1月、2月と緩和ケア病棟の研修に行っており、毎日が新鮮な出来事にあふれていたためブログの更新をそのままにしてしまいました(言い訳です)。

 

病棟の改修も徐々に進み、あと3か月たらずでオープンというところまでこぎつけました。

一方ソフト面での準備がままならず、大急ぎで様々な動きを作っています。

あせっております。

しかし、昨年までの書物上での知識だけの理解ではなく、実際の体験を通じての準備なので先の見通しもしやすくなっています。

 

この間、いろんなことがありました。

新春のつどいで組合員さんたちに進捗状況の報告

職員の症例検討会

ボランティア講座(第二回)

看護師さんたちとの学習会の開始(月2回)

緩和ケアシンポジウムと日本死の臨床研究会近畿地方会への参加

CVポートの研修会への参加

H病院の薬局長との懇談(採用薬の検討のため)

などなど…

なかでも看護師さんたちとの学習会はいろいろと工夫をしながら進めてきました。

 

その間にもいくつかの病院から、また患者さんからの問い合わせもあります。

4月からの電話相談、外来の開始にむけて準備を急いでいます。

 

4月、5月には外部の先生を招いての職員むけの特別学習会を計画しています。

「在宅緩和ケアと薬の使い方」

「せん妄への対応」

「緩和ケアにたずさわる医療者の姿勢」

というテーマです。

いずれの講師の先生も積極的になっていただいており、大変ありがたいです。

 

今後も時間を見つけてはブログの更新を行ってまいります。

病院の若い職員からの感想文が届きました。

ご本人の許可ももらっているので、ここに掲載いたします。

先日、病院内で症例検討会が開催されました。医師、看護師、セラピスト、MSWより報告。これらの職種に加え、栄養士や事務職員、ケアワーカー等も参加して、一つの事例について感じたことや疑問について意見交換をしました。

癌という病気がどういうものかということから、終末期の患者様に対して病棟看護師がどのように関わってきたか、緩和ケアにおけるリハビリの関わり、自宅退院されるときのMSWの関わり…いろいろな視点から患者様をみて、振り返ることができたと思います。

様々な意見交換がされる中で、私は外来でずっと関わり続けてきた看護師の言葉が心に残りました。

『患者様がどのように死に向き合うか。向き合えたそのときに患者様の本当の思いが聴けるのではないだろうか』

患者様が死に向き合うこと。それは患者様自身がこれから先、どのように過ごしていきたいと思っているかを知るためにとても大切なことだと思います。そのためには患者様自身が病気を知ること、これまでの患者様の生きてこられた過程を私たちが知ること。そのために患者様や家族と私たちが心を向かい合わせ、たくさんお話をすること、そしてそれを関わるみんなで共有することが大切だと思いました。

患者様一人ひとり異なった「緩和ケア」があると思います。それにプラスして「神戸協同病院らしい緩和ケア」を実践できるように、これからも症例検討等を通して職員全員で考えていきたいと思います。

20150201

真剣に受け止めてもらえてありがたいです。

大切な意見として参考にしていきたいと思います。

 

“uproad”

緩和ケア病棟開設にむけての取り組みの一環として、数か月ごとに開いている症例検討会も4回目を迎えました。

40人以上の職員が参加しました。

職種も多彩です。

今回は「長い闘病生活の末に病院で亡くなられた患者さん」の事例です。

医師、看護師、理学療法士、医療ソーシャルワーカーからの報告を受けたあと、参加者で討論しました。

20150131

感想文を読ませてもらいました。

みんな真剣に考えてくれていることに感動しました。

 

「患者さんの本当の思いは?」

「死を受け入れることとは?」

「家族はどんな思いを持っていたのだろう?」

「自分たちのかかわり方はこれでよかったのだろうか?」

「緩和ケアの目標は?」

「これ以上することがない、ではなく、きっとすることはあるはずだ」

………など

 

クエスチョンマークがいっぱいです。

でも参加者はこれからできる緩和ケア病棟へのイメージが深まってきたのではないでしょうか。

 

私はまだ研修中です。

来月からはさらに次の看護師さんが研修にでます。

わたしたちの力は多くの職員でつくるチームです。

医師、看護師、薬剤師、栄養士、リハセラピスト、MSW、歯科衛生士、臨床心理士、介護士、事務職員、ボランティア などなど

たくさんの現場を見て、たくさんのことを吸収し、期待に応えられるような病棟を作っていきたいと決意を新たにしています!

 

“uproad”

私たちの生活や仕事、そして心に大きな傷跡を残した大震災から20年が経ちました。

1月17日にはいたるところでたくさんの取り組みがありました。

20150117_01

三宮で開かれた集会です。

20150117_02

私たちの病院に近いJR「S駅」前の広場です。

1月25日には200人以上の参加で「新春のつどい」を開催し、病院のU院長に講演していただきました。

テーマは“阪神淡路大震災から20年  神戸医療生協のとりくみとこれからの課題”です。

震災当時の出来事や全国からの支援、その後の地域の変化、東日本大震災のことなど、話は多岐にわたっています。

時間が足りず途中で終わらざるをえなくなり、U先生と集まられた方々には申し訳なく思っています。

残された話には「健康とまちづくり」「まちづくりと組合員活動へのヒント」という表題があり、みんなはきっと聞きたいと思ったことでしょう。

何らかの形で続きを実現したいと思います。

最後の挨拶で私は次の文章を紹介しました。

阪神淡路大震災を語る際に必ず紹介する一節です。

以下に掲載します。

 

震災の4時間後、民医連加盟の姫路医療生協から医師、看護婦とともに医薬 品が救急車で到着、ただちに活動を始めた。19日朝までの3日間だけでも、岡 山、東京、大阪、和歌山、奈良、愛媛、富山などから約100人の支援者が医薬 品、食糧などを山積みして続々と駆けつけた。その後も民医連の救援活動の輪 はさらに広がって行く。

「いても立ってもいられなくて……」と休暇をとって駆けつけて下さった国公立や 民間のスタッフたち。

「いま医療にとってもっとも必要なのは水だ」と朝から晩まで水の確保を引き受 けた医師、「小学生二人くらいなら預かって帰ります」と申し出て下さった山口の 看護婦さん、「必要なことなら何でもやりましょう」と大便の詰まったトイレの掃除 を引き受けてくれた人もあった。

「あなたたちに休んでもらうために 神戸に来たのだから」と自分は睡眠 時間返上でがんばり続けた人も多かった。

協同病院の活動は、このような人びとの 協力、支援によって、支えられたのだ。

神戸発 阪神大震災以後(岩波新書1995/6/20)より

 

“uproad”

看護を担当します、藤堂です。

「在宅での緩和ケア」をテーマに講師は関本雅子先生をお招きし、地域で支える在宅ホスピスの実態をお話し頂きました。

その人らしく支えるとはどういうことなのか、その人が具体的に一番に大切にしているものであったり考えであったり、御家族、友人、動物、それを最期まで守り抜くこと。

当然、痛みの緩和も入院中と同じように、医療用麻薬が使えること、特に医療用麻薬はその管理方法を患者、スタッフへ指導していくことで自宅以外の特養、老健施設でも速やかにレスキュードーズを服用することも可能であること、御家族のサポートとして、公的なサービスを入れたり、何度も話し合ったりすることで家族をも支えていけると関本先生は声を太くして言われていました。

関本先生の豊富な経験と、そのふくよかなドンと頼れそうな容姿から、患者さんや御家族、スタッフからも安心が得られる存在だと感じました。

わが協同病院でも開設される緩和ケア病棟と、関本先生の在宅ホスピスと、立つフィールドは違いますが、地域、組合員さんのよりどころとなる緩和のセンター病院となり、人生の最期を安心して過ごしていただけるように更なる頑張りが必要だと痛感した一日でした。

~その人らしくを支える~

基本ですが、実は生半可なことではありません。それでも敢えてそこに携わる決心をしました。私自身その立場であれば、私の大事なものをわかってもらいたいですから。わがままでも自分勝手でもなく・・・