家に帰ることを強く望まれた患者さんの思いと受け持ちの看護師さんの思い

・・・その2

≪みんなにわかってほしい≫

 

――入院3週間後

 

合同カンファレンス数日前

吐気が強く、嘔吐すれば落ち着くのに中々出ない……辛い症状に気持ちが爆発した場面がありました

吐気で苦しい中、洗面台からやっとの思いでご主人へ電話をされました

ところがあまりの辛さに声が出なくうまく伝わりません

苛立ちがつのり、もう一度気持ちを伝える間もなく自分で電話を切ってしまわれました

つぎに娘様へ電話がつながりました

「みんなぜんぜんわかってくれない… このままここにいると死んでしまう… 早く帰りたい」

「まだ帰れないの? もっと家族がつよく(医師に)言ってくれたら…」

涙ながらに訴えられ、辛い思いはご主人への怒りに変わっていきました

また娘様への訴えから、なんとなく医療者への憤りや不信感も抱いておられたように感じました

Mさんはしばらく娘様と話をされ落ち着きを取り戻されました

 

その後症状が落ち着いたタイミングを見て、「退院前の話し合いまで少し日がありますが、訪問看護師の方には一番最短の日にちを組んでもらったのです。退院するためには周囲の人の力が不可欠。退院は待ち遠しいですが、話し合いの翌日以降で早めに退院できないかを相談してみましょう」と説明、約束しました

 

――受け持ち看護師の心のなか

 

「もっと早く退院調整ができていれば」

と、正直私自身後悔したこともありました

Mさんの倦怠感は病状からくるものだけではなく、絶食による栄養不良や血糖値の変動など複雑に絡んでおり、それを見極めることに少し時間を要しました

そしてMさんの中でネックになっていた倦怠感以外にも、嘔吐や疼痛の症状がありましたが、「食事を抜く」という選択肢は彼女の中にはなかったので、「症状コントロールがつきにくい」ということも退院調整に踏み切るまでに時間のかかった要因のひとつでした

体調が悪い時にはMさん自身会話することを遠ざけられたこと等が幾重にも絡んでいたためではないかと思っています

 

――合同カンファレンスの当日

 

当日はMさんご自身でしんどいながらもしっかり話し合いに参加されました

一方でご家族には退院にあたりマスターしてほしい処置や機器の操作方法の練習のために数日にわたって病院に通ってもらい習得していただきました

カンファレンスでは、病状は不安定だけれども明日にでも帰りたいと思っていることを病棟看護師から訪問看護師に伝えました

「早く退院したいよね?」

訪問看護師からMさんに声をかけられたとき、涙ながらにうなづかれたMさんを忘れることができません

 

ただMさんが自宅に帰るためには、周囲の人がいくつかの医療機器をマスターする必要がありました

病棟看護師でもあまり使用したことがない/はじめて見る精密機器もありました

それはご家族だけでなく、訪問看護師も同じでした

在宅という制限やご家族の注射や座薬、飲み薬などへの苦手意識があったため、使用できる薬剤や投与方法が限られており、症状コントロールは難しかったと思います

決して安定しているとは言えませんでしたが、それでもなんとか翌日に退院できることになりました

 

 

――退院後のこと

 

しばらくして自宅では表情よく過ごされていることを聞き、退院できてよかったと思いました

「医療者として、どうケアするのが患者さんにとって一番安楽で、患者さんが望む過ごし方なのか……」

とても考えさせられたMさんとのお付き合いでした

退院後Mさんを支えられたご家族も訪問看護師、主治医・往診担当看護師もたくさん悩まれたと思います

退院前はご家族はそれぞれの生活の場で過ごされていたので大丈夫かな、と心配していたのですが、最後には交替で付き添われ寄り添っておられたと知り、家族の力でならどこまでも団結して強くなれるし、その力の偉大さを感じました

もちろん、遠方から1日に何度も足を運び何度も電話で相談に乗ってくださった訪問看護師や医師・往診担当の看護師の存在なしでは成り立ちませんでした

がんばりに頭の下がる思いです

 

今後出会う患者さんにおいても、その方の思いを大事にし、思いを叶えるタイミングを逃さないよう、みんなと密に連携をとって大事なときを逃さないよう看護していきたいと思います

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家に帰ることを強く望まれた患者さんの思いと受け持ちの看護師さんの思い

・・・その1

 

以前にご自宅で最期の時をすごされたMさんのことを書きました

今回入院中にプライマリーナースとして受け持ってもらった看護師さんからの報告をいただきました

私の知らなかったこともあり、心に染みる内容となっています

 

2回に分けて掲載したいと思います

 


 

                                                   

症状のコントロールのために入院してこられたMさん

「症状が楽になったら家に帰りたい」

「お正月は家で過ごしたい」

という意向を示されていました

そしてご家族も同じ思いであることを確認しました

 

入院の当日から、ご病気の影響で蠕動痛が激しく強い様子で、睡眠剤で少し休息の時間を設けないと辛いほどの耐えがたい苦痛がありました

蠕動痛を緩和するために一時的に絶食へ

すぐに医療用麻薬の皮下注射を開始し、さっそく症状コントロールを始めました

 

 

≪楽になって家に帰りたい≫

 

その後、食事開始とともに症状が増悪

疼痛も嘔吐の頻度も増えました

食事をすることで症状が増強している可能性があること、また一時的に絶食にし食事形態を変更しませんか? と、主治医からMさんへ提案がありました

しかしMさんの食べたい思いは強く、そのまま食事形態を落とさずに3食食べたい思いは変わりませんでした

「食べること」がMさんにとってどういう意味を持っていたのか、直接は聞けませんでした

しかし、あれだけしんどい思いをしてでも食べることを継続する決断をされたのを見て、Mさんにとって「食べること」は症状が増強したとしても生きる上で大きな意味を持っていたのだと感じました

 

症状は落ち着いている時期もあれば増強している時期もあり、どのタイミングで退院の話を出してもいいのか迷いました

しかし、絶食の時は比較的症状が軽く、固形物を含む普通の食事を提供すると症状が増強することが分かりました

Mさんが食事形態を変えず食事を継続する意向なら、これ以上の症状緩和はのぞめないかもしれないと思い、このタイミングで退院について再度思いを聴くことになりました

 

――入院1週間後

 

「いつまでには帰りたいとかはないけど、もう少し体が元気になったら帰りたいかな」と、退院希望はあれども、倦怠感がネックになっていることを訴えられました

そして、急いで退院準備をするのではなく、あくまで「症状が軽減し、楽になったら退院したい」という部分も確認しました

 

痛みはある一定まで軽減できましたが、病状からこの時期の倦怠感の改善は難しいかもしれない……と思い、「病状から倦怠感はとれないかもしれないが帰りたいですか」という点も含めて退院について主治医から声かけしてもらうよう依頼しました

ただしMさんの体調は日によって違い症状にも波があるため、医師も言い出すタイミングを見計らっていました

 

――入院2週間後

 

「倦怠感が取れないなら帰りたい」

主治医からの説明を受け、Mさんの中で退院への思いが大きくなりました

しばらくしていよいよ退院方向で調整することになり、訪問看護師やケアマネジャーの方と合同カンファレンスを行う日が1週間後に決まりました

 

ご主人からお聞きしたのですが、Mさんは闘病生活を送る中で「意識がはっきりしている期間はいつまでか」を前の医師に聞きながらこれからの過ごし方を考えてこられたそうです

病状が悪いこともすべて自分で聞いて治療方法やこれからの人生を計画されてきました

そして、「最期は家で迎えたい」ということも以前からご家族で話し合われていたようです

Mさんに退院についての思いを聞いた時と同時期、ご家族に退院についての意向を伺いました

「本人が家で最期を迎えたいというなら支えたい」と言われました

自宅で最期を迎えられるかもしれないため、終末期に出現しやすい症状などをまとめたパンフレットを用いて、Mさんが今後どのような状態に変化していくことが予測されるかをご家族にお話しました

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回診のときのことです

Aさんとは社会のことを話すことがたくさんあります

 

この日もテレビをみながらいろいろとお話をしていました

 

戦争が終わり、Aさんが大陸から日本に家族といっしょに引き上げてきたときはわずか4歳だったそうです

そのときの厳しい生活のことなど今でもはっきりと身に染みて覚えておられます

「戦争なんて二度とするもんじゃない!」と話されていました

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ロシア軍がウクライナに侵攻(侵略と言わせてもらいます)を開始したニュースが流れていました

「小さな子どもが被害に合っているのを見てやるせなくなりました」

「どんな理由があっても戦争はよくないです」

ときっぱりと言われました

 

 

新聞やテレビなどで勉強しました

今回のロシアの行動は

“主権尊重”“領土保全”“武力行使禁止”などを義務付けた国連憲章に違反しています

どんな理由でも戦争行為は許されるものではないということは、何度も大変な経験を重ねてきた人類共通の思いでしょう

 

子どもや青年、お年寄り

女性や男性

みんなの命が脅かされています

 

 

 

緩和ケア病棟で働いて7年間

多くの方の生きざまと同時に

最期の迎え方を見てきました

 

一人ひとりの命は

とても大切なものであり尊重するべきものであることを

それまでの医療現場で働いてきたとき以上に

感じています

 

しかし

戦争状態のなかでは

まったく正反対のことが行われています

 

みんなの価値観が根底から覆され

人としての尊厳が踏みにじられてしまっています

 

 

緩和ケアを担当するものとして

また医療従事者として

なによりも人として

戦争や侵略行為には

心から反対の意思表示をします

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それぞれの立場から

声をあげることが求められています

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Mさん(女性)は強い腹痛のために緩和ケア病棟に入院してこられました

症状に対しては医療用麻薬などで緩和を一定図ることができましたが、Mさんの「家に帰りたい」との思いが日に日につよくなってきました

同時にご家族からもMさんの望みを叶えてあげたいと相談を受けました

 

症状が軽くなったとはいえ痛みは消えておらず、医療用麻薬の持続皮下注射に頼っている状況です

そのほかにもたくさんの医療処置やケアが必要な状態です

 

それでもMさんからは「自宅で最期を迎えることになってもいい」とまで言われました

面会制限が行われている最中

「このままだとみんなと会えなくなってしまう」

との危機感を表明され

一方では病状の悪化も自覚されている状況での切羽詰まった決断でした

ご家族は「帰ってきてほしい」と覚悟を決めようとしています

 

ご家族と相談を繰り返し

私が訪問診療に伺い、法人の訪問看護ステーションが訪問することに決まりました

受け持ちの看護師さんを中心にご家族への介護指導が丁寧に行われました

 

そのときに何点かの確認が行われました

☆ご家族の「覚悟:在宅での看取りをふくめた」の再度の確認と介護の体制づくり

☆医療・看護の面では、病院から往復1時間半はかかる道のりであるけれども短い予後を考えて当院から訪問すること

☆たくさんある医療処置(持続皮下注射のレスキューなど)や介護のポイントを身に着けていただくこと

☆数日間は再入院の可能性を考えてベッドの確保を行っておくこと

などです

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そしていよいよご自宅への退院の日を迎えられました

 

 

≪家に帰ることの意味とは≫

 

※Mさんは入院しているかぎりはひとりの「患者さん」です

ご自宅に帰ることでやっと「Mさん」にもどることができました

やはり「お母さん」なんですね

「家では家族みんなの食事の準備をしてあげたい」と話されていました

ご自分の役割を自覚していました

(実際にはADLの改善がそこまでは望めなかったのですが)

 

※けれど家がすべてではないことも確かです

患者さんの「帰りたい」という一言から退院の話に発展することが時々あります

そのための努力を私たち、とくに看護師さんたちは行っています

そのときの壁になるのが家族の気持ちや環境です

 

また「家の方がいいよ」と積極的に勧めていく場面もあります

例えば「残された短い時間で何かしたいこと、やり残したことはないですか」と患者さんに問いかけて何かを探していくことがあります

患者さんによっては「とくにないです」と返事をされることがあり、「ここにいることで十分です」との返事が返ってきます

私も同じ問いかけをして、そのときふと感じることがあるのです

――私たちはそれぞれの価値観で良かれと思うことを話しているんじゃないだろうか

――患者さんの思いはもっと別のところにあるんじゃないだろうか

過去に何度か失敗をしてきて感じていることです

 

患者さん、さらにはご家族の価値観を大切にしながら最善のことを見つけていきたいものです

 


在宅での生活が始まりました

退院の日から訪問看護が開始です

※いくらかの脚色を加えて在宅での出来事を記述します

退院の日をX日とします

 

 

X+2日

退院後はいい表情をされ食卓に座っていました

 

X+5日

入院中よりも食欲があります

この時点でベッド確保は解除しました

 

X+12日

痛みの訴えが多くなりレスキュー回数が増加、同時に医療用麻薬のベースアップを行

いました

 

X+16日

腹部膨満、発熱、せん妄が出現

ご家族にはいよいよの時が近くなってきていますとお伝えして

これから起こりうることを説明しました

再入院の話は出ず、覚悟はされているようです

 

X+17~19日

眠る時間が増えてきました

このころからはレスキュー回数が減ってきました

しかし目覚めると起き上がろうとされ、ご家族は交替で付き添われています

身の置き所がない状態となりもう一度相談をしました

Mさんは「家にいたい」とはっきりと意思表示をされます

鎮静が必要となってくることが予測されたためそのことの説明もしました

Mさんからははっきりとした返答が返ってきませんが、拒否もないようです

複雑な判断が困難なように見えます

ご家族からはみんなで相談したい、今の状況でも自宅で看ていけますとのお返事

 

X+21日

鎮静の希望が出されました

医療者でも相談、患者さん・ご家族の意思を確認し持続的な鎮静の開始となりました

Mさんは急に起きだし、その都度ご家族が支え、寝かせては起き上がることの繰り返し

です

 

見ていて感心しました

どのご家族もMさんに優しく声をかけながらMさんのしたいように寄り添い支えているの

です

この光景をみて「難しい状況であったけれどご自宅に帰れてほんとによかったなあ」と

心から思ったしだいです

 

 

しだいに眠る時間が増え

数日後にご家族みんなの見守られる中旅立たれました

 

苦痛から解放されたように

穏やかなお顔をされていました

 


 

≪Mさんの経過を通して考えたこと≫

 

※訪問看護の役割と努力

 

Mさんの症状の緩和やケア、ご家族のケアのために1日に複数回訪問していました

仕事帰りに寄ってくれたこともあります

ご家族からは頻繁に連絡や相談があり、私の方にも看護師さんから連絡が何度もありました

私の無理な注文にもスムーズに応えてくれました

この方々の努力がなければ在宅生活を支えることはできなかったでしょう

あらためて感謝します

 

私たちの法人にある二つの訪問看護ステーションのホームページから引用します

 

☆Nステーション

「訪問看護は本当に学ばされることが多いです。利用者様の健康面はもちろん、その方の生きがいのある療養生活が送れるように、また日々笑顔と元気を届けられるような訪問看護をしたいと思っています。みんな訪問看護が大好きです!」

☆Tステーション

「看護師としてこんなに幸せな仕事はありません。全部のエネルギーを使ってケアするとき、利用者様とご家族から、その何倍もの暖かいハートをいただくのです。この仕事を誇りに思っています」

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所長さんから「いつかカンファレンスを持ちたいです」と希望されました

必ず実現させましょうと約束しました

 

 

※ご家族のこと

 

ご家族が訪問看護に何度も連絡をされたのはMさんの苦痛を何とかしてあげたいとの思いからです

終末期にはご家族から「何もしてあげられない」「私たちは何をすればいいのでしょうか」と聞かれたり、「何とかしてあげてください」と要望されたりすることが多くあります

ところがMさんのご家族は、Mさんに一生懸命に寄り添っていました

「寄り添う」と一言で言っても簡単ではないことはだれもがわかっています

Mさんのご家族みなさんはMさんのそばに交替で付き添い、ご家族の温かな手で体を支え、疲れたからといって決して強制はせず、その都度Mさんの気持ちを尋ねながらケアにあたっていました

ご自分たちの役割を素敵にこなしているように見えました

この方たちはすごいなあと頭の下がる思いで見ていました

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※訪問診療/往診医として:私の本音の部分も述べます

 

入院患者さんを診ながらの往診(特に遠くて、時間のかかる)は正直しんどいです

看取りを前提としているならなおさらです

夜間や休日は関係なくいつ呼ばれるかわかりません

毎日のように相談があります

しかしMさんとご家族には私が往診しますと約束しました

元気になって帰られるのではなく、いつ悪化・急変されるかもしれないという状況での退院であるため決断しました

また短い入院でのお付き合いではあるものの、他に任せるわけにはいかないとの気持ちに突き動かされました

その意味では在宅で見守ることへの「覚悟」はご家族だけに要求するのではなく、それ以上に医療者、とくに主治医に求められているのだと痛感しています

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付き合いは長くありませんでしたが

Mさんとご家族にはたくさんのことを教えていただきました

この経験はこれからの取り組みに示唆を与えてくれることでしょう

本来ならどこにいても暖かさを感じる病棟なのですが

コロナ対策のため換気が求められており

しぜんと背中を丸めながら回診をしています

 

 

食欲がなくなったJさん

「テレビでしゃぶしゃぶを見ていて食べたくなった」

 

知人に連絡をすると

準備をして届けてくれることになりました

 

 

心待ちにしています

しゃぶしゃぶの話から

「ブリしゃぶがいい」となり

さらには

「フグしゃぶが食べたい」とさらに望みが発展

 

 

届いたのは

鍋、野菜、そして調理されたフグ…

 

大喜びです

鍋に入れて温めればすぐにでも口にすることができるように準備をしていただいていました

友人は残念ながら同席されることができません

(コロナ禍でご家族以外の面会ができないのです)

 

 

待ち構えていました

そのときの写真を掲載します

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おいしそうです

看護師さんがお手伝い

「そろそろいいかな」

待った! まだ不十分です

私は思わず野菜たちの下にフグを沈めてしまいました

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私は昼ごはんを食べたばかりでしたが

思わず空腹を感じました

―――そうだ 今夜は鍋にしよう……

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Jさんはいつにも増してたくさん食べられたとのことです

 

 

 

この日は2月1日

「ニオイの日」だそうです

わずかですが病棟に食欲をそそる匂いがただよっていました

 

 

このようなことが実現できる病棟がとっても好きです

コロナ禍のもとでも可能なのです

(本来ならご家族といっしょに和気あいあいの場面が見られるはずなのですが)

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さあどうぞ