれていたのを覚えています。この方にはどのような声をかけてあげて、どうしてあげたらよかったのか?今でも考えてしまうことがあります。   今まで緩和の患者様を担当して一人目の方のように明確な希望があり、何かしたいことがある方はすごく関わりやすかったような印象があります。二人目の方は、したいことを聞き出せなかった自分にも後悔があります。ただ「何かしたいことありますか?」と単純に聞けるものでもなく、話の中から聞き出していくことの難しさを痛感しました。今後も患者様・ご家族様と色々話をして正面から関わっていくことで何か聞き出せることがあるかもしれないと思っています。

理学療法士Mくん

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<その2> 夏から初めて、緩和ケア病棟のKさんの担当になりました。リハビリ介入当初は、頭痛や倦怠感が強く家族さんに説得してもらいマッサージ中心のリハビリから入りました。だんだん会話やKさんの要望も多く聞かれるようになり、故郷の事や好きな食べ物の話をたくさんしてくださいました。 Kさんはベッドから起きることへの拒否が強い方でした、車椅子に座る時も病棟に協力してもらいながら本人を説得して移ってもらっていました。私自身もその件で、「もっと動けるのにもったいないな、でも本人が嫌がるし無理に起こす事はどうかな」と悩むことが多かったです。本人に何かやりたいこと、できるようになりたい事はないか聞いてみると、「自分の足で歩きたい、使い慣れた押し車で歩きたい」という言葉が聞かれました。それ以降、数回Kさんと歩く練習をしました。歩行には介助も必要であり、動作後の倦怠感も強い状態でしたが、歩いた後のKさんの満足そうな顔と次は押し車で歩くと言いながらみられたやる気に満ちた顔をよく覚えています。 Kさんを担当して、自分のリハビリに悩むことが多かったですが、毎回リハビリを楽しみにしてくださり、一緒に色んなことをして過ごせてよかったと思っています。

理学療法士Tさん

<その3> 安静臥床が長くなり、起きたり歩いたり、トイレへ行くことも難しくなっていた患者様を担当させて頂きました。 元々カラオケや旅行など趣味が多くアクティブな方で、リハビリは開始時から積極的に取り組まれました。痛みがありますが服薬でコントロールしながら、毎日リハビリを行い、座る練習から立つ練習、トイレを使う練習へと少しずつ進み、そして今は歩行器で歩く練習を行っています。自分から「ちょっと歩いてみよか」「もう一回行ってみよか」と言われるなどとても意欲的です。廊下を一緒に歩いていると、主治医の先生や看護師さんらから声をかけられ、素敵な笑顔を見せてくださいます。またリハビリをしながら家族の話や趣味の話、以前訪れた名所についてなど、色々な話をしてくださいます。 患者様の頑張っておられる姿を見ると、こちらも力が湧いてきます。そして日々のやり取りやお話の中から多くの事を教えて頂き、学ばせて頂いています。 これからも緩和ケアに関わる他職種の方々と共に、患者様に寄り添い一緒に考えながらサポートしていけるようにしたいです。

作業療法士Cさん

<その4> 緩和ケア病棟のリハビリを担当し約3ヶ月が経ちます。 はじめは緩和ケア病棟に向かうのにもどこか緊張感を感じていました。一般病棟にいる患者様と何も変わらないのに、どこかでどういう風に接したらいいのかと思うこともありました。3ヶ月が経った今はもう緊張することなく、詰所に毎日飾られている季節の生花をM氏と一緒に鑑賞するのも楽しみの一つになっています。  今回、緩和ケアの担当セラピストになりリハビリスタッフとして関われることはどんなことなのかと考えました。決していい方向には向かうのが難しい状況のなかでなにができるのかと。  うまくいえませんが、患者様は個々に疼痛や痺れといった様々な訴えがあると思います。そこで投薬だけでは改善できない、身体を軽くする・散歩に行くといった気分転換などを私達リハビリスタッフが少しでも身体を楽にできるマッサージや環境設定を提供し、家族や主治医、看護師さんとは違う形で関わりをもてたらと思いました。また1日の中でリハビリの時間を楽しみと思って頂けたら嬉しいなと思い介入しています。  今後、主治医や看護師さん、リハビリスタッフともっともっと情報共有しあい、よりよい関わり合いが出来たらいいなと感じています。

                     理学療法士Oさん

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<その5> 理学療法とは病気、けが、高齢、障害などによって運動機能が低下した状態にある人々に対し、運動機能の維持・改善を目的に運動、温熱、電気、水、光線などの物理的手段を用いて行われる治療法です(理学療法士協会ホームページより抜粋)。   緩和ケア病棟に入院している患者さんは、一時的に運動機能やADLが改善する場合があるものの、間違いなく運動機能もADLも低下していきます。そのような中で、理学療法士としてどのように関わっていけるのか、何ができるのかを日々考えさせられます。   運動できる患者さんに対しては、体を動かして機能維持を図ることができるけど… 今担当させていただいている方は、肺がんの末期であり酸素療法を行っている方。動くと疲労感が強くなっており、最近では座位での運動でも疲労感を訴えられるようになりました。「おいしいものや好きなものが食べたい」という希望があるため、希望があるときは一緒に買い物に行っています。 しかし、今後さらに動けないようになってくることが予想され、その時何ができるのだろう?   在宅で末期がん患者の看取りに関わっている、知り合いのケアマネージャーからこんな話を聞きました。   「普段は痛みでよく眠れないけど、マッサージしてもらっている時はよく眠れるみたい。機能がどうこうというのも大事だけど、体に触れられる温もりがあって、心身ともにリラックスできる時間って、すごく大切だと思う」   私たち理学療法士は、ついつい身体の機能やどれくらい動けるのか、ということを考えそこにアプローチしようとしてしまいます。でも、緩和ケア病棟の患者さんにはそれだけでは不十分だと感じます。 残念ながら、理学療法ではがんの痛みを取り除くことはできません。ですが、がん以外の身体痛みは、和らげることができるのではないでしょうか。 今後、なにができるのかわかりません。ですがせめて心身の痛みを和らげ、できる限り患者さん・ご家族が穏やかに最後を迎えられる何かを探し続けていきたいと思っています。

理学療法士Fくん

    若いセラピストたちが緩和ケアにおけるリハビリテーションとは何かと、毎日悩みながら、また工夫しながら患者さんとともに頑張っています   いただいた文章を読みながら胸にぐっとくるものがありました 私が長々と述べるよりも、みんなの実践とそのときに感じてくれたことを知っていただく方がはるかに意味のあることでしょう   その一方で、緩和ケア病棟でのリハビリは診療報酬上「無報酬」となっていることがとても残念です blog17_04

私たちが元気になるきっかけはどこにあるのでしょうか?

最近「達成感」が薄れてきているように思うのは疲れてきているためなのでしょうか

こんなことを書くと、患者さんやご家族に申し訳ない思いでいっぱいになります

 

――少し振り返ってみます

 

☆病棟を開設して間もない頃です

40歳代の女性が入院されました

がん治療がつらく、病気に関してもストレートな表現で説明(たとえば「奇跡はおきないよ」など)を受けてこられて、心身ともに傷ついている印象でした

若い息子さんが付き添ってこられていましたが、彼も同じような気持ちだったようです

言葉や態度に医療への不信が滲み出ていました

 

病状から考えてそう長くは頑張れないと判断されました

初対面の時から今後の長くはない時間でのお付き合いを大切にする必要がありました

前の医療機関を超える関係づくりが求められ、スタッフは頻繁に患者さん、息子さんと話し合いを持ちました

彼女には入院中にどうしても実現させたい夢がありました

息子さんや知人、スタッフみんなでなんとかしようと努めましたが、残念なことに私たちの努力以上に病気の勢いが勝り実現はできませんでした

しかしこの中で息子さんの思いを幾度となく聞きながら一緒に取り組んできたことが、彼の気持ちに変化をもたらしたのかもしれません

 

1か月たらずの闘病の末に患者さんは旅立たれました

最期を迎えた日、息子さんはいくつかの言葉を残されていました

「医療系の仕事ってたいへんですね」

「苦しまなくてよかった」

「いい歳して泣いてしまいました…ありがとうございます。ここからは切り替えていきます。母に心配かけないように…一人で何でもやっていかなきゃいけない…」

担当の看護師さんはその言葉を聞きながらいっしょに荷物の整理をしてくれました

 

四十九日を終えられたある日、息子さんがナースステーションにあいさつにこられました

元気そうです

「一人でやれていますよ」

 

最後に言われたことが私を元気づけてくれました

『…この病院に移ってよかったって思います』

 

 

☆もう一人のお話もしましょう

高齢の男性です

入院されてた病院から移ってこられたとき、いくつかの症状で苦しまれていました

私たちは患者さんの苦痛をまずなんとかしようと資料を調べたりしてその日のうちにある程度の苦痛を軽くすることができました

表情が穏やかになりました

 

でも病状はかなり進行しています

数日後には意識も低下してきました

1週間と少しで旅立たれました

短いお付き合いでした

 

最期に苦しみから解放されたことでご家族は安心されたようです

 

お見送りのためにともにエレベーターに乗ったとき、娘さんが私に耳打ちしてくださいました

『このような病院がいっぱいあればいいのにね…』

 

今思うとそれぞれのご家族はなにげなく話されたことなのかもしれません

しかし、私たちにとっては「最高の褒め言葉」だと受け止めました

 

 

ささやかなことが日々の疲れを癒してくれます

元気の源の一つです

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病棟をオープンして5か月半
やる気満々でスタートしました

しかし、ここにきて悩みが増えています

当初は「緩和ケア」あるいは「緩和ケア病棟」への理解の仕方に病院内で温度差があり、戸惑う毎日でした
今はそのようなことも少なくなってきています
(課題は山積みですが)

今回ぶつかっている問題は、きっとどの施設でも開設時には悩まれたことばかりだと思いますが、いざ自分がその立場になるととても苦しくなります
順不同であげてみます
――「弱音」と受け取られるかもしれませんが、決して自分ではそのようには考えていません
むしろ越えなければならないハードルだと捉えています

・薬の使い方は決して教科書通りにはいかないものだと実感
ある本の著者は次のように書かれていました
「緩和の難しい苦痛に遭遇し、本を調べて得られることでは太刀打ちできないというケースにたびたび遭遇しました」
ほんとにその通りでした!
・病院によって治療の方法、薬の使い方があるいは大きく、あるときは微妙に異なるということに気づいた
上記の著者の言葉を再度引用します
「さまざまな事例に対処できる臨床は個々の臨床家が経験の中で培った小さなノウハウの集積であるのだな…」
・私も含めてスタッフの知識や経験、力量に差があることからスタートせざるを得なかった
急性期医療のスタイルや感覚からの脱却が求められたし、自分よりも臨床の経験が豊富なスタッフたちへ迷惑をかけてきたことを反省しています
一層のチーム内でのコミュニケーションが求められています
・勉強には限界がないことを痛感、そして我流でもだめなことも
相談に伺ったある先生からは「ノウハウでなく、なぜこの薬をこの順番で使用するのかを文献にもあたって考えなさい」とアドバイスを受けました
真摯な気持ちで取り組みたいと思います

悩みが大きくて体調を崩すこともありました
ひょっとして自分には向いていないんじゃないのか、他の先生ならもっとうまくできたのじゃないかなどと思うことも正直なところありました

しかし、責任をすべて引き受けた限りは形ができるまで全うする覚悟は持ち続けています
困りごとから目をそらさない姿勢は大切にします

先人から見ればささやかな悩みなのかもしれません
ずっとあとになれば同じことで悩んでいる同業者にはきっと何とでもなるよとアドバイスができることでしょう

それまではもっともっと悩みながらいい病棟を作っていきたいものです

まわりには話を聞いてくれたり、相談にのってくれる仲間がたくさんいるのですから…

――歯科の衛生士さんから文章をいただきました

担当を始めて1年になる○○区在住のA様、歯周病の治療で定期的に来院されていました
ある日の来院でA様は、最近忙しくて(歯を)磨けていないんです
出血があります
と言われました

お口の中を確認してみるといつもきれいに磨かれているのに、普段と様子が変わり、炎症が強く現れていました
話を伺うと、今年の夏は忙しくて・・・・・・・・・・、実は父親が亡くなりまして……

ゆっくりとA様は振り返るように話されました
父が緩和ケア病棟でお世話になっていたんです
その父が夏に亡くなりました
本当に短い期間だったけど、協同病院の緩和ケア病棟の方々にはよくしてもらいました

私はA様の思いをどのように受け止め、話を返せばいいのかわからず、ためらいながらも大変だったんですね  としか言葉をかけるしかできませんでした

私は歯科に来ている担当患者様が、協同病院の緩和ケア病棟を利用していたということを知ったことが、私にとっては、遠い存在だった病院を、とても身近に感じる出来事となりました

患者様を通して協同病院と協同歯科が繋がっているということや、
自分の働く神戸医療生協が緩和医療を行なっていることを誇らしく思いました

涙を浮かべながらも語られたA様は、またこれからも宜しくお願いしますと最後は笑顔で帰っていかれました

協同歯科 歯科衛生士 S

(栄養士さんからのお話)

お酒とタバコが大好きだったある男性(Aさん)は、自分で食べたいものを買われることが多かったため、栄養科からは希望のある時に合わせてお食事をお出ししていました。

ある時お部屋に伺うと、お酒の話に。

緩和ケア病棟では、お酒も楽しめます。(もちろん酔っ払いは厳禁ですが)
一般病棟から移ったばかりのAさんにそのことを伝えると、Aさんの目がぱっと光りました。

「僕、お酒大好きなんですよ。」

聞けばAさん、かなりの酒豪だったようで、入院前はジョッキ5・6杯は軽々飲んでいたとのこと。病気をきっかけに徐々に飲みづらくなり、病気になってからは飲酒後に一度熱を出した経験から怖くて飲めなくなってしまったとのこと。

「ここでなら、病院だし、安心して飲めますよね!せっかくお酒飲むんだから、酔っ払うまで飲みたいなあ。病院で飲んだら、帰る心配しなくていいですよね!眠剤も飲まなくていいし・・・酔っ払ってベットに倒れこむ・・・!今日からの人生の楽しみができました。」

私もお酒が大好きなので、同じお酒好きとしては、酔っぱらう楽しさもよくわかる。でも…うーん。そんなに酔っ払うまで飲むのは、先生がOKしてくれるかなあ・・・?

先生に確認したところ、お酒はビール1~2杯にしましょうということになり、それを伝えにいくとAさんは「それでもいいです。」と笑顔で答えてくれました。

そして当日・・・薄く雲のひろがる、風が気持ちいい絶好のビアガーデン日和。
私は夕方頃から簡易のイスと机を屋上に引っ張り出し、調理師さんたちが昼休みに材料を買いに行って作ってくれたばかりの揚げ物やサラダを並べます。

Aさんは、私が部屋にお迎えに行くと、いそいそ楽しそうに焼酎のカップ酒を取り出します。あれ?ビール1~2杯じゃなかったかな?焼酎のほうがアルコール度数高いんだけど・・・大丈夫かな?

担当の看護師さんが「後で行くからね。」と声かけしてくれ、さっそく乾杯し、ビアガーデンスタート。

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「今から病院でビアガーデンするんやって会社の上司に電話したんですよ。そしたら絶対嘘やって言われて。本当なのにね。」

Aさんはうれしそうに話してくれます。

病院の屋上から空を眺めていると、飛行機が何機も飛んでいきます。お酒とおつまみを食べながら、Aさんはいろいろな話をしてくれます。飛行機が好きで、一度だけタイに行ったことがあること。中学時代はこのあたりが地元で、新長田の南側の景色はちっとも変わらないと思うこと。Aさんは独身ですが、結婚の話も少ししてくれました。昔は結構遊んでいたようです。

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病院の南側は海なので、飛行機以外に時折船が通りすぎていくのも見えます。
外で飲むお酒はおいしい。

こうしてAさんは、協同病院でビアガーデンをした第一号の患者さんになりました。

少し寒くなってきたので、そのあとは院内に移ってお酒を飲みました。主治医の先生をはじめ、MSWや病棟の看護師さん、色んな人が来て、一緒に食事を食べました。

「入院して、誰かと食べる食事が一番美味しいというのを本当に感じました。おいしいものも、一人で食べるより、誰かと食事をするほうがずっとおいしく感じます。」

Aさんは結局この後、チューハイも1本開けて楽しそうにみんなと話をしながら飲んでいました。

「また、ビアガーデンしましょうね!」

次の週に訪問すると、Aさんはそう言いました。

Aさんは、本当にお酒とたばこが大好きでした。

食事には体に栄養を補給するということと同じかそれ以上にコミュニケーションを図る力があります。それは心の栄養の栄養になります。

「楽しみが増えました。」

Aさんは食事のメニューや食べたいものを提供できるように私が提案すると、いつもそう言ってくれました。

ワードローブにたくさん詰め込んだおつまみをうれしそうに見せてくれる姿と、焼酎をおいしそうに飲む姿が、ずっと残っています。

 

とても印象に残った試みだったので、
無理なお願いをして栄養士さんに投稿
していただきました!