あることがきかっけで「今日から第二の患者さん」(青鹿ユウ著)という単行本(漫画です)を知りました

さっそく本屋さんに行き

ありました…

 

一気に読み終わりました!

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小学館 発行です

 

入籍前の将来夫となる人(癌の患者さん)と妻となる人の物語です

たくさん考えさせられました

 

以下に勝手に抜き書きをさせてもらっています

(青字の部分が抜き書きです)

同時にそこから感じたことも

 

 

――がん患者の家族は患者本人と同様の感情や苦しみを抱くことから「第二の患者」とも呼ばれています

ご家族も体調の変化が生じたり、不眠になったり、イライラしたりされることがよくあります

また治療にかかる医療費の負担や、お世話をするために仕事を休むことからくる収入減などの経済的な心配も生まれてきます

ご家族は患者さんと同じくらい影響を受けています

*Aさんはずっとご主人に付き添われていました

体を心配した看護師は時々ご自宅に帰って休まれることを提案しても「だいじょうぶです」と頑張ります

ある日その理由を話されました

「この人は私の母親が不治の病になったときずっと私を支えてくれました。今その恩返しをしないとほんとに申しわけなくて…」

ご主人はしだいに意識をなくされていきました

Aさんはベッドの横に椅子を置いてずっとその手をさすりながら、「ほんとにありがとね」と声をかけられていました

スタッフのできることはそんなAさんをそばから支えることだけでした

 

――入院や慣れない環境の変化、治療にともなうストレスからパニックになる患者さん、一時的なせん妄となる患者さんが少なくありません(ここは私なりの解釈の文章です)

大切な人がそのような変わり方をしたのを目にされたご家族はとても不安になります

「どうなっちゃうんだろう…」

一晩中付き添われる方もいます

医療者は患者さんやご家族に安心していただく働きかけが大事になりま

*Bさんは入院後しばらくして夜間になると落ち着きをなくされます

急に起き上がったり、つじつまの合わないことを話されたり

ご家族はそんなBさんをみて、「認知症になってしまった」と大変悲しまれました

私たちは一時的な「せん妄」であること、決して認知症になったりおか    しくなっているわけではないことを説明し、安心していただけるようにフォローをしました

そしてご家族にもできることのアドバイスを行いました

この間のできごとは患者さんも覚えています

「何かおかしかった。でもとてもつらい気持ちだった」と言われました

 

――第二の患者は「献身的な看護の姿勢」を保とうとするあまり、うつ病などになりやすいと言われています

でも…

力になりたい自分も不安になる自分も両方いていいと私は思うんです

逃げ出したくなったりすることは決しておかしなことではないのです

*Cさん、母親との二人暮らしです

お母さんは癌以外にも大きな病をかかえていらっしゃいました

そのため介護が大変で、面談時には「夜は心配でほとんど眠れない日が続いています。母親は家にいたいって言うし…。私もできるかぎり世話をしたいと思ってます。でも時々イライラってなってショートステイに行ってもらうんです。そのときのお母さんの悲しそうな顔を見ていたら涙がでてきて…」と声を詰まらせました

緩和ケア病棟ではレスパイト入院でご家族に休養をとっていただく機会をもうけさせていただいたりします

ふたりだけでいると目の前のことに気をとられてしまい、肝心のことが見落とされてしまうことがあるようです

「じょうずに休んでいただいていいんですよ」と看護スタッフが声かけをさせていただきました

 

――患者になることも第二の患者になることも突然です

やれるタイミングにやりたいことをできるよう、がんばるのではなく自然に変化のときに備えていきたいと思います

今なにもできなくても悲観することはありません

必ず状況というのは変わるものです

そのときにがんばればいいのではないでしょうか

そのためにはときに体を休めたり、必要な知識を仕入れたり、病気から少し離れてみたり、一緒に旅にでたり…

いろんなことをしてみることもいいのではないでしょうか?

*1年間ともに頑張ったご夫婦がいました

以前からお二人で旅行に行かれていました

病気になってからもその習慣は続いています

ある日のこと、いっしょに家族風呂に入って寛いだ気分になっているとき、病気の奥様がご主人に言いました

「いままで本当にありがとうございました。我儘な私のやりたいことを黙って見守ってくれて、とてもうれしかったです」

仕事をしながら闘病生活を送られていた奥様は、職場でも重要な立場にありました

どうしても帰りが遅くなることもあり、そのときにはご主人が車でお迎えをされます

きっとご主人はハラハラしながら見ていたのだと思います

これ以上無理はしてほしくないと言いたかったのじゃないでしょうか

けれど何も言わず、奥様の希望を叶える裏方の仕事をされました

たまにはケンカになったりもしたそうです

そのお礼を奥様はなかなか言い出せずにいました

二人だけの旅でとうとう感謝の言葉を口に出すことができました

 

――(生活のことや経済的なことが目の前にあらわれて)患者同様混乱しているさなか、治療のサポートになる手続を求められたり、冷静な決断を迫られます

それは時にとても孤独な気持ちにさせられるのです

そんなとき、ちょっとしたまわりの声掛けや気遣いの言葉、支えがあるととても嬉しい気持ちになり、安心できます

家族の借金のこと、休業補償や生命保険の手続き

いっぱいあります

知らなかった家族のことも色々と分かったりします

誰にも相談できないまま途方に暮れてしまったご家族もいました

医療ソーシャルワーカーの出番です

 

――アドバイスは言われるタイミングも、言うタイミングもすごく難しい

そのタイミングは間違っていないか? そう一呼吸おいてもらえるだけで、第二の患者としてはありがたいな

焦って「うまいこと」を言う必要はないのです

いつも通り、当たり前の提供もときにはありがたいものなのです

男の人はとくに口下手です

「何か言わないと」と思っていてもうまく言葉にできません

逆に言いすぎてしまい、空気が悪くなることもあります

そんなときは無理をせず、それこそ「一呼吸」です

いっしょにビデオを見たり、おいしい食事を食べたり…です

 

――治療を続けていると色々なコトが起こり、ついつい患者本人より周りのほうが治療に前のめりになってしまうことがあります

治療の主役は患者さんです

「治療はやるかやらないかだけでなく、少し様子をみるのも大切なことなんですよ」と

患者さんもご家族も肩の力を抜くことがときには大切です

あの治療はどうか、こんなことを偉い先生が言っていた と次々と提案

される場面を見ることがあります

まわりのことが見えなくなっていませんか?

ご家族のことを思ってのことなのですがいちど力を抜いてみましょう

*テレビで知った高い「くすり」のサンプルを、ぜったいによくなるからと親戚から勧められて飲んでみたけれど…

どうすればいいですかと相談を受けることがたまにあります

(テレビとずっと診ている私のどちらを信用してくれるの? って言いたくなる気持ちを抑えて)

決めるのはご自分ですと突き放すわけにもいかず、そんなときは困ってしまいます

周りの方々にもいちど「肩の力を抜いて」と言いたくなります

大事な人であるから、前のめりになる気持ちもわかりますが…

 

――「少し立ち止まる」「肩の力を抜く」それも時に大切な治療法だと学びました

――大切な人が周りにいる限り、誰でも第二の患者になりえるんだな…って

私たちの目の前にいるご家族たち

まさにその通りなのです

 

 

作者の意図するところとは異なるかもしれません

私が感じたことを率直に述べさせてもらいました

→なので文責は私にあります

 

 

 

 

今年も新入職員がたくさん入職しました

入職式では例年のように私もあいさつをさせてもらいました

 

今年はふたつのことをとくにお話しました

 

その中の一つです

 

“(私たちの)仕事の対象は「心や体が傷ついた人たち」です

大げさな言い方になりますが、自分の人生観が患者さんや家族の人生観とぶつかったり、同僚の人生観との違いに悩むこともあります

そのときに何が大切なのか?

これから考えながら経験を重ねていってほしいです

きっと1年後には大きく変化した自分自身に気づくでしょう”

 

と話をしました

 

 

その後新刊の雑誌が届き、「『患者の価値観に寄り添う』と私がモヤモヤする理由」という特集が組まれていました

 

そこでは

「(対話において)自分の考えを話すだけではなく、相手の言うことをじっくり聴くこと、ただ聴くだけではなく、表面的な選択の背景にどんな理由があるのか、能動的に質問をして、相手の考えの根本にある価値観や前提を理解することである」

「(対話は)相手と同じ考えになることや、表面的な合意をするために行うのではない。むしろ、この部分は違うということをはっきり認識し、違いをもとに共同的、創造的な関係を築くために行われるのである」

と述べられていました

 

なるほど!

と思いました

 

日常の診療やケアの場面で

患者さんや(とくに)ご家族が「なぜこのようなことをされるのだろうか?」「どうして分かってもらえないのだろうか?」

と思うことがあります

 

たとえば

食事を食べたい

水分をとりたい

との希望が強いけれど

呑み込む力や能力が低下し

すぐにむせてしまう患者さん

がいます

 

誤嚥して

肺炎をおこされている患者さん

やむをえず絶食にしたり

水分にとろみをつけたり

させていただきます

 

ご家族にとってみれば

「何もたべないと弱ってしまう。餓死するんじゃないか」

と心配になり

頑張って食べさせようとされます

 

しかし

そのつど吐き出したり

咳き込まれたり

 

その時に私は

食事をすることのリスクの話をして

理解していただこうと努力します

 

そこから

考え方に食い違いが生まれてしまうことが

時にはあるのです

 

――なぜ頑張って食べさせようとされるのか?

――大切なご家族(患者さん)に何をしてあげたいと望まれているのか?

 

あらためてお尋ねして

その背景にある「判断」の生まれるところを

理解する努力がもっと必要なのでしょう

 

そこからより深いケアにつながるような気がしています

 

私にとって実際にはとても難しいことなのですが…

その努力は今後さらにしていかねば

と自らを励ましています

 

 

これから機会があれば

新入職員さんが悩まれているときに

もっと話ができればいいな

と思います

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今年は桜の開花が例年よりも早いそうです

いつものように患者さんと看護師さんたちが

近くの公園にお花見に出かけました

 

私も診療の合間をぬってお付き合い

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青空のもと満開です!

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患者さんたちは感激されてました

午前中にお出かけをして

午後からもまた友人と花見に行かれた方もいます

 

あたたかくて

素敵に晴れて

とってもいいひとときです

 

毎年の取り組みであり

いつもと同じ公園

いつもと同じ桜の木

いつもと同じ季節

なのですが

でも患者さんたちの感想は様々

当然と言えば当然のこと

 

昨年のこと

一昨年の日のこと

患者さんの顔

思い出します

 

 

ところで花見は昼間だけではありません

 

かつては夜桜見物とバーベキューが職員の恒例行事でした

残念ながら今はそれもありません

 

 

というわけではないのですが…

 

 

ほろ酔い気分で

夜桜見物に行きました

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場所は

神戸でも比較的有名な

生田川公園

名所だそうです

先に見えるのは新神戸駅

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ライトアップされ

何とも言えない雰囲気でした

 

桜の花の間からは

満月が…

 

 

風もなく

お酒のおかげで寒くもなく

 

ゆっくりと

見て回ることができました

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「満開の桜が見れればいいですね」

「いっしょに桜を見に行きませんか」

「桜の季節に間に合うかどうか…」

「桜どころか暑い夏も越せそうです」

など

患者さんやご家族に

“さくら”を引き合いに出して

“予後”のことを話すことが多いです

 

桜には申し訳ないと思いつつ…

 

 

それでも

患者さんやご家族は

そのことを目標に

一日一日を

過ごされています

 

いつもの如く午前中に患者さんたちの回診を終えて

「ちょっと遠くに出かけてきます」

と看護師さんに告げ

マイカーで出発

 

「なんかあればすぐ連絡しますよ~」

との声を後ろの方で聞きながら・・・

 

2時間余りかけて到着しました

写真を連続で掲載します

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出かけた先は

“琵琶湖博物館”

でした

 

様々な展示物がありました

「琵琶湖のおいたち」

「人と琵琶湖の歴史」

「湖のいまと私たち」

のコーナーではでは勉強になりました

 

水族展示室もよかったです

アザラシにも会いました

 

「ふなずし」はなんともいえない匂い~

 

春休みに入ったことから

小さなこども連れの家族でいっぱい

 

でもゆっくりと時間を過ごしてきました

 

さいごにもう一つ、琵琶湖の写真を

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ときどき

こうして

気分転換をはかっています

 

 

7年目の日がやってきました

地震や津波によって犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます

被災された方々、心からお見舞い申し上げます

 

原発の問題がいまだに解決に向わないことに腹立たしさを感じています

 

一日でも早く穏やかな日常が戻りますように…

 

1995年阪神淡路大震災を経験した私たちは

当時全国からの支援をいただき

あたたかい心に感激しました

そのお礼と感謝の気持ちをこめて、東北の支援に向いました

長期間のお手伝いとなりました

私も5月に休みをいただき(その間の仕事は同僚から援助をいただきました)、

仙台の坂総合病院を拠点として、約1週間滞在しました

 

その際の報告を病院やその他の機会にさせていただくことがあり

報告の一部を当時のことを振り返る意味でも

このブログに載せておきたいと思います

 

(以下の文章は当時の記録のままです)

 

―――わたし自身の経験から(2011年5月記録)

  • フローレンス・ナイチンゲールの言葉

〝看護が意味すべきことは、新鮮な空気、光、暖かさ、清潔さ、静かさの適切な活用、食物の適切な選択と供給――そのすべてを患者の生命力を少しも犠牲にすることなく行うことである〟

  • 実際に話をして感じたこと

「行ってみないと現状はわからない」「見てみないと生活はわからない」「話してみないと人の心はわからない」ということに尽きます

1)「行ってみないと現状はわからない」

比較的自由な時間があったので何か所か訪ねてみました

七ヶ浜、野蒜、石巻、仙台の中心街202-01

写真の上半分は七ヶ浜(坂病院からもっとも近い場所)、下半分は仙台の駅前です

*七ヶ浜は三方を海に囲まれており、海沿いに7つの集落があることからここの名前がつきました

のり、わかめ、あさりなどが特産品で、県内有数の広さを誇る菖蒲田

海水浴場や明治時代からの歴史を持つ高山外国人避暑地があるところです

しかしその面影は完全に消えてしまいました

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これは海水浴場だったところです

サーフィンするのには最適な場所だったと聞きました

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七ヶ浜では震災前に出来たばかりの火力発電所があります(未稼働)

石巻へは東塩釜まで電車が通っていますが、そこからは代行バスです

石巻市街地は水が引いたあとのヘドロが除去されていましたが、臭いと砂ぼこりがひどい状況です

途中の野蒜地域は重油のために運河が真っ黒で片づけもこれからという状態

高校生たちはバスを利用しての通学ですが、夜になって真っ暗なバス停 にひとり降り立つ女子高校生をみていると何とも言えない気持ちになりました

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石巻の街中は閑散としており、歩く人は支援にきている人ばかり

車がとおるたびに砂ぼこりが舞い上がります

信号は所どころ壊れ、全国から来た警察官が立って誘導していました

兵庫県警からも来ていました

 

2)「見てみないと生活はわからない」

①避難所での生活

・ホコリ(文化センターは土足、換気装置からグラスファイバーのような

ものが落ちて来る:知らずに口にしていた?)

咳が続いていた人が場所を代わっただけで咳が止まった

・プライバシー上の問題

段ボールで壁を作っている所、荷物だけで境界線を決めている所、まったく何もない所など様々でした

それぞれに理由があるのでしょうが一番気になったのは文化センター

大ホール脇の階段を降りた一番下に妊婦さんがいたことでした

・風呂は二駅むこうの多賀城駅前に自衛隊の風呂があり、そこまで入りにいきます

それでも足湯は喜ばれていました

・ペット同伴が可能な部屋はありますが、そこからもあふれた人が他の場所にまじって生活しています

  • 医療へのアクセス

近くには医療機関も多く、受診は比較的容易のようです

しかし、家の片づけを優先している人、受診しようにもお金のない人、

頻繁には受診ができない人、かかりつけが遠くの病院のため足の確保

が困難な人、風邪くらいと我慢している人 など事情は様々です

医師会との関係から坂病院が積極的に介入することは難しいとのこと

当面の薬も処方可能な日が限定されており、ほとんどは避難所にある

市販薬で済まさざるをえません

基本は受診を薦めるということのようです

■仮設住宅の状況:支援に入った人たちからの聞き書き

すでに仮設住宅への入居が始まっています

「なんでも相談」(5月末)の宣伝に入って話をされた人たちからの情報

を整理しておきます

・立地状況によっては買い物や医療機関受診に不便

通う手段がない

イオンが買い物客のために車を出すとのこと

・経済的な不安

家のローンが30年ある  家の再建のため二重ローンのおそれ

仮設は「2年まで」(阪神淡路大震災のときは4年半残る)

生活必要製品はそろっているが、水光熱費はすべて自前

払えない人たちの存在…>いずれは出ていかざるをえない(?)

「炊き出しなどは自立を阻害する」ということからできなくなる

・コミュニティ

阪神大震災の教訓から地域のコミュニティを維持する努力がされ

ている

しかし「避難所のほうがよかった」という声もある

賑やかさが減った

自治会の必要性

民医連の共同組織はあるが力が弱い

・日常の困りごと

夏にむけての衣類がない:多くが着の身着のまま

支援物資の衣類

蟻がたくさん発生している仮設がある

・今後の見通しがどうなるのか不透明

*自衛隊の状況(若い隊員に聞く)

多賀城駐屯地が近くにある

津波被害あった

隊員がひとり亡くなった

幾人かの遺体を見た

休みはあるがしばらくはまとまった休日はない(連休など)

各地からの支援も今後なくなる

(足湯に必要なお湯は自衛隊に頼っていたが、午後7時半までとなっ

てしまった)

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*全国の自治体からの応援(奈良県の人の話)

1週間ごとに交代で来ている

避難所でともに暮らしている

6月から引き上げることになる

 

3)話してみないと人の心はわからない

――具体的な話から――

  • 70歳代の女性、30歳の長男、27歳の次男の3人暮らし

「わたしは高血圧と糖尿病があり、左目は失明しています。手術も何回

か受けており、薬の種類もたくさんです。

地震のときにはかかりつけの病院にいて助かりましたが、そこにも津波がやってきて小学校に避難しました。最初息子たちとは連絡がとれず、

1週間後にやっと携帯がつながりました。ふたりとも無事でした。

津波のあと自宅に行き、薬は見つかりましたが波に洗われていたため洗って飲みました。

メガネを無くしてまだ作ることができません。髪の毛(真っ白)も染めたいのですがそれも叶いません。

わたしは身障のため病院までのタクシーは無料で助かっております。

幸いにも家からは夫の遺骨と愛猫(20年生きた)の遺骨を持ち出すことができ一緒に避難所にいます。

夫は喉頭がんで、最期は頸動脈にも侵潤して出血して亡くなりました。

最後のとき「わしの骨はおまえたちのそばにおいてほしい」と言われていたので見つかったときにはほっとしました。猫も家族同然でした。

避難所は2回代わりましたよ。最初の所ではたまたま血圧計を持っていたので心配されている人には測ってあげ『だいじょうぶだよ』と励ましてあげました。

仮設住宅は申し込みません。どこになるかわからなく病院への通院が不便だと思います。じぶんだけでなく息子たちのためにも…」

息子さん「わたしは長男ですが、弟といっしょに毎日夜まで家の片づけに行っています。ボランティアさんにお願いすれば、という声もありますが、大事なものを捨てられてしまう心配があるので自分たちでやっています。ある程度片がつけばお願いすることも考えています。

今後は近くでアパートでも借りようかと相談中です。弟は未熟児で御覧のように身体は小さいです。津波が来たときにはうちにいました。

屋根伝いに隣の家に移させてもらいましたが、弟は力が弱く自分ひとりでは昇ってこれません。なんとか引き上げることができました。彼は腎臓の一方が機能していなく、もう一方も半分の働きしかなく、いずれは透析か腎移植だろうと言われています。内臓全体が小さいのです。だから病院通いがかかせません」

優しい息子さんたちでした。

  • 75歳のひとり暮らし女性   ホール観覧席の椅子を利用して寝ていた

「わたしは津波で3時間水の中に浸かっていたのよ。左で大切なものが入ったバッグを持ち、右ひじで雨樋にしがみついていたの。まわりから『がんばれ、がんばれ』という声が聞こえてきたけど意識が時々遠くなって、車なんかがどんどん傍を流れていくのが見えたわ。『わたしは泳ぎに自信があったので流れていく自動車に飛び乗ろう』と思ったけれどそうしなくてよかった。自衛隊の船に助けられ坂病院に入院しました。体温がずっと下がっていたようなのね。でも3日で退院できたわ。家は残っていたので友人たちが家具をくれたの。だから家にいずれは戻ろうと思っている。朝日新聞の人がやってきて『あなたのことを記事にしていいか』と聞くので『いいよ』と答えて新聞にも載ったよ。今やっと笑うことができるようになったわ。助かってよかった、と思ってる。これまではひとりでやってきたけど、これからはあせらないで生きていきたい。ひとりでは生きていけないのよね。みんなの力の支えがこれほど大切だと人生初めて経験したね。いっしょに暮らしていた猫は助からなかったけど、里子の猫をもらおうかな?」

話をうかがいながら一緒に泣きました。さいごにはともに写真を撮らせていただきました。

  • 息子さんとの二人暮らしの女性  70歳代くらいか

「津波ですべてのものを無くしました。持ち出せたのは財布とカバンとオーバーだけです。家には自動車が3台突っ込んできてガソリンの臭いが充満しています。40歳台の息子は会社が津波でなくなり、解雇されました。今ハローワーク通いです」

(大震災に伴う失業者数は全国で45万~65万人:5/17日本総研)

  • 2週間前に高熱があり、解熱はしたものの咳と痰が続いている男性

かかりつけ医受診を何度かすすめてやっと受診、抗生剤の処方をしてもらう。しかし、症状はつづき坂病院でレントゲンを撮ってもらうことをすすめたが再度同じかかりつけ医に行き、薬を継続、レントゲンは撮らず。2日まえからは一緒にいる妻に発熱、咳が見られるようになる。感染症が心配です。

 

日本は災害の多い国です

地震や津波、火山の噴火、台風や気候の大きな変動 などなど

私たち自身の備えだけでは十分ではありません

ひとたび災害が発生すれば

国がどれだけ国民の命や財産と生活を守り、保障するのか

被災地の復興に国が責任を果たすことが大きく問われています

 

日に日にその思いを強くしています