緩和ケア病棟開設にむけての取り組みの一環として、数か月ごとに開いている症例検討会も4回目を迎えました。

40人以上の職員が参加しました。

職種も多彩です。

今回は「長い闘病生活の末に病院で亡くなられた患者さん」の事例です。

医師、看護師、理学療法士、医療ソーシャルワーカーからの報告を受けたあと、参加者で討論しました。

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感想文を読ませてもらいました。

みんな真剣に考えてくれていることに感動しました。

 

「患者さんの本当の思いは?」

「死を受け入れることとは?」

「家族はどんな思いを持っていたのだろう?」

「自分たちのかかわり方はこれでよかったのだろうか?」

「緩和ケアの目標は?」

「これ以上することがない、ではなく、きっとすることはあるはずだ」

………など

 

クエスチョンマークがいっぱいです。

でも参加者はこれからできる緩和ケア病棟へのイメージが深まってきたのではないでしょうか。

 

私はまだ研修中です。

来月からはさらに次の看護師さんが研修にでます。

わたしたちの力は多くの職員でつくるチームです。

医師、看護師、薬剤師、栄養士、リハセラピスト、MSW、歯科衛生士、臨床心理士、介護士、事務職員、ボランティア などなど

たくさんの現場を見て、たくさんのことを吸収し、期待に応えられるような病棟を作っていきたいと決意を新たにしています!

 

“uproad”

私たちの生活や仕事、そして心に大きな傷跡を残した大震災から20年が経ちました。

1月17日にはいたるところでたくさんの取り組みがありました。

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三宮で開かれた集会です。

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私たちの病院に近いJR「S駅」前の広場です。

1月25日には200人以上の参加で「新春のつどい」を開催し、病院のU院長に講演していただきました。

テーマは“阪神淡路大震災から20年  神戸医療生協のとりくみとこれからの課題”です。

震災当時の出来事や全国からの支援、その後の地域の変化、東日本大震災のことなど、話は多岐にわたっています。

時間が足りず途中で終わらざるをえなくなり、U先生と集まられた方々には申し訳なく思っています。

残された話には「健康とまちづくり」「まちづくりと組合員活動へのヒント」という表題があり、みんなはきっと聞きたいと思ったことでしょう。

何らかの形で続きを実現したいと思います。

最後の挨拶で私は次の文章を紹介しました。

阪神淡路大震災を語る際に必ず紹介する一節です。

以下に掲載します。

 

震災の4時間後、民医連加盟の姫路医療生協から医師、看護婦とともに医薬 品が救急車で到着、ただちに活動を始めた。19日朝までの3日間だけでも、岡 山、東京、大阪、和歌山、奈良、愛媛、富山などから約100人の支援者が医薬 品、食糧などを山積みして続々と駆けつけた。その後も民医連の救援活動の輪 はさらに広がって行く。

「いても立ってもいられなくて……」と休暇をとって駆けつけて下さった国公立や 民間のスタッフたち。

「いま医療にとってもっとも必要なのは水だ」と朝から晩まで水の確保を引き受 けた医師、「小学生二人くらいなら預かって帰ります」と申し出て下さった山口の 看護婦さん、「必要なことなら何でもやりましょう」と大便の詰まったトイレの掃除 を引き受けてくれた人もあった。

「あなたたちに休んでもらうために 神戸に来たのだから」と自分は睡眠 時間返上でがんばり続けた人も多かった。

協同病院の活動は、このような人びとの 協力、支援によって、支えられたのだ。

神戸発 阪神大震災以後(岩波新書1995/6/20)より

 

“uproad”