私の知人から聞いたことです

 

彼女は50歳の時にご主人を癌で亡くされました

病院ではもうすることがないと言われ、自宅で介護することを選ばれました

共働きであったため、仕事をつづけ、家庭の主婦としての役割を果たし、まだ高校生と中学生だったふたりの子供の世話をしながらの介護生活でした

 

ご主人は働き盛りで病気が見つかり、とても悔しい毎日を過ごされていましたが、ご家族にはそのような姿を見せることはありませんでした

 

そんなご主人には家族以外に気を許せる親友がふたりいました

大学時代の友人たちです

週のうち1~2回は必ず自宅を訪ねてくれます

2時間ほど話をしては帰っていくような訪問でした

彼女もときには話に加わりますが、友人たちはご主人の話をだまって聴くだけのことが多かったようです

 

ある日会社の同僚が訪ねてきました

「がんばって」

「思っていたよりも元気そうじゃないか」

「君よりも大変な人はいっぱいいる。君はこのようなしっかりとした奥さんに介護してもらって幸せだよ」

痛みに苦しんでいる時には

「その気持ちはよくわかるよ」

などと言って帰っていきました

 

彼女は何とも言いようのない気持ちになったそうです

ご主人からはその日の夜に「これからは会社の人が来ても今は寝ているからといって断ってほしい」と依頼されました

 

ご主人の望み通りにお断りをすることが何度かあった日のこと

会社の同僚から電話がかかってきました

「我々がこんなに心配しているのに奥さん、あなたはどうして彼に合わせてくれないのか」と強い調子で抗議されました

そのときには彼女は「すみません」と謝ることしかできなかったそうです

 

 

数か月の闘病の末、いよいよ病気が悪化し、自宅での療養が難しくなりました

それまでに予約をしていたホスピスに入院です

 

そのことを聞きつけた会社の人たちが病院にやってきました

「こんなに痩せてしまって」

「奥さん、あなたがついていながらこんな状態になるまでなぜ入院させなかったのか」

とまたまた詰問調で迫られました

 

親友たちはちょうどその場に居合わせていました

「あの人たちはなんてことを言うんだろうね」

その一言で抑えていた彼女の感情が一気に噴出しました

これ以上流れる涙もなくなった彼女は、夫の親友とも話し合い、病室の入口に「面会謝絶」の札を掲げてもらうことにしました

 

 

話を聞いて考えました

 

*「がんばって」

――これ以上何を頑張るっていうの?

あなたは何を私にしてくださるの?

たまったもんじゃないわ

*「元気そうね」

――あなたにはつらい顔を見せられないからね

でも心の中はわからないでしょ

*「大変な人はたくさんいる」

――人と比べるようなことなのかしら?

自分たちのことを何もわかろうとしてくれなくて…

*「気持ちはわかるよ」

――私たちのどんな気持ちがわかるっていうの

慰めにもならないわ

*「自分たちはこんなに心配してるのに」

――やってこられることが負担になっていることをわかってほしい

でもそんなこととても言えないしね

*「あなたがついていながら…」

――私の苦労をどう思っているの?

このひとことが私をとても苦しめました

 

このように私たちがなにげなく言ってしまう言葉

その重要さ、相手にどう届くのか、どのように受けとめられるのか

わかってくれる人もいれば、善意からだとおもいますが患者さん、ご家族を苦しめてしまう人もいるようです

 

 

医療者であろうとも勉強しなければいけないことだと知人の話をうかがいながらつよく思いました

 

 

学生時代に同僚や先輩たちと世の中の出来事について夜な夜な議論しました

その中に「技術論」にこだわる人たちが何人かいて(私もそのうちの一人でした)、話に花を咲かせたものです

 

「技術を社会科学的にどうとらえるべきか」をめぐって多くの学者が議論を闘わせてきました

1930年代の唯物論研究会での議論が発端と聞いています

そこでは「技術は労働手段の体系」としてとらえようという考え方が中心でした

一方終戦後に「技術とは生産的実践における客観的法則性の意識的適用である」との考え方が出され、体系説と意識的適用説とのあいだでの論争が行なわれています

 

私が学生のときに先輩からこの論争の話を聞かされ、「医療分野での技術をどうとらえればいいのか」というテーマで話し合ったことを懐かしく思い出します

 

長い間このことを忘れていましたが、ある書籍を読んだことがきっかけにして思い出しました

それは『医療者が語る答えなき世界(磯野真穂著)』です

私の貧弱な読解力では不十分なのですが、注目した部分を抜き出してみます

 

“医療者の仕事の根幹は、モノとしての人間を徹底的に標準化することで体系づけられた医学という知を、それぞれの患者の人生にもっとも望ましい形でつなぎ合わせ、オーダーメイドの新しい知を患者と共に作り出していくことにある。そこで作り上げられる知は、標準化されることもなければ、再現されることもないが、人間の営みが本来そのような再現性のないものである以上、医療という知もまた再現性のなさをはらむ。医療者の仕事は医学を医療に変換すること”(p163~p164)

 

簡単に言えば「医学という客観的法則を医療者により社会的に適用されたものが医療」ということになるのでしょうか?

 

臨床にたずさわってきた者としては素直に同意をしにくいというのが本音であります

EBMの時代と言われすでに久しいですが、医学はまだそれほど客観的とは言い難いとも思います

不確かな部分はまだまだたくさんあります

「この治療は100人のうち○○人に効果がある」あるいは「□□しか効果がない」といわれても患者さんにとってみればわが身はひとつだけです

100人のうちたったひとりであってもその一人が自分であってほしいと思われることがあってもあたりまえでしょう

また治る確率が高い治療を提示されても「副作用が強いので私は治療を選択せずにできる限りの穏やかな生活を望みます」という選択も間違いではないと思います

 

医学は長い間の医療行為の積み重ねから生まれたものです

最初に医療(行為)があったのでしょう

現在の医療現場でも同じ状況のようです

とくに私が今たずさわっている緩和ケアの領域ではその思いを強くしています

 

ガイドラインはたくさん出されています

ガイドラインがないと困ることがいっぱいです

私たちの行っているケアが何によるのかを振り返る基準は必要です

でも現場では通用しないことがあるということも経験から知っています

それはこれまでのブログでも繰り返し書いてきました

 

私が医師としての仕事のほとんどを過ごしてきた急性期医療の場ではガイドラインに導かれた医療はとても有効でした

緩和ケアの分野に身を置いてからは「そんなに簡単じゃないんだ」ということも痛感しています

「この薬を使えばこのように反応し、数日後にはよくなる」という世界から、「一人ひとりの心の機微に触れるケア」の世界はカルチャーショックでもありました

なので「客観的法則の意識的適用」ではすまされないなあと感じている次第です

 

なんだか結論が出ないままですが、これが過去の甘い議論を振り返っての感想です

以下の文章には吟味が不十分な記載もあります

ご容赦ください

 

私たちの病院は医療生活協同組合です

そこでは「健康観」を大切にした活動が行われています

“昨日よりも今日が、さらに明日がより一層意欲的に生きられる。そうしたことを可能にするため、自分を変え、社会に働きかける。みんなが協力しあって楽しく明るく積極的に生きる”というものです

病院や診療所の(職員の)役割の大部分は地域の人たちの健康を守り、増進するお手伝いをし、病気になったときに治療を行ない再び地域や職場、家庭に復帰していただくことでした

 

この考え方に共鳴して働いてきました

 

しかし緩和ケア病棟での仕事をはじめてから2年が経過し、矛盾を感じることが多く出てきました

悪性腫瘍だけでなく、進行性の難病の患者さんの訪問診療にたずさわっていても上記の「健康観」を意識すると、なんとなく居心地の悪さを感じてしまいます

 

「病気を治療し、健康を回復する」

という普通に考えられている「医療」とは少し異なるところにある自分に気づきます

終末期を迎えた患者さんやそのご家族と接していると、一般的に思われている「医療」とはちがう活動も同様にあるいはそれ以上に大切ではないのかと思います

 

時間が限られた(かもしれない)患者さんを前にして、寄り添うことの重さを痛感させられます

「覚悟はしているよ」

でも

「もっとおいしいものが食べられればうれしいのにね」

「どうしても行きたいところがあるんです」

「まだ何かよくなる方法が見つかれば試してほしい」

同じ患者さんから発せられた声です

一見矛盾ですね

でもその言葉すべてが患者さんのほんとの声、想いだと受け止めながら支えるようにスタッフは頑張っています

 

そんな中での「健康観」をどう考えるのか、です

 

患者さんによっては「明日」がないのかもしれない

今日一日がとても大切な日になったりします

昨日よりも今日の方が、また明日が悪いことだってあるのです

同じ医療生協の組合員であっても、その人がどのような状況に置かれているのかにより、ずいぶんと物の見方、人生観が変わってくることもあって然るべきでしょう

 

患者さんたちは生き方を模索されています

その姿がご家族や友人たち、私たちスタッフに多くのことを教えてくれているようです

「健康観」を何度も読みかえしているうちに、“自分を変え、社会に働きかける”というフレーズが“一層意欲的に”や“楽しく明るく”という言葉以上に存在感をもって迫ってきました

 

患者さんたちの日々の姿、それが社会(=とりまく人たち)に影響を与えています

 

7月に「ブログ集」の第3集を発行しました

その表紙にはつぎのような言葉を載せました

155-01

これからもさらに「緩和ケア病棟の患者さんにとっての『健康観』っていったいなんだろう」ということを、考え続けたいと思っています