2022年を無事に迎えることになりました

 

年末に緩和ケア病棟のブログの第7集を出しました

ここまで挫けずにやってこれたものだと我ながら感心しています

 

今までは病棟での出来事にまつわるお話が多かったのですが

本を読む機会が増え、同時に考えることが多くなりました

その結果今までよりも力のこもった内容になりました

また看護師さんたちの文章が増えました

感謝しています

336-01

 

制作にたずさわっていただいた印刷会社の3人の方々にも登場してもらいました

それを「第7集の発行によせて」として巻末に掲載しました

その言葉の数々に感激しています。

あらためてここに再掲します

 

 

「緩和ケア病棟 スタッフBlog」のタイトルと患者さんの様子が詳細に綴られている文章から、医師が書かれているブログとは思わずに読み始め、まず自分の中に医師と患者さんとの距離感に対する先入観があったことに気が付きました。スタッフ皆様の日々の悩み、患者さんや家族の方とのリアルな交流の中身を読み進める中で、患者さんに徹底的に寄り添おうとする現場の様子に驚くとともに、温かい気持ちが湧いてきました。

コロナ禍で、面会制限など緩和ケアで重視されていることができなくなり、困難に直面されました。その中でも、「今何ができるか」を考え試行錯誤しながら奮闘されている様子が伝わってきます。同時に、コロナ禍は日本のぜい弱な医療体制も露わにしました。コロナ禍が落ち着き、以前のケアができるようになることを願うことはもちろん、災害時にも医療を支えられる社会への転換の必要を感じました。(I様)

 

 

このブログ集を読むと、自然と涙がこぼれ、胸の奥がジーンと熱くなり、ページをめくる手がとまります。自分のことが家族にとって負担になっているのではないかと心を痛める患者さん、コロナ禍により自宅介護を選択したご家族の気持ち、患者さんの願いに寄り添う病棟スタッフの方々の奮闘、みなさんの想いがストレートに伝わってきます。

どのエピソードも印象的なのですが、中でも私は「ご遺族」の方とのかかわり方に感銘を受けました。患者さんが旅立たれたその後、ご遺族宛に手紙をお送りしたり、楽しいイベントを企画した「家族会」を開催したり、病棟スタッフの方々がご遺族の心のケアや健康状態の確認、生活の様子までも気にされているのです。大切な人を亡くしたご遺族にとって、病棟スタッフの方々のみなさんの温かい気持ちが本当に癒しになっていると感動しました。(H様)

 

 

原稿にそってイラストや画像をはさみながら、読みやすいようにページに収めていく組版作業をさせていただきました。

作業をしながら、本文も読ませていただくのですが、いつでも親身になって患者さんによりそい、出来る限りの望みを叶え、時には悔しい思いをされている。そんな内容に涙を流してしまい、手がとまってしまうことがありました。

元々はかたちのない物が本となって手元にあると、なんだか宝物感が増した気がしませんか? 私は出来上がった物を見ると、「いい物ができた!」と喜んでページをめくります。来年の作業も出来たらいいなと思っています。(S様)

336-02

このように受け取っていただけていることはとてもありがたいです

続けていくことへのエネルギーになります

 

もっと経験を重ねながら

さらにしっかりとしたブログとして積み重ねていきたいと思っています

 

次回へのご協力もよろしくお願いいたします。

 

 

Aさんはまだ若い女性患者さんです

数年前に検診で癌がみつかり基幹病院に紹介となりました

手術を受け、抗癌剤治療を行い、転移再発に対して放射線治療も受けてこられました

 

痛みがつよく医療用麻薬をふくむ多くの薬剤が使用されていました

そのほかにも様々な医療処置を経験してこられています

 

退院後は地域の在宅緩和ケアを担われている先生の往診を受けながら頑張ってきました

 

私たちの病棟に入院して来られたときは

痛みのために横になることが難しい状況でした

立ったまま眠られるということもあったようです

 

わずかな入院期間でしたが

スタッフはAさんの訴えに耳を傾けながら

少しでも安楽に過ごせるようにと努力し

まだ治療をあきらめきれない思いにも寄り添ってきました

 

 

そして半年後のある日…

基幹病院の看護師さんから

「Aさんの経過やケアを振り返り、意見交換をしたい」との提案がありました

私たちも参加させていただくこととなりました

 

基幹病院の医師、看護師、地域連携担当者

在宅医の先生

訪問看護ステーションの看護師

当緩和ケア病棟から

の参加で開催されました

 

話し合い(カンファレンス)の中心を担っていただいた看護師さんから寄稿していただいた文章をブログに載せさせていただきます

当時を振り返り、様々な思いが蘇ってきます

 


 

<地域で緩和ケアをつなげたAさんを偲んで>

先日Aさんのこれまでを、地域でお世話になった医療者で語る会を持ちました。長くお会いしていたAさんのことを、どうしてもともに支えあった先生、看護師さん達と語り合いたかったからです。

 

Aさんは、中高生の子供を大事に育てていたシングルマザーです。当初から「子供が成人するまではどうしてもがんばりたい」と言っていました。その後病状が進むにつれてAさんの意に反する事態が重なり、困ることが多くなってきましたが、その都度生活も子供さんのこともよく話し合ってきました。「私は教育ママなの」と語られ、子供さんが学業を修めて立派に社会に出ていくことを願っていました。あきらめきれない思いを支えながら、お別れの日がやがて来るかもしれないと思い、子供さんにも病院に来てもらい話をしました。

 

その後、遠方からの通院が大変になってきたために、在宅の先生、看護師さんにも一緒に見てもらうようになりました。「優しい先生と看護師さんで良かった。なんでも相談できる」と喜んでいました。下肢の浮腫が強く、痛みも強くなって座ることも、横になるのも難しくなりましたが、入院したくないAさんを懸命に支えていただきました。緩和ケア病棟にも面談に行き、ご友人や兄弟にも支えていただいていました。

 

しかし、通院できずお会いできないままお別れの日が来ました。最後の日をどのように過ごされていたのだろう、子供さんはその後どうされているのだろう、私たちのケアはこれでよかったのかなど、様々な思いが残りました。

 

病院からクリニック、訪問看護、緩和ケア病棟とつないだ医療者で、振り返って話したい気持ちから語り合いを呼びかけました。すぐに賛同していただけ、実現しました。

 

語り合いでは、Aさんとの日々を振り返り、様々な思いや葛藤が話されました。体位もままならない痛み、浮腫、不眠、それでも家で過ごしたい気持ちに向き合ってきたこと、医療者も苦悩を抱えたことなど。最期を過ごした緩和ケア病棟では、当初「私は治療をあきらめていないから」と言われていたそうですが、残された時間を察知してそれまで連絡していなかった親族に一人残す子供さんを託されていかれました。子供を思って、たくましく生き抜いたAさんらしさが、参加者の中で浮かび、偲ばれました。

 

地域の医療者でつながってAさんを大事に支えてきたことを実感し、この語り合いで医療者自身が気持ちの整理ができたのではないかと思いました。Aさんを通して多くのことを学び、地域で懸命に緩和ケアをしている医療者に、心から尊敬と感謝を感じました。これからは、もっと日頃からつながって患者さんのケアを考えていこうと話し合いました。

 


 

カンファレンスではそれぞれの立場から意見や思いが語られました

 

■私のメモから拾い上げてみます

 

☆積極的な緩和的処置の提案を行ったのですが、それにともなう医療が患者さんに苦痛を与えることになってしまうのではないだろうかと悩みました

緩和ケアを受け入れることが、Aさんにすると負けを認めることになるんじゃないかとも感じていました

 

☆まだ治療への望みを捨てきれずにいるAさんは通院を選択されていましたが、そのことがさらに苦痛を生んでしまったのではないでしょうか?

 

☆緩和ケア病棟に入院中のことです

間欠的な鎮静の提案をしたとき

「眠らされるのはいや。目覚めたときに苦痛が強くなるから」と話され、対応に苦慮していました

 

☆それぞれに共通していたことは、「(Aさんに)寄り添う」という言葉が話し合いの中でも頻繁に聞かれたことでした

 

 

■参加後に考えました

 

☆Aさんとはごく短い付き合いの私たちにとって、彼女の姿を正しく理解する時間が足りませんでした

私たちの病棟にこられる患者さんの中には、まだ可能性のある治療法を提案されてギリギリまでがんばってきた患者さんが少なくないという現状があります

その結果ホスピス・緩和ケア病棟の入院期間が短くなっています

患者さんとゆっくりとお話しする機会も減ってきました

しかしそのことを悔やんでばかりもいられません

今の医療状況がそうであれば、時間がないことを言い訳にせず私たちにはより一層の努力が求められているのでしょう

 

☆まだ若いご家族への想いを親族の方に託されました

ずっと治療への望みをつないできた強い意思から、残された時間を思い人生を振り返る気持ちへの変化があったのじゃないかというのは私の欲目でしょうか?

 

 

■さいごに参加者がみんなで確認できたことは

 

一人の患者さん・ご家族にはたくさんの医療者が関わっています。たとえば入院されるとき、在宅に帰られるとき、などにお互いが関わってきたことをしっかりと伝えあえていれば、そして日ごろからつながっていればいいですね

 

ということでした

335-01

 

334-01

クリスマスの出来事でした

 

高齢の男性患者さん

「今日はクリスマス(イブ)なのに、なんにもいいことがないなあ。メリークリスマス…」

夕食時に看護師さんへの一言です

 

眠る時間が来ました

「まだサンタさんはきませんか?」

 

――看護記録から

入眠されている

クリスマスについて楽しそうに話されているため

スタッフで相談

テーブルに小さなお花とメッセージカードを置いておく

334-02

翌朝のことです

 

「あれなんですか?

びっくりしました!

だれか……

あ~ サンタさんなんだね」

 

この話を聞いて朝の回診時に

患者さんといっしょにお花とメッセージカードを写真に収めました

患者さんのお顔をのせられないのがとても残念です

まるで太陽のような笑顔をされています

 

 

さらにその翌日のこと

 

「やっぱりサンタさんが来てくれた

太陽がサンタさんに

『あそこの〇〇は可哀そうだからプレゼントをあげてくれ』

って頼んだのだと思う」

と全身でその喜びを表現されていたそうです

 

 

小さな出来事ですが

患者さんにとっては大きなこと

励みになればいいですねと

私も写真をお届けしました

334-03

 

 

Sさんとはわずか1か月のお付き合いでした

その間にたくさんのことがありました

 

私たちの病棟ではまだ若い世代に入るSさん

病気がみつかってからの3か月間

治療に期待していましたが、次々と合併症が出現

治療の機会を失した状態で私たちの病棟に来られました

 

入院の日

最初の問診時に、若いころからの武勇伝を受け持ちの看護師さんに生き生きと話されました

食事がとれず体力がないはずなのにどこにこのようなエネルギーがあるのだろうと思われるほど長い時間話されました

 

青年の頃に海外に渡り

手広く事業を展開され、多くの富を手に入れたことがありました

たくさんのことに手を染め

危険な経験もしてこられました

外国に付き合いをしている女性を置いて帰国

まったく資産のないままの帰国でした

333-01

 

 

そこから持ち前の頑張りで勤めた会社ではなくてはらない存在となりました

上司は「彼はとっても頭のいい人です。安心して仕事を任せていました」と話されました

 

しかし暑い時期に病気が判明

上記の経過となったのです

 

 

自覚症状は腹痛、そして繰り返す嘔吐

完全な通過障害です

 

それでも「水分だけでもとりたい」と希望

たくさんの水分―ジュースや炭酸飲料、氷菓子などを一気に飲まれ

そのまま吐き出されるのです

 

医療用麻薬をはじめいくつかの治療方針を提案しました

胃にチューブ(胃管)を留置してたまったものを出しながら好みのものを飲んでいただくことを提案しました

 

 

「病状がどんどん進み治療がとうとうできなくなってしまった」

「まるでベルトコンベアに乗せられた気分だった」

―――ベルトコンベアに乗せられ大事なものを一つひとつ手放されてきたようです

 

「そのようなことで、ここにきてほっとしたいと思いました」

―――ほっとしたではなく、“ほっとしたい”という表現です

これ以上のしんどいことはもう御免だという思いからなのでしょうか?

 

 

入院日にたくさん話され

その翌日からはほとんどウトウトしている状況になりました

気力の多くを使い果たしたように見受けられました

 

「余命を知りたい」

「わかれば何をしたいのかを考えたい」

ずっと食事がとれていない状態です

予後は短いだろうと予測されます

一般論としての説明をしましたが、いい時の可能性と悪い時の可能性もお話しました

 

「妹と連絡をとりたいんです」

「あやまりたいことがあるんです」

 

第一番の望みでした

数十年もの間会っていなかった妹さん

この間の連絡はまったくありません

唯一の手掛かりはずっと前に届いた一通の手紙のみ

 

努力の末やっと連絡がとれました

私は電話で病状をお伝えし

受け持ちの看護師からはSさんの状況やこれからのことなど丁寧に話をしてもらいました

 

「面会が可能ならぜひ会いに行きたいです」

「兄に言ってやりたいこともたくさんあるんです」

最期のときの面倒もみたいと話されました

 

 

 

☆症状の緩和について

胃管はやっと承諾されました

何度も嘔吐を繰り返し

それまでは吐いても飲みたいものを飲みたい

と言われていましたが

嘔吐をすると看護師さんたちに申し訳なくて…

という理由からでした

 

苦痛の中でも気遣いをされていました

 

 

☆妹さんとのこと

電車を乗り継いで面会に来られました

今日会いにこられますよ

とSさんに告げても

そんなことまでしなくても

と言いながらも

心待ちにされていたようです

 

顔を見るなり

―――おにいちゃん!

Sさんはこらえきれずに号泣されました

 

兄妹だけの話がすみ

Sさんの顔には安心した様子がうかがえます

333-02

私は『仲直り現象』という言葉を思い出しました

『仲直りは神様が与えてくれた、大切な人と過ごせる最期の大切な時間』

と話された医師がいました

 

☆スピリチュアルペイン

「食べることはできなくても好きなものは飲みたい

たとえすぐに吐くようなことがあっても飲みたい

それもできないようならもう終わりにしたい」

 

「今の自分の姿(きっと自分ではできることが少なくなり人の手を借りなければいけなくなった状況だと思われます)は本来の自分ではないです。そのことはぜひわかってください」

 

だれに頼っていいのかわからなくなっていたとき

目の前に現れた妹さんに、今後のすべてを任せたい

と告げられました

 

入院時に自慢話をいっぱい話されたSさん

まったく初めての病院で

自分の存在を知ってほしい思いからなのでしょうか

入院当初のSさんも

苦しくても好きなものを口に入れたいとつよく望んだSさんも

日に日に衰弱し弱気になっているSさんも

妹さんと会うなり号泣されたSさんも

どれもがSさんのすべてでした

実はもっとSさんからの自慢話を聞きたかったのですが

弱っていく姿をみていくうちに

その機会を逃してしまいました

 

 

 

眠る時間が増え

嘔吐することも少なくなり

 

静かに旅立たれました

 

空の上でも自慢話をされているかもしれませんね…

333-03

これまでいくつかの視点でコロナ禍での医療や看護、ケアについて載せてきました

今回訪問看護師さんの眼で見たコロナ禍での在宅患者さんの状況を伝えてもらいました

私自身も少しですが在宅医療にかかわる中で同じ思いをしています

その中でも苦労をしながら患者さんやご家族の支えになろうと努力している看護師さんたちには頭が下がります

 


 

≪コロナ禍の在宅療養≫

 

コロナの流行から訪問看護の利用者さんの状況が変わりました。多くの病院が入院すると面会制限、あるいは面会禁止となりました。そのため、癌の末期やその他の病気の終末期の利用者さんとご家族が「できるだけ自宅で過ごしたい」と希望されました。病状が進み、食べたり飲んだりできなくなってきた時、体が弱り動けなくなった時、褥瘡などの傷が大きくなってきた時、熱が出た時など入院するか家で頑張るか何人もの利用者さん、家族が悩まれました。家で辛くなってきたら緩和ケア病棟に入院するつもりで準備を進めてこられた方が多くおられます。でも、いざその時になるとお互いに会えない事はとても大きな壁となりました。

332-01

Aさんは、1年半程癌治療をされていましたが効果がなくなり予後3か月と診断されました。妻と二人暮らしで、訪問当初から面会制限があるためできれば在宅で最期まで過ごしたいと希望されていました。腫瘍が皮膚の表面に出てきて毎日妻がガーゼを交換していましたが、出血が多い時もあり手当が大変になってきました。口から食べられないため3食チューブから栄養剤を入れる、管で痰を吸引するなどのお世話はすべて妻がされており、それだけでも大変な介護の量でした。寝たきりとなり、意識がもうろうとしたり、夜寝ずに何度も妻を呼んだりするようになるとご家族も疲れてきます。娘さんが泊まり込んで一緒に介護をされましたが、「こんな状態やったら入院させていると思う。入院したら、お父さん声が出ないから電話もできないし、面会もできないからいややって言う。なんでこんな時にコロナなんやろ…」と何度も言われていました。毎日訪問しガーゼ交換や体調確認、お薬の調整や排泄のお手伝いなど行いました。主治医の先生とも相談しながらAさんの苦痛が少ないように、ご家族の負担や不安が減らせるように関わりましたが、使える薬やケアの時間も病院と同じようにとはいきません。24時間の訪問対応をしていますが、到着までに時間がかかることもあります。ご本人やご家族がしんどい状況になってもコロナのため入院という選択がしにくいということはお互いに辛い事でした。

332-02

Bさんは入院しておられましたが、面会制限で家族に会えないため退院を決められました。癌による痛みが強くなり、薬の調整のため入院されました。予後は一カ月ほどとみられていました。夫と息子さんは少しでも一緒に過ごさせてあげたいと退院を望まれました。Bさんの夫は体が不自由で車椅子の生活でした。息子さんも仕事があります。Bさんは家族に迷惑をかけるのではないかと退院を悩まれていました。最期まで自宅で過ごすという思いではなく、体調が悪くなれば再度入院をする予定で退院となりました。退院後、他のご家族とも会われ、穏やかに過ごされていました。退院してからも夫や息子に迷惑をかけているんじゃないかと心配されていましたが「家にいたらええんやで」と声をかけられ、再入院の希望は最後までありませんでした。退院の16日後に急な体調の悪化がありました。夫、息子さんとお話をし、「病院へ行っても同じであればできるだけ家で過ごさせてあげたい。」「入院して会えないまま亡くなるのはかわいそう」という思いがあり、このまま最期まで自宅で過ごすこととなりました。その日の夜中に自宅で亡くなられました。別に住まれている息子さん全員揃われ、ご家族みんなに見守られた中で亡くなられました。夫より「最期まで一緒にいれてよかったです」と話されました。亡くなるその日まで自宅でシャワーを行ないました。半分抱きかかえるような状態でのシャワーでしたが気持ちよかったと喜ばれました。最期の最期まで息子さんに抱えられながらトイレまで行かれていました。最期までとっても頑張られていたように思います。それもこの方らしいとも感じました。

Bさんのように介護をするご家族を心配して在宅療養を躊躇されるかたもいます。それでも実際自宅で過ごしてみるとこのまま家で過ごしたいと思われるのも自然なことだとも思います。コロナで面会制限とともに入院中の患者さんの外泊もできなくなりました。今まで短期間でも家に帰りたい、家族と過ごしたいと思われている患者さんは外泊という形をとることができました。しかし、退院でしか家に帰ることができないため、医療者が常にそばにいない自宅で過ごす不安は大きいと思います。それはご本人だけでなく特にご家族の不安がとても大きいです。そんな利用者さんやご家族に寄り添い訪問看護を行っています。

 

コロナ禍でAさん、Bさんのように在宅で過ごす終末期の利用者さんが増え、家での看取りをさせていただく事が増えました。ご家族は先のみえない介護に不安や疲労を感じ、できれば入院を…と考えられます。でも入院してしまうと全く会えなくなってしまう、誰にも会えず1人で亡くなってしまうのもかわいそう…と悩まれ、頑張って介護をされています。「コロナでなければ入院している」何度聞いたでしょうか。そんなご家族の疲れや思いも一緒に受け止め、ご家族と一緒に終末期を過ごす利用者さんを支える、私たち訪問看護師の今の現状です。

332-03