病棟の受け持ち看護師さんからお亡くなりになられた患者さんのご家族にお手紙を送らせていただいています

ご返事をいただいたり、それ以外にもご家族から手紙が届いたり…

 

今回開設間もないころに入院された患者さんの娘さんからいただいた手紙を、ご本人の了解のもとご紹介させていただきます

 

―― 2015年7月に母が亡くなり、早いもので半年が経ちました。12月半ば、生きていれば82歳の誕生日。大好きだったイチゴのショートケーキを買い、遺影の前に供えて花で飾り小さくお祝いしました。

あっという間の6か月。日々の生活の折々は寂しくなりましたが、でも、いつも一緒にいる気持ちです。毎日、私の作った食事を供えて、一緒に食べて、話しかけて・・。

こんな時、こんなこと言うだろうなぁ・・などと思いながら、過ごしています。

 

体調がすぐれなくなった週末の3日間泊まり込み、4日目、一旦、帰宅した翌朝に亡くなり、最期のときに傍にいてあげられなかった、会えなかったことへの自分自身の納得できない気持ちは、たくさんの方々に言葉をいただいても、今もなお、心のどこかに住みついています。「もっとこうしてあげたらよかった」さらには、「もっと早く気づいてあげられなかったのか・・」と、今なお自問自答しています。本当は、母はどう思っていたのか・・今となっては、知るすべがありません。

 

毎日、病院から帰るときに「帰るね」と言うと、決まって「(駅まで)広い道、通って帰りよ」「明るいとこ、通って帰りよ」と、いつも気遣ってくれた母。

また、帰るときに「ありがと」と言うので、私も「ありがとう」と言うと、「なんで、あんたが『ありがとう』言うの?」と言うので、「『ありがと』って言ってくれて、ありがとう・・」というと、なんだか微笑んでいました・・。今までずっと、私の世話ばかりをしてきた母に少しでも役に立てたような気がして。「ありがとう」・・そう言ってくれる母が嬉しかったのです。

 

先生や看護師さん、外科病棟、緩和ケア病棟の方々をはじめ神戸協同病院のみなさまに、81年の母の人生の最期を支えていただき、本当に感謝いたしております。

いま、一人になった私を気遣い、周りの方々からのメールやお手紙で、近況を尋ねてくださったり、「遊びに行こう」と誘っていただいたりと、たくさんの方々に「支えられている」毎日を感じています。

心にぽっかり空いた穴を、まだまだ埋められずにいますが、毎日を元気に過ごすことが、きっと母への供養になると思い、たくさんの楽しい報告ができるよう努めていきたいと思っています。

ありがとうございました。 ――

 

 

娘さんは毎日仕事の帰りに病室に立ち寄られ、遅くまで付き添われていました

ときには泊まり込まれて…

「母ひとり、娘ひとり」の生活を送ってこられていました

とても大切なお母様だったのだなあと、毎日の様子からうかがうことができました

 

お手紙をいただいてお礼の電話をさせてもらいました

元気な中でもときに声が小さくなります

でも、たくさんの友人やお知り合いが声をかけてくださるそうです

 

悲嘆は簡単には解決しませんが、私たちはつねに寄りそっていきたいと思います

 

最近入院してこられた患者さんの話です

 

まず地元の新聞の切り抜きから…

『Mさんが約20年かけて製作した小型地車の入魂式が、Mさんの自宅前であった。地元の人や地車ファンら約60人が精巧に作られた地車にため息をついた』

 

何冊ものアルバムに整理された写真を見せていただきました

それが次の写真(一部)です

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“地車”、この漢字は“だんじり”と読みます

少し調べてみました

 

「地車(だんじり)とは、神社の祭礼に曳き出される、笛・太鼓・鉦などの囃子方を乗せた「曳き物・練り物」のひとつです。特に大阪を中心とした近畿一円で見られる「山車(だし)」のひとつをだんじりといいます」

とありました

江戸時代からあったようです

 

 

Mさんは大工さんです

震災前から準備をはじめ、工業高校の生徒さんたちといっしょに20年かけて手作りで仕上げられました

 

とてもりっぱです

 

 

Mさんは「身の回りのことは一通り整理をして入院しました」と言われます

しかしおなかは腹水で大きく張っていました

 

腹水がいくらか抜けると食事もとれ、「楽になった」と笑顔が復活します

その合間に地車の話など、いちど話し出すと話題が尽きません

 

この状態が少しでも長く続けばいいですね

 

ある日のことです

いつものように訪問診療に出発しました

すると、

目のはしっこに何やら見慣れない物体が…

動いているような、そうでもないような

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そうです

ぞう…ゾウ…象…!!

 

とても気になり少し寄り道をしました

お店の玄関にいました

「はく製なんです」

「防腐剤を塗ったので外で乾かしています」

「子供たちが触るといけないので見張っています」

とお店の人

 

中を覗くと他にも、トラ、シロクマ、その他いっぱい

「趣味でそろえています」とのこと

あらためてお店の看板を見ると、まったく関係のないお仕事でした

 

「きっと子どもの象なんでしょうね」

「ちょっとかわいそうかな」

などと話しながらつぎの往診先に急ぎました

 

 

私たちのまちにはこんな驚くことがたくさんあります

そんななかに緩和ケア病棟があります

もっともっとたくさんの人たちに知っていただきたいです

 

 

入院患者さんの散歩のときにお連れしたい場所でした

 

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1月24日、毎年恒例の「新春のつどい」を開催しました

300人を超える組合員と職員がともに参加し、大いに盛り上がりました

歯科職員の演奏、ふたりの方の講演、地域の組合員と職員のコラボによる出し物 などなど

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私は開催にあたりあいさつをさせていただきました

ここにその全文を掲載します

新年おめでとうございます

昨年は緩和ケア病棟の開設という大きな課題に全力で取り組みました。

ご協力ありがとうございました。

7か月あまり経過してなんとか順調に推移しております。

たくさんの地域、職場での多彩な活動、本当にごくろうさまでした。

さて今年は年初から大変な課題が提起されております。

まずつぎのスライドをご覧ください。

(以下の詩の紹介)

 

雪崩のとき(石垣りん 作)                                 1951年1月

人は

その時が来たのだ、という

雪崩のおこるのは

雪崩の季節がきたため、と。

 

武装を捨てた頃の

あの永世の誓いや心の平静

世界の国々の権力や争いをそとにした

つつましい民族の冬ごもりは

色々な不自由があっても

またよいものであった。

 

平和

永遠の平和

平和一色の銀世界

そうだ、平和という言葉が

この狭くなった日本の国土に

粉雪のように舞い

どっさり降り積もっていた。

 

私は破れた靴下を繕い

編み物などしながら時々手を休め

外を眺めたものだ

そして ほっ、とする

ここにはもう爆弾の炸裂も火の色もない

世界に覇を競う国に住むより

この方が私の生き方に合っている

と考えたりした。

 

それも過ぎてみれば束の間で

まだととのえた焚木もきれぬまに

人はざわめき出し

その時が来た、という

季節にはさからえないのだ、と。

 

雪はとうに降りやんでしまった。

 

降り積もった雪の下には

もうちいさく 野心や、いつわりや

欲望の芽がかくされていて

”すべてがそうなってきたのだから

仕方がない”というひとつの言葉が

遠い嶺のあたりでころげ出すと

もう他の雪をさそって

しかたがない、しかたがない

しかたがない

と、落ちてくる。

 

嗚呼、あの雪崩、

あの言葉の

だんだん勢いづき

次第に拡がってくるのが

それが近づいてくるのが

 

私にはきこえる

私にはきこえる。

 

この詩は朝鮮戦争が勃発し、自衛隊の前身である警察予備隊が発足した翌年、1951年に書かれました。

私たちは「しかたがない」ではなく「何とかしよう」と呼びかけましょう。

安倍首相は「つぎは憲法の改正(悪!)だ」と明言しております。

石垣りんさんは次にようにも述べておられました。

「平和憲法はたった一つの、私たちの大切な湖だと思うの。あれを手に入れるためにものすごく多くの人が犠牲になった…」

大変危険な状況です。

現在戦争法を廃止する「2千万署名」に取り組んでおり、神戸医療生協は55000筆という過去最高の目標をかかげております。

達成のためには全員の力が必要です。

ぜひ広げていきましょう。

今年は神戸医療生協の55周年を迎える年でもあります。

どんな年にしようかと今検討されております。

元気に、そしてみんなが頑張ってよかったねと言える1年にしていきましょう。

今年もよろしくお願いいたします。

 

当院の緩和ケア病棟の入院の窓口は、「地域医療部」の「地域連携係(看護師および医療事務)」が担当しています。

この間の業務の紹介と仕事を通じて感じていることを寄せてもらいました。

『緩和ケア病棟の窓口担当になって・・・

昨年の10月より、窓口担当をさせていただいています。

緩和ケア病棟の窓口業務は、まず医療機関の地域連携室から面談予約の相談を受けます。簡単に事情をお伺いし、診療情報提供書、入院相談用紙をFAXしていただきます。内容を緩和ケア担当医師に確認してもらい、面談予約をおとりします。面談予約が混んでいる時や、予約されている方が残念ながらお亡くなりになりキャンセルが出たときなどは、急がれている方の調整をします。依頼を受けた地域医療室の看護師さんや相談員さんと連携をとりながら進めていきます。

窓口は医療機関ばかりではありません。ご本人、ご家族から電話での相談や、直接来院される場合もあります。そんなときがとても気を使います。ほとんどの方が、「癌になってつらい治療を受けて、今の病院ではずっと入院ができないのでどうしたらいいか?」「ついこの間まで元気だったのに、動けなくなって大変になった」「痛がっている顔を見るのがつらい」など・・・直接の思いを聴くことになります。もちろん私の役割は、面談や入院までの説明をすることですが、様々な思いで電話をかけてくださったり、足を運んで来てくださっているのだと思うと、まず話を「聴く」ことから始めるよう心掛けています。

それは、癌告知を受けたショックな気持ちや不安、残された者、残されたことへの心配、化学療法・放射線療法などつらい治療を受けて頑張ってこられてきた経過や再発への無念さなど、できるだけ感じながら聴くようにしています。私自身は、患者様やご家族様のケアに関わることはありませんが、依頼があった時点で「緩和ケア」が始まっているという思いで関わります。寄りそう気持ちを大切にしていきたいと思っています。

緩和ケア病棟が開設され、半年が過ぎました。医師や看護師をはじめ医療チーム、ボランティアの方々が患者様やご家族様のために試行錯誤しながら、より良いケアを提供できるよう頑張っています。外部や相談される方へ、神戸協同病院の緩和ケア病棟の良さを伝えていくことも、窓口の役割として大切にしたいと思います。』

毎日多くの相談を受けてもらっています。

おそらく考えられないようなストレスもあることでしょう。

でも大切な役割です。

緩和ケアチームの一員としてともに頑張りましょう!!

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