Aさんに癌が見つかったのは貧血の精査で胃カメラを受けたときでした

 

たまに腹痛がありましたが

食事は十分にとれる状況

 

専門の病院への紹介をされるも

ご本人の意志で治療は受けないと心を決められました

 

貧血が進行するたびに輸血を受け、調子がよくなります

 

しかし

頻繁に腹痛が襲うようになり

Aさんにとってはやむを得ない入院となりました

 

もともと一人暮らし

病院近くのマンションで悠々自適の生活を送られていました

ご家族はいますが、「音信不通や」とのことで

連絡がとれません

 

入院時の症状は

「おなか全体が痛くなってくる」

「おなかが張る」

「食事が減ってきた」

「大便の色が黒い」

見ていると体全体をふらつかせながら歩いています

でも転倒することはありません

 

もう一度胃カメラを受けていただきました

最初と比べてあきらかに大きくなっています

 

入院後の薬(トラマールという名前です)で痛みが楽になったAさん

退院への思いが強くなってきました

 

外泊をしてもらっても満足されません

 

一方では貧血がふたたび出現

腹水も増えてきました

同時にADLが低下

歩行の様子をみているとフラフラです

 

――これで一人暮らしは大丈夫だろうか?

 

だれの説得にも耳を貸しません

「覚悟は前から決めていた」

「自分で決着をつけたい」

などこちらが不安になるような発言もされます

 

 

結局、

訪問看護にたより

私が往診に行かせていただく

ということで退院となりました

 

 

……数日後

 

看護師さんが訪問すると

もぬけの殻です

テーブルの上には書き置きが・・・

(ここには書けませんが、かなり不安を起こさせる内容です)

 

関係者で必死に探しました

「いつものコンビニにはいなかった」

「どこかで倒れてはいないだろうか」

「警察にも協力してもらおう」

など

その日は残念ながら発見されません

 

私たちはきっと大丈夫だろうと思う反面

もしものことがあったら・・・

とみんな気が気ではありません

 

 

その2日後

帰宅されました!

 

墓参りに行こうとしたけれど

途中で力尽きた

とのこと

 

 

脱水状態です

ふたたび入院へ

 

腹痛がますます頻回に襲ってきます

お腹の張りも大きくなっています

食事はほとんどとれません

 

 

ここでありがたいことに

オピオイドの効果がありました

 

再度、自宅に帰りたい要求が頭をもたげてきました

 

Aさんの希望を尊重し

翌日に帰院することを条件に外泊です

(これが最後の外泊になるかもしれないなあ とみんなは思いました)

 

しかし……

またまた帰りたくない欲求が

 

看護師さんの説得にも応じてくれません

 

私は仕事を終えてから

患者さん宅を訪ねました

 

マンションの入り口で出会えてほっとしたところが

 

「病院にはもどりたくない」

「自分で自分のけりをつける」

 

いつもの言葉です

 

ここで根負けするようであれば主治医ではない

と覚悟を決めました

 

何度もなんども説得しました

 

Aさん、とうとう

「先生には負けたわ」

私の粘り勝ちです!

 

それでも安心はできません

 

「必ずあしたは帰ってきてくださいね」

「わかった、必ず病院にもどる」

 

口約束だけでは引き下がれません

「男と男の約束や、今指切りをしましょう」

はずかしいけれど、ふたりで『硬い(?)』約束を交わしました

 

……報酬は数か所の蚊に刺された跡

 

 

翌日には約束通りAさんは帰ってきてくれました

 

それからはベッドから起き上がることができなくなり

意識状態が低下

静かに旅立たれました

 

 

訪問診療の体制を整え

訪問看護師さんには毎日訪問をお願いし

在宅での「看取り」も考えてはいたのですが

痛みなどの症状コントロールが難しくなり

病院での最期となりました

 

 

亡くなられる数日前からは

「ありがとう」

の言葉がたくさん聞かれました

 

 

悪化する病状と患者さんの意思や望み

その都度悩むテーマです

 

 

Aさんはいま、どのように思われているでしょうか?

222-01

 

 

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