・・・つづきです

ここまで読んできて

何度も泣きそうになりました

 


チーム医療…

 

私が子宮癌末期の70代のIさんと話していた時、Iさんが初めて『もう一度家に帰りたい』と言われました。ご自分の予後を考えられたのだと思います。モルヒネの持続皮下注射を行い、これまでの治療や癌の進行により、子宮、腸管や膀胱、周囲の皮下に瘻孔形成していて、処置も多く、日常生活の全てにおいて介護が必要な患者様です。『難しい』希望ですが、聞き過ごす事は出来ませんでした。すぐに先輩看護師に伝えました。『よく聞いてきた!無理じゃない!どうしたら叶えられるか、皆で考えよう!絶対叶えよう!』と即答してくれ、主治医はじめ他職種含めスタッフを集めてくれました。この方法はどうか、こうしたらもっと良いのではないか、この組み合わせはどうか、などなど沢山の意見が出され短時間で外泊プランが立ちました。ご家族様にも十分な説明を行い、プランに納得を頂きと協力していただける事になりました。そして外泊当日、患者様は『いってきます』とピースサインと笑顔で病棟を出発。外泊中は病棟スタッフが訪問し、2泊自宅で過ごすことができました。患者様は、『帰れてよかった。ありがとう。』と手を合わせられました。外泊から戻られた翌日、意識レベルが低下。その後旅立たれました。ご家族からは『お母さんの気持ちを知っても、あのまま帰らずに病院で亡くなったら、私はこれから後悔しながら過ごしたかもしれない。帰れて良かった』と言葉を頂きました。(この患者様は、ご自宅が病院のそばであった事やご家族が交代で24時間付き添えたことなど条件がありました。)

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何通りもの解決策は、1人で考えられるものではなく、患者様を中心とし医師や看護師、その他、他職種スタッフが1つのチームになる事が必要で、チーム力無しでは良い医療や看護は提供出来ないことも実感しました。患者様の一言から行動することの大切さや、どのような状況でもチーム力が最善策を見つけてくれることを感じました。患者様の思いを1番に考えられるようになった時、自然に想いを伝えられるようになった事や、チームがあるから実践できる事に気付きました。

 

看護師1年目から、10年以上一般病棟で勤務し、個人としては終末期ケアを意識し取り組んできました。そして、当院で緩和ケア病棟が開設されました。いつか一般病棟でも自信を持って緩和ケアを行う為にも、専門的に緩和ケアの知識や技術を習得したい思いで一般病棟から、緩和ケア病棟へ異動しました。

 

一般病棟では、意識して終末期看護、家族看護を精一杯行なっていたつもりでしたが、いざ緩和ケア病棟で働いてみると、私は今まで何をしていたんだろうと思うくらい緩和ケア病棟での医療・看護は濃密で繊細で、あたたかいものでした。ここに来なければ分からなかったことが沢山ありました。

 

看護師個々の看護力や他職種のチーム医療への意識も高く、常に患者様ご家族様中心に事が進みます。患者様ご家族様が良い時間を過ごせるようにと考え、病室に足を運びます。

スタッフ皆、患者様ご家族様第一に思い、カンファレンスも1日のうちに頻回に行っています。その中で患者様にとっての最善策がみえ、いくつも医療・看護をタイムリーに提供しています。

 

※緩和ケア病棟では、医師に加え、担当看護師(患者様1人に対し主となる看護師が1人担当させていただいています)、他、管理栄養士、薬剤師、理学療法士、作業療士、言語聴覚士、ケアワーカー、MSWなど他職種含め、一丸となり、チーム医療を行っています。

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ドクターや看護師は患者様の隣で、ゆっくり話を聴きます。患者様が今まで治療ばかりで

言えなかったこと、辛かったこと、不安に思っている事、家族のこと、患者様やご家族の

話に耳を傾けます。患者様が話し出せない時も傍でその時間を一緒に過ごします。患者様やご家族様と時間を共有する中で、スタッフも笑ったり泣いたり。病室はご自宅のように患者様ご家族様でカスタムされ、お写真や絵画、ご家族様からのお手紙など、温かい雰囲気です。

 

『緩和に入ったらおわり』と言われる患者様がおられますが、“おわり”と言わず、まだまだ選択できることがあること、体が思うように動かなくても患者様の存在が大切な方の支えになっていることも知っていただきたいです。我慢や遠慮がなく患者様らしく生きるために緩和ケア病棟があります。『緩和に入ったらおわりじゃない』これからの時間を、どこで、誰と、どのように過ごしたいのか、最期はどのように迎えたいのか、患者様の選択をサポートしています。

 

緩和ケア病棟で担当になった患者様のお一人で、印象深い方がいます。

 

Nさんは一人暮らしで、息子様が2人おられますが遠方でたまに電話をする程度で普段の援助は得られません。骨転移、神経浸潤の影響で、頚部の痛みが強く、日常生活を送ることが辛いと感じて入院されました。また病院での最期を希望されていました。

 

入院後、まずは疼痛コントロールを試みました。しかし色々な薬を組み合わせたり、ケア

を施しても、なかなか痛みが軽減しなかった日もありました。『今日も痛みが取り切れなかった、1日つらい時間を過ごさせてしまった』と落ち込み、もっと楽に過ごせたんじゃな

いか、もっと考えて何か良い方法があったんじゃないかと思い、患者様に、謝る日もあり

ました。

 

ナースステーションでは、スタッフ達が何も言わずに肩を抱いてくれました。皆、気持ち

は同じだからです。1 人じゃない、チームなんだ、悩むより良い方法考えようと前向きに

また頑張れました。

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Nさんの希望で車椅子で散歩に外出し、病院から離れて、公園で過ごしたり、お買い物し

たり、コーヒーを飲んだりする時間も持てました。なかなか薬剤による疼痛コントロールが難しい中、散歩に行った日は痛みの訴えが少なく、夜も眠れている事をスタッフ間でも

認識しました。薬剤とお散歩の組み合わせが効果的で、ある時には「痛くないよ、こんな

こと今まで初めて。ありがとう」と笑顔で返事があったときは、一緒に喜びました。

 

それから病状の進行とともに、残された時間が少なくなっている事をNさん自身理解され、2人でこれからの事を話しました。「最後、辛くなったら眠らせて欲しい。自分はここで死にたいと思う。自分で判断出来なくなったら、あなたに任せてもいいか?息子達とは、今話しておきたい。」と言われました。その後、息子様とも色々な話をされたのだと思います。いよいよ、お体も辛いと感じるようになり、『もう眠らせてほしい』と言われました。病状からもそのような時期にきていました。『ただもう一度息子に会ってからとも思う』とも言われました。Nさんと相談して息子様達に会えた後、最期の時まで眠ることを決めました。すでに息子様にはNさんの病状をお伝えしていましたので、間もなくお1人の息子様が病室に到着。しかし、もうお1人の息子様はお仕事の都合上到着には時間がかかるということでした。数時間が経過し、『もう無理かな』とNさんが言うのです。息子様の到着にはまだまだ時間がかかります。スマホをビデオ通話にし、息子様のお顔を見て話してもらいました。お互いに何度も謝り合い、何度もありがとうと言われていました。私に、『電話ありがとう、お願いしてもいいかな。』と眠る事を希望されました。

 

数時間が経ち、Nさんは眠りの中、旅立たれました。

 

緩和ケアチーム一同、どんなに辛い状況であっても、1 日1 日を大切に患者様ご家族様に寄り添い、自己決定をサポートしています。

 

患者様にとって必ず明日が来るとは限りません。しかし、それは、全ての人にとってもい

えることです。病気だけでなく、震災、事故、いつどのようなことが身に起こるのかはわ

かりません。大切な人が明日いなくなるかもしれません。生きていることは当たり前では

ありません。死は、いつも身近にあります。最期のかたちはそれぞれ違うけど、人は必ず

その時を迎えます。

 

それでも今日1日を終え、今日が辛い1 日でも、「また明日」と、明日に誰もが希望と期待をもっています。

 

患者様ご家族様には、毎日、明日への希望が持てるように、今日が明日へ繋がるように、心を込めて看護したいと思っています。

 

患者様の苦痛や苦悩が軽減されるように。

 

思っていることを言えるように。

 

患者様らしく過ごせるように。

 

おいしくご飯が食べられるように。

 

今、会いたい人と会えるように。

 

ご家族様との時間が笑顔で過ごせるように。

 

季節が感じられるように。

 

何気ない日常を過ごせるように。

 

いま生きていることを感じれるように。

 

最期の時を穏やかに迎えられるように。

 

この世から旅立たれたあと、大切な家族が死別のからの悲しみと向き合えるように。

 

そのような医療・看護を緩和ケア病棟では大切にしています。

患者様ご家族様が、『また明日』と言えるように、全力でサポートしていきたいと思ってい

ます。

 

 

さいごに…

 

緩和ケア病棟での経験は看護師として大きな成長になりました。誰かの最期の瞬間に立ち合うという特別な職業、他にはありません。

 

看護師1年目の辛さや悩み、緩和ドクターやシスターの言葉が私の看護観・死生観の基盤にあり、1度は逃げ出したい思いを抱えていた私ですが、沢山の患者様ご家族様に、私という看護師を作っていただきました。信頼出来るチームにも出会え、こうして看護師を続けていられる事に心から感謝しています。

 

 

緩和ケア病棟の皆様、4年半、私をいつも支えてくださり、ありがとうございました。

 

看護師  S.H.

 


 

看護師さんには

とてもかなわないなあと…

 

その後にさらに次のようなメールをいただきました

 

――学生さんや若いスタッフには悩んでもいいことや、患者さんには緩和の良いところ、緩和に来てくれるスタッフには、スタッフの良いところが、伝わったらいいのですが…

 

Hさん、十分に伝わっていますよ

少なくとも私が書くような文章よりもはるかに

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このお便りをもって6冊目のブログ集を完成させたいと思います

締めくくりとして最適なお話になりました

 

Hさん、ほんとうにありがとうございました

これからもよろしくおねがいします

この夏に緩和ケア病棟から一般病棟に配属となった仲間の看護師さんがいます

私から無理を言って「思いはたくさんあることでしょう、ぜひともみんなへのメッセージをお願いしたいのですが」と依頼をしました

私の予想を上回る内容が届きました

思いのたけを語っていただいています

 

看護師としての真摯な姿勢に胸を打たれました

 

若干の変更(私の判断で)をさせていただき

このブログに掲載をいたします

 

長い文章なので2回にわけています

 


はじめに…

 

看護師として一般病棟から緩和ケア病棟へ配属となり4年半が経ちました。そして、この

度、また一般病棟への配属が決まりました。

私が、緩和ケア病棟で学びたいと思ったきっかけは、急性期から慢性期、終末期、様々な疾患や治療が混在する一般病棟だからこそ、満足度の高い終末期ケアを提供する必要性があると感じた事でした。この事が今回、私が一般病棟に異動することの最終的な決め手になりました。緩和ケア病棟のスタッフからの後押しもありました。

 

現状では当院緩和ケア病棟は、『がん』を患った患者様を受け入れています。しかし、そ

れ以外の病気で終末期を迎える患者様は大勢です。一般病棟で終末期医療・看護を必要とする患者様・ご家族様が安心して、穏やかに過ごせるように、今後、緩和ケア病棟で得た知識や技術を役立てていきたいと思っています。

 

いよいよ緩和ケア病棟での勤務が最後に近づいた日、M先生から、『看護師として緩和

で過ごした時間はどうでしたか?』と声をかけていただきました。 それは、とても重い質問でした。色々な思いや出来事、光景、スタッフの顔が思い浮かび、その場では言い表すことはとても難しく、宿題として持ち帰らせていただきました。

 

緩和ケア病棟での4年半を振り返りながら、緩和ケアとの出会いや、私にとって看護するということの意味や、看護観や死生観がどう変化したかを知っていただきたいと思います。また、緩和ケアを必要とする患者様家族様おひとりおひとりの『“らしく”生きること』を大切にしている、私の大切な緩和ケア病棟ドクターやスタッフについてもお伝えできたらと思います。私は、要領も悪く不器用な人間ですので、知るスタッフからすると、ツッコミどころが沢山あると思いますが…(笑)

 

 

看護師になって初めての患者様の死…

 

私が初めて患者様の死に立ち合ったのは、看護師1年目の梅雨の時期でした。Aさんは、すい臓がん末期の90歳代の女性で、いつも爽やかなガーゼ生地のパステルカラーのパジャマを着て、とてもチャーミングな笑顔の持ち主でした。私が声をかけると、いつもにっこり微笑んで「うん、うん」と返事をして、手を握ってくれました。そんなAさんが大好き

で、用事もないのに、よく病室に足を運んだのを覚えています。Aさんは時間の経過とと

もに、だんだんと眠る時間が増えていきました。思い返せば、がんの進行というよりも、

老衰という状況だったのかもしれません。最期は眠るようになくなりました。私はその場

の空気がシーンとして、時間が止まったように感じたのを覚えています。そしてAさんの

命が亡くなったということはわかるのですが、自分から何かが無くなったような、言い表

しようのない感覚がありました。Aさんに私ができる最後のケアも、綺麗にお化粧された

お顔を見ることも、お見送りも私は出来ませんでした。出来なかったというよりは、逃げ

てケアをしなかった、という方が正しいでしょうか…。(今では看護師歴一番の後悔です

…)

 

それ以来、患者様の死に立ち合う事が、本当に辛くて、怖くて、悲しくて。 私がここにいて何の意味があるんだろう、と自分の無力さをその度に感じたりして、病院に足が向かない日もありました。(当時の所属していた病棟の師長さん・主任さんが、のちに緩和ケア病棟総括を担われるのですが、あの時はご迷惑とご心配をおかけしました。苦笑)

 

自分の問題は自分で解決するしかないと思ってきたし、たがか20年ほどの人生、両親に支えられ、友人関係も良好で、大きな問題といえば進学先や就職先をどう選ぶかくらい。そこまで解決出来ない問題もなくきて、就職して初めての壁が『人が死ぬということ』。看護師という職業を選び病院に就職したのだから、そのような場に立ち合う事は分かっていましたが、いざ目の前にすると受け入れられなかったんです。今までの悩みの比ではなく、到底そんな壁、乗り越えられるわけがありません。自分では抱えきれずどうしたらいいのか分からないのに、当時はそれを誰かに言うという選択肢はありませんでした。

(信頼できるチームの力があれば、大きな悩みも、また糧になることに気付くのは、ずっと先です。)

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無力な私が出来ること…

 

誰かに頼ることや相談することも出来ず、Aさんの死から半年過ぎたころ(よく看護師辞

めなかったなーと思います)抜け出したいけど抜け出せず悩んでいた私に気付いてくれた

教育担当の師長が、ある緩和ドクターの講義に私を連れて行ってくれました。そのドクタ

ーは生と死についての話なのに、ビックリするくらい明るくて、その講義内容は、私にとって衝撃的な内容で、夢中で聴き入りました。

 

《人は皆、一人で生まれ一人で死ぬ。だって、他の誰かが代われるものじゃないでしょ。

誰もが命あって生きて、中にはお母さんのおなかから生まれる事もできなかった命もあり

ます。その時が来たら死ぬ、人が死ぬということは人生において、とても自然な事なんで

す。大切なことはたくさんの人に囲まれて生きた先に、その人の死があるということです。この意味がわかりますか?イメージできますか?

その方が生まれる前からお母さんのおなかの中で大切に育てられ、生まれて、育ち、人と出会い、悩み、沢山の事をしたでしょう。そして病気や老いによって、今、こうして私た

ちの前にいます。私たちは、その方をとりまく全ての方の人生の一部にお邪魔させてもら

っているんです。責任あることですね。

 

私たちは、その方や傍に付き添う方が『生きること』を最期まで見守って、尊敬と感謝の

思いで『ありがとうございました』と伝えたい、残された方のこれからをも見守りたいですね。亡くなった方から頂いたものは、私たちを含め、大切な方の心で生き続けることで

しょう。》(取り留めたメモより)

 

そして私は患者様の『生きること』や、患者様を支える方に寄り添う事が出来る看護師に

なりたい、いつか緩和ケアに携わる仕事がしたいと思うようになりました。

 

そのような思いから、緩和ケアについて学ぶにあたり、色々な本を読んだり、講習会に行

ったり。その中でもう1人感銘を受けた方がいます。看護師でありシスターでもある方です。シスターはすでに亡くなられた後で、本の中での出会いでした。

 

《死は怖い、死ぬのは嫌、その気持ちを失ったらだめです。そういう気持ちがあるからこ

そ、亡くなるひとの気持ちを考える事ができるのです。そういう気持ちを克服しなければ

というのは間違っています。

 

1人の患者さんを死へと看取る関わりのなかで、『私たちが何を受け取ったか』という事を

考えてほしいのです。私たちはその人に何も出来なかったかもしれないけど、その人から

受け取ったものは沢山あったはずです。その受け取ったものは、あなたにとって大切なも

のになるはずです。それは、あなたの看護力になります。あなたの看護力がまた患者さんを癒すでしょう。

 

看護は出会いです。

 

看護は、患者さんのところに行くということ以外に手はありません。そこにいること。見て、聴いて、触れてください。心で接してください。患者さんの声が聞こえるはずです。》

 

私が、感じたことはそのままに、悩んで良い、ただ自分の看護に対する思いと目の前の患

者様に向き合えば良い、と思えました。

 

先生方との出会いで、少しずつですが、『人が死ぬということ』に向き合う気持ちがでて

きました。

 

無力な私ができる事は、

 

*患者様ご家族様の言葉をしっかり聴くこと。

 

*最期まで患者様ご家族様に寄り添う努力をすること。

 

*患者様やご家族が与えてくれるものを取りこぼさないように大切にすること。

 

*今日一日の振り返りをすること。

 

このことだけは必ず毎日しようと決めました。それからは悩むことは沢山あっても、振り

返る事でこれからの患者様ご家族様との関わりに活かしていくことが出来るようになりま

した。もちろん、解決することばかりではありませんが、解決策を患者様と一緒に考えて

いきたいという姿勢で取り組むことで、感謝の言葉を頂くことも増えました。

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―――つづきます