10月8日、3周年の記念集会を開催しました

台風が心配でしたが、なんとか通り過ぎたあとの快晴のお天気の休日となりました

―――それにしても今年は台風の直撃が多かったですね

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会場は駅の目の前です

 

副院長の素敵なあいさつのあと

私から3年間の報告をスライドを使ってさせていただきました

 

そのあと

参加者の皆さんが待ちに待った徳永進先生の講演です

“生もこんとん 死もこんとん”

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参加者はなんと324人!!

普段からお世話になっている医療機関の方々や看護学生さんも多数参加していただきました

 

徳永先生からは日常の出来事をおもしろく、明るく伝えていただき

笑いあり涙ありのお話にみなさん大感激していました

(参加された方々の感想は今後のブログに載せます)

 

私が感銘を受けたことの一部ですが

以下に記載します

 

☆オープンダイアローグという用語を教えていただきました

ネットで調べると「1980年代から西スコットランドの病院で行われている家族療法の一種」「参加者は患者さんにかかわ重要な人ならだれでもOK」「そこではあらゆる発言が許容され、傾聴され、応答される、開かれた対話」

などと述べられています

 

先生はカンファレンスを取り上げられ

「結論を出すためではない」

「その場で大事な意見を出し合う」

「何か事が起きれば60分以内に集まる」

などと話されました

 

 

☆また、ネガティブ・ケイパビリティという言葉も…

「私たちに必要なのは共感すること」

「その共感する過程で、容易に答えの出ない事態に耐えうる能力がネガティブ・ケイパビリティ」

 

 

☆さらには

「臨床には決めていく力と決まっていく力があります」

「臨床では思いがけないことがおこるのです」

 

 

短い時間で全てを理解することが難しいのですが

関連する書籍なども参考にしながら学んでいきたいと思いました

 

最近患者さんへの「病名の告知」に関して考えることが何度かありました

 

私たちの緩和ケア病棟の入院基準には「原則として病名の告知がされていること」という一文があります

絶対的なものではないのですが、入院されてから「わたしはなぜよくならないの?」「ここでは治療はしてもらえないの?」と話される患者さんがいたことから基準として付け加えることになりました

また「緩和ケア病棟の役割」についても面談時に説明を行っています

 

 

ご家族にこのお話をするとき、「告知されるとショックを受けるから」「病気を受け止めきれないから」「きょうだいが同じ病気で亡くなり、はっきりと告げると気持ちが落ち込んでしまうから」と積極的なお気持ちになられないことがあります

 

これまで専門病院で癌治療を続けてこられた患者さんの場合はそのようなことはほとんどないのですが、病気がみつかってもすでに手術や抗癌剤などの積極的な治療が望めないときに、ご家族たちは途端に悩まれることになります

 

私もそのお気持ちは十分にわかります

 

 

今から25年ほどまえのことでした

 

私は小さな内科中心の病院で働いていました

 

患者さんは様々な病気で入院してこられます

急性期治療を必要とされる患者さん

糖尿病のコントロールが必要となった患者さん

ときには診断が難しい患者さんがいました

免疫不全の患者さんでした

癌の患者さんもいます

 

高齢の女性でした

ご主人はすでに亡くなられ

ふたりの息子さんたちと同居していました

体調不良で入院され、検査で膵臓に癌が見つかりました

すでに進行しており治療は難しい状態でした

 

いつもならここでご家族にまず説明と相談をするのが当時のやり方です

 

しかし息子さんたちは精神疾患で治療を受けておられ

ありのままをお話してしっかりと受け止めていただけるか心配な状況でした

一方で、お母さんである患者さんは、息子さんたちのこれからのことを心配されています

 

病院では少し前から入院患者さんへの「カルテ開示」を行なっていました

看護師さんの日勤時間帯にベッドサイドにカルテを置かせていただき

患者さんやご家族が自由に見ていただくことができます

さらにご自分の意見や思いなどを書き足していただくことも可能でした

 

当時の医療状況から考えると先進的な取り組みではなかったかと思います

 

――この患者さんの場合どうしようか?

 

みんな考えました

 

――カルテ開示は何のためにしているの?

――自分たちの自己満足でおわったらダメだと思います

 

などの意見

 

時間をかけた話し合いの結果

カルテの開示は患者さんのため

病名の告知も患者さんのために必要

という結論になりました

 

 

主治医である私と受け持ちの看護師さんとで患者さんに話をすることになりました

 

患者さんはご自分の病気はすべて教えてほしいと言われていました

 

「○○さんにとってうれしくない話になるかと思いますがよろしいでしょうか」と切り出しました

 

患者さんは落ち着いて私や看護師さんの話を聞いてくださいました

しっかりと受け止めていただけたようです

 

そして

「息子たちはどうなるのでしょうか?」

と、ご自分のことよりも息子さんたちのことを気にかけられました

 

息子たちにも伝えてほしいと望まれ

後日息子さんたちにも病状をお伝えしました

私たちが予想していた以上に動揺されました

 

しかし患者さんから息子さんたちにご自分の考えを伝えられ、しだいに息子さんたちも冷静になられました

 

「病気になったものはしょうがないよ。私は大丈夫。心配なのはあなたたち。きょうだいで助け合って頑張ってね」

 

このご兄弟には結婚されたお姉さんがいたのです

その支えが大きかったように思います

――女性はたくましいと思ったものです

 

 

私たちは告知にいたるまで大いに悩みました

息子さんたちも悩まれました

でもいちばんつらかったのは患者さんです

 

 

病気の真実を伝えることも伝えられることもつらいことです

しかしどれほどつらい事実であったとしても

だれかが伝えることをしないと

患者さんはその後の生き方を決めることができません

 

もしこの女性にだれも何も話をすることがなければ

ご家族の間での本音の話し合いはできなかったでしょう

患者さんも息子さんたちも不信のなかで過ごさざるをえなかったかもしれません

 

 

ただ、

このお話のようにすべてがうまく行くとは限りません

ご家族の納得が得られないまま最期を迎えられた患者さん

ご自身が「怖い話はいや」と説明を拒まれた患者さん

みなさんそれぞれの人生の在り方は様々です

 

 

けれど面談のときにいつも言うことがあります

「私たちはけっして嘘を言ったりごまかしたりすることはありません。そして、いつでも患者さん、ご家族さんの支えになりたいと思っています」と

 

 

山崎章郎先生の著書にこのようなことが書かれていました

“告知は、患者さんが新たな道を歩む始まりに過ぎない”

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恒例になりました“秋の音楽会”がありました

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今回の演奏は神戸大学医学部の「クラシック愛好会」の学生さんたちです

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いつもの如く私が前座を務めました

 

その後の演奏になると

一気に参加者の興奮が高まります

 

いつになく子供たちの姿も多くありました

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ピアノや楽器の演奏

澄んだ歌声はみんなを魅了します

 

さいごにみんなで大合唱!

 

今回は1部と2部にわかれての取り組みでしたが、

ともに参加された患者さんもいました

「歌声に誘われました」と

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ずっと前から準備をされた看護師さんたち

お手伝いをいただいたボランティアさん

お疲れ様でした

 

そして

メインゲストの医学生さんたち

私の大学の後輩です

 

素敵なお医者さんになられることを

期待しています

 

 

阪神淡路大震災がおきて、まだ日も浅い時期のことでした

 

保健師さんから往診の依頼がありました

 

患者さんは寝たきりで食事も高齢の娘さんの介助で何とか食べているという状況でした

なによりもご自宅が山の上の方にあり、長い石段を上り下りしなければたどり着けない、言いかえると高齢のご家族は簡単に買い物にもいけない一軒家の中で暮らしていました

 

初めての往診のときです

布団にくるまって休まれている患者さん

そのまわりで甲斐甲斐しく介護をされている娘さん

娘さんとはいっても高齢で、腰が90度ほど曲がった女性です

時は秋

これから寒くなることが予想されます

 

古い家屋のため、すきま風がまちがいなく室内の温度を下げてしまいます

――これから大変になるなあ

と往診に同行してもらった看護師さんと話しました

 

幸いにも患者さんには大きな病気はなさそうです

加齢と認知症にともなうADLの低下から寝たきりになられたようでした

いずれは老衰を迎えることになるのだろうなと思われました

 

「ありがとうございます」

何を話しかけても同じ返事が返ってきます

若い頃小料理屋を営んでいたとのことで

そのころのお客さんへのあいさつだけが記憶に残っているようです

 

娘さんが出されたアルバム

そこにはきれいにお化粧をされ、着物を上手に纏われ、踊りを踊っている患者さんの姿

写真をお見せすると、顔を赤らめて恥ずかしそうにされました

――この頃が患者さんにとってもっとも輝いていた時なんだなあ

 

また来ますね

とご挨拶をして往診を終えました

 

帰りの下りの石段

冬眠に入る前なんでしょうか

ゆっくりとした動きをするヘビに出会いました

 

 

何度か訪問をさせていただきました

しだいに寒さが身に染みるような季節となり

患者さんの全身状態は弱ってきました

これ以上進むと入院も考えないといけないとだれもが思う状況になってきました

 

ある日の訪問でのことです

 

娘さん

「お話があります」

といつになく真剣な表情です

 

「あの方にはこれからは来てほしくないんです」

訪問看護師さんのことのようです

 

「お母さんはもう限界だから入院しないといけません」

「これ以上おうちで看ていくことは無理でしょう」

と訪問ごとに言われるそうです

――私もそのように思っていたところなので、娘さんの訴えに驚きました

 

「私たちはいままでずっとふたりで助け合って暮らしてきたのです」

「私はまだまだ頑張れると思っています」

「それなのに看護師さんは私の話を聞いてもくれず、もう無理だから、限界だからとばかり言って…」

さいごには泣き顔です

 

私も反省を迫られました

 

――よかれと思ってしたことでも、患者さんやご家族にとっては今までの努力が台無しになってしまいかねない働きかけとなってしまうことだってあるのだということ

――患者さんやご家族の思いをしっかりとお聴きし、受け止め、支えとなる役割りが求められているのだということ

――「限界」は私たちの側にあり、患者さんたちの方にあるわけではないということ

 

などなど、たくさん学ぶことがありました

 

 

ちょうど山崎章郎先生の最新刊を読んでいるときにこの出来事を思い出しました

 

そこでは次のような記載がありました

 

「自分では、まだやれると思っている。あるいは、そろそろ限界かもしれないと思いつつも、まだがんばりたいという気持ちがある。まだ現実を受け入れていない、揺れている状態のときに、まわりがとやかく言っても、それが善意に基づくものであったとしても、なかなか受け入れられるものではないのだ。

こういった場合には、待つしかない。その人が自ら一人暮らしの限界を感じたときに、初めて自分の中で、折り合いがつくのである」

「そのような人に関わる関係者は、その人が現実と折り合いをつけたときから、次へのステップを考えるのではなく、その人の心の変化を待ちながらも、折り合いをつけた後に、すみやかに次の事態に備えられるような準備はしておいた方がよい」

 

この文章にもっと早くに出会えていればと思いました

 

というのは、

この患者さん、あるとき熱が下がらず、娘さんもやむなく入院を承諾されました

しかし病状は落ち着いたものの、介護の手間がこれまで以上にかかるようになり、介護施設に移ることになったのです

その後ほどなくして、患者さんがお亡くなりになったという知らせが届きました

 

私たちは娘さんに合わす顔がなく、もっとほかにいい方法があったのでは、とたいへん悔やまれる出来事となりました

 

 

高齢者の介護の場面と緩和ケアの場面では異なることもありますが、人の思いはどのようなときにも違いはないでしょう

私はそのときから成長しているのでしょうか?

 

 

――なんでわたしだったの?

――どうしてこんな病気になったの?

――癌になる人はふたりにひとりって聞いていたけど…

それでも半分は癌じゃないのにどうして?

――わたし、なにか悪いことをしたのかな?

 

痛みや吐き気がつづき、眠れない夜をすごしていた女性

その日担当になった看護師さんに

ご自分の思いを淡々と話されました

 

――どうしてなのかな?

――元気なお年寄りもたくさんいるのに

どうしてお母さんなのかな

 

と付き添っておられたご主人も話されます

 

患者さんのそばに腰かけた看護師さん

患者さんの背中から手足にかけて丁寧にマッサージをしつつ

お二人の話を聴きながら

どう言葉をお返ししようかと悩んだそうです

 

「なぜ○○さんだったのか、わたしにはわかりません

きっと担当の先生にもわからないことだと思います

でも○○さんのお辛い気持ちはよくわかりました

いままで弱音を口に出されなかった○○さんが

ご自分の率直な思いを吐き出すことができて

直接お話が聴けて

わたしはほっとしました

だれだって病気はいやですよね

なぜ自分なんだと思われること

当然だと思います

でもね

○○さん

どうして病気になったの?

なぜ…?

ってずっと考えてばかりいることは

とってもしんどいように

わたしには思えるんです

 

病気になったことはとてもお辛いことだと思います

でも緩和ケア病棟の中で

お父さんとずっといっしょに時間を過ごされ

今まで以上にたくさんのお話をされ

嬉しい時間、楽しい雰囲気を共有できたこと

それって

とても大切な時間なのじゃないのかなと

わたしたちは思っています

 

これからもその時間を大切にしてほしいです」

 

この報告を聞き

わたしは看護師さんに拍手をしました

患者さんが生きる意味を実感しながら毎日を過ごされるお手伝い

そのものではないでしょうか

 

○○さんは

ご自分の意思をしっかりと表明される患者さんです

ご自分の治療、療養の場所など

すべてご自身で決めてきました

 

体力がしだいに低下してきても

トイレには歩いて行きたいと頑張ります

 

足腰が弱ってくると

車いすでトイレに行かれます

 

ご主人は音を上げることなく

付き添っていました

 

尊厳ある人として

生きることを支えたい

この思いは

わたしたちみんなが共有しています

 

 

ご自分の意思を

しっかりと示してこられた○○さん

その方がなぜ弱気になったのだろう

と、思っていました

 

ご主人とふたりきりで話をすることがありました

そのとき、わたしの疑問に対する答が見つかりました

 

 

――前の病院に通っていたころ

妻はひとりで診察室に入り

わたしの同席を嫌がっていました

きっと自分ですべてを受け入れようとしていたのだと

思います

病気がわかってからも

痛みをかかえながらがんばって歩いていました

つらい姿を見せると

わたし(夫)が困るだろうと思っていたようです

わたしのことばかりを気にかけていました

――体調がすぐれないまま

自分から先生に検査を依頼することはなかったのです

だから病気が発見されたとき

手術はできない

余命も長くない

といきなり告げられました

でも過ぎたことはしょうがない

という考え方をしていた人なんです

 

――病院の先生にすべてを任せて

安心して通院していたのに……

悔しかったのだろうと思います

 

――だからこの状態になり

「どうしてこのような病気になったの?」

という言葉になって出てきたのじゃないのかな

とわたしは思っています

 

 

「短い余命」とわかってから○○さんは

多くのものを捨てていかれました

衣服もたくさん処分しました

 

「自分はいずれいなくなる身だから…」

 

「わたしには生活するうえでの大切なことを、全部伝えきれていなかったという心残りがあるのでしょう」

とご主人

ときには厳しくあたることもあったようです

 

 

長いお話を伺いながら

涙をこらえることができませんでした

 

 

あるとき

「大切にしたいものってなんですか?」と尋ねました

 

○○さんはすかさず

となりにいるご主人を指さされて

「この人よ!」

と言われたのです

 

 

ふたりでベッドに腰掛け

大好きな果物をいっしょに食べ

気分のいいときには

看護師さんに付き添われ

ベランダに出て

頬をなでる外の風に目を細めながら

 

残りの命を

ふたりでひとつずつ

すてきな思い出に

きっと変えていっているのでしょう

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