「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」(2020.6.24)という文章を読む機会がありました

この文章の目的は、「感染状況がいったん落ち着いた今(2020年6月時点のこと)、次なる波への備えとして、専門家会議の構成員の立場からみた専門家会議の課題に言及するとともに、専門家助言組織のあるべき姿をはじめとして、必要な対策を政府に提案することである」と“はじめに”で述べられています

 

専門家会議は「前のめりになった」と自己評価をしつつ、専門家会議と政府・官邸・厚労省・官僚などとの関係性における様々な矛盾をかかえながら7月3日に廃止されました

同時に特別措置法に基づいて設置されている新型コロナウイルス感染症対策本部の下に新型コロナウイルス感染症対策分科会が設置されました

(この間の経過に関する参考文献として「分水嶺 ドキュメントコロナ対策専門家会議」―岩波書店―があります)

 

関連文書のなかで「リスクコミュニケーション」の重要性が強調されています

難しい内容ですが今の私の理解の範囲で緩和ケアの分野にあてはめて感じたことを述べてみたいと思います

 

 

リスクコミュニケーションは「個人・機関・集団間で、情報や意見のやり取りを通じてリスク情報とその見かたの共有をめざす活動であり、関係者間の信頼関係をベースとして、意見や考えをすり合わせてリスクを最小化していきます」と述べられています(奈良由美子教授:放送大学)

また健康問題においても同様に医療者側からの一方的な情報提供ではなく、患者さんの意思を尊重するコミュニケーションへと変化してきています

 

その意味では新型コロナウイルス感染症対策の場面のみでなく、日常の医療や保健活動などの分野においても必要な考え方だと思います

 

 

 

緩和ケア病棟でのできごとから感じていることを順不同で述べてみます

 

〇面会ができなくなったことから在宅での看取りを決意されることが多くなりました

病状は決して安定しているとは言い難く、帰りの道中や退院直後の急変の可能性を十分にもったままの退院となるためにご家族との十分な話し合いを繰り返し、お互い納得のもとでの退院となります

当然退院後のフォローの方法もふくめて安心の保証が必要です

じっさいに退院されてまもなく最期を迎えられた方がいらっしゃいました

すぐに往診にかけつけました

 

〇入院中の病院から緩和ケア目的で転院してこられるとき、重い病状の場合上記と逆になりますが、急変の可能性が否定できません

入院直後に旅立たれ、ご家族がつよい悲嘆にくれてしまったことがありました

患者さん・ご家族への前医での説明と合意、病院間のコミュニケーションがしっかりとできていないことが悔やまれました

 

〇治療医と患者さんの思いの違いから、入院されてから患者さんが混乱されることがあります

積極的治療への望みをもたれている患者さん、これ以上の治療は困難と判断している治療医とのあいだでの意思疎通ができておらず、緩和ケア病棟に入院されてからどのように関りをもてば患者さんにとって最善なのか悩みます

今まで信頼して任せてきた医師と急に入院となって初めて顔を合わせる私たち

患者さんの心の内を推し量ると医療者として申し訳ない思いでいっぱいです

 

〇患者さんの病状認識や思いと私たちの認識・対応との間でのすれ違いや勘違いなどもあります

たとえば痛みの緩和を中心に方針を立てた私たちと痛みよりも食事にこだわりたい患者さんー何をいちばんに求めるかの違いとなって現れました

そのときには何度も患者さんと話し合う必要がありスタッフの力量が試されます

 

〇コロナ病床では日常的に様々なことが起こっているようです(私は直接には関わっていないのですが)

当院では人工呼吸はできないことを前提に軽症・中等症の患者さんの受け入れを行っていますが、入院後にご家族の希望と異なること(ご家族は可能な治療―人工呼吸もECMOも希望)が明らかになり緊張をともなったやり取りとなることがあります

医療崩壊が叫ばれ、入院が容易でない状況のもとで、ご家族とすれば「何とか入院を希望、悪くなれば治療や転院ができると思っていた」ということもあるのでしょう

患者さんとは時間をとって話せる状況でなく、ご家族の面会は不可能な上にいきなりの悪化―入院という事態に動揺されているなかでのインフォームドコンセントは今までにない難しさがあると推察します

 

 

 

一般の病棟であっても緩和ケア病棟やコロナ病床であっても、医療現場は同じです

患者さんやご家族は「リスク」に直面しています

それが生命の危機にあるとすればなおさらです

私たちも「リスク」を背負っています

 

 

このときにリスクコミュニケーションが求められるのでしょう

 

もういちど振り返ります

 

先の引用文で「関係者間の信頼関係をベースとして」とありました

しかしこのようにも考えることができます

 

リスクコミュニケーションは情報を関係者間で共有し(医療者―患者・家族間、医療者間など)、意見の交換や対話を通してお互いの思いへの理解を深め、信頼関係を作り上げること

とも言えるのではないでしょうか

 

わからないことを調べ、だれかに教えを請い

知識を深め

お互いに情報や意見を提供しあいながら

共通の目標をみつける努力を行い

その目標はいつでも変更可能であることを認め合いつつ

――コミュニケーションはより深まっていくと考えています

 

私たちはともすれば患者さんの話を聞くことよりも

相手に説明したり説得することに一生懸命になり

目の前の患者さんの気持ちに気づかないことがあります

 

コミュニケーションは双方向性と言わています

そのことが叶えられれば満足感が生まれるのでしょう

患者さんは多くの中の一人ではなく、だから一般論ではなく、一人の個人として尊重されることで私たちとの信頼関係が作られるのだと思います

 

 

コロナ禍で

入院されたご家族と自由に会えない哀しみ

ときには最期のときもそばにいてあげることができない悲しみがあります

 

 

緩和ケア病棟は

出発時から

制限をできるかぎり少なくし

家庭にいるような雰囲気をつくることを

めざしてきました

 

それが1年にわたり

まったくできなっています

本当に申し訳ないことです

 

だからなおさら

コミュニケーションを大切にしなければいけない

とくにリスクコミュニケーションは大事なことだと

いくつかの文献に教えられました

315-01

 

 

<参考にした文献>

★「次なる波に備えた専門家助言組織のあり方について」

新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 構成員一同 2020.6.24

★「分水嶺」  河合香織著(岩波書店)

★「『感染症パニック』を防げ!」  岩田健太郎著(光文社新書)

3度目の緊急事態宣言

休みの日は積み上げた本を開いてみたり

これまでの仕事の振り返りを行ったりしています

 

 

☆80歳代の女性でした

 

訪問診療や訪問看護を受けながらご家族と自宅で療養していました

ある時から痛みが強くなり

主治医は癌性疼痛の悪化と判断

オピオイドが増えていきました

 

これ以上は在宅での生活が難しくなり

私たちの病棟にやってこられました

 

少しの動作や介助で痛みが増悪しています

同時に意識がもうろうとした状態でした

ご家族には病気の進行に伴うものなら予後は厳しいかもしれませんとお話をしました

 

 

看護師さんたちとまず痛みを少しでも和らげることに全力を尽くしました

貼り薬の鎮痛薬から持続皮下注射に変更

そのかいあって徐々に痛みがうすれてきました

 

あらためて全身の診察とCTなどの検査で評価を行います

判断に迷うことが多々ありましたが

みんなで話し合った結果

癌性疼痛のみでなく、また骨転移などでもなく

筋肉痛や廃用痛の関与が大きいとの結論

意識の低下はオピオイドの短期間の増量の影響と考えました

 

 

それからは

少しずつオピオイドを減量

他の鎮痛薬を併用し

コントロールが取れてきた段階でリハビリを開始しました

 

2か月ほどかかりましたが十分に落ち着かれ

ふたたびご家族のもとに帰っていかれました

 

 

※この時の教訓です

〇「癌がある=その痛みは癌性疼痛」ということでは必ずしもないこと

〇しっかりとした問診、診察、その上での検査という原点に立っての評価

〇疑問点が少しでもあれば十分に悩みみんなの意見を聴くこと

 

☆6年前に私たちの緩和ケア病棟がオープンしました

私自身たくさんの悩みを抱えながらの出発でした

 

患者さんに最も近くにいる看護師さんたちからの要求が次々とだされ

それに満足のいく返答ができず

ときには感情のぶつかり合いになったりしました

とくに最初の1年間は「自分は向いているのだろうか」と悩み続けました

 

〇教科書(的な書物)に書かれていないことが現場にはたくさんある

〇患者さんは一人ひとりみんなちがっている

病名は同じでも、同じような苦痛でも…

〇次の一手、そしてその次の一手をいつも考えること

「この方法でだめなら次にどうすればいいのか、指示をください」とよく言われました

 

シシリー・ソンダース先生の言葉です

「もし私ががんの末期になって強い痛みのために入院した時,私がまず望むのは牧師が早く痛みが取れるように祈ってくれることでも,経験深い精神科医が私の悩みに耳を傾けてくれることでもなく,私の痛みの原因をしっかりと診断し,痛みを軽減する薬剤の種類・量・投与間隔・投与法を判断し,それを直ちに実行してくれる医師が来てくれることです」

314-01

この言葉も当時の私にとってはプレッシャーとなりました

優しさだけに頼ったりしてはいけない

ごまかしはきかない

とわかっていました

しかし後ろ向きに歩くところんでしまいます

 

 

どうすればいいのかと考えた結果

たくさんの関連図書を読みました

たくさんの先輩医師に教えを請いにでかけたり、電話で相談をしました

少しずつ自分の方法論が作られてきたように思います

…我流ですが

 

 

☆看護師さんの観察から教えられることがいっぱいあります

 

患者さんの顔はひとつではありません

医師への顔

看護師への顔

リハビリスタッフやその他の職員に見せる顔

ご家族への顔

……

 

回診のたびに

「今日もかわりません。ありがとうございます」

と笑顔で話されていた患者さん

実際には痛みを耐えていました

 

患者さんの本当のつらさを看護師さんから教えられることが

毎日のようにあります

その大きな場が日常のカンファレンスです

「私にはこんなことを言ってたよ」が通用しない

どうしてわかってくれないのですか

と、看護師さんから涙で訴えられたこともありました

さいごには優しさで締めくくられます

 

時間がかかりましたが

少しずつ信頼関係ができてきた(?)ように思います

 

私の知識も増えてきました

 

毎日が、学ぶことに満ち溢れています

314-02

 

 

 

先日数人の医学部の学生と話をする機会がありました

今年医学部に合格した新1年生から4年生までの若者たち

それぞれ所属が異なる大学の学生たちです

 

 

医師を目指すことになったきっかけを話してくれました

 

――家族の白衣姿にあこがれて

――親友の闘病生活をそばでみて

――同じ趣味をもって活動していた医師から勧められて

――東日本大震災のときに寝食を忘れて頑張っていた医師に感動して

などなど

聞いていてしっかりとした話でした

 

きちんとした理由もなく入学してしまった自分が恥ずかしいかぎりです

 

 

コロナ禍での学生生活は

マスコミなどで報道されているように

対面授業が少なく

サークルに入ったものの、活動がストップしている

など有意義とはいえない状況に置かれています

 

この時期にしかできないことを見つけて

これからに備えてもらいたいと

心から思いました

 

 

お互いの状況の報告など交流を深めながら

核心に迫る話になりました

 

・・・どのようなお医者さんになりたいの?

 

――患者さんやご家族が社会から孤立しないように力を尽くしたい

――研修先の病院のすべての職員の顔と名前をおぼえて仲良くなりたい

――医療制度に関心があります

――真摯な姿勢で医療に取り組みたい

――日本だけでなく様々な国の医療にかかわり、一人でも多くの人を救いたい

青年らしい、思わず笑みがこぼれるような決意表明がありました

313-01

WEB会議という制限の中です

直接会えればもっとたくさんのことが話せたのに残念です

 

現役の医師も複数で参加

老婆心ながらいくつかアドバイスをいたしました

ちょっとうっとうしかったかもしれません

 

〇学生の間にたくさんの本を読み、見識を広げてほしい

…医学にこだわらずなんでも

…英語をしっかりと学んでください

〇独りよがりにならずたくさんの人たちの意見を素直な心で聴いてほしい

〇多くのスタッフと仲良くしてください、それがチーム作りの基礎となります

もっと恥ずかしいことも言いましたが、ここまでにします

 

 

さいごにブログの宣伝をしてお別れしました

みんなたくさん学び、数多くの経験を重ね、優しくて感性豊かなお医者さんになってほしいですね

そしてこの中から緩和ケアの世界に飛び込んでくれる医師が生まれることを願いたいです

313-02

その日の夜のこと

 

学生時代から親しくさせていただいている先輩から久しぶりの電話がありました

医師としての働き方や考え方に影響を与えてくれた人です

 

過去のことを懐かしみ

今何をしてどんなことを考えているのか

同僚やお世話になってきた医師の近況など

たくさん話をして

お風呂のお湯がためっ放しになっていることを忘れていました

 

 

 

毎日の仕事に追われているなか

初心に帰ることができた1日となりました

 

 

きょうは日曜日の午後

時々雨という不安定な天気ですが

少し現場を離れ

頭の切り替えをしてみようかと思います

 

もちろん感染には十分に気を付けて……

 

 

私たちの医療生協では隔月に機関誌「三つの輪」を発行しています

その中で毎回いたやどクリニックの木村院長が「カンガルーのポケット」としてエッセイを連載しており

組合員さんたちからたくさんの感動が寄せられています

 

このたびの記事を読み、心が揺さぶられました

家族の一員としての愛犬のお話ですが

何か通ずるものを感じています

 

敢えてコメントをせずにそのままを載せたいと思います

木村先生からは快諾をいただきました


 

 雲の上のナナちゃん

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□「おとうさん、元気にしていますか。わたしは今、広い公園を 走り回って遊んでいます。雲の公園は、地面がフワフワッとして、どれだけ走っても疲れません。雲の地面をペロペロってすると、のどの渇きもなくなります。おとうさんが一緒に走ってくれないのが寂しいけれど、わたしは元気です」

 

家族になりました

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わたしはナナちゃん。6月1日生まれの白柴の女の子です。おとうさんとおかあさんが、ホームセンターにカブトムシさんのエサを買いに来た時に出合いました。生まれてまだ2か月でふるえているわたしを抱っこして、「決めた!」って言って、その日のうちにおうちに連れて帰ってくれました。8月7日に新しい家族になったので、お名前を決める時にハナちゃんにするか、ナナちゃんがいいのか迷ったみたいですが、呼びやすいのでナナちゃんになりました。

その年の暮れ、たくさん雪が降った日に、おとうさんたちは家族旅行に出かけました。わたしはお庭の小屋でお留守番。寒くて寒くて思い出してもつらかったです。旅行から帰ってきたおとうさんは、申し訳なさそうな声で「これからは一人にしないよ」って、言ってくれました。

□年が明けて、おうちに赤柴くんがやってきました。ホームセンターにわたしのご飯を買いに行ったときに出合ったそうです。またまた衝動買い。おとうさんの悪い癖は治りません。お名前はナナちゃんの次だからハッちゃん。単純な考え方も治りません。わたしより2か月後に生まれたのに、体が大きくって、落ち着きがなくってやんちゃさんで、わたしが注意すると目をつぶって噛みつくので、何度もケガをさせられました。今ではわたしを怖がって、目を合わせるのを避けるようになったので、注意しすぎたかなって思ってます。それでもふたりは結婚して、3人の女の子が生まれました。さくらとスズとペコちゃんです。お産は大変だったけど、かわいくって一緒にお庭を走って遊びました。3人ともかわいがってもらえる方にもらわれたので安心です。□□□□□

 

たくさんの思い出と

 

ハッちゃんとわたしと家族みんなで旅行にも行きました。車で何時間も揺られて着いたのが島根県の三瓶山。青い草原でいっぱい走り回り、バーベキューのお肉をもらって、夜は流れ星を見ました。この星に生まれて本当に良かったと思いました。□

わたしが2才の時に、おねえちゃんが大きなご病気になりました。おとうさんもおかあさんも、つきっきりの看病だったので、わたしとハッちゃんは、おとうさんのお知り合いの獣医さんの病院に預けられました。毎日「おねえちゃんがんばれ」ってお祈りしていたので、少しやせたおねえちゃんがおうちに帰ってきたときは、本当にうれしかったです。健康って大切だなって思いました。□□□□

でもご病気は避けようがありません。わたしは前庭疾患という難しい名前のご病気になり歩けなくなりました。楽しみにしていた朝夕のお散歩も抱っこでお出かけです。病院に行くのは怖くって、病院近くになると大声を出すので、「またナナちゃんのGPSが作動したね」と笑われました。自分ではお水も飲めなくなると、朝から晩まではおかあさんが抱っこして大好きな玉子焼きを作って食べさせてくれ、日にちが変わるとおとうさんがわたしの隣で添い寝をしてくれました。雪の中の事件は忘れてあげることにします。

わたしの体は雲の上。でも、おとうさんやおかあさん、おねえちゃんとハッちゃん家族みんなの胸の中に生きています。時々でいいから優しい声で「ナナちゃん」って呼んでくださいね。それがわたしののぞみです。一緒に暮らせて本当に楽しかったです。

ありがとう。

312-01

 

 

私たちの病院では既報のように昨年新型コロナウイルス感染症のクラスターが発生、その対応に追われてきました

多くの関係者の努力でやっと収束にこぎつけましたが、この経験から「コロナ病棟」の開設に踏み切ることになりました

 

その中心で頑張っていた病院の総師長さんから貴重な文章をいただきましたので、ここに掲載します

 

緊急事態宣言が解除された現在も医療現場ではまだまだ、またこれからも新型コロナウイルスとの闘いは継続することになるでしょう

将来振り返ることができたときの大事な資料になると思っています

 

11月末に入院中の患者さんから陽性者が出ました。もちろん当院でも認定看護師を中心に感染対策を講じており日々の看護業務にあたっていました。

世間でも病院内でのクラスター発生の声が多く聞かれ「明日は我が身である」との覚悟はしていましたが、当院で陽性患者さんをこのまま見る事になり、それを聞いた時は頭が真っ白になりました。すでに次々と当該部署の看護師や介護スタッフに陽性者が判明する中、どうスタッフを確保していくかの問題がありました。外来や手術室、他の病棟への依頼、在宅看護師までをも要請し部署をまたがる業務は避けなければならなかった為、ある程度の期間の支援をお願いしました。

クラスター時は看護師から様々な悲痛の声が上がりました。「ゆっくりと温かいお湯で体を拭いてあげたい。」「コロナにかかった不安な患者さんの話をそばでゆっくり聞いてあげたい。」などなど今まで大事にしてきた、患者さん一人一人の尊厳を大事にし、思いに寄り添うという看護師としての信念が崩れ去った事が、自らが感染するかもしれないという不安に加えて、一番の精神的苦痛であったように思います。ケアの充実を図りたい、しかしまずは自分が感染しない事が最優先!この言葉はスタッフにとってどれだけ辛かったことでしょう。クラスターが落ち着く頃、私の中ではとても大きな葛藤にぶち当たりました。クラスターによって経営状況が更に悪化した事や本当に親身になって援助して下さった保健センターの皆様の要望にお応えしたいのもありましたが、当院でも外来を訪れる患者様の中に、神戸市内の専門病床のひっ迫した医療体制の中で入院できずに自宅で過ごされるコロナ陽性患者様の辛い状況が日々伝わってきたからです。「地域の方々を守りたい」そんな思いと、「スタッフを危険な目にあわせてもいいのだろうか・・」と言う気持ちで揺れ動きましたが「それでも今やらないと・・」という思いは変わりませんでした。院長をはじめ管理部での議論を短時間で重ね、1週間の準備期間を経てコロナ病棟開設の運びとなりました。ハード面の準備と感染対策に対する再度のレクチャー、働くスタッフの選定へのアンケートが急がれました。家族の事を考え悩むスタッフもいましたし、もちろんこのような方針に戸惑い怒りをぶつけるスタッフもいましたが、当然の事として受け止め対話を重ねました。現在コロナ病棟のスタッフからは「学習を重ね、病態の変化や感染対策の知識も増えた。安全に患者さんと接する事が出来るようになった」という声が聞かれます。介護スタッフやリハビリスタッフも専任で配置し、洗髪・手浴・足浴などの保清やリハビリの充実も図れるようになりました。スタッフからも「落ち着いて笑顔で患者さんに対応できるようになりました」「状態が悪い方も私達が最期まで看る。生き抜いた事を伝える役目になりたい。」このコロナ禍で今までに私達に不足していたことや看護が一気に見えてきたという思いです。まだまだこの状況は続くと思いますが、スタッフの身体面、精神面に配慮しながら、地域医療に貢献できるよう使命感を持って進んで行きたいと思っています。

311-01