緩和ケア担当医が見たCOVID-19

 

2020年12月私たちの病院では新型コロナウイルス感染のクラスターが発生しました

私も緩和ケア病棟を一時期離れ、一般病棟にお手伝いに入りました

 

コロナ対応にかかわったすべての皆さんの苦労と努力に大きな敬意を表します

これまでの並大抵でない取り組み、ほんとうにお疲れさまでした

 

お亡くなりになった患者さんのご冥福をお祈りするとともに、現在も感染症と闘っておられる患者さんが一刻も早く回復されることを望んでいます

 

また自らも感染したスタッフ、感染のリスクを抱えながら病棟の真ん中で踏ん張っているスタッフ、応援に入った職員、玄関での対応や必要資材の管理など現場を支えた職員、すべての人に感謝いたします

 

緩和ケア担当医の立場で私がこの間見て感じたことをブログに記録しておこうと思います

まだ完全には収束していない中での記載ですので、不十分さや私の思い込みも少なからずあるかもしれませんが、記憶が薄れないうちに残しておきたいと考えました

 

 

 

(1)クラスター発生前

 

新型コロナウイルスが全世界を席捲し、私たちも患者さん・ご家族も大きな戸惑いの渦に巻き込まれました

当初は甘く見ることもありました

しかし緊急事態宣言の発出や感染の波が大きくなるにつれ、緊張が漂ってきて、当院でも入院患者さんの面会制限など今までにない事態へと変化してきます

緩和ケア病棟を担当する者として特にこの「面会制限から完全な面会禁止」に至る出来事について感じてきたことを述べます

 

入院患者さんにとってのご家族や知人との面会は大きな意味を持っています

・非日常に直面した患者さんにとっての安心感の保証

・慣れた人との会話を通じて日常を取り戻す役割

・人とのつながりから社会的役割を改めて確認するということ

など、大切なイベントです

誕生日をご家族とともに祝ったり、遠くに暮している親族や友人と久々に会ったり、時にはご家族とともに夜をすごされたり…

とくに緩和ケア病棟では開設の時より面会や付き添いの制限をできる限り取り除くことを目指してきました

季節を感じる催しや家族会、ドッグセラピーなどもすべて中止となったことは言うまでもありません

 

この状況で生まれた変化があります

・直接の面会がだめになり、その代わりにオンライン面会という方法が生まれました

全国の病院でも実施されています

・「会えないのなら退院を望みます」「面会ができないのなら入院せずに自宅で最後の時を迎えます」と言われることが多くなりました

このことについては次項で詳細を述べたいと思います

 

すべてがうまくいったわけではありません

スタッフと患者さん・ご家族との間に溝が生まれ、双方ともに悲しい思いをしたこともあります

「このような時にはしょうがない」という言葉を飲み込んで対応してくれたスタッフはたくさんいたのではないでしょうか

 

 

(2)クラスター発生と私たちの変化

 

11月末から始まり、多くの患者さん、職員に感染が広がりました

クラスターの発生です

保健所と相談をしながら、院長をはじめ管理者が先頭に立って対応してきました

私も微力ながら感染者の多い病棟のお手伝いをさせていただくことになりました

その時に感じたことを順不同で述べます

 

(1)市中感染でなく、そもそもの病気で入院されている患者さんへの院内感染であることです

そのため病状は基礎疾患にも影響を受け軽症から中等症・重症まで様々でした

多くの患者さんは自然経過とともに改善しましたが、中には酸素飽和度(SPO2)が低いまま悪化された方もいます

治療法が確立されていない疾患であるため、みんな手探りでの医療/看護でした

(2)中等症以上の患者さんの専門病床への受け入れが困難でありました

保健所を通じて連絡をしても「そちらで診てください」と言われます

12/31付けの地元の神戸新聞1面でもこのことが取り上げられていました

県知事は「無症状や軽症の場合はコロナの治療と併せ、既存の疾患の治療を続ける入院患者はあえて転院していない」と言っています

それほどコロナ対応の病院医療がひっ迫しているということで、転院できずにお亡くなりになる患者さんがいます

「医療崩壊」前夜と考えられる状態でした

(3)新型コロナウイルスは人と人とのつながりを分断します

面会が完全にできなくなり、オンライン面会もコロナ陽性の患者さんには難しくなりました

医師や看護師は毎日のように患者さんのご家族に電話連絡を行い、その日の病状をお伝えする姿を頻繁に見かけるようになりました

少しでも改善の兆しがあれば喜ばれ、悪いサインがあれば話すことがつらくなります

時にはご家族から「なぜ感染したのか」などお叱りの言葉をぶつけられることがあり、軋轢を生んでしまうこともあります

そのときスタッフは丁寧に説明をさせていただき、現状へのご理解をお願いするのです

――私の経験です

感染がわかりご家族に電話で連絡をしました

「できることはすべて行ってください」「専門の病院には移れないのですか」などと話され、一つひとつ説明をさせていただきました

毎日報告をしますと告げたあと、「皆さん方も大変でしょう、頑張ってください」と励まされたとき涙がでそうになりました

(4)治療が十分でないまま退院を望まれる患者さん、ご家族

――緩和ケア病棟に入院されていた患者さんの話です

現疾患の進行で日に日に悪化してまいりました

ご家族は毎日のように患者さんとオンラインで、またスマホで話をされていました

患者さんから「家に帰りたい」とそのたびに訴えられ、ご家族も会えないまま最期を病院で迎えることに耐えられないと言われます

医療処置や使用薬剤が多く、自宅への退院はご家族の介護力を考えても難しいと判断していました

「このまま病院で最期を迎えさせることになると一生後悔します」「余命が短いことはわかっています」「家族みんなで頑張ってみようと思っています」といくぶん感情的になりながらも繰り返し訴えられました

帰るまでの道中に不安があること、急変のリスクが大きいことを説明しながらも、最終的にはご家族と患者さんの望みを尊重することになり、急いで在宅医療をお願いできる医師と訪問看護ステーションに連絡をとり、快く引き受けていただけることになりました

地域での連携の大切さを心から感じる機会でした

(5)アドバンス・ケア・プランニング(ACP)を考えなおすこと

上記のように「最期は病院で」と入院された患者さんが「自宅で過ごしたい」と気持ちが変化することは今までにもありましたが、コロナ禍のもとでの思いはまた違ったものがあります

・・・やむを得ずということです

医療者も患者さん・ご家族も決して満足のいくものではなかったと思いますが、今考えられる「最善の」選択をせざるをえません

一方では入院中の急変時には人工呼吸までは行わないなどDNARということを確認していたとしても、「コロナで悪くなることは耐えられない」と必要となれば人工呼吸器管理を望まれることもありました

ACPにおいて、最初の確認は決して絶対的なものではありませんが、COVID-19という事態に直面した時、何度も話し合うことが必要な場面に遭遇します

(6)平常時に取り組んでいたことができなくなります

高齢者の健康維持にとっての運動や社会参加の意義は多くの人から指摘されています

コロナ禍のもとでは、外出やみんなで集まることができず、健康づくりにとってマイナスなことが重なり、閉じこもりや認知症の悪化を生み出す恐れが強調されています

さらには感染して安静を余儀なくされた患者さんにとって廃用の進行という不利な状況が生まれています

それまで行っていたリハビリテーションが中止となり、ストレスいっぱいの環境での療養を強いられました

感染から脱却したあとの回復を目指す医療、リハビリの取り組みが新たに必要となってきます

(7)職員は……

3蜜回避、手洗い、マスク、換気に努めながらもクラスター発生となりました

詳細な検証はこれからですが、短時間であっても食事中の会話や電子カルテのキーボード操作を通しての感染は他の医療機関でも疑われており、思ったよりも感染力が強い印象を受けています

標準予防策の徹底や個人防護具(PPE)の使用法などを多くの部門で学び共有したことで、病院全体として感染対策の力をつけてきたのではと考えています

しかしそこに至る職員の負担や努力は相当なものでした

医局での協力体制がつくられ、体制が厳しくなった病棟へ外来など他部署からの看護支援が行われ、事務系・技術系の職員がそれぞれ固有の役割を超えて寒い中玄関での患者さん・ご家族への対応など協力しあう姿は心温まるものでした

とくにコロナ抗原検査に携わる検査スタッフはとんでもなく多数の検体の処理で疲労困憊でした

本部の皆さんには地域への正確な情報発信をしてもらいました

私たちはこの力に依拠し、今困難を乗り越えいつもの神戸協同病院を取り戻そうとしています

 

おそらくまだたくさんの物語があるのではと思いますが、私が感じたことを述べてみました

 

この項のさいごになりますが、病棟のど真ん中で働いている看護師さんからのメールです

『コロナの患者さんにとって…尊厳はあったものではなく…』

――悲しい話です

 

感染を広げないため医師の診察は最小限に…

患者さんとの会話はできるだけ減らして…

聴診器は使わないように…

 

緩和ケア病棟で努力してきたことがことごとく不可能になった気分でした

患者さんやご家族との時間をかけた面談ができません

ゆっくりと思いをお聴きすることが叶わなくなりました

 

最期のとき

ご家族には感染対策をしっかりと行って会っていただくことがやっとです

大切なときをいっしょにすごすことが無理……

 

しかしできないことばかりを並べてもいけないと思っています

緩和ケアの精神――「何かできることはあるはず」の心で

これからも可能なことを見つけていきたいです

先の看護師さんも

『なんとか修正したいです』

と語ってくれました

 

 

(3)支援への感謝と職員のメンタルヘルス

 

地域の組合員さんたちや全国から多くの支援がありました

激励のメッセージは数え切れません

マスクやガウンなどの支援物資は大助かりでした

寒い時期のカイロはとてもありがたかったです

地域の特産品なども送っていただきました

人の心の温かさを阪神淡路震災のときとおなじようにつくづく感じたできごとです

 

一方では風評被害も少なからずあります

「病院には近づくな」

「面会を完全に禁止していなかったことがよくないのではないか」

などなど

中には善意からのものもあるのですが、悲しくなるような話が伝わってくることもありました

 

看護師さんたちをはじめとする職員はみんな踏ん張りました

・イライラなど精神的な不安定

・過剰な反応

・子供を持つ親の苦労

・夫婦間の緊張

など伺っています

法人としては職員のメンタル面でのフォローにも努めていますが、本当に面談が必要な人は誰かが背中を押してあげないと自ら相談には行けないということも指摘されており、今後も丁寧な対応が求められています

 

参考に「COVID-19に対応する医療従事者のセルフケア」を載せます

出典は「総合診療」2021V0l.31 No.1からです

  1. COVID-19感染対応はマラソンで、短距離走ではありません
  2. 休憩をとり仕事を忘れ、自分をリセットする時間をとりましょう
  3. 食事・睡眠・飲水・運動を十分とりましょう
  4. 感染対策を定式化して、自分や家族が安心できるようにしましょう
  5. 家族や仲間と連絡をとり、自分の経験を共有しましょう
  6. つらくなったらどこに助けを求めるか、知っておきましょう
  7. 自分が人を助け、社会に重要な役割をもつことを誇ってください

 

私事ですが、学生時代からお付き合いのある先輩から電話をもらいました

しばらく会う機会がなく話ができていませんでしたが、心配になってと連絡がありました

その先輩も地域で頑張っており励まされました

さいごに「基本に立ち返って、患者さんの話をよく聴き、丁寧な医療に心がけましょう」という思いを共有できたことはとてもありがたいことでした

 

また緩和ケアの研修でお世話になった先生からもメールがとどきました

一部引用します

無症状でも感染があり、密集状態では空気感染も起こし、潜伏期間が長い場合には14日間にもなるというこの病気は本当にやっかいです。

院内で感染対策を担当する者として、今年2月からずっと「この病気は必ず誰もがどこかで感染する可能性がある病気である」「院内感染は避けがたいがなんとかそれを小さなもので収めるようにしたい」ということを院内研修会で訴え続けてきました。

しかし今の病院での4人病室や看護師の労働環境を改善しない限り、院内集団感染を予防することは不可能に近いです。

急性期病院であっても療養型病院であってもそうした環境は変わりがなく、そのために地域での感染が広がればどのような病院でも集団感染が起こってしまう、そんな病気だと思います。

感染対策はいつもお金との兼ね合いです。

病院や県や国を潰すほどのお金を使って感染対策を行うことはできません。

そもそも、私達はいつも多くのリスクを背負いながらこの仕事をしています。

そして、もしアクシデントが起こったとしても、貴院のように職員みんなが力を合わせて乗り越えていける。

また、医療のそうしたリスクを国や自治体や地域の人々が理解し援助してくれる。

そんな医療チームや社会をつくることが求められているのだと思います。

勇気をいただきました

 

 

(4)これからのこと

 

多くの有識者が強調していることがあります

そのことをもとに私が新年のあいさつで書かせていただいた文章を転載します

 

ある本に以下のような記述を見つけました。『地球上にはきわめて多様なウイルスがある。そのうちのほとんどは害を与えないもので人間の役に立っているウイルスも少なくない。数十億年の歴史をへてヒトともバランスのなかで共生の関係をつくってきた。ところが資本主義のもとでの利潤第一主義は、この安定した生態系を壊し新しい感染症を次々に出現させるにいたっている』というものです。この間続けられてきた社会保障費削減政策は保健所の統廃合や医療現場での苦難などコロナ対策の上で弱点となった状況を生み出しています。そしてその背景には新自由主義的な改革がありました。私たちの生活や医療・介護が政治と深くつながっていることが一層明確になっています

 

医療現場における困難の一つの、それも大きな一つの要因となっているのではないでしょうか

 

 

まだまだこの闘いは続きます

しかし安全で効果的なワクチンの開発で集団免疫が可能となれば、また有効な治療法が開発されれば、コロナウイルスと共存できる世の中が実現することでしょう

 

 

しかし今までと同じというわけにはいきません

新しい生活様式が強調されていますが、同様に新しい医療、ケアの在り方も模索していきたいと思います

 

 

2021年1月4日                        神戸協同病院緩和ケア病棟

道上哲也(文責)

2020年の秋から冬にかけて

「神戸協同病院緩和ケア病棟の7つの指針―2020(案)」をスタッフに提案しました

 

これは6年を迎えた当病棟にとって

これまで経験を積み重ねてきたことを整理し

日常の目安として意識してもらい

今後受け継いでもらう人たちに残すものとして

思いを整理したものです

 

まだ(案)であり

2020年時点での提案ということで

上記のような表現としました

                                            

神戸協同病院緩和ケア病棟の7つの指針―2020(案)

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Ⅰ.おもてなしの心

最初の出会いを大切にしています

これまで闘病してこられたことを労う気持ちで受付まで私たちがお迎えにいきます

入院中は、ボランティアの温かな対応、食事の工夫、季節が感じられる行事などがお待ちしています

看護師の受け持ち制(プライマリーナース制)をとり、きめ細やかな対応を行っています

 

Ⅱ.しっかりとお話を聴きます

一番の困りごとはなんでしょうか?

趣味は? しておきたいことは? 会いたい人は?

そして今までのお仕事やご家族のことなどをお尋ねし、より深い理解に努めます

 

Ⅲ.丁寧な診察、必要な検査、そして治療方針を合意のうえで

苦痛のある検査や処置はできる限り避ける努力を行います

治療法やケアの方針は説明のうえ納得のもとで選択されます

 

Ⅳ.面談が命です

初対面での「緩和面談」、入院時の面談、病状変化時の面談、検査結果の説明、

お別れのときが近づいたときの面談 など一つひとつを大切にしています

 

Ⅴ.ご家族のケアも大事にしています

ご家族は第二の患者様と言われています

患者様ご本人だけでなく、ご家族様にも同じだけの心配りを行います

家族会にも取り組んでいます

 

Ⅵ.ケアは「いま」と「そのさき」を見据えて

今何を望まれているのか?

同時にこれから予測される変化を考えながらケアを行っています

退院を望まれたときには安心のできる在宅療養への移行を支援しています

 

Ⅶ.私たちは心と力を合わせ毎日のケアを提供しています

頻繁なカンファレンス(話し合い)で患者様・ご家族様の揺れ動く気持ちを受け止めら

れるよう意思統一を行っています

「できることはきっとあるはず」のこころで…

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※さいしょに載せたイラストは

「アルメリア」という花で

花言葉は「おもてなし」だそうです

 

JALの職員がバッジとしてつけているとうかがったことがあります

 

 

 

これからも意見を聴きながら

完成させていきたいと考えています

 

 

 

回診のあと

患者さんから

「先生や看護師さんたちに読んでいただきたいものがあります」と

手渡されました

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「辞世」とあります

 

辞世というのは、この世に別れを告げることを言い、ヒトがこの世を去る時に読む漢詩や和歌などのことをいうそうです

 

私たち漢詩に疎い者のために

解説もつけてくださっています

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胸の奥が熱くなりました

 

受け持ちの看護師さんが話をしてくれています

 

患者さんの言葉です

 

『これは心穏やかでないのではなくて、心穏やかに、自分の最期をじっと待っている。そういった決意です』

『3行目の協同(病院)の皆さんには感謝の意を表しています』

『2行目の雲は、昔の人は雲は山洞から出てきて山洞に帰るのだという、いわばロマンです。それをわたしは天に帰ろうという意味』

『これ以上のものはなく、今は死を受け入れているってこと』

と丁寧に話されたそうです

 

 

入院後に厳しい病状を説明しましたが

冷静に受け止められているように思えました

 

その後もご自分の現状を落ち着いて考えておられ

これからのこともしっかりと考えられている…

 

この姿に毎日敬意をもって接していました

 

 

これから病状が変わっていくにつれ

患者さんの心の中では

さざ波から大波へと変わっていくことが何度かあるかもしれません

 

 

そのようなとき、私たちは

いつもいっしょに歩んでいきたいと

心から願っています

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2020年はとんでもなく忙しく、また経験のしたことのない1年となりました

コロナ禍は言うまでもなく私たち一人ひとりの人生に大きな影響を与えました

 

とくにこの四半世紀は医療に携わるものとして人生観が変わることになったといっても過言ではありません

 

1995年の阪神淡路大震災で私たちは生活や仕事を破壊されました

けれど一方では「絆」が強調され

大切な言葉となりました

 

個人的なことになりますが

この間

人の「生と死」を考えることが多く

緩和ケアにたどり着きました

 

 

25年たち

ふたたび生活と仕事を大きくゆがめる出来事に直面しています

それは目に見えない力で人と人のつながりーー「絆」を分断しました

 

医療者として何ができるのか、何をしないといけないのか

もういちど考えることになりました

 

心を整理して

緩和ケアにかかわる者として

コロナ禍をどうみることになったのかを

改めてのブログで述べることを考えています

 

年初にあたり、ちょうど1年前の新聞広告を思い出しています

 

「そごう・西武の正月広告」です

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引用;そごう・西武|新聞広告データアーカイブ (pressnet.or.jp)

 

再掲します

 

「大逆転は、起こりうる。

わたしは、その言葉を信じない。

どうせ奇跡なんて起こらない。

それでも人々は無責任に言うだろう。

小さな者でも大きな相手に立ち向かえ。

誰とも違う発想や工夫を駆使して闘え。

今こそ自分を貫くときだ。

しかし、そんな考え方は馬鹿げている。

勝ち目のない勝負はあきらめるのが賢明だ。

わたしはただ、為す術もなく押し込まれる。

土俵際、もはや絶体絶命。」

  

最後に「文章を下から上へ、一行ずつ読んでみてください。逆転劇が始まります。」

とあります

 

1年がたち

読み返してみて勇気づけられる文章となりました

 

 

(1)患者さんと仲良くなって からつづきます

 


それからは、本人の病状が悪化することによって家族間の問題が浮き彫りになりました。A氏と30代で結婚して以降長く連れ添った奥さんは大黒柱であったA氏が入院したことにより精神的な落ち込みも強くなり入院当初から涙することが多く、A氏がいなくなる事に動揺を隠しきれず不安な気持ちを打ち明けてくれていました。子どもが2人おられたが遠方の為身近に相談できる相手がいないとの事もあり、私は注意深く奥さんの事も気にして声をかけるようにしていました。A氏にとって奥さんはとても頼りになる存在だったので、奥さんの事も私にとっては家族同様にとても大切な存在になっていました。奥さんにとってよき理解者でありたい、一人で悩んでほしくないという思いから面会に来られた時は積極的に声をかけ奥さんの精神的なケアも行えるようにその都度時間を作り思いを聞くようにしていました。しかし、新型コロナウイルスによって面会制限がかかり、限られた時間の中での面会は奥さんにとっても辛かったと思います。そこで毎日夜に決まった時間に携帯でお二人が連絡をとっているのを知っていたので、私が夜勤の勤務の際に時間がある時にはA氏から「今日は○○さんが夜勤やから電話交替するな」といってくれ、奥さんの健康面や本人の事などを聞きながら話をする事が日課でもありました。また、来れない時は1週間に一度は奥さんに連絡をとり、本人が必要な物を携帯で話していたのが出来なくなった時からは、私から連絡をし、奥さん自身が負担にならない範囲で、伝えることもしました。

 

そしていよいよ食事がとれなくなり、終末期せん妄が出現してから遠方に住まわれている娘さんと連絡をとることができました。奥さん自身、仕事が多忙である娘さんに頼ることができず、本当は一番相談したい相手ではあるものの遠慮され話すことが出来ないと話されていたので娘さんがA氏にどのような思いがあるかを時間を作り娘さんと面談をすることにしました。娘さんは遠方で仕事が忙しい事から中々病院に来ることも難しい状態ではありましたが「出来ることは手伝う」という前向きな発言を聞くことが出来ました。そして娘さん自身も両親に対する思いがありました。自身の事で辛いことがありそのことで相談した際に、「自分が辛い時に母は泣いていました。本当は泣きたいのは私なのに。だから私は父の事では泣きません。一番辛いのは父だから」その言葉に私は頷くことしかできませんでした。

 

A氏本人、奥さんからも娘さんに遠慮されている部分があったので娘と奥さんとのわだかまりを少しでもとり除くことができればという思いがありました。しかし、関係を修復することは難しいので、それよりも奥さん、娘さんの思いは個々にあるが本人を思う気持ちは一緒であることを伝えれるよう、奥さん・娘さんも交えて面談する時間も設けることができました。思いの橋渡しができるよう今までいえなかった思いを第三者を交えて話をすることで奥さんの思い、娘さんの思いを知ることが出来ました。奥さんの思いは「最期は娘と一緒にお父さんを看取りたい」という思いを娘に伝えることができました。

出来るだけ娘さんも看取りに間に合うことができるよう遠方の為スタッフ間でも話し合い連絡ができるよう話あうことも出来ました。

 

こうして看取り時の蜜な話し合いも家族と交えて話す事が出来ました。そして最終的には娘さんも看取りに間に合うことができました。脈が触れず、呼吸状態が悪化し奥さんは間に合いましたが娘さんが間に合うか心配はしていましたが、娘さんが到着してからはっきりとした意識がない状態であったA氏でしたが娘さんがきてくれたことに元気をもらったのか脈が再度触れはじめた事、娘さんが来るということに反応され身体を動かされた事、しゃべれなくても耳は最期まで聞こえているというのは本当なのだと感じた瞬間でもありました。私自身、お看取りの経験は緩和ケアに勤務している以上何度も経験はありましたがやはり長期間こうして一緒にいる時間が長かった患者さんに出会うのは初めての経験で、患者以上にA氏の事を父親のように慕っている部分もあったのでこの瞬間がくることに私自身も動揺が隠せませんでした。そして最後の時は訪れました。最期は娘、奥さんに囲まれながら息を引き取られました。娘さん「美女たちに囲まれてお父さん幸せ者やね。よく頑張ったね」と話され奥さんも涙されながら本人に感謝の思いを述べていました。私はというと、娘さんが以前話していた「辛いのは本人だから私は泣かない」という言葉が頭にあり「辛いのは家族だから私は泣いたらダメだ」と頭では思っていましたがいざA氏の息が止まってから「これでもうA氏に会う事は出来ないんだ。いつも私の事を待ってくれ、いつものあの笑顔がみれないんだ」と思うと自然と涙があふれ出てしまったのです。それをみた娘さんが私にそっと涙をふくように気遣ってくれたことに申し訳なく思いました。

 

「私が泣いてしまってすいません」と伝えた時も「父の為に色々してくれたんだから。父にしたらあなたは、神戸の娘みたいなもんやし」と労いの言葉をいただきました。最期は笑いもありながら本人の思い出話をしつつ最期は迎えることもでき、A氏自身も娘と奥さんに看取られて最期を迎えることができたのは本望だったと思います。私自身もA氏を傍で最期までみとることができ、最初にA氏が私に「どんどん僕が弱っていっても最期までちゃんとみてな、頼むで。あんたが頼りなんやから」といって笑っていた表情を思い返し最期をみとることができたのは、私にとっても本当によかったと心の底から思いました。

 

看護学生時代からいつか緩和ケアをしたいという思いで緩和ケアの本だけは看護師になっても捨てずにおいてあり、当時の本なので白黒の本当にシンプルな内容で、学生時代はみてもよくわからなかった文章も、こうしてA氏との深い関わりを通して、学ぶことが沢山ありました。

 

学生時代、また新人の時にどんな看護師になりたいかを話す時に、いつも私がモットーとしている“人情味のある看護師になる”という思いに少しでも近づいていっていると感じました。患者、そして患者の家族に対して誠心誠意尽くし、大切に思っていることを言葉で伝え続けていったからこそ心の距離が縮まることのできた事例になりました。もちろんこの7か月間は楽しいことばかりでなく、辛い事も沢山あり、悩む事も多く、感情が入ることもしばしばありましたがその思いに流されるところまで流されても帰ってくる場所がこの病棟にはあります。その時々に家族と話し合いが必要な時は、スタッフの皆さんが協力してくれ、時間と場所を作ってくれました。また、私が困っている時、落ち込んでいる時にはその都度声を掛けてくれた主治医や師長、スタッフ。沢山の人の協力があったからこそA氏との関係が深まり良い最期を迎えることができたのだと確信しています。これからも誠心誠意に患者さんと向き合い、人情味あふれる看護師を目指して日々邁進していきたいと思っています。

そして、患者、家族の前で泣いてばかりの看護師ではなく、私の肩貸しますよ!といえるくらいの心の強い温かい看護師になりたいと思います。

 


 

私たちのまわりにはこのように頑張っている看護師さんたちがたくさんいます

ともに働けることに感謝しています

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