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「とっても美しいね」

「心が洗われるようです」

との声が…

 

入院中のEさんに何か趣味をお持ちですか?

とたずねたときに

このような写真を見せていただきました

 

趣味で作られているとのことです

“糸かけ曼荼羅”と言います

糸かけ曼荼羅は木製の土台に小さな釘を打って糸をかけて作ります

美しい幾何学模様の完成です

心のセラピーになると言われています

 

 

現在もベッドの上で次の作品作りに勤しんでおられます

こんどはどんなものができるのか回診のときの楽しみのひとつです

 

 

折り紙教室や塗り絵など

これまではボランティアさんたちの力も借りながら行ってきましたが

コロナ禍以降患者さんたちの癒しの取り組みが少なくなっています

 

その中で

Eさんはお一人で楽しまれてきた趣味を

私たちに与えてくださいました

 

もうひとつ紹介します

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こちらも素敵な作品です

 

他の患者さんたちにもぜひみていただきたいなと思っています

Dさんは超高齢の患者さんです

癌はだんだんと進行していますが目立った症状は現れていません

 

ある日のこと

それまではご自分の脚でしっかりと歩いていましたが

急に一人で起き上がることがむずかしくなりました

やっとのことでデイサービスには参加

食事は摂れましたが以前と比べると減っています

 

数日後には寝たきりとなってしまいました

心配したご家族が外来に連れてこられました

 

意識ははっきりとしています

手足に麻痺は見られません

笑顔で受け答えもできています

微熱があったのでコロナの検査を至急行いましたが陰性

肺炎もなし

 

尿検査と血液検査の結果尿路感染+脱水と診断され入院となりました

 

 

入院後はベッドの上で食事を全部食べました

けれどもリハビリは拒否されます

ご自分でできると思われたのでしょうか?

 

高齢であるしじっくりと構えていこうと考えました

 

ところが数日後の夜間不穏が出現

突然の発症であり

リハビリなど意に沿わないことを急かされ

急な環境の変化に戸惑われ

私は一時的なせん妄状態と考えました

 

翌日にうかがうといつものように笑顔で迎えてくれます

当面の夜間の対応の指示を出しました

 

 

それから数日が経過

ADLはなかなか改善しません

食事は全介助となりました

 

次の見通しが十分に立たない状況で頭を悩ましていたところ

看護師さんから声がかかりました

「Dさんの左手がなんとなくおかしいように見えます」

 

急いでベッドサイドへ

たしかにわずかですが右と比べて左上肢に力が入りにくくなっているようです

左手がおかしいという意識でみないとわかりにくい程度のわずかな変化でした

麻痺があるというわけでもなさそうでしっかりと左手で握り返してくれます

下肢は左右差もなく動いています

毎日患者さんの元を訪れていたのですが看護師さんたちの観察力にはかないません

 

 

最初は経過観察という言葉が浮かびましたが

患者さんや看護師さんの顔を見て

脳梗塞や脳転移という最悪の状況が頭をかすめ

急いで頭部CTをお願いしました

 

看護師さんから電話です

「CT室から出血があると連絡がきました」

硬膜下血種でした

 

 

そこからはご家族と話し合い

救急で脳神経外科の病院に搬送し対応していただくことができました

 

 

 

すべての対応を終えてから反省しきりです

看護師さんたちには「皆さん方のおかげです」とお礼を述べさせてもらいました

毎日の患者さんの変化を見ていないと気づけないことでした

 

 

ちょうどその前後のことです

ある看護師さんの書かれた本を読んでいました

 

――最も大切なのは「気づく力」です

患者さんの気持ちに気づき、体調の変化に気づき、本人も気づいていないちょっとした異常に気づく

そのことが早期の発見につながる

何かいつもと違うなと気づき、情報を共有することが大切

 

という趣旨のことが書かれていました

 

ほんとにその通りです

 

一人の気づきが

チームに共有され

主治医にもすぐに伝わる

この連携がとても大事だと改めて確信しています

 

そのためには医師も素直な心で報告を受け止めることが前提ですが…

 

 

最近大切なことに気づかされることが増えています

これからも多職種のチームを大切にしていきたいと思います

 

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三つめのテーマについて考えてみました

 

(1)Cさんの身に起こったこと:複数の患者さんのエピソードを組み合わせて書いています

 

 

Cさんが私たちの病棟に移ってこられたとき、率直に言って「難しそうな方だなあ」と思いました

入院の初日から

「さみしくてしかたがない。家族に付き添ってもらえないのですか?」

「不安なため眠れません。眠ろうとすると怖い夢ばかり見ます」

「あちこちの痛みがありますが、私はできるだけ薬に頼りたくないのです」

その他ノートにはたくさんの困っていることや気がかりなことが書かれています

 

強い痛みは癌性疼痛と考えて医療用麻薬を提案するのですが、簡単には受け入れていただけません

不安でいっぱいな様子で抗不安薬を勧めてみても「今はいいです」と拒まれます

 

医師も看護師も困り果てました

ご家族の協力を得ようにもコロナ禍のため面会制限があります

考えられることを試そうとするのですが成功しません

 

一方では

痛い所をマッサージしてほしい

眠れるまでそばにいてほしい

など要求はたくさん出されます

ひとたびベッドサイドに伺うとなかなか離してくれません

 

 

行き詰まりを感じかけたある日のカンファレンスで

ゆっくりとCさんの話を聴いてみよう

ということになりました

 

業務が比較的落ち着いていた日の午後のことです

Cさんの思いをたずねた看護師さんからの報告です

 

私たちの病棟に来られる前には積極的治療を頑張ってこられたCさん

「あとは緩和ケアです」と言われてきました

 

「前の先生は検査の結果は丁寧に説明してくれました

でも私が何か言おうとすると最後まで聞いてもらえずに一方的に話をされるのです

よく理解できないことを訪ねても、『それはさっきお話したでしょ』と言われます」

「毎日ベッドに来てくださるのですが、お腹を出しても触ってくれることがありません

言葉でやり取りするだけでした」

「抗癌剤の副作用で苦しんでいるときもそうです

症状をやわらげる薬を点滴すればたしかに楽になるのですが、体に異常が出ていないか不安なんです

看護師さんにお願いしましたが、先生に伝えてくださったのかお返事がないことがありました」

 

――そしていよいよ治療の効果が見られなくなったときのこと

「薬の効果がなくなったとたんに私のことに関心がなくなったように見えました

回診も減ってきたのです」

 

――ときに涙しながらたくさんのことを話されました

そして

「私のことをこんなにたくさん聴いていただいたのは初めてです

ほんとにありがたい、感謝しています」

 

と言われました

 

他の患者さんたちの病状によって十分な時間が取れない日もありますが

許されるかぎりCさんのそばで座ってお話を聴こうということで意思統一しました

 

 

病状がさらに進行しいよいよとなったとき

Cさんはご自分の余命を自覚されていました

 

「みなさん方は私のことを面倒な患者だときっと思われていたのでしょうね

私もわかっております」

「けれどここに来れてほんとうによかった

こんな扱いにくい私のために忙しいみなさんが時間をとってくださいました

いままで勝手なことばかり言ってごめんね

とっても感謝してます」

 

苦しそうな呼吸をしながらも

力を振り絞って伝えてくれました

 

(2)研修医時代の反省はたくさんあります・・・たとえば

 

*1年目のとき

 

最初に受け持った患者さんに進行癌が見つかりました

病気のことはわかっても

何をしてあげればいいのかわからない

日に日に苦痛が増えてきます

病室から自然と足が遠のきました

何か聞かれても答えられない

患者さんの辛そうな顔を正面から見ることができない自分がいました

私の病気は何ですか? よくなるのですか? と尋ねられて

ごまかしの返事しかできない毎日でした

ベッドサイドに立っても足は自然とドアの方を向き、患者さんのそばに留まる時間が少なくなってきました

 

*脳梗塞の患者さんを担当していたとき

 

麻痺がつよくリハビリを頑張っているのですが効果が感じられない様子

私はいつよくなるのでしょうか? と尋ねられ

「今の状態を受け入れていただかないとしかたがないですね」としか答えられません

患者さんは少しでもよくなりたいと努力され

脚がわずかでも前に出れば喜ばれ

思うように動くことができない日には落ち込み

一喜一憂の毎日でした

中途半端に知った『障害の受容』

無意識に患者さんに押し付けてしまうこともありました

いっしょに喜んだり悲しんだりする時間をとる努力ができていれば……

 

*外来でのこと

 

たくさんの患者さんを短時間で診ることが自慢と考えていた時期がありました

当然おざなりな応え方しかできません

「仕方がないです」

「年だから・・・」

「みんな同じですよ」

など

ときには患者さんに叱られながら

無責任な返答をしている自分に気づきました

ゆっくりと患者さんとのコミュニケーションをとっている指導医の姿がまぶしく見えました

 

 

(3)私たちが「時間をつくる」こと

 

 

緩和ケア病棟をつくろうとみんなで決め

そのために研修に出ました

そのときのことです

 

*研修先の病棟で面談に同席しました

 

じっくりと患者さんやご家族の話を聴いている姿

「いちばん困っていることはなんですか?」

「そのことをどのように思われていますか?」

など患者さんやご家族の思いや希望を丁寧に受け止めていました

決して一方的に会話を進めることなく

ときにはじっくりと腰を落ちつけて、あるときはいっしょにコーヒーを飲みながら

 

その時に指導医が言われた言葉が耳に残っています

――緩和ケアは医療の基本だと思いませんか?――

 

*またあるときはこちらから望んで訪問診療に同行させていただきました

関西と関東の著明な診療所を訪ねて参加しました

共通していたのは

・一人ひとりに時間をかけていること

・世間話の中にも重要なやり取りを交えてゆっくりと話をしていること

・患者さんやご家族の顔が安心で満たされていること

でした

 

 

残念ながら同じ行動はとれていないのですが

このときの経験が2021年の1月に書いた「7つの指針」に生かせるように努力しました

https://kobekyodo-hp.jp/kanwablog/archives/1925

 

 

たくさんの反省を思い出し

先輩たちの声を聞きながら考えました

 

 

※患者さんは忙しそうにしているスタッフには声をかけない

※ゆとりは時間があいているから作れるものではなく、忙しくても必要な時その人のために時間をつくることで生まれるもの

患者さんは忙しくない人に声をかけるのではなく、忙しくてもそのように見せていない人に話しかけています

そうありたいと思っています

 

※自分に関心を持ってくれている人を患者さんは知っている

※「自分は大切にされている」と感じることができれば「自分はここにいていいんだ。価値のある人間だ」と思えるのではないだろうか?

自分の病気や苦痛のことだけでなく、自分という人間に対して関心を抱いてほしいと

きっと思っているのでしょう

 

 

医療の基本です

私たちはその日の体調がいいときもよくないときもあり、患者さんへの対応が左右されがちです(大いに反省しています)

あなたはプロだからと言われてもできないときはあります

 

「あ~やってしまった」とあとで後悔し、振り返るのですが後の祭り

 

けれどその時に思うのです

心の平静を保つ努力はできるのでは?

理想かもしれないけれどそれを求める姿勢をもつことは可能では?

 

その結果

「時間を生み出す」ときが増えてくれば… と

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☆9月~10月と3回連続で一連の関心ごとを中心に書いてきました

どれも中途半端であることを否めませんが、引き続き追求するべきテーマとなっています

 

前回のブログの最後に積み残し課題を書きました

引用します

 

「病状を『受け止めきれていない』と思われている患者さんがいます

しかし、今の苦痛の原因を知ることのみが目的ではないように思います

・ こんな状態になってしまったことが、悔しい、情けない、腹立たしいという思いをぶつけたい気持ちに共感する努力がいるのでは?

・受容が必要と言って、悪い病状を繰り返し説明することで、患者さんの小さな望みをつぶしてしまっているのでは?

などと考えてしまいます」

 

今回このテーマで考え、また反省したことがあります

今までのブログと比べて過激な表現となってしまっている部分がありますが、お許しください

 

(1)Bさんの出来事

 

私にとって緩和ケアがまだまだ手探りの時期のことでした

 

Bさんは50台の男性です

病気が見つかったのは約1年前

食欲がない状態が続き近くのかかりつけ医を受診、そのまま大きな病院に紹介となりました

すでに多数の臓器に転移しており、抗癌剤治療の選択となりました

予後は約半年と言われたそうです

それから1年が経過

るい痩の進行、腹痛の悪化で私たちの病棟に紹介入院となりました

 

食事はあまり口にできず

突然の痛みに悩まされています

医療用麻薬の量がだんだんと増えてきました

 

そのような状況でのBさんの声です

「どうして食べれないのか?」

「なぜ痛みが続くのか?」

「なんでこうなってしまったのだろう」

と毎日のように繰り返されます

 

私たちのカンファレンスでは

――Bさんは病気の悪化を十分に受け止めきれていないようです

――今まで何度も説明をしているんだけれどね

――「私はまだ生きたいんです」とおっしゃっていることもあります

――残された時間はおそらく1~2か月とあまり長くないのになあ

――Bさんにとってはきっとやり残したことがあるんじゃないでしょうか

・・・・・

――繰り返し話をしないといけないのかな

というようなやり取りが何度か行われました

その結果Bさんの気持ちを大切にしながらも、「病状の受容」が必要だろうという点に落ち着きました

 

医師からは検査の結果説明や現在の状態を詳しくお伝えし

看護師からはしておきたいことはないか、あっておきたい人は…

など折に触れて話をしました

 

Bさんはそのつどうなづかれ、わかったと返事をされるのですが

数日すると同じ望みや悩み、心配事を話されます

 

病気と今後のことへの不安がそうさせているのではないかということで

抗不安薬に頼ることもありましたが、眠くなってしまうだけで解決にはつながりません

 

ある日のこと

一人の看護師さんがベッドから起き上がれなくなったBさんの清拭をしているときです

……わたしのきもちをわかってほしい……

か細い声でBさんがぽつんと漏らされたと報告を受けました

 

Bさんはそれから一層苦痛が強くなり

Bさんの希望、ご家族の思いを聞き

私たちの話し合いを経て

持続的な鎮静が開始され

1週間後に旅立たれました

 

2か月ほどのお付き合いの中で、Bさんが言葉にできなかったこと

最後に看護師さんに漏らした言葉

などを振り返り

いま、たくさんのことを反省しています

 

1.Bさんの思いや希望をないがしろにしてしまったのではないだろうか?

 

医療者は患者さんに対して病状や置かれている状況を正しく受け止めていることを求める傾向にあります

患者さんからの反応が「いま一つ」と思ったとき、こちらからの説明が繰り返しーこれでもかというようにー行われることがあります

当事者は決してそのようには考えていないのですが

その結果患者さんのわずかな望みをつぶしてしまうことがあるのではと思ってしまいます

 

というのも

患者さんたちはご自分が悪い状態であることをほとんど本能的に感じているときであっても、おそらくは「少しでも生きたい」という希望を持たれているのではと感じさせられる場面に出合うことが少なからずあります

そのときに医療者としての役割を自覚しながらも、一方的な対応とならずに患者さんの世界に飛び込んでみる努力が求められているのではないでしょうか?

2.Bさんへの期待(何かしたいことがあるはず、それを私たちは叶えてあげたい)がBさ

んにとって重荷になってしまっていたのでは?

 

終末期医療や緩和ケアの書籍や文献がたくさんでています

マスコミで闘病記が紹介されることが多くなりました

無意識に患者さんの生きざまを私たちの枠にはめてしまうようなことはないでしょうか

 

ある患者さんが言われたことがあります

「私はもう何もしたいことはありません。ただこのベッドでゆっくりと身体を休めることがいちばんの幸せです」

「みなさん親切にしたいことを見つけましょうと言ってくださいます。でもわたしはしんどさが強いのでどうしても今できることしかできないのです」

そして

「自分の生き方は自分で決めたいと思っています。強いられたくないのです」

としんみりと話されたことがありました

 

3.Bさんの気持ちをきちんと聴けていたのでしょうか?

Bさんは医療者からの話を聞かなくなってしまったようにも感じました

 

最近読んだ本につぎのようなことが書かれていました

「医者とか看護師さんは私(患者さん)が話をするとすぐ『そうですよね』とか『わかります』とか適当に相槌を打つんだ。でもあなた(目の前の看護師)はただ黙って私の話を聞いてくれた。ありがとう」

・・・・・患者さんの気持ちに応えることができず悔しさで何も言えないまま立ちすくんでしまった若い看護師さんに対しての患者さんがかけた言葉

 

こちらからの気持ちをよかれと思って一生懸命に伝えても患者さんには響かないことがあります

そのようなとき気持ちを切り替えて患者さんからの言葉を静かに待ってみることが必要なのでしょう

 

(2)私の家族の話から

 

ずっと前のことです

私の家族が重い病気になったとき

本人からの言葉を文章にまとめたことがあります

看護師をしていた本人の言葉をそのまま掲載します

 

 

――私はいわゆる病気の「受容」はできていません。キューブラー・ロスの死にゆく患者がたどる心理的プロセス(否認⇒怒り⇒取引⇒抑うつ⇒受容)の話を引き合いに出しますが、私は行きつ戻りつ何かあるたびに何度もこの過程を繰り返しています。ささいなことで気持ちは揺らぎ、怒りや否認という段階に戻ってしまう。自らの体験を通して人は病気になったとき一人ひとり反応は違うのだと初めて気づきました。私は今まで教科書的に理論やデータに当てはめようとしていたのです。科学的な見方はとても大切です。でも忘れないで。患者さんには心があり、身体も一人ひとり特別なのだということをーー

 

――私の受け持ちの看護師さんはとてもよくできた人です。静かな物腰で、丁寧な言葉遣いのできる人でした。ところがあるとき血圧を測ったあと、「これからしばらくはゆっくりとされればいいですよね。これまでがんばってこられたんだから」といつものやさしい声かけをしてくださいました。

でもこの言葉に腹立たしさを覚えました。≪あなたが優しさで言ってくれたことは十分に分かっているのよ。でもあなたは私がこれまでどんなふうにがんばってきたかは知らないでしょう? 私は今の仕事・・看護や介護・・が本当に大好きなの。休みたいと思って休んでいるんじゃないのよ!≫ そして「どうするのかこれから考えます。働き続けられるのか、退職するのかも含めて・・」と答えました――

 

――後輩たちに対して⇒「『私に何かできることはありませんか?』『お聞きになりたいことはありませんか?』と患者さんに声をかけてあげてください」――

 

ここで強調しておきたいことを二つ見つけました

「受容とは何なの?」

「私のことをどれだけ知っているの?」

 

(3)上記ふたつの経験を通して「いのちと家族の絆」(沼野尚美著)を参考に考えてみました

 

☆私たち医療者はともすれば現実の厳しさを患者さんが受容できるようにお手伝いすることを優先しがちです

これまで出会ってきた患者さんから学んだことは、「どのような状況であっても生きたいという望みを持っている人は少なくない」ということです

昨日よりも少し気分がよければ「奇跡が起きるんじゃないか」と期待を持たれていた人がいました

そんなことは考えられないと否定するのではなく、そのわずかな期待や喜びをともに共有することが大切であり、支えることのひとつではないでしょうか

過激な言い方をすれば「希望をたたきつぶさない」ということです

 

☆患者さんが望むことを全部叶える努力をするということではなく、反対に患者さんの人生観をないがしろにして医療・看護を行うことでもない

一人ひとりの状況に合わせた最善を尽くしながら、患者さんが生きる支えとなることが私たちの役割だと気づきました

 

☆沼野さんの文章を引用します

「患者さんにとって、いまさらながら癌になった原因を知ることが目的ではないことが多いのです。むしろ、原因がどうあれ、こんな状態になってしまった、悔しい、腹立たしい、情けない気持ちを誰かにぶつけたいと思っておられます。その腹立たしい不本意な思いに共感する努力をしなければなりません」

「人はどうすることもできない状況のとき、自分の気持ちをわかろうとしてくれる人を求めます。なぜならば、気持ちが理解されることは、心の癒しだからです」

「病める方には『なぜ、なぜ』と何度も言わせてさしあげてください」

「私たちはこの問いかけとつきあっていく覚悟をもたなければなりません」

 

・・・大切な内容が書かれています

 

☆そして…

悩みがある人に寄り添うための秘訣は、「その人のことを理解しようとする」こと

「その人のことを知るためには、きちんと尋ねる必要がある」

とのことでした

 

 

ただ限界も感じています

たとえば急に病状が悪化して入院となった方、短い入院期間の方、コミュニケーションができる時間が短い方 が多い病棟です

今の緩和ケア病棟のあり方の中でどこまでのことができるのか試されています

 

――――いつも中途半端な文章で終わってしまい、消化不良を免れません

さらに考えを深めていきたいと思います

 

⦅追加⦆

「下町の緩和ケア病棟」として日常の出来事を書いてきた文章が今回で100回目となりました

これからも気が付いたこと、気になったこと、悔しかったこと、感激したことなどをちょっとずつ残していきます

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8月のブログでマッサージのことを少し書きました

今回その点について考える機会がありました

 

(1)Aさんの話

 

Aさんは高齢の方です

ご家族が入院に向けての面談に来られたとき、「不安がとてもつよい人です」「家族が外出したときには『早く帰ってきて』といつもお願いをされます」と話されていました

数年前に病気がわかり、そこから手術や抗癌剤治療を続けられ、体力の限界を感じてきたときに緩和ケア病棟を勧められました

長年にわたる病気との付き合いで疲れ果てているのでは、きっと不安でいっぱいだろうなとAさんの姿が想像されました

 

面談から約1か月後、Aさんは私たちの病棟にやってこられました

 

検査で全身に転移が見つかり

痛みと下肢のしびれをとくに訴えています

 

医療用麻薬をはじめいくつかの薬の組み合わせで痛みはいくぶん和らげられたようです

 

しかし病気の進行を止めることはできず

ふたたび痛みと下肢のしびれや麻痺が悪化してきました

 

 

――カルテから拾ったAさんの言葉と看護師さんたちの記録から;

 

「脚が動かなくなった。痛みもしびれも熱い冷たいもわからない」

「看護師さんが病室にこられるときには毎回脚のマッサージをお願いしますね。マッサージを続けていれば動くようになるのかなあ」

「(脚を)さすってもらったら気持ちがよくなる」

「風呂に入っているときには体がふわっと浮いて力が抜けて楽になるんです」

 

看護師さんたちは症状が少しでも軽くなるならと、そのつどマッサージをします

 

Aさんは「病状の受け止めが十分にできていないのかな」と主治医は何度か丁寧に説明をしていますが、「マッサージで脚が動くようになるのでは」と期待を捨てきれていない様子です

 

もともと不安のつよいAさん

コロナ禍で面会の制限があり、一人病室で過ごされる時間が長く

不安がいっそう掻き立てられるのではと思われました

医師からも看護師からも病状の話をし、そのときには「わかりました」と返事をされるのですが、表情は険しいまま

・・・不安に寄り添う看護が必要とカルテに記載されています

 

さらにカルテ記載から

・・・午前中は不機嫌な表情であったが、マッサージなどをしていると表情が穏やかになる。看護師がAさんのことを気にかけているとわかればストレスが緩和されるのか

他職種の関わりも増やし、何かしてもらえていると伝われば落ち着いて過ごすことができるのでは

とリハビリスタッフもかかわりをもってくれることになりました

 

――受け持ちの看護師さんに聞きました;

 

*自分のことを気にかけてほしいAさん

他の患者さんのケアの必要から病室を変わることになり、ナースステーションから離れることで「見放された」と思ってしまったようです

*不安感のつよいAさん

「そばにいてほしい」

「人と話がしたい」

看護師さんがマッサージをしながら病気に対する心配事を聴き、日常のテレビの話など雑談も交えて話をすると、最後には笑顔が見られることがあります

*看護師さんの思い

脚が以前のように動くことは難しい

でもマッサージをすることで気分が落ち着き、自らのことを整理する時間を作ることができればと思っています

難しいですが、メンタル面でのケアの必要性を感じています

*主治医から指示をもらい薬を勧めましたが、「薬はいいからさすってほしい」と言われます

 

このようなケア・看護を粘りづよく行っている姿をみて

とてもかなわないなあ・・・と

つくづく実感しています

 

(2)「タッチング」について

いくつかの文献を調べてみました

 

医療(とくに看護)分野では「タッチング」という言葉があります

―手を当てる、さする、もむ、圧迫する、軽くたたく などです

臨床の現場では重要な技術の一つであり、安心・安楽を与える非言語的コミュニケーションと言われています

 

その目的と効果は、いろいろと書かれていますが、私は次の3点が大切だと思いました

以下の記載は次の資料を参考にしています

https://kyotoohara.or.jp/recruit/nurse-blog/nurse-touching.html

 

<一つは、痛みや違和感を緩和すること>

これまでも腹痛や腰背部痛が看護師さんのマッサージやタッチングなどで緩和されている場面を何度か目にしました

痛みだけではなく呼吸困難や吐気も和らぐようです

 

<二つ目に、不安を解消して安心感を与えること>

Aさんに対するマッサージはまさしくこの効果が大きいようです

私の経験でも、身内が重い病気になったとき足裏をつよくマッサージすることで心地よい眠りを誘うことができたことを思い出します

さらに不安のつよい時、そばにいてくれるということは安心の保証となっています

 

<三つめに、お互いの信頼関係を築けること>

看護師さんのカルテにあったように、雑談からでもたくさんの話ができ、患者さんの心を開くことにつながるのではないでしょうか

Aさんの胸の中にたまっていることを少しずつでも出してくれることができればと思います

 

 

医師としては「薬に頼るしか方法がない」と思ってしまうことは間違いだと気づきました

 

ある本に次のような出来事が書かれています(一部略しながら引用します)

 

――〇〇さんは吐気に悩まされていました。吐くものがないのに吐気が止まらず眠れない。夜中に背中をさすってもらうと落ち着くということがあって、総合病院に入院していたとき看護師さんに「ちょっと背中をさすっていただけたら楽になるのですが」とお願いしてみました。ところが「それは薬ですべてやります」、そう言われてにべもありません。

(中略)

その後にホスピスに入院して、家族が泊まり込み夜中に〇〇さんの背中をさすってあげていました。それを見た看護師さんが「やりますよ」と言ってくれ、たびたび〇〇さんの背中をさすってくれました。

――言葉をかけてくれたり、見に来てくれるだけでは不十分なんですよ。ちょっとでも触れたり、さすってくれると、患者はどれだけ楽になれることか……

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(3)文献のレビューから

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsnas/8/3/8_91/_pdf

このサマリーから引用します

 

「(文献の総合的レビューから)ストレス状況下における看護師によるタッチにはストレス、不安、苦痛を軽減する効果があること、ナーシングホームやホスピスの入居者、がん患者へのハンドマッサージやフットマッサージには安楽や症状緩和の効果があること、全身/背部マッサージにはリラクゼーション、疼痛緩和、皮膚温上昇の効果があることが明らかにされた。また会話しながらのタッチは会話のみの場合よりもストレス緩和の効果が高いなどの実践への示唆が得られた」

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(4)積み残した課題

 

今回マッサージ/タッチングに関していくつかの角度から考えてみました

その中でテーマとは直接には関連するものではありませんが、これからの課題として考えてみなければいけないことが浮かんできました

 

※病状を『受け止めきれていない』と思われている患者さんがいます

 

しかし、今の苦痛の原因を知ることのみが目的ではないように思います

・ 「こんな状態になってしまったことが、悔しい、情けない、腹立たしい」という思いをぶつけたい気持ちに共感する努力がいるのでは?

・受容が必要と言って、悪い病状を繰り返し説明することで、患者さんの小さな望みをつぶしてしまっているのでは?

などと考えてしまいます

 

※私たち医療従事者の仕事はますます忙しくなっています

 

だれかにそばにいてほしい人がいて、必要なときにその人の為に時間をつくること(ある先輩医師は「時間を注射する」と言っていました)はできる努力ではないのかと、私のこれまでを振り返りながら反省する毎日です

 

難しい課題ですが、引き続き考えていきたいと思います