緩和ケア病棟にたずさわって最も苦手な領域のひとつが「せん妄」です

今までたくさんの失敗を重ねてきました

患者さんを不安にさせたり、怒らせたり、私の一言で混乱を招いたり

毎回反省と後悔の繰り返しです

 

 

そんなとき

ある患者さんとの出会いがありました

抽象的な議論ではなく

患者さんの言葉をもとに

看護記録などから拾い上げることで

なにかの教訓が見つけられればと思っています

 

例によって個人の特定を避けるため年齢や性別、病気については変更を行っています

「」内は主には看護記録、あるいは患者さん・ご家族の言葉からの引用です

―――の部分は私なりの受け止めです

 

 

Aさんは高齢の男性です

ひとり暮らしをされていました

癌の術後の再発により余命は短い月の単位いうことで私たちの病棟に入院してこられました

 

入院日をXとします

Aさんは悪性腫瘍以外にこれまで誤嚥性肺炎をくりかえしていたとの情報がありました

ほとんどベッド上で臥床中ですが、ときにはご自分で寝返りをされていました

会話はしっかりとしており、意思の疎通には問題はありませんでした

テレビを見ることが大好きで、リモコンの操作は得意でした

 

看護師さんの記載です

「疼痛なし、呼吸困難感なし

症状は咳・痰、誤嚥性肺炎をくりかえされていた

ときには痰の吸引が必要のようだ」

また患者さんのご希望を聞いています

「家に帰って仏壇を拝みたい

歩けるようになりたい」

重要な情報ですが

「睡眠薬の使用はなし」とありました

 

X日の夕食はご自分で摂られています

「食べました、おいしかったです と笑いながら話される

少し食べこぼしあり

発語は聞きとりにくいこともあるがちぐはぐなし」

 

夜間のこと

「ここは静かですね、よく眠れそうです」

と静かに就眠されました

 

X+1日もおだやかに過ごされました

ご家族と携帯電話で楽しそうに会話をされている姿をみかけました

 

新型コロナウイルス対策のため

ご家族の面会は1日15分までという制限を設けていたときです

娘さんからは「気分に左右されることがあるのでお願いします」

と依頼をされました

 

 

X+2日目の夜のこと

 

「廊下まで聞こえる声で『おーい、おーい』と呼んでいる

訪室すると『〇〇ちゃんはどこ行った?』

いったん落ち着くも独語が続く

興奮はされていない

『みんなここにいる

病院に帰らせて

ここじゃない、ここは病院じゃない』

会話がちぐはぐ、せん妄か?

『歩いて帰る、車が迎えにきてる』

しばらくお相手をしていると落ち着かれるが、目をつむって同じことを話されている」

「何度もナースコールあり、眠剤を服用していただいた

薬は拒否なく飲まれる」

 

X+3日目も同様の記載あり

 

「眠剤のため覚醒が不良となれば誤嚥のリスクが高くなり、使用方法を検討したい

患者さん『何回も肺炎になった、死んだ方がまし』と言われている」

―――この時にはご自分のおかれている状況は理解され、誤嚥性肺炎に対しての不安感や恐怖を感じていたようです

 

日中も混乱が続いています

「食事は食べられたが会話は深まらず

『家に帰る、ここに閉じ込められた、そこに猫がいる』

危険な行動はないが訪室の回数を増やす」

―――猫という幻覚(?)が見えているようです

「ベッドを自動車、ベッドのコントローラーを車のカギと思われ、ご自分でギャッジアップされている

ここは病院であることを伝えると、『自分で来た覚えはない』と知人に電話をされ、『監禁されている、今すぐ迎えに来い』と

辻褄の会わない会話が続き、しだいに興奮が強くなってくる」

―――病院であるという見当識は保たれていますが、監禁されているという表現から危機感を持ち始めているようです

また興奮が強くなっており一層の対応が求められてきました

 

娘さんから電話があり、昨夜からの変化と今日の状況をお伝えしました

娘さんからは「せん妄と思います。以前にもありました。いやな夢を見たのではないでしょうか?またすぐに元に戻ると思います」と話されました

―――せん妄ということでのご理解はされており、これまでにもご家族は対応されてきたことがうかがえます

 

一方では食事は食べますとご自分で摂られています

この間看護師さんたちは身体上の問題がないかと検討しました

しかし痛みなどの不快症状はなく、尿失禁や排尿困難、排便困難も見られません

熱も出ていないようです

 

Aさんは携帯電話を操作してご家族などと話をされながらも、つじつまの合わない会話は続いていました

―――日常行っている行為はある程度可能です

 

夜間ケアが手薄になる時間帯には向精神薬の使用がカンファレンスで検討されました

しかし入院時には娘さんから精神に作用する薬はできるだけ使用を控えてほしいとも依頼をされていました

使用時は慎重にとの方針を共有しました

 

それでも夜間の興奮が強くなってくると

常用量の半分を使ったりすることがありました

 

その結果

X+5日ごろには日中も眠ってしまうことが多くなりました

それまで食事時には唯一おだやかにされていましたが、眠ってしまい食事を摂れない日ができてしまいました

 

 

X+7日

入院されて1週間が経過

 

ストレッチャーでの入浴後

ありがとうとの言葉が聞かれました

 

午後には娘さんからの電話

「娘さんに食事は食べたかと尋ねられ、『今からや』と元気よく話される

しっかりと会話ができている」

「『昨日はいろんなところに行ってた、夢の中でな…。そうやな夜は薬を飲んで寝た方がいいかな』と話され、閉眼する」

―――この時点では興奮されることがなくなり積極的な向精神薬の使用は行われていません

しっかりと会話ができ、ご自分のことに関しての意思表示が可能となってきています

 

夜間眠れないときにはご本人から眠剤を希望され、少量の内服で眠ることができていましたが、翌日には日中の覚醒状況が芳しくなく、看護師さんたちは試行錯誤の状況であったようです

 

同時に娘さんからは「うとうとすることが多く、食事が進んでいません。食事時は覚醒し、なるべくしっかりと食べてほしい」と思いを何度も告げられていました

 

 

X+2週間

当直の看護記録です

 

「夕食時は覚醒し、会話しながら食事を楽しめていた。眠前には『もう寝ます』と言われ、眠剤を使用せず入眠できていた。朝も朝食前に目覚めている」

―――せん妄からの脱出のきざしが見えてきました

 

さらには

「15分だけの面会であるが、ご家族の思いを聴き、現状を共有しながら目標設定をしていく」という方針を立てました

Aさんからは『今日はよく眠れた。眠ることよりも食べることがいちばん。今度肺炎になったら、その時が命の終わりや』との言葉が聞かれています

―――ご自分のしたいことをしっかりと話すことができました

また誤嚥による肺炎を恐れていることを再確認しました

 

娘さんは面会後に「薬で眠気が残り父の思うことができなくなることがいちばん辛いことです。でも今日はしっかりとしており、自分で半分ほど食べてくれました」と表情よく帰宅されたとのことです

 

口からたべること、誤嚥を予防することがAさんとご家族にとって最優先の目標であることをもういちど確認しました

 

 

それからの約2か月の間

Aさんは時々は調子を崩されることがあるものの、毎日面会に訪れる娘さんとの短時間の会話や食事の介助の時間を楽しまれました

 

 

―――なぜせん妄から回復されたのか?

考えてみました

看護記録では比較的客観的な記載が多いのですが、行間を読み取ると看護師さんたちが粘りづよくAさんと向き合っていることがわかります

興奮を無理に抑えようとせず、寄り添ってくれました

また娘さんからは眠剤などはできるだけ望まないと話され、使用を極力控えたことも大きかったのではないでしょうか

みんなは食事にこだわりました

口から食べることは患者さんやご家族の望みであり、Aさんの不安(誤嚥⇒肺炎)を和らげるという両面を支えたこと

これらが相まって改善にたどりつけたのではないでしょうか

 

 

 

それでも病状は徐々に進行

ゆっくりと旅立ちの時を迎えられました

入院中には誕生日のお祝いもできたのです

 

 

この間私はといえば

回診のときはAさんはほとんど眠られており

看護師さんたちのような会話があまりできていない状況でした

脱水予防のための点滴の指示や、尿路感染対策など、医療面でのバックアップに努めていました

 

 

Aさんがせん妄から復活されたときに話をしたことがあります

いちばんしんどかった時のことを覚えていますか? とたずねると

『夢の中にいたような気がします。とても不愉快な夢でした』と

 

せん妄の間、患者さんは不安や恐怖、混乱の真っただ中を漂っているのでしょう

できることなら不愉快な夢がすこしでも心地よい夢であるようなかかわりができないかと考えています

 

残念ながら薬はその役目を十分には果たしてくれないように思います

 

正直なところせん妄に陥っている患者さんを前にして、わたしは今でもなすすべなく立ち尽くすことが少なくありません

むしろ誤った対応からよりひどい状態に追い込んでしまったこともあります

そのときには自分は緩和ケアには向いていない、医師としてやっていけるのだろうかと何度も悩みました

 

Aさんの主治医になってたくさんの日が経ちました

振り返ることが必要と考え電子カルテ上の記載を読み返しました

看護師さんたちの苦闘と努力、ご家族の気持ち、なによりもAさんの感情をあらためて知ることになり、このままカルテに埋もれさせてはもったいないと気づき、ブログというかたちで記録いたしました

 

 

申し訳ないことですがこれから何度も失敗や反省をくりかえしながら、ちょっとは前進できることはないかと探っていきたいと思っています

309-01