この夏に緩和ケア病棟から一般病棟に配属となった仲間の看護師さんがいます

私から無理を言って「思いはたくさんあることでしょう、ぜひともみんなへのメッセージをお願いしたいのですが」と依頼をしました

私の予想を上回る内容が届きました

思いのたけを語っていただいています

 

看護師としての真摯な姿勢に胸を打たれました

 

若干の変更(私の判断で)をさせていただき

このブログに掲載をいたします

 

長い文章なので2回にわけています

 


はじめに…

 

看護師として一般病棟から緩和ケア病棟へ配属となり4年半が経ちました。そして、この

度、また一般病棟への配属が決まりました。

私が、緩和ケア病棟で学びたいと思ったきっかけは、急性期から慢性期、終末期、様々な疾患や治療が混在する一般病棟だからこそ、満足度の高い終末期ケアを提供する必要性があると感じた事でした。この事が今回、私が一般病棟に異動することの最終的な決め手になりました。緩和ケア病棟のスタッフからの後押しもありました。

 

現状では当院緩和ケア病棟は、『がん』を患った患者様を受け入れています。しかし、そ

れ以外の病気で終末期を迎える患者様は大勢です。一般病棟で終末期医療・看護を必要とする患者様・ご家族様が安心して、穏やかに過ごせるように、今後、緩和ケア病棟で得た知識や技術を役立てていきたいと思っています。

 

いよいよ緩和ケア病棟での勤務が最後に近づいた日、M先生から、『看護師として緩和

で過ごした時間はどうでしたか?』と声をかけていただきました。 それは、とても重い質問でした。色々な思いや出来事、光景、スタッフの顔が思い浮かび、その場では言い表すことはとても難しく、宿題として持ち帰らせていただきました。

 

緩和ケア病棟での4年半を振り返りながら、緩和ケアとの出会いや、私にとって看護するということの意味や、看護観や死生観がどう変化したかを知っていただきたいと思います。また、緩和ケアを必要とする患者様家族様おひとりおひとりの『“らしく”生きること』を大切にしている、私の大切な緩和ケア病棟ドクターやスタッフについてもお伝えできたらと思います。私は、要領も悪く不器用な人間ですので、知るスタッフからすると、ツッコミどころが沢山あると思いますが…(笑)

 

 

看護師になって初めての患者様の死…

 

私が初めて患者様の死に立ち合ったのは、看護師1年目の梅雨の時期でした。Aさんは、すい臓がん末期の90歳代の女性で、いつも爽やかなガーゼ生地のパステルカラーのパジャマを着て、とてもチャーミングな笑顔の持ち主でした。私が声をかけると、いつもにっこり微笑んで「うん、うん」と返事をして、手を握ってくれました。そんなAさんが大好き

で、用事もないのに、よく病室に足を運んだのを覚えています。Aさんは時間の経過とと

もに、だんだんと眠る時間が増えていきました。思い返せば、がんの進行というよりも、

老衰という状況だったのかもしれません。最期は眠るようになくなりました。私はその場

の空気がシーンとして、時間が止まったように感じたのを覚えています。そしてAさんの

命が亡くなったということはわかるのですが、自分から何かが無くなったような、言い表

しようのない感覚がありました。Aさんに私ができる最後のケアも、綺麗にお化粧された

お顔を見ることも、お見送りも私は出来ませんでした。出来なかったというよりは、逃げ

てケアをしなかった、という方が正しいでしょうか…。(今では看護師歴一番の後悔です

…)

 

それ以来、患者様の死に立ち合う事が、本当に辛くて、怖くて、悲しくて。 私がここにいて何の意味があるんだろう、と自分の無力さをその度に感じたりして、病院に足が向かない日もありました。(当時の所属していた病棟の師長さん・主任さんが、のちに緩和ケア病棟総括を担われるのですが、あの時はご迷惑とご心配をおかけしました。苦笑)

 

自分の問題は自分で解決するしかないと思ってきたし、たがか20年ほどの人生、両親に支えられ、友人関係も良好で、大きな問題といえば進学先や就職先をどう選ぶかくらい。そこまで解決出来ない問題もなくきて、就職して初めての壁が『人が死ぬということ』。看護師という職業を選び病院に就職したのだから、そのような場に立ち合う事は分かっていましたが、いざ目の前にすると受け入れられなかったんです。今までの悩みの比ではなく、到底そんな壁、乗り越えられるわけがありません。自分では抱えきれずどうしたらいいのか分からないのに、当時はそれを誰かに言うという選択肢はありませんでした。

(信頼できるチームの力があれば、大きな悩みも、また糧になることに気付くのは、ずっと先です。)

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無力な私が出来ること…

 

誰かに頼ることや相談することも出来ず、Aさんの死から半年過ぎたころ(よく看護師辞

めなかったなーと思います)抜け出したいけど抜け出せず悩んでいた私に気付いてくれた

教育担当の師長が、ある緩和ドクターの講義に私を連れて行ってくれました。そのドクタ

ーは生と死についての話なのに、ビックリするくらい明るくて、その講義内容は、私にとって衝撃的な内容で、夢中で聴き入りました。

 

《人は皆、一人で生まれ一人で死ぬ。だって、他の誰かが代われるものじゃないでしょ。

誰もが命あって生きて、中にはお母さんのおなかから生まれる事もできなかった命もあり

ます。その時が来たら死ぬ、人が死ぬということは人生において、とても自然な事なんで

す。大切なことはたくさんの人に囲まれて生きた先に、その人の死があるということです。この意味がわかりますか?イメージできますか?

その方が生まれる前からお母さんのおなかの中で大切に育てられ、生まれて、育ち、人と出会い、悩み、沢山の事をしたでしょう。そして病気や老いによって、今、こうして私た

ちの前にいます。私たちは、その方をとりまく全ての方の人生の一部にお邪魔させてもら

っているんです。責任あることですね。

 

私たちは、その方や傍に付き添う方が『生きること』を最期まで見守って、尊敬と感謝の

思いで『ありがとうございました』と伝えたい、残された方のこれからをも見守りたいですね。亡くなった方から頂いたものは、私たちを含め、大切な方の心で生き続けることで

しょう。》(取り留めたメモより)

 

そして私は患者様の『生きること』や、患者様を支える方に寄り添う事が出来る看護師に

なりたい、いつか緩和ケアに携わる仕事がしたいと思うようになりました。

 

そのような思いから、緩和ケアについて学ぶにあたり、色々な本を読んだり、講習会に行

ったり。その中でもう1人感銘を受けた方がいます。看護師でありシスターでもある方です。シスターはすでに亡くなられた後で、本の中での出会いでした。

 

《死は怖い、死ぬのは嫌、その気持ちを失ったらだめです。そういう気持ちがあるからこ

そ、亡くなるひとの気持ちを考える事ができるのです。そういう気持ちを克服しなければ

というのは間違っています。

 

1人の患者さんを死へと看取る関わりのなかで、『私たちが何を受け取ったか』という事を

考えてほしいのです。私たちはその人に何も出来なかったかもしれないけど、その人から

受け取ったものは沢山あったはずです。その受け取ったものは、あなたにとって大切なも

のになるはずです。それは、あなたの看護力になります。あなたの看護力がまた患者さんを癒すでしょう。

 

看護は出会いです。

 

看護は、患者さんのところに行くということ以外に手はありません。そこにいること。見て、聴いて、触れてください。心で接してください。患者さんの声が聞こえるはずです。》

 

私が、感じたことはそのままに、悩んで良い、ただ自分の看護に対する思いと目の前の患

者様に向き合えば良い、と思えました。

 

先生方との出会いで、少しずつですが、『人が死ぬということ』に向き合う気持ちがでて

きました。

 

無力な私ができる事は、

 

*患者様ご家族様の言葉をしっかり聴くこと。

 

*最期まで患者様ご家族様に寄り添う努力をすること。

 

*患者様やご家族が与えてくれるものを取りこぼさないように大切にすること。

 

*今日一日の振り返りをすること。

 

このことだけは必ず毎日しようと決めました。それからは悩むことは沢山あっても、振り

返る事でこれからの患者様ご家族様との関わりに活かしていくことが出来るようになりま

した。もちろん、解決することばかりではありませんが、解決策を患者様と一緒に考えて

いきたいという姿勢で取り組むことで、感謝の言葉を頂くことも増えました。

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―――つづきます

 

4月はじめのブログでご紹介した患者さんのその後です

折り紙が大好きで

みんなにプレゼントしていただいていました

たくさんの作品は窓に飾ってあります

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その後痛みが強くなり

ベッドで寝ていることが多くなってきました

 

医療用麻薬の皮下注射に変更してからは少し動けるようになっています

 

そのようなとき

うれしいサプライズがありました

 

患者さんが作った折り紙を

プレゼントされた小学生の男の子

とても喜んでいたとは聞いていましたが

今回夏休みということもあって

スマホでの初顔合わせと

素敵なプレゼントを届けてくれました

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手作りの水族館です

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天井にもイカが・・・!?

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患者さんの「いいね」サインです

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回診のときに気づき

しばらく見とれていました

 

痛みを忘れるような

とってもすばらしい贈り物ですね

 

当院の看護部のブログでとてもすてきな出来事が紹介されていました

総師長さんにお願いをして

掲載の許可をいただきました

さらに文章も添えていただいています

 

医療者を応援したいと、神戸医療生協ひだまり支部の方々から「コットンボー

ル」を届けて頂きました。涼し気な色合いでコロコロとした形がとてもかわいくて思

わず「どうやって作ったんですか?」と作り方までお聞きしました。メッセージにも

「ありがとう」や「ソーシャルディスタンスを守りましょう」と書かれていてとても

励まされました。

いただいたコットンボールは患者さんのおられる部署に飾って、患者さんにも少しで

もほっとできる時間をもってもらえたらと思っています。

私たちの事を思って一生懸命に作って下さったひだまり支部の皆さん、本当にありが

とうございます。

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 さて、私たちの組織は他の院所とは違い、多くの組合員さんに支えられています。も

ちろん私達の対応でお叱りを受けることもありますが、こうして私達の事を考え、心

身ともに気遣って下さることにとても勇気づけられます。先日、他の支部からも組合

員さんが書いて下さったメッセージカードが届けられました。組合員さんも私達も経

験したことのないコロナ禍での夏・・組合さんのお心遣いで張り詰めた緊張が途切

れ、笑顔がこぼれるほっとした時間を持つことができました。

まだまだ大変な日々が続きますが、コロナに負けず力を合わせて頑張りましょう。

 

                                            N師長さんより

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私たちの働く組織――医療生協の温かさを実感する出来事でした!

 

家にこもって資料をあれこれと漁っているうちに

ひとつの本にたどり着きました

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「母のがん」というコミックで

“グラフィック・メディスン”という風に呼ばれているそうです

 

 

作者の母親は進行した肺がんであり、長男である漫画家が、看護師である上の妹と、高次脳機能障害をもった下の妹たちと協力して治療を援助するお話です

 

 

日本語訳の一部にわかりにくい所がありますが、その点は雰囲気で読み進められます

 

1ページ、あるいは一コマ一コマが教訓に満ちています

 

絵を載せたいところですが、著作権の問題がありますので、私がとくに注目したところをご紹介します

ぜひ原書をお読みください

 

 

☆「あとどのくらい生きられるのか?」

 

「母さんはけっして聞かない。医師もまた、決して自分から言わない」

 

「無理に知らなくてはいけないのだろうか?」

 

「僕だったら、知りたいと思う」

 

「母さんは(生存の)確率よりも運命なんてものを信じる」

 

「母さんは知りたくないんだ。知る必要がないんだ」

 

―――日常的にいつも悩む問いかけです

 

 

☆医師に会うたび必ず言われること

 

「何か異常があればすぐに電話してください」

 

…頭痛がするんですが

「あ、心配ありませんよ」

 

…ひどい咳があって

「なんですって?! 電話してくれないと!」

 

…息ができないんですが

「それで? 肺がんがあるんですよ! 当然ですよ」

 

…足にけいれんがありました

「なんで電話しなかったんですか?!」

 

しばらくすると、母さんはもう何も訴えようとしなくなった

 

―――反省することしきりです

 

 

このようにたくさんの辛辣なやり取りや教訓などがちりばめられています

 

何度も読み返してみないといけないと思っています

 

 

 

“あとがき”はお母さんの言葉で書かれていました(抜粋します)

 

『私が経験した疲労は人生で最悪のものでした。もう闘い続けることができるかどうかわからないほど、体の芯から疲れ果てていました。(中略)一番驚いたことは、治療をやめた瞬間自分でないような感じになったことでした。寛解とは、元の自分に戻れるという意味ではありません。抗がん剤治療と放射線治療を受ける間に、お医者様たちはたくさんの健康な細胞すら奪ってしまったのです。』

 

『助けを求めることは大変ですが、必要なことです。人生を変えるような健康問題と立ち向かっている誰しもが最初からできるだけ人に頼るということをするべきです。』

 

 

 

さいごに小森康永先生(愛知県がんセンター 精神腫瘍科部)のコメントを引用させていただきます

https://www.pref.aichi.jp/cancer-center/hosp/15anti_cancer/special/10.html

 

 

終末期を迎えた癌の患者さんには『寄り添い』が

ご家族には『支え』が

と考えています

 

とくに『支え』に関して最近あった出来事をお話します

 

 

Aさんは70台の穏やかな女性でした

 

入院してこられたときは思ったよりもお元気で

Aさんもいちど家に帰りたい(退院したい)と望んでいました

 

そのための準備をしていましたが

急に病状が変化し

退院が難しくなってしまいました

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それからは食欲がなくなり

気持ちの落ち込みがみられる日が続きました

 

 

Aさんはシングルマザーの娘さん、小学生のお孫さんといっしょに暮されています

 

娘さんはお仕事をしながら

毎日Aさんの面会に

ただ新型コロナウイルス予防のため時間に制限があります

母娘で話す時間は限られます

 

それでも頑張っている姿をみるたびに

頭が下がります

 

 

「きょうだいは男ばかりなので、私がいることで救われているよ って言ってくれるんです」

「弱っていく母を見るのはつらい、でもいかなければきっと後悔するんじゃないかと…」

面談のときには娘さんとお兄さんが時間をやりくりして来ていただいています

娘さんの存在は大きいなあと感じるときです

 

娘さんも病気を抱えています

友人からは

「それでもあなたはよく頑張っているよ」

と、励まされているそうです

 

この話は看護師さんの記録からです

続けて

「傾聴し、時にねぎらい、Aさんの状況をお伝えし、一緒に病室に入る」

「おふたりは手を取り合ってにこっと笑われた」

「面会ができないお孫さんの声をスマホで聴かせている」

とかかれていました

 

 

お孫さんは小学生です

働いている娘さんのかわりに

小さいときからAさんがお世話をされていたそうです

 

大好きなおばあちゃんに何とかして会いたい!

お孫さんのつよい希望

でも面会者には年齢制限が…

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しだいに弱ってくるAさん

酸素が必要となりました

血圧が下がってきます

眠っている時間が長くなります

 

判断のしどころでした

短い時間だけれど

会える許可をいただきました

 

お孫さんの顔をみてほほ笑むAさん

「今までありがとうって伝えないと」と娘さん

「返事してくれないのがさみしい」とお孫さん

お互い言いたいことは山ほどあったと思われますが

声になりません

 

言葉を交わすことはあまりなかったけれど

おばあちゃんと離れたくないという気持ちは理解できます

――今夜はそばにいたい

 

しかしこれ以上の滞在は難しく

やむなく帰ることになりました

 

 

ふたたび看護師さんの記録です

「お孫さんが会いに来てくれたことがAさんにとっては何よりもかけがえのない時間となった。娘さんから〇〇(お孫さんの名前)くんが会いに来てくれたことがおばあちゃんにとって救いになったのだということ、ありがとうを〇〇くんに伝えてあげてくださいと娘さんにお願いした」

そして

「コロナウイルスの影響でAさんやご家族様に辛さを強いてしまっていることを謝罪した」

と書かれていました

 

お孫さんからのパワーをいただいたからでしょうか

Aさんはその後少し落ち着きをみせました

 

 

――外の風に触れさせてあげたい

 

ずっとベッド上での生活でした

看護師さんたち数人がかりで車いすへ移動

 

病室の窓から見えていた空を

こんどはベランダに出て眺めることができました

 

ご家族と看護師さんといっしょに

笑顔いっぱいの写真が残っています

 

 

「〇〇がもう一度おばあちゃんに会いたいと言ってます」

Aさんの姿をみて心が揺れ動いたのでしょう

 

学校で泣き出し

保健室の先生にたくさんの話を聴いてもらいました

先生もいっしょに泣いてくれたとのことです

 

 

――もう一度でいいから会いたい

そのときには話をいっぱいしたい

 

看護師さんからパソコンを使ったWEB面会を提案しました

 

この日、お孫さんは学校から早く帰ってきます

 

さらに看護師さんの記録

「他愛もない話をしながら、それでもたくさんの話ができている」

「Aさんは言葉がだんだんと増えてきた」

「みんな嬉しそうに話をされていた」

 

お孫さんの率直な思い

「卒業するまで元気でいてね」

 

でも

「覚悟はきまっている、ありがとう」 と

 

 

Aさんはそれから1週間後に旅立たれました

 

 

『ご家族は第二の患者さん』

と言われます

 

Aさんのご家族にとっては多くの支えがありました

 

 

―娘さんにとって

きょうだい、友人、受け持ちを中心とした看護師さんたち、そしてお孫さん

―お孫さんには

なによりもお母さん、学校の先生、看護師さん

 

それから

おふたりにとってはAさんの存在そのものが支えであったことでしょう

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