Mさん(女性)は強い腹痛のために緩和ケア病棟に入院してこられました

症状に対しては医療用麻薬などで緩和を一定図ることができましたが、Mさんの「家に帰りたい」との思いが日に日につよくなってきました

同時にご家族からもMさんの望みを叶えてあげたいと相談を受けました

 

症状が軽くなったとはいえ痛みは消えておらず、医療用麻薬の持続皮下注射に頼っている状況です

そのほかにもたくさんの医療処置やケアが必要な状態です

 

それでもMさんからは「自宅で最期を迎えることになってもいい」とまで言われました

面会制限が行われている最中

「このままだとみんなと会えなくなってしまう」

との危機感を表明され

一方では病状の悪化も自覚されている状況での切羽詰まった決断でした

ご家族は「帰ってきてほしい」と覚悟を決めようとしています

 

ご家族と相談を繰り返し

私が訪問診療に伺い、法人の訪問看護ステーションが訪問することに決まりました

受け持ちの看護師さんを中心にご家族への介護指導が丁寧に行われました

 

そのときに何点かの確認が行われました

☆ご家族の「覚悟:在宅での看取りをふくめた」の再度の確認と介護の体制づくり

☆医療・看護の面では、病院から往復1時間半はかかる道のりであるけれども短い予後を考えて当院から訪問すること

☆たくさんある医療処置(持続皮下注射のレスキューなど)や介護のポイントを身に着けていただくこと

☆数日間は再入院の可能性を考えてベッドの確保を行っておくこと

などです

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そしていよいよご自宅への退院の日を迎えられました

 

 

≪家に帰ることの意味とは≫

 

※Mさんは入院しているかぎりはひとりの「患者さん」です

ご自宅に帰ることでやっと「Mさん」にもどることができました

やはり「お母さん」なんですね

「家では家族みんなの食事の準備をしてあげたい」と話されていました

ご自分の役割を自覚していました

(実際にはADLの改善がそこまでは望めなかったのですが)

 

※けれど家がすべてではないことも確かです

患者さんの「帰りたい」という一言から退院の話に発展することが時々あります

そのための努力を私たち、とくに看護師さんたちは行っています

そのときの壁になるのが家族の気持ちや環境です

 

また「家の方がいいよ」と積極的に勧めていく場面もあります

例えば「残された短い時間で何かしたいこと、やり残したことはないですか」と患者さんに問いかけて何かを探していくことがあります

患者さんによっては「とくにないです」と返事をされることがあり、「ここにいることで十分です」との返事が返ってきます

私も同じ問いかけをして、そのときふと感じることがあるのです

――私たちはそれぞれの価値観で良かれと思うことを話しているんじゃないだろうか

――患者さんの思いはもっと別のところにあるんじゃないだろうか

過去に何度か失敗をしてきて感じていることです

 

患者さん、さらにはご家族の価値観を大切にしながら最善のことを見つけていきたいものです

 


在宅での生活が始まりました

退院の日から訪問看護が開始です

※いくらかの脚色を加えて在宅での出来事を記述します

退院の日をX日とします

 

 

X+2日

退院後はいい表情をされ食卓に座っていました

 

X+5日

入院中よりも食欲があります

この時点でベッド確保は解除しました

 

X+12日

痛みの訴えが多くなりレスキュー回数が増加、同時に医療用麻薬のベースアップを行

いました

 

X+16日

腹部膨満、発熱、せん妄が出現

ご家族にはいよいよの時が近くなってきていますとお伝えして

これから起こりうることを説明しました

再入院の話は出ず、覚悟はされているようです

 

X+17~19日

眠る時間が増えてきました

このころからはレスキュー回数が減ってきました

しかし目覚めると起き上がろうとされ、ご家族は交替で付き添われています

身の置き所がない状態となりもう一度相談をしました

Mさんは「家にいたい」とはっきりと意思表示をされます

鎮静が必要となってくることが予測されたためそのことの説明もしました

Mさんからははっきりとした返答が返ってきませんが、拒否もないようです

複雑な判断が困難なように見えます

ご家族からはみんなで相談したい、今の状況でも自宅で看ていけますとのお返事

 

X+21日

鎮静の希望が出されました

医療者でも相談、患者さん・ご家族の意思を確認し持続的な鎮静の開始となりました

Mさんは急に起きだし、その都度ご家族が支え、寝かせては起き上がることの繰り返し

です

 

見ていて感心しました

どのご家族もMさんに優しく声をかけながらMさんのしたいように寄り添い支えているの

です

この光景をみて「難しい状況であったけれどご自宅に帰れてほんとによかったなあ」と

心から思ったしだいです

 

 

しだいに眠る時間が増え

数日後にご家族みんなの見守られる中旅立たれました

 

苦痛から解放されたように

穏やかなお顔をされていました

 


 

≪Mさんの経過を通して考えたこと≫

 

※訪問看護の役割と努力

 

Mさんの症状の緩和やケア、ご家族のケアのために1日に複数回訪問していました

仕事帰りに寄ってくれたこともあります

ご家族からは頻繁に連絡や相談があり、私の方にも看護師さんから連絡が何度もありました

私の無理な注文にもスムーズに応えてくれました

この方々の努力がなければ在宅生活を支えることはできなかったでしょう

あらためて感謝します

 

私たちの法人にある二つの訪問看護ステーションのホームページから引用します

 

☆Nステーション

「訪問看護は本当に学ばされることが多いです。利用者様の健康面はもちろん、その方の生きがいのある療養生活が送れるように、また日々笑顔と元気を届けられるような訪問看護をしたいと思っています。みんな訪問看護が大好きです!」

☆Tステーション

「看護師としてこんなに幸せな仕事はありません。全部のエネルギーを使ってケアするとき、利用者様とご家族から、その何倍もの暖かいハートをいただくのです。この仕事を誇りに思っています」

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所長さんから「いつかカンファレンスを持ちたいです」と希望されました

必ず実現させましょうと約束しました

 

 

※ご家族のこと

 

ご家族が訪問看護に何度も連絡をされたのはMさんの苦痛を何とかしてあげたいとの思いからです

終末期にはご家族から「何もしてあげられない」「私たちは何をすればいいのでしょうか」と聞かれたり、「何とかしてあげてください」と要望されたりすることが多くあります

ところがMさんのご家族は、Mさんに一生懸命に寄り添っていました

「寄り添う」と一言で言っても簡単ではないことはだれもがわかっています

Mさんのご家族みなさんはMさんのそばに交替で付き添い、ご家族の温かな手で体を支え、疲れたからといって決して強制はせず、その都度Mさんの気持ちを尋ねながらケアにあたっていました

ご自分たちの役割を素敵にこなしているように見えました

この方たちはすごいなあと頭の下がる思いで見ていました

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※訪問診療/往診医として:私の本音の部分も述べます

 

入院患者さんを診ながらの往診(特に遠くて、時間のかかる)は正直しんどいです

看取りを前提としているならなおさらです

夜間や休日は関係なくいつ呼ばれるかわかりません

毎日のように相談があります

しかしMさんとご家族には私が往診しますと約束しました

元気になって帰られるのではなく、いつ悪化・急変されるかもしれないという状況での退院であるため決断しました

また短い入院でのお付き合いではあるものの、他に任せるわけにはいかないとの気持ちに突き動かされました

その意味では在宅で見守ることへの「覚悟」はご家族だけに要求するのではなく、それ以上に医療者、とくに主治医に求められているのだと痛感しています

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付き合いは長くありませんでしたが

Mさんとご家族にはたくさんのことを教えていただきました

この経験はこれからの取り組みに示唆を与えてくれることでしょう

本来ならどこにいても暖かさを感じる病棟なのですが

コロナ対策のため換気が求められており

しぜんと背中を丸めながら回診をしています

 

 

食欲がなくなったJさん

「テレビでしゃぶしゃぶを見ていて食べたくなった」

 

知人に連絡をすると

準備をして届けてくれることになりました

 

 

心待ちにしています

しゃぶしゃぶの話から

「ブリしゃぶがいい」となり

さらには

「フグしゃぶが食べたい」とさらに望みが発展

 

 

届いたのは

鍋、野菜、そして調理されたフグ…

 

大喜びです

鍋に入れて温めればすぐにでも口にすることができるように準備をしていただいていました

友人は残念ながら同席されることができません

(コロナ禍でご家族以外の面会ができないのです)

 

 

待ち構えていました

そのときの写真を掲載します

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おいしそうです

看護師さんがお手伝い

「そろそろいいかな」

待った! まだ不十分です

私は思わず野菜たちの下にフグを沈めてしまいました

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私は昼ごはんを食べたばかりでしたが

思わず空腹を感じました

―――そうだ 今夜は鍋にしよう……

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Jさんはいつにも増してたくさん食べられたとのことです

 

 

 

この日は2月1日

「ニオイの日」だそうです

わずかですが病棟に食欲をそそる匂いがただよっていました

 

 

このようなことが実現できる病棟がとっても好きです

コロナ禍のもとでも可能なのです

(本来ならご家族といっしょに和気あいあいの場面が見られるはずなのですが)

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さあどうぞ

 

 

 

 

Sさんは入院されたときから興奮状態でした

診察を十分にさせてもらえず

会話がなりたたない状況でした

 

痛みの訴えとともに

ケアへの抵抗がつよく

薬を飲んでもらうことに苦労しました

 

説得などは不成功に終わります

ご家族の了解をいただき注射に頼らざるを得ないことがありました

当然ですがその都度抵抗にあいます

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ADLはかろうじて自立していましたので

立ち上がり、予測していない状況での歩行

ときには転倒しかけることもあります

 

スタッフはほとんど付きっきりでケアにあたってくれました

私はいろんな薬を試みるのですがなかなかうまくいきません

 

 

あるとき

受け持ちの看護師さんと相談し

ご家族からSさんのことを詳しく教えていただこう

Sさんのことをもっと正しく理解しよう

ということになりました

 

――ご家族からのお話でわかったことです

 

Sさんは国立大学を卒業され

めざす目標に向かって頑張っていました

しかし夢は叶わず

公務員としての仕事に従事されることになりました

 

そこでは重要なポストにつかれ

いくつかの役職を担われ

ご自分が培ってきた経験と知識をもとに

書籍の出版もされました

 

家庭では

奥様が働きに出ることを許さなかったそうです

ご家族の言うことよりも

自分についてこいという

根っからの亭主関白でした

……今の時代では想像できないことです

自然とご家族との会話が減るのも理解できます

 

そのようなSさんだからなのか

学歴を特に大事にし

息子さんやお孫さんにも厳しい人だったようです

一方では話好きな面があり

ご自分の話を延々とされることもありました

 

 

いくつかのキーワードが浮かんできます

「学歴重視」

「プライド」

「亭主関白」

きっとご自分にも厳しかったのでしょう

「社会的に重要な仕事」をこなして実績を積んでこられました

 

 

――受け持ちの看護師さんの分析をカルテから引用します

 

・数か月で急速に認知機能が低下

・ご自身でも自分の状況を理解できていないことに困惑

・またこの状況がショックで自尊心が低下

・さらに入院という環境の変化や医療者からの介入を受け入れることができない

・結果、「自分が置かれている状況が理解できないことからの不安」「(医療処置など)何をされるのかわからないという恐怖」「いきなり薬を飲まされる、注射をされるなどという医療者への不信感」という状態に追い込まれてしまっている

 

そこからはSさんに恐怖感を与えない工夫、過去の実績などに敬意を払いながらの丁寧な話しかけ、強制はしないなど、今まで以上のケアにスタッフ全員が心がけてきました

 

まだSさんとは十分なコミュニケーションがとれたという状況ではありませんが、以前と比べていくらか穏やかになられたように思います

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この経験で私はふたつのことを学びました

 

1.患者さんのことを理解する努力

2020年の秋に「7つの指針」を提案しました

その2項目目に「しっかりとお話を聞きます」と書きました

「今までのお仕事やご家族のことなどをお尋ねし、より深い理解に努めます」

 

看護師さんたちはしっかりと実践されています

http://kobekyodo-hp.jp/kanwablog/archives/date/2021/01/05

 

 

2.看護師だから持てた独自の視点

とくにご家族からの聞き取りをもとに「不安」「恐怖」「不信感」という重要な課題が抽出されました

医師である私はどうしても薬に頼りがちになります

それではうまくいかないことが多くあることを了解しているつもりなのですが十分ではありません

 

だれよりも患者さんのいちばん近くにいる看護師さんたちに助けられています

 

これからもチームとしての力をさらに発揮できる2020年となればいいなあと、年の初めに考えています

2022年を無事に迎えることになりました

 

年末に緩和ケア病棟のブログの第7集を出しました

ここまで挫けずにやってこれたものだと我ながら感心しています

 

今までは病棟での出来事にまつわるお話が多かったのですが

本を読む機会が増え、同時に考えることが多くなりました

その結果今までよりも力のこもった内容になりました

また看護師さんたちの文章が増えました

感謝しています

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制作にたずさわっていただいた印刷会社の3人の方々にも登場してもらいました

それを「第7集の発行によせて」として巻末に掲載しました

その言葉の数々に感激しています。

あらためてここに再掲します

 

 

「緩和ケア病棟 スタッフBlog」のタイトルと患者さんの様子が詳細に綴られている文章から、医師が書かれているブログとは思わずに読み始め、まず自分の中に医師と患者さんとの距離感に対する先入観があったことに気が付きました。スタッフ皆様の日々の悩み、患者さんや家族の方とのリアルな交流の中身を読み進める中で、患者さんに徹底的に寄り添おうとする現場の様子に驚くとともに、温かい気持ちが湧いてきました。

コロナ禍で、面会制限など緩和ケアで重視されていることができなくなり、困難に直面されました。その中でも、「今何ができるか」を考え試行錯誤しながら奮闘されている様子が伝わってきます。同時に、コロナ禍は日本のぜい弱な医療体制も露わにしました。コロナ禍が落ち着き、以前のケアができるようになることを願うことはもちろん、災害時にも医療を支えられる社会への転換の必要を感じました。(I様)

 

 

このブログ集を読むと、自然と涙がこぼれ、胸の奥がジーンと熱くなり、ページをめくる手がとまります。自分のことが家族にとって負担になっているのではないかと心を痛める患者さん、コロナ禍により自宅介護を選択したご家族の気持ち、患者さんの願いに寄り添う病棟スタッフの方々の奮闘、みなさんの想いがストレートに伝わってきます。

どのエピソードも印象的なのですが、中でも私は「ご遺族」の方とのかかわり方に感銘を受けました。患者さんが旅立たれたその後、ご遺族宛に手紙をお送りしたり、楽しいイベントを企画した「家族会」を開催したり、病棟スタッフの方々がご遺族の心のケアや健康状態の確認、生活の様子までも気にされているのです。大切な人を亡くしたご遺族にとって、病棟スタッフの方々のみなさんの温かい気持ちが本当に癒しになっていると感動しました。(H様)

 

 

原稿にそってイラストや画像をはさみながら、読みやすいようにページに収めていく組版作業をさせていただきました。

作業をしながら、本文も読ませていただくのですが、いつでも親身になって患者さんによりそい、出来る限りの望みを叶え、時には悔しい思いをされている。そんな内容に涙を流してしまい、手がとまってしまうことがありました。

元々はかたちのない物が本となって手元にあると、なんだか宝物感が増した気がしませんか? 私は出来上がった物を見ると、「いい物ができた!」と喜んでページをめくります。来年の作業も出来たらいいなと思っています。(S様)

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このように受け取っていただけていることはとてもありがたいです

続けていくことへのエネルギーになります

 

もっと経験を重ねながら

さらにしっかりとしたブログとして積み重ねていきたいと思っています

 

次回へのご協力もよろしくお願いいたします。

 

 

Aさんはまだ若い女性患者さんです

数年前に検診で癌がみつかり基幹病院に紹介となりました

手術を受け、抗癌剤治療を行い、転移再発に対して放射線治療も受けてこられました

 

痛みがつよく医療用麻薬をふくむ多くの薬剤が使用されていました

そのほかにも様々な医療処置を経験してこられています

 

退院後は地域の在宅緩和ケアを担われている先生の往診を受けながら頑張ってきました

 

私たちの病棟に入院して来られたときは

痛みのために横になることが難しい状況でした

立ったまま眠られるということもあったようです

 

わずかな入院期間でしたが

スタッフはAさんの訴えに耳を傾けながら

少しでも安楽に過ごせるようにと努力し

まだ治療をあきらめきれない思いにも寄り添ってきました

 

 

そして半年後のある日…

基幹病院の看護師さんから

「Aさんの経過やケアを振り返り、意見交換をしたい」との提案がありました

私たちも参加させていただくこととなりました

 

基幹病院の医師、看護師、地域連携担当者

在宅医の先生

訪問看護ステーションの看護師

当緩和ケア病棟から

の参加で開催されました

 

話し合い(カンファレンス)の中心を担っていただいた看護師さんから寄稿していただいた文章をブログに載せさせていただきます

当時を振り返り、様々な思いが蘇ってきます

 


 

<地域で緩和ケアをつなげたAさんを偲んで>

先日Aさんのこれまでを、地域でお世話になった医療者で語る会を持ちました。長くお会いしていたAさんのことを、どうしてもともに支えあった先生、看護師さん達と語り合いたかったからです。

 

Aさんは、中高生の子供を大事に育てていたシングルマザーです。当初から「子供が成人するまではどうしてもがんばりたい」と言っていました。その後病状が進むにつれてAさんの意に反する事態が重なり、困ることが多くなってきましたが、その都度生活も子供さんのこともよく話し合ってきました。「私は教育ママなの」と語られ、子供さんが学業を修めて立派に社会に出ていくことを願っていました。あきらめきれない思いを支えながら、お別れの日がやがて来るかもしれないと思い、子供さんにも病院に来てもらい話をしました。

 

その後、遠方からの通院が大変になってきたために、在宅の先生、看護師さんにも一緒に見てもらうようになりました。「優しい先生と看護師さんで良かった。なんでも相談できる」と喜んでいました。下肢の浮腫が強く、痛みも強くなって座ることも、横になるのも難しくなりましたが、入院したくないAさんを懸命に支えていただきました。緩和ケア病棟にも面談に行き、ご友人や兄弟にも支えていただいていました。

 

しかし、通院できずお会いできないままお別れの日が来ました。最後の日をどのように過ごされていたのだろう、子供さんはその後どうされているのだろう、私たちのケアはこれでよかったのかなど、様々な思いが残りました。

 

病院からクリニック、訪問看護、緩和ケア病棟とつないだ医療者で、振り返って話したい気持ちから語り合いを呼びかけました。すぐに賛同していただけ、実現しました。

 

語り合いでは、Aさんとの日々を振り返り、様々な思いや葛藤が話されました。体位もままならない痛み、浮腫、不眠、それでも家で過ごしたい気持ちに向き合ってきたこと、医療者も苦悩を抱えたことなど。最期を過ごした緩和ケア病棟では、当初「私は治療をあきらめていないから」と言われていたそうですが、残された時間を察知してそれまで連絡していなかった親族に一人残す子供さんを託されていかれました。子供を思って、たくましく生き抜いたAさんらしさが、参加者の中で浮かび、偲ばれました。

 

地域の医療者でつながってAさんを大事に支えてきたことを実感し、この語り合いで医療者自身が気持ちの整理ができたのではないかと思いました。Aさんを通して多くのことを学び、地域で懸命に緩和ケアをしている医療者に、心から尊敬と感謝を感じました。これからは、もっと日頃からつながって患者さんのケアを考えていこうと話し合いました。

 


 

カンファレンスではそれぞれの立場から意見や思いが語られました

 

■私のメモから拾い上げてみます

 

☆積極的な緩和的処置の提案を行ったのですが、それにともなう医療が患者さんに苦痛を与えることになってしまうのではないだろうかと悩みました

緩和ケアを受け入れることが、Aさんにすると負けを認めることになるんじゃないかとも感じていました

 

☆まだ治療への望みを捨てきれずにいるAさんは通院を選択されていましたが、そのことがさらに苦痛を生んでしまったのではないでしょうか?

 

☆緩和ケア病棟に入院中のことです

間欠的な鎮静の提案をしたとき

「眠らされるのはいや。目覚めたときに苦痛が強くなるから」と話され、対応に苦慮していました

 

☆それぞれに共通していたことは、「(Aさんに)寄り添う」という言葉が話し合いの中でも頻繁に聞かれたことでした

 

 

■参加後に考えました

 

☆Aさんとはごく短い付き合いの私たちにとって、彼女の姿を正しく理解する時間が足りませんでした

私たちの病棟にこられる患者さんの中には、まだ可能性のある治療法を提案されてギリギリまでがんばってきた患者さんが少なくないという現状があります

その結果ホスピス・緩和ケア病棟の入院期間が短くなっています

患者さんとゆっくりとお話しする機会も減ってきました

しかしそのことを悔やんでばかりもいられません

今の医療状況がそうであれば、時間がないことを言い訳にせず私たちにはより一層の努力が求められているのでしょう

 

☆まだ若いご家族への想いを親族の方に託されました

ずっと治療への望みをつないできた強い意思から、残された時間を思い人生を振り返る気持ちへの変化があったのじゃないかというのは私の欲目でしょうか?

 

 

■さいごに参加者がみんなで確認できたことは

 

一人の患者さん・ご家族にはたくさんの医療者が関わっています。たとえば入院されるとき、在宅に帰られるとき、などにお互いが関わってきたことをしっかりと伝えあえていれば、そして日ごろからつながっていればいいですね

 

ということでした

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