私たちの生活や仕事、そして心に大きな傷跡を残した大震災から20年が経ちました。
1月17日にはいたるところでたくさんの取り組みがありました。
三宮で開かれた集会です。
私たちの病院に近いJR「S駅」前の広場です。
1月25日には200人以上の参加で「新春のつどい」を開催し、病院のU院長に講演していただきました。
テーマは“阪神淡路大震災から20年 神戸医療生協のとりくみとこれからの課題”です。
震災当時の出来事や全国からの支援、その後の地域の変化、東日本大震災のことなど、話は多岐にわたっています。
時間が足りず途中で終わらざるをえなくなり、U先生と集まられた方々には申し訳なく思っています。
残された話には「健康とまちづくり」「まちづくりと組合員活動へのヒント」という表題があり、みんなはきっと聞きたいと思ったことでしょう。
何らかの形で続きを実現したいと思います。
最後の挨拶で私は次の文章を紹介しました。
阪神淡路大震災を語る際に必ず紹介する一節です。
以下に掲載します。
震災の4時間後、民医連加盟の姫路医療生協から医師、看護婦とともに医薬 品が救急車で到着、ただちに活動を始めた。19日朝までの3日間だけでも、岡 山、東京、大阪、和歌山、奈良、愛媛、富山などから約100人の支援者が医薬 品、食糧などを山積みして続々と駆けつけた。その後も民医連の救援活動の輪 はさらに広がって行く。
「いても立ってもいられなくて……」と休暇をとって駆けつけて下さった国公立や 民間のスタッフたち。
「いま医療にとってもっとも必要なのは水だ」と朝から晩まで水の確保を引き受 けた医師、「小学生二人くらいなら預かって帰ります」と申し出て下さった山口の 看護婦さん、「必要なことなら何でもやりましょう」と大便の詰まったトイレの掃除 を引き受けてくれた人もあった。
「あなたたちに休んでもらうために 神戸に来たのだから」と自分は睡眠 時間返上でがんばり続けた人も多かった。
協同病院の活動は、このような人びとの 協力、支援によって、支えられたのだ。
神戸発 阪神大震災以後(岩波新書1995/6/20)より
“uproad”