(1)

秋晴れの午後、彼女はマンションの10階で患者とコーヒーを飲んでいた。

それほど広くないベランダにならんだふたつの椅子に座って患者の話を聞きながら。

遠くには静かな海が見えている。

さきほど飛行機が飛んでいった。

 

「やっと大好きな場所に戻ってこれたわ。正直に言うと息がつまりそうだったの」

患者はほっとした顔を医師に向けた。

 

患者は50歳半ばの女性。

乳癌の手術を5年前に受け、抗癌剤治療を続けていたが、今回骨転移が見つかり痛みが強くなってきたために入院となった。

医療用麻薬と放射線治療が効果があり、このたび自宅への退院が叶ったというわけである。

研修2年目の後半にさしかかった彼女が副主治医として受け持った患者であった。

入院時には腰への転移による痛みがつよく、座って食事をとることもままならない状態であった。いつ病室を訪れても表情は冴えず、痛みのために口数も少なかった。

「もともとは活動的で人と話すことも大好きな人です。食事をしながらでも僕の何倍もしゃべっていて、たまにはこちらの言うことも聞いてよっていうくらい話好きでした」とご主人。

指導医との相談の結果まずは医療用麻薬(オピオイド)を使うことになった。

 

しかし患者は「麻薬」という言葉に過敏に反応し、「麻薬を使わないといけないほど私は悪いの?」「麻薬中毒になってしまうことが怖い」「麻薬を使うくらいなら痛いのを我慢する」などと強い拒否を示した。

彼女は頻繁に病室を訪れながら患者の拒否の理由を理解しようと努めた。

同時に時間を見つけては痛みのケアや医療用麻薬についての知識を深め、患者の疑問や不安に丁寧に応えようとした。

その結果、患者は少しずつ彼女に気持ちを話すようになってきた。

ベッドサイドで患者の痛む腰をマッサージしていたとき、そっと言われたことが気にかかった。

「病気になって家のことが十分にできなくなっちゃって、夫や子どもに迷惑ばかりかけてきたの。そのことが申しわけなくて…」

患者は次の言葉を探しているようだった。

――何か言わなくちゃ、でもどう声をかければいいんだろう

迷っているうちに患者は言葉をつづけた。

「麻薬って眠ってしまうんでしょ。私は夫や子どもとまだまだ一緒に行きたいところがあるし、もっといろんな話をしたいの。迷惑をかけてきたことも謝れていないし」

――なんだろう、すごく切実な話になってきたわ

「腰の痛みはほんとにつらいわ。薬を飲めば楽になることも先生からのお話でよくわかりました。けれど副作用ってあるでしょ。一日中眠ってしまうことになるのなら私は痛いのを我慢します。私のわがままだってことはわかっているんだけどね」

真実の思いを聞いたと思った。

「ありがとうございます。私のようなまだまだ未熟な医者に大事なお話をしてくださって…」

「先生が休みの日も来てくださって私のことを心配していただいていることはわかっていました。怖かったんです。もっとお薬の話をいっぱい聞かせてください。そして自分でお薬を使うかどうか決めます」

それからは彼女は勉強したことをすべて、わかりやすい言葉にかえて患者に説明した。

結果患者は自ら医療用麻薬の使用を選択した。

自宅への退院を目標に放射線療法の併用も受け入れ、弱ってしまった足腰の力をつけるためのリハビリもがんばった。部屋の中の移動はなんとかできるまでに回復したものの、病院への通院は困難と判断された。

指導医は在宅医療のプランを患者と家族に提案、患者宅の近くで開業している大学の先輩医師に依頼することになったのである。

彼女が在宅医療の相談の電話をすると、「わかった、僕に任せてもらえばできるだけのことはするよ」と気軽に引き受けてもらえたが、そのときに「よければ君もいちど一緒にいこうよ」と誘われたのであった。

 

なぜ患者の部屋でコーヒーを飲んでいるのか?

それは入院中に「夫の淹れるコーヒーはとってもおいしいのよ。先生にもぜひ味わっていただきたいわ」と患者から何度も誘われ、とうとう断りきれなくなってしまったからである。

患者や家族から贈り物などをいただくことを病院は禁じていた。

患者宅に訪問したときも丁重に断ろうと思っていたが、在宅の主治医となる先輩医師が「コーヒーくらいいいでしょ。せっかくだからいただこうよ」と先に手を付けてしまい、彼女もやむなくいただくことになってしまったのだった。

 

たしかに自慢するだけのことはあった。

コーヒーの味なんて彼女はまったくわからないのだが、目の前の飲み物はとても飲みやすく胸の奥に染み込んでくるような味わいだった。

室内では先輩医師と同行の看護師がテーブルをはさんで夫と話をしていた。

「いかかでしょうか? 妻の病気がわかってから少しでも穏やかな気分で療養できないかと考えてコーヒーの勉強をしたんですよ」

振り返るとそこにはご主人の笑顔があった。

 

患者は静かに空を見上げていた。

「あら、また飛行機が飛んでいったわ」

ここからは空港が近く、頻繁に飛び立ったり着陸したりする姿が見えるようだ。

「元気なころは夫や子どもとよく飛行機に乗って旅に出かけてた。まだ行けるかしら」

検査ですでに肝臓にも転移が見つかっており、退院前にはそのことも説明はされていた。来年の正月を無事に迎えることができるかどうか難しい病状であった。

「行けるといいですね」

「僕たちもできる限りお手伝いしますよ」部屋の中から先輩医師の声がした。

 

(2)

帰りの車中。

運転は先輩医師、彼女は助手席に座っている。

「往診に行かせていただけたのは初めてです。入院中の患者さんの顔とちがう表情が見れて参考になりました」

先輩医師は慎重にハンドルを握りながら彼女に尋ねた。

「僕たちがこれから行うのは訪問診療なんだ。君が言う往診との違いってわかるかな?」

「私は患者さん宅に伺うのはぜんぶ往診だと思っていました。訪問診療は言葉としては聞いていましたが、違いは意識したことがありません」

「そうだろうね、大きな病院で勤めている先生たちは往診も訪問診療も同じだと思っているようだけど実はまったくの別物なんだ」

このときにはじめて彼女は在宅医療のことを教えてもらうことになった。

自宅への退院後に通院できない患者は街の医師にそのまま紹介状を送りお任せして済ませていた。それ以後の患者のことは時々思い出すことはあっても直接見ることはなかったのである。

訪問診療は、患者宅に出かけて計画的な医療サービスを行なうこと。定期的・計画的に訪問し、診察、検査、薬の処方、療養の相談などを行なう。訪問看護師やヘルパー、訪問リハビリなどとも協力し、在宅での生活・療養を支える。急病時には臨時で訪問をしたり、入院の手配を行う。介護の条件があり希望があれば在宅での看取りも行う、かかりつけ医としての役割を果たすのである。

往診は通院が困難な患者や家族の要請を受けて、医師がそのつど自宅にでかけて診療をおこなうことである。いわば困ったときの臨時の医療と考えられる。

「僕は今日から毎週患者さんのお宅に伺って訪問診療を提供することになる。どう? わくわくするでしょ」

先輩医師は楽しそうだった。

 

診療所にもどってからさらに訪問診療にまつわる話を聞くことになった。

 

「在宅医療って入院、外来についで第三の医療という人もいるんだけど、僕はそんな単純なものとは考えていない」

いきなり難しい話を切り出されたが、興味深い話になりそうで、思わず身を乗り出した。

「今日の短い時間での患者さんの様子を思い出してほしい。君が病院のベッドの上で診ていた患者さんと比べてどうだった」

――着ている服やお化粧が違っていたかな

慣れ親しんだ自宅だから体の動きもスムーズだったな

目をつぶっても歩けるよって言ってた

……

けれどそれよりも患者さんの表情がぜんぜん違って見えたわ

「少しは気が付いたようだね」

「まずわかってほしいことは、患者さんはどこに帰るのかということ」

――??

「僕たちは家というとどうしても自分の家を基準に考えてしまうだろ。実際に患者さん宅を訪問をすると、今日のようなマンションに住んでいる人たちばかりじゃないんだ。ベッドもおけないような部屋に住んでいる患者さん、日当たりのよくない部屋でしか療養できない人、何匹ものネコたちと暮らしている患者さんなど、みんな生活環境が異なっている」

何となくわかるような気がして彼女はうなづく

「だから退院の相談をするときにはできれば患者さん宅を訪問してみてほしいと思っている」

この一言は衝撃だった。

考えてもいなかったことだった。

「そうすることで家に帰るためには何が必要なのか、どのようなサービスが求められているのかが見えてくると思うんだ。どのような所に帰ろうとしているのか理解しないまま退院を勧めてすぐに再入院となった患者さんがいてね。僕がまだ病院の勤務医だったころの話だけど」

優しい眼になっていることに気づいた。

「申し訳ない気持ちだった。それから在宅医療の勉強をして結局今の仕事をしてるんだけどね」

 

訪問診療で回っている地域の話も聞かせてもらった。

 

「ところで在宅医療の特徴というか、難しさや面白さはどう見えている?」

「難しいのは、そうですね、一人で患者さんの病態を判断しないといけないことでしょうか。病院だと多くの専門家がいて、いつでも相談できますから」

「そうだね、在宅では自分一人の判断にかかっていることが多くなるよね。でもわからないことはいつでもその道の専門の先生に尋ねることができる。大病院のような科の壁なんてないから気軽に教えてもらえるよ。じゃあ面白さってどうだろう」

「私はまったく経験がないので想像もできないです」

「僕は患者さんが主人公だってことだと思ってる。入院中はケアの主体はどうしても医師や看護師など医療スタッフにならざるをえなくて、生活も非日常性を強いられている。自宅では患者さんのホームグラウンドだから、僕たち医療スタッフは『お客さん』的な存在になるというのが僕の考えなんだ」

 

先輩医師は次のように自らの考えを話してくれた。

 

(3)

先輩医師の話は在宅医療が未経験の人間にとって少しわかりにくい所もあったが、彼女の理解した範囲でその内容を記しておこう。

 

・まず彼女の心に突き刺さったのは「どこで医療を受けるかは患者本人が決めることでこれは権利なんだ」という言葉である。「入院か在宅か、施設かなどいろんな場所がある。しかしどこでも選択が可能であるという保障が今の日本では十分ではないということが大きな問題ではあるけどね」

患者が病気から回復してどこに退院するのかは気になりながらも、その後のことは退院支援ナースや医療ソーシャルワーカーにすべて任せていたのが実態である。

もっと制度のことも勉強しなくちゃと素直な感想を持った。

それに「権利」っていうことも先輩は言っていたな。

 

・ご自宅だと「患者さんの本来の姿、生活が腑に落ちることが多い」と言われた。

入院生活ではよく言われるように決まった時間に起こされ、寝る時間も決まっている。食事も一斉に配られる。たまたま食欲がない日があるとみんなから心配される。たまには食べたくない日だってあるのにねと先輩は言っていた。

家での生活では好きなときに食べ、眠るということが普通。お気に入りの洋服も着ることができる。

病院の規則に合わせるのでなく、患者さんは生活時間を自由に使っている。

そこに私たち医療者がおじゃまさせていただく。

生活の不便さ、いつもとちょっと違う変化、たとえばお化粧ののりが良くないとか、服装が少し乱れているとか、そうした違いをすかさずとらえて体調の変化を察知し、早い治療やケアへとつなげるという醍醐味があるんだと言われた。

 

・「リハビリをして退院してからもっと動けるようになった人、一方では入院中にできていたことができなくなった患者さん、どうしてなのかを生活の中で考えることが大切なんだ」とも話されていた。

そういえば乳癌の患者さんも「病院だと転倒する恐怖があったけど、自分の家だと目をつぶっても歩けるわ」と言っていたことを思い出す。

逆に退院後に動けなくなった患者さんの理由も様々で、広すぎる家で伝い歩きができなくなったり、介護する家族が日中働きに出て自然と寝たきりになってしまうとか、ヘルパーさんにきてもらうことを家族が好まれないなど、色々な原因があるんだということも教えてもらった。

 

このたびの経験は短い時間であったが、たくさんのことを学ぶ機会になった。

先輩には感謝したい。

 

彼女は病院での訓練がまだまだ自分には必要だと思っていたし、すぐに在宅医療にたずさわることはできないけれど、将来の医師としての生き方の選択肢の一つに考えてみてもいいかなと思う出来事であった。

 

さらにつづく…