患者さんとご家族のあたたかなふれあいが病棟で見られています

忙しい中無理を承知で、受け持ちの看護師さんにお願いしました

 

コロナ禍で感動的な出来事を目にすることができたのも

緩和ケア病棟ならではのことだと思います

 

 

 

・・・以下に原文のまま載せさせていただきます

 

 

「いつも感謝の気持ちで過ごしています」

そう語ってくれたのは、私が受け持たせていただいているKさんです。

当たり前にできていたことが、できなくなったこの1年。

私達、緩和ケア病棟のスタッフも、様々な葛藤を抱えながら、日々のケアにあたっています。

思うようにいかない状況に、心乱されることもありますが、一番つらいのは患者様、ご家族様であることを忘れずに…。

そんな時に、出会ったのがK様とそのご家族様でした。

できないことを嘆くより、今、できることは何か?ということを考えさせていただくきっかけになった出会いでもありました。

そして、心が狭くなっていた私の心に一筋の光を与えてくださいました。

皆様にも少しばかり温かい気持ちになっていただけたら…と思い、筆をとらせて頂きました。

 

K様との出会いは、コロナ禍の渦中でした。

お声をかけるとにっこり微笑まれ、私達に笑顔を見せてくださいます。

病気の影響で思うようにコミュニケーションがとりにくい中でも、一生懸命会話をしてくださいます。

時に、何度も聞き返すこともあります。

また、筆談でコミュニケーションをとることもあります。

一度で伝わらないこともありながら、何度も私達に想いを伝えてくださいます。

私達も真剣です。

そのようなK様とのやりとりの中で、冒頭の言葉をゆっくりと穏やかに、様々なことを思い出すかのように話されました。

K様のお人柄に触れさせていただいた瞬間であり、忘れていた大切なものを思い出させていただいた瞬間でもありました。

 

ここからは、K様と息子様との心の触れ合いについてご紹介させていただきたいと思います。

入院されてすぐに、私は、コミュニケーションがとりづらいK様にとって、電話でのやりとりが難しく、面会制限がある中、ご家族様との橋渡しの方法について考えていましたが、よい方法が思いつかないままでした。

そんなとき、息子様がK様へ当てた直筆の手紙を持参されるようになりました。

一部ですが手紙の一節をご紹介させていただきたいと思います。

「4月並みの暖かい一日、寒い間が出来なかった池の浄水器を掃除。踏ん張りがきかなくなってきた。長い間きれいにしてくれてありがとう。」

「『お母さん』という響きが恥ずかしくなって、友達と同じように『母ちゃん』と言い始めました。四十年ぶりに昔の呼び名に戻します。お母さん、お母さん、お母さん 〇〇はここにいます。」

「お母さんが長い間頑張ってくれたお陰で、私もたくさんの教えを聞かせて頂きました。本当に有難う。」

ここでは紹介しきれないほどのたくさんの想いが込められた手紙は、ほぼ毎日届き、K様は心待ちにされるようになりました。

そして、その手紙をK様のそばで読ませていただくことが、私達のかかわりの一つになりました。

浮かない表情をされていたり、寝つけそうにない時に、息子様からの手紙を読ませていただくと、穏やかな表情になられる姿を見て、たとえ離れていても、心は傍にあることを感じました。

いつも息子様に見守られて、身近に感じていただけるよう、大切な手紙はK様が常に目に触れることができる場所に貼らせていただきました。いつしか、その手紙はお部屋いっぱいになりました。

ときには、ご自身で手紙を読んでほしいとおっしゃられることもあります。

その時にはたくさんある中でどの手紙を読ませていただこうかと、K様と一緒に考えながら読ませていただいています。

 

ある日、K様に息子様のお手紙はどのような存在ですか?と尋ねると「ありがたいね。うれしいです。」とお部屋に貼っている手紙を眺めながらおっしゃられました。

その姿にK様の心の支えになっていることを感じました。

お手紙の内容は私達にはとても難しいことが書いていることも多く、K様に教えていただきながら読ませていただいています。

時に息子様の心の叫びのような言葉に、感謝の言葉に私達が涙してしまうこともあります。

K様と涙しながら読ませていただくお手紙は私達とK様をもつないでくれているように思います。

そして、K様も息子様への思いを震える手で一生懸命したためられます。

離れていてもお互いがお互いを思いやる心。

私はK様と息子様の手紙のやりとりから学ばせていただきました。

息子様からK様へ、そしてK様と私達をもつないでくださり、目に見えないものにこそ、大切なものがあることに気がつかせていただきました。

 

振り返れば、私達が携わっている看護ケアもできないことを補いながら、できることを支援することです。

このコロナ禍で思うようにできないことにもどかしさを感じていた自身を振り返り、当たり前にできることのありがたさを感じました。

「できていたことが、できなくなることとは?」この言葉の意味の重さを痛感しました。

そして、様々な思いを抱えている患者様の心に触れながらケアすることの大切さをあらためて感じました。

K様と息子様の心の触れ合いは、狭くなっていた私の心の琴線に触れ、優しさと温かさを感じさせてくれました。

これからもK様と息子様のストーリーは紡がれることでしょう。

私もこれからも続くお二人のストーリーを楽しみにしながら、見守らせていただきたいと思います。

「いつも感謝の気持ちで過ごしています」

K様のこの言葉を胸に抱きながら、一日一日大切に過ごしていきたいと思います。

310-01

こちらはK様がお好きだと教えてくださった蝋梅です

蝋梅の花言葉は「慈愛」

まだ、寒い冬にひっそりと花を咲かせて、癒やしてくれる蝋梅はまさにK様の心を表しているように感じます

 

(担当の看護師さんが撮影された写真と文章を添えます)

 

 

緩和ケア病棟にたずさわって最も苦手な領域のひとつが「せん妄」です

今までたくさんの失敗を重ねてきました

患者さんを不安にさせたり、怒らせたり、私の一言で混乱を招いたり

毎回反省と後悔の繰り返しです

 

 

そんなとき

ある患者さんとの出会いがありました

抽象的な議論ではなく

患者さんの言葉をもとに

看護記録などから拾い上げることで

なにかの教訓が見つけられればと思っています

 

例によって個人の特定を避けるため年齢や性別、病気については変更を行っています

「」内は主には看護記録、あるいは患者さん・ご家族の言葉からの引用です

―――の部分は私なりの受け止めです

 

 

Aさんは高齢の男性です

ひとり暮らしをされていました

癌の術後の再発により余命は短い月の単位いうことで私たちの病棟に入院してこられました

 

入院日をXとします

Aさんは悪性腫瘍以外にこれまで誤嚥性肺炎をくりかえしていたとの情報がありました

ほとんどベッド上で臥床中ですが、ときにはご自分で寝返りをされていました

会話はしっかりとしており、意思の疎通には問題はありませんでした

テレビを見ることが大好きで、リモコンの操作は得意でした

 

看護師さんの記載です

「疼痛なし、呼吸困難感なし

症状は咳・痰、誤嚥性肺炎をくりかえされていた

ときには痰の吸引が必要のようだ」

また患者さんのご希望を聞いています

「家に帰って仏壇を拝みたい

歩けるようになりたい」

重要な情報ですが

「睡眠薬の使用はなし」とありました

 

X日の夕食はご自分で摂られています

「食べました、おいしかったです と笑いながら話される

少し食べこぼしあり

発語は聞きとりにくいこともあるがちぐはぐなし」

 

夜間のこと

「ここは静かですね、よく眠れそうです」

と静かに就眠されました

 

X+1日もおだやかに過ごされました

ご家族と携帯電話で楽しそうに会話をされている姿をみかけました

 

新型コロナウイルス対策のため

ご家族の面会は1日15分までという制限を設けていたときです

娘さんからは「気分に左右されることがあるのでお願いします」

と依頼をされました

 

 

X+2日目の夜のこと

 

「廊下まで聞こえる声で『おーい、おーい』と呼んでいる

訪室すると『〇〇ちゃんはどこ行った?』

いったん落ち着くも独語が続く

興奮はされていない

『みんなここにいる

病院に帰らせて

ここじゃない、ここは病院じゃない』

会話がちぐはぐ、せん妄か?

『歩いて帰る、車が迎えにきてる』

しばらくお相手をしていると落ち着かれるが、目をつむって同じことを話されている」

「何度もナースコールあり、眠剤を服用していただいた

薬は拒否なく飲まれる」

 

X+3日目も同様の記載あり

 

「眠剤のため覚醒が不良となれば誤嚥のリスクが高くなり、使用方法を検討したい

患者さん『何回も肺炎になった、死んだ方がまし』と言われている」

―――この時にはご自分のおかれている状況は理解され、誤嚥性肺炎に対しての不安感や恐怖を感じていたようです

 

日中も混乱が続いています

「食事は食べられたが会話は深まらず

『家に帰る、ここに閉じ込められた、そこに猫がいる』

危険な行動はないが訪室の回数を増やす」

―――猫という幻覚(?)が見えているようです

「ベッドを自動車、ベッドのコントローラーを車のカギと思われ、ご自分でギャッジアップされている

ここは病院であることを伝えると、『自分で来た覚えはない』と知人に電話をされ、『監禁されている、今すぐ迎えに来い』と

辻褄の会わない会話が続き、しだいに興奮が強くなってくる」

―――病院であるという見当識は保たれていますが、監禁されているという表現から危機感を持ち始めているようです

また興奮が強くなっており一層の対応が求められてきました

 

娘さんから電話があり、昨夜からの変化と今日の状況をお伝えしました

娘さんからは「せん妄と思います。以前にもありました。いやな夢を見たのではないでしょうか?またすぐに元に戻ると思います」と話されました

―――せん妄ということでのご理解はされており、これまでにもご家族は対応されてきたことがうかがえます

 

一方では食事は食べますとご自分で摂られています

この間看護師さんたちは身体上の問題がないかと検討しました

しかし痛みなどの不快症状はなく、尿失禁や排尿困難、排便困難も見られません

熱も出ていないようです

 

Aさんは携帯電話を操作してご家族などと話をされながらも、つじつまの合わない会話は続いていました

―――日常行っている行為はある程度可能です

 

夜間ケアが手薄になる時間帯には向精神薬の使用がカンファレンスで検討されました

しかし入院時には娘さんから精神に作用する薬はできるだけ使用を控えてほしいとも依頼をされていました

使用時は慎重にとの方針を共有しました

 

それでも夜間の興奮が強くなってくると

常用量の半分を使ったりすることがありました

 

その結果

X+5日ごろには日中も眠ってしまうことが多くなりました

それまで食事時には唯一おだやかにされていましたが、眠ってしまい食事を摂れない日ができてしまいました

 

 

X+7日

入院されて1週間が経過

 

ストレッチャーでの入浴後

ありがとうとの言葉が聞かれました

 

午後には娘さんからの電話

「娘さんに食事は食べたかと尋ねられ、『今からや』と元気よく話される

しっかりと会話ができている」

「『昨日はいろんなところに行ってた、夢の中でな…。そうやな夜は薬を飲んで寝た方がいいかな』と話され、閉眼する」

―――この時点では興奮されることがなくなり積極的な向精神薬の使用は行われていません

しっかりと会話ができ、ご自分のことに関しての意思表示が可能となってきています

 

夜間眠れないときにはご本人から眠剤を希望され、少量の内服で眠ることができていましたが、翌日には日中の覚醒状況が芳しくなく、看護師さんたちは試行錯誤の状況であったようです

 

同時に娘さんからは「うとうとすることが多く、食事が進んでいません。食事時は覚醒し、なるべくしっかりと食べてほしい」と思いを何度も告げられていました

 

 

X+2週間

当直の看護記録です

 

「夕食時は覚醒し、会話しながら食事を楽しめていた。眠前には『もう寝ます』と言われ、眠剤を使用せず入眠できていた。朝も朝食前に目覚めている」

―――せん妄からの脱出のきざしが見えてきました

 

さらには

「15分だけの面会であるが、ご家族の思いを聴き、現状を共有しながら目標設定をしていく」という方針を立てました

Aさんからは『今日はよく眠れた。眠ることよりも食べることがいちばん。今度肺炎になったら、その時が命の終わりや』との言葉が聞かれています

―――ご自分のしたいことをしっかりと話すことができました

また誤嚥による肺炎を恐れていることを再確認しました

 

娘さんは面会後に「薬で眠気が残り父の思うことができなくなることがいちばん辛いことです。でも今日はしっかりとしており、自分で半分ほど食べてくれました」と表情よく帰宅されたとのことです

 

口からたべること、誤嚥を予防することがAさんとご家族にとって最優先の目標であることをもういちど確認しました

 

 

それからの約2か月の間

Aさんは時々は調子を崩されることがあるものの、毎日面会に訪れる娘さんとの短時間の会話や食事の介助の時間を楽しまれました

 

 

―――なぜせん妄から回復されたのか?

考えてみました

看護記録では比較的客観的な記載が多いのですが、行間を読み取ると看護師さんたちが粘りづよくAさんと向き合っていることがわかります

興奮を無理に抑えようとせず、寄り添ってくれました

また娘さんからは眠剤などはできるだけ望まないと話され、使用を極力控えたことも大きかったのではないでしょうか

みんなは食事にこだわりました

口から食べることは患者さんやご家族の望みであり、Aさんの不安(誤嚥⇒肺炎)を和らげるという両面を支えたこと

これらが相まって改善にたどりつけたのではないでしょうか

 

 

 

それでも病状は徐々に進行

ゆっくりと旅立ちの時を迎えられました

入院中には誕生日のお祝いもできたのです

 

 

この間私はといえば

回診のときはAさんはほとんど眠られており

看護師さんたちのような会話があまりできていない状況でした

脱水予防のための点滴の指示や、尿路感染対策など、医療面でのバックアップに努めていました

 

 

Aさんがせん妄から復活されたときに話をしたことがあります

いちばんしんどかった時のことを覚えていますか? とたずねると

『夢の中にいたような気がします。とても不愉快な夢でした』と

 

せん妄の間、患者さんは不安や恐怖、混乱の真っただ中を漂っているのでしょう

できることなら不愉快な夢がすこしでも心地よい夢であるようなかかわりができないかと考えています

 

残念ながら薬はその役目を十分には果たしてくれないように思います

 

正直なところせん妄に陥っている患者さんを前にして、わたしは今でもなすすべなく立ち尽くすことが少なくありません

むしろ誤った対応からよりひどい状態に追い込んでしまったこともあります

そのときには自分は緩和ケアには向いていない、医師としてやっていけるのだろうかと何度も悩みました

 

Aさんの主治医になってたくさんの日が経ちました

振り返ることが必要と考え電子カルテ上の記載を読み返しました

看護師さんたちの苦闘と努力、ご家族の気持ち、なによりもAさんの感情をあらためて知ることになり、このままカルテに埋もれさせてはもったいないと気づき、ブログというかたちで記録いたしました

 

 

申し訳ないことですがこれから何度も失敗や反省をくりかえしながら、ちょっとは前進できることはないかと探っていきたいと思っています

309-01

 

 

 

 

今までにたくさんの書物から影響を受けてきました

医師になってからも同様です

 

その中で今回お勧めしたい人の本をご紹介します

このブログを見ていただいている方々に

コロナ禍で家にいる長い時間の一部でも活用して

読んでいただくことができればうれしいです

 

作者は夏川草介さん

現役のお医者さんでもあります

2009年に発行された「神様のカルテ」に大きな衝撃を受けました

それからというものこのシリーズが出版されるたびにいち早く手に入れてきました

 

初めて医療の現場に足を踏み入れることになる研修医のみなさんに

プレゼントをしたことがあります

 

また新入職員の歓迎の場で内容を取り上げて

紹介をしました

 

そのときの一部を転載します

 

―――最初にある医師の話をご紹介します

・大学病院に勤めている

・膵癌の若い女性の主治医

・病状は進行し、いずれは最期のときを迎えることになるだろうと思われた

・治療を受けてきたが、自宅で夫や子どもと暮らしたいと退院

・病状が悪化、病院にくるのを拒否

「どうせ助からないのなら、私はずっとここにいます」

・処置をすれば一時的にでも改善の可能性が高い

医師は自宅を訪れ、説得

病院になかば強引に入院

・日に日に悪化

最期は自宅で過ごすことを強く希望

・地域連携担当者や訪問Nsと相談

「このような重い病状の患者さんは、退院のガイドラインからみても私たちは反対です」

ではどうするのか?

「大学病院にこのままいてもらうことはできないので、他の病院に移ってもらいます」

・カンファレンスの場で研修医は激怒、Nsたちに怒鳴り声をあげた

指導医の医師も同じ思い

・思い余って地域の診療所を営む先輩医師に相談

往診も訪問看護も引き受けてもらえた

「困ってる患者がいれば手を貸してやる」のがあたりまえだ

・このかってな行動を上司である准教授から注意される

・そのときの医師の言葉

「ガイドラインは大事です。しかし、最後の時間を家で過ごしたいと願う若い母親に転院をすすめるようなガイドラインなら、そんなものは破って捨てて病室に足を運ぶべきです。じっくり腰を据えて議論をしている時間がない患者がいるんです」

そして

「私は患者の話をしているのです」

 

実はこの話は実際のものではなく、長野県のお医者さんが書かれた「神様のカルテ」という小説の一部分です

みなさんはこれから医療の現場に飛び込まれることになります

そのときにお願いがあります。

私たちは病気のことをしっかりと理解していないといけません、また患者さんの生活環境や社会背景もぜひ知ってほしいと思います

しかし大切なことはそれぞれを個別に知ることではなく、「患者さんの話ができる」医療者になっていただきたいということです―――

 

最近テレビでも放映されていました

 

博識に裏打ちされた丁寧で上品な文章 と

物語の静かな流れのなかにときおり浮かぶ感動

に私は魅了されました

 

また新刊からも抜粋いたします

 

―――科学は、(中略)抗がん剤の量を計算することは得意だが、ヒトの心の哀しみや孤独を数値化することはできない。数値化できないから存在しないと考えるのは、現代の多くの学者が抱えている病弊だ。こういう学者たちは、科学が世界を解釈するための道具に過ぎないことを忘れ、世界の方を科学という狭い領域に閉じ込めようとしてしまう。人間の、哀しみや孤独、祈りや想いといったものを、ホルモンの変動で説明しようと試みることは、科学の挑戦としては興味深いが、ホルモンが変動していないから、その人間が哀しんでいないと考えるのは、道化以外のなにものでもないだろう―――

 

―――現地に足を運んでみなければわからない。それは、民俗もうどんも同じということだ―――

 

ともに主人公が師事するある大学の民俗学の准教授のことばです

308-01

教科書に無理にあてはめようとしていないだろうか?

患者さんのそばにいかず、看護師さんの報告だけで判断していないだろうか?

 

臨床にたずさわる者にとって重いことばと受け止めました

これからも注目していきたい作家(兼医師)のお一人です

☆コロナ禍の中で面会が制限され、在宅療養を選ばれる終末期の方は増えておられるように思います

当院でもできる限りの対応を行います

 

これは最期の時間を患者さんと過ごされることを選択されたご家族の希望に応えて、在宅医療を引き受けていただいたかかりつけ医の先生からのご返事です

 

高齢の男性患者さんでした

私たちの緩和ケア病棟を選んでいただき入院となりました

 

複数の臓器への転移

イレウスを合併

終末期のせん妄の出現

など多くの医療処置とケアが求められる状況でした

 

 

入院前の面談時には15分間だけでしたがご家族との面会が可能でした

しかし入院後には世の中での新型コロナウイルス感染のまん延のため

面会は完全にできない状況になってしまいました

 

ご家族にとっては大切なお父さんです

毎日の変化を確かめ、会話ができることで安心感をもたれていたことでしょう

 

さらにオンライン面会が不可能となり

患者さん、ご家族の悲しみに追い打ちをかけることになってしまいました

 

 

短時間でもいいから会いたい…

毎日のようにスタッフとのやり取りをくりかえされていました

 

看護師さんたちもご家族の気持ちは痛いほど理解できます

でも感染症対策は絶対に必要です

矛盾のなかでお互いに悩んでいました

 

 

患者さんの病状は日に日に悪化していきます

 

なんとか電話での会話ができました

―――お父さん、おうちに帰りたいの?

―――うん との返事

 

そのことでご家族の思いが強くなったのでしょう

もともと自宅で最期を迎えたいとの希望をもたれている方たちでした

しかし痛みをはじめとした苦痛が強くなり

やむを得ず入院となったという経過がありました

 

―――会うことが難しいのなら自宅に連れて帰ってあげたいです

なんとかできないでしょうか?

とご家族

 

このころには医療処置がさらに増えてきています

医師も看護師も在宅での療養は客観的には難しいとの意見です

 

ご家族はそれでもなんとかしたい

この気持ちが日に日に強まってきました

―――本人の意思や私たち家族の意思を尊重してほしい!

 

私たちの考えに対してご家族が感情的な反応をされたのは無理もないことです

これ以上関係の悪化が深刻にならないうちに手を打たなければいけない状況です

 

 

最善の方法を見出すために冷静に話し合える場を設定しました

医師・看護師とご家族たちとで話し合うことができました

 

 

 

※ご家族の思い

・面会がまったくできなくなったことがとても耐えられません

・余命は短いと聞いて、それなら私たちのもとで最期を迎えさせてあげたい

・本人も家で死にたいと言っています

・家に帰ることができず、父のぬくもりを感じずに最期を迎えるようなことがあれば一生後悔が残ります

・家族が交代で付き添い頑張ってみようと思っています

 

※私たちの判断

・医療的な処置がたくさんある

・帰る道中も含めて急変の可能性は高い

・介護される人はひとりでは難しいだろう 複数の関わりが求められる

・それらを含めてご家族の『覚悟』が必要

 

と具体的なやり取りを行い

ご家族の決意はゆるぎないものであることを確認しました

 

 

じつは話し合いの前に在宅医療をお願いすることになる先生と連絡をとりあい

往診は可能です

できる限りのことはさせていただきます

と快諾をいただいていたのです

 

帰ってからの医療や看護面での支援の約束は得ていました

 

 

話し合いからの5日間

退院に向けての様々な準備を行いました

看護師さんたちの努力に感謝です

 

 

退院されて数日後

ご家族の見守りのもと

穏やかに最期を迎えられました

 

そのときの医師の返書に記されていたのが

冒頭の文章です

 

在宅医の先生や訪問看護師さんたちに助けられました

 

 

 

以前のブログでも書いたかもしれませんが

在宅での看取りには4つのことが大事ではないかと考えています

それは

(1)介護をされる方の「覚悟」

ひとりでの介護は大変でありできれば1.5人、疲れたときに休むことができる体制がいるでしょう

当然患者さんご本人の意思確認も重要です

(2)在宅医療/看護/ケアに向けてのしっかりとしたプランニング

ケアマネジャーさんをはじめ集団でのカンファレンス

(3)医療や看護のバックアップ

具体的には24時間対応してくれる訪問診療と訪問看護

(4)さいごに経済的な保障

ふつう考えるよりも多くの出費がかさむことがあります

この点でのMSWなどからの援助が求められます

 

すべてが満たされることはなかなか難しいのですが

意識して持っておくことが大切でしょう

307-01

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もう一人、初老の男性のお話です

 

強い痛みで入院してこられました

 

もし本人が望むなら退院をさせてほしいと

ご家族が話されていました

でもひとり暮らしです

いったん退院が可能となっても悪くなれば再度の入院を望まれています

 

検査結果から思ったよりも病状がよくないことがわかり

急な病状の変化が予測される状態でした

 

血液検査のたびに悪化のサイン

何度かご家族と面談を行いました

 

娘さんから

―――父は帰りたいと言ってました

私もできればそうしてあげたい……

 

悩んだとき、困ったときは

いつもみんなで話し合いです―――大事なことなのです

 

 

じつはある事情から患者さんと娘さんは長く会われていませんでした

―――最期の時くらいはいっしょにいてあげたい

思いが強くなってきました

 

 

最初にご家族の気持ちの確認をさせてもらいました

―――覚悟はできています

と心に決めたつよい表情で臨まれています

 

退院までには何があるかわからない

家につくまでに急変されることもある

帰ったとたんに急変ということがあるかもしれない

 

こちらもたくさんの予防線を張らせていただきました

 

それでも決意は固いようです

ひとり暮らしの生活からご家族のいる場所に帰ることになります

 

翌日が退院と決まり

大急ぎで家族による介護の指導

ここでも看護師さんたちは奮闘しました

患者さんは退院できることがわかりもうろうとしながらも笑顔を見せてくれました

 

介護タクシーの手配

ベッドの準備

多くの医療器具がついている状況での指導

などなど

 

 

看護師さんが付き添うことになりました

無事に到着されたとの報告

 

帰られてすぐに訪問看護師さんの訪問

私も仕事を終えてその日のうちに往診

落ち着いた様子でひと安心

 

 

明日もまた来ますねと

挨拶をして病院にもどりました

 

 

つぎの日

直前まで飲み物を口にされ

そのあと

静かに息を引き取られました

冬にしては比較的おだやかな朝でした

 

一晩中つきそわれた娘さんが涙を流しながら話してくれました

 

家に帰ったとき

「ここは家なのか ありがとう」

と言ってくれたんです

 

家族ってすてきだなあ…

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退院をめぐってはすべてが満足のいくものではありません

 

悔しい思いをすることの方がもっといっぱいあります

 

退院の希望を持ちながらも

様々な理由から叶えられずに

私たちの病棟で最期のときを過ごされる患者さん

 

本来なら

そのような方々に対して

家庭の雰囲気を感じていただくことも

私たちの目的ではあったはずなのですが

 

コロナ禍のために

たくさんの取り組みができず

また

ご家族やご友人との面会がかなわず

過ごされている患者さんがたくさんいます

 

 

できることは何でもしたい

何か私たちにできることはないでしょうか と

みんなが毎日のように努力しています

 

 

きっと、もっと

あるはず……

 

いま、私たちは模索しています

 

307-02

緩和ケア関連の資料を探しているときにみつけました

“シトラスリボンプロジェクト”というそうです

 

愛媛県発祥です

 

ホームページから引用します

https://citrus-ribbon.com/

 

 

――コロナ禍で生まれた差別、偏見を耳にした愛媛の有志がつくったプロジェクトです。 愛媛特産の柑橘にちなみ、シトラス色のリボンや専用ロゴを身につけて、「ただいま」「おかえり」の気持ちを表す活動を広めています。 リボンやロゴで表現する3つの輪は、地域と家庭と職場(もしくは学校)です。 「ただいま」「おかえり」と言いあえるまちなら、安心して検査を受けることができ、ひいては感染拡大を防ぐことにつながります。 また、感染者への差別や偏見が広がることで生まれる弊害も防ぐことができます。感染者が「出た」「出ない」ということ自体よりも、感染が確認された“その後”に的確な対応ができるかどうかで、その地域のイメージが左右されると、考えます。 コロナ禍のなかに居ても居なくても、みんなが心から暮らしやすいまちを今こそ。 コロナ禍の“その後”も見すえ、暮らしやすい社会をめざしませんか?―――

 

306-01

 

感染した人や医療従事者に対する偏見など悲しい話を耳にするにつけ、クラスターを経験した私たちにとって身近なものと感じています

 

そんなときこの運動が長野県や静岡県、千葉県、岩手県などをはじめ全国に広がっていると聞きました

 

冬の風にさらされて冷えきった手に暖かい息を吹きかけてくれるような、ひとのぬくもりを感じる運動です

 

もっともっと広がればいいなあと思います

306-02